なんという空しさ
テキスト コヘレトの言葉1章1〜11節
 真夏の広島の土砂崩れの惨憺たる状況に胸がつぶれました。復興が難しいのはその地形的位置です。危険指定地区でもあるので、今後どこに住むのか、将来の移住地の青写真を思い描けないという辛い難題を抱えています。ここには利益至上主義に駆られて乱開発してきた企業の責任問題がはっきり横たわっています。
 そして今回の御嶽山の災害。全く予想できなかったそうです。10月5日、本日現在死者51名、なお不明者を捜索中です。戦後最大の火山災害なのです。
 さて、岐阜と長野県にまたがる御嶽山は標高3067メートル、複合火山です。じつは御嶽山は、富士山と並ぶ霊山であり、山岳信仰-御嶽教の牙城です。木曽節、「木曽ノナー/ナカノリサン、木曽ノ御嶽山は/ナンジャラホイ/夏でも寒いヨイヨイヨイ/ヨイイヨイノヨイヨイヨイ」は、小学生でも学ぶ機会があるようです。が、あの唄の意味となると何のことか分かりません。木曽節は、どうやら木曽川の川下りの舟唄ということらしい。
 が、「ナカノリサン」って何でしょう。舳(舳)と艫(とも)でなく真ん中に乗っている船頭さんとのことという説もありますが。ちょっと無理。
 じつは私の知人に御嶽教の宮司さんがいます。愛知県の高校の国語教師ですが、神道の詩人なのです。キリスト教詩人・八木重吉、仏教詩人草野天平なら通じますが、神道詩人という言葉はまだ市民権がなさそうです。
 が、この方は兄弟で共に宮司であり、時折御嶽山に出掛けては、禊をして、心身ともに清らかにして、神事を務めます。彼の描く詩は、山岳信仰の霊山との交流を通して神に仕えるちょっと神秘的な世界を描き出しています。この知人が、今回あの時どこにいたのか、どうしているのか消息がつかめていません。
 戻ります。「ナカノリサン」とは、神のお告げを民衆に伝える人という神道専門用語だそうです。
 とすれば、あの舟唄は、御嶽山の信徒を乗せた巡礼の船だというのが私の解釈です。イエスさまと弟子たちを乗せた嵐の中を突き進む船を私どもは知っています。
 御嶽山は、火を噴く活火山です。モーセが上ったシナイ山も芝が燃えていた。申命記33章1節には、「その右の手には燃える炎がある」と書かれています。出エジプトの火の柱も浮かび上がってきます。地震と火山は聖書の世界を彩っている。
 先週取り上げたカルメル山は、10月2日、噴火して40名の死傷者が出たとニュースが伝えていますが、御嶽山の火山災害の前にもみ消されてしまっているようです。
 自然は、人間を慰め安らわせる力と圧倒してのしかかり恐怖に陥らせる二つの顔を持っている、これは神々の共通点でもあります。
 さて、最近の地球は騒然としています。香港の選挙をめぐる庁舎占拠、イスラム国の残酷な侵略拡大、自然災害、右傾化する日本、高まる国際間の緊張と不景気、そんな中で人間は、どこで何を求めたら、救われるのか、と暗い雲に覆われて行くように見えます。
 そんな不安感の中でコヘレトの言葉が俄然浮かび上がってきたのです。共同訳(1955年訳)までは、「伝道の書」という題名でした。その方が、虚無と救いを結びつける喚起力を促す書として魅力的だったと思います。
 原文の意味は、伝道者と意味の名詞(コヘレト)の言葉です。この方が忠実な訳です。
 私が初めて「伝道之書」に触れた時は文語訳でした。「伝道者言く空の空 空の空 空の空なる哉 都て空なり」。 共同訳は、「空の空、空の空、いっさいは空である」。
 関西に来と般若心経を唱えられる人が多いですが、あの中に出てくる「色是空」が有名です。あの空」と、コヘレトのいう空は異なるわけですが、無関係ではない。このあたりのことが、五〇数年前に高校生であった私には、よく分からないまま音楽的な呪文にも思えて魅力的だった。少年期の私には、虚無あるいはニヒリズムという言葉がぴったりだった。思想とか教養とか信仰よりも「空の空」という表現のほうが、多感であるゆえに灰色でもあった高校生にとっては、魅力的だった。虚無が魅力的だったと思うこと自体おかしいのですが、青春初期の高校生には、「いっさいは空である」という表現そのものが興奮剤であったというのがより正確でしょう。「人生は空しい」と口に出すことによって泣きそうになりながら興奮して充実していたと言ったら通じるでしょうか。ちょうど父の商売がほぼ破産状態になり、小児麻痺の兄を抱え、疲れ果てている母を見ていて、「人間失格」の太宰治文学に酔っぱらって、やけのやんぱちだった私は毎晩お酒を飲み、ほっつきまわっていた。そこからまっすぐにキリスト教へと入っていったのです。
 テキストの8節以下は体中がほてるほど共感しました。8節、「何もかも、もの憂い。/語り尽くすこともできず/目は見飽きることなく/耳は聞いても満たされない」。 
 今思えば北欧系アメリカ人宣教師が熱心になればなるほど反発して反抗しながら、しかし受洗したのでした。九節の「太陽の下、新しいものは何ひとつない。」 は衝撃的でした。神の目から見ればその通りです。世界史の先生とも歴史の概念をめぐって喧嘩しました。結局、「空の空」をめぐって人間であるからこそ喘ぎ続ける。このどうしようもなさに絶望していたのです。
 そして決定的だったのが11節、「昔のことに心を留めるものはない。/これから先にあることも/その後の世にはだれも心に留めはしまい。」 
 良き青春の目覚めの入り口で躓いてしまった私は、幼少時代の祖母に育てられた戦争中と戦後が夢のように懐かしく思われて、幼少期の繭の中に戻ろうとして退行しながら潜り込んでしまった。
 その一方では、神でない人間である自分にはまだまだ見ぬ世俗世界がいっぱいある、ほんの少しでも世界を見ていたいという激しい飢えがあったのです。それらを全否定してくるコヘレトの言葉が憎い、憎いけれどもほんとうはそうなんだろうと思うと、「いっさいは空しい」という言葉が普遍的な真理にも思えるのでした。出口のない絶望を、生きるエネルギーにして生きていたようなものです。
 毎日のかすかな希望は、飲んで食べることでした。お酒とカレーうどん、これは神の言葉の次に嬉しく楽しい生き甲斐だったのです。
 青春期というものはまことに不思議なもので、宣教師たちにあらんかぎりの力で反抗しながらも教会生活に充実感を覚えてもいたのです。信仰への飢えとあらんかぎりの反逆そして文学。飢えと充実という矛盾を抱えたまま、その後30数年間を過ごしていくのです。    
 そして、いつか瀬戸内海の離島に無免許運転の伝道者として赴任するだろうと半ば本気で熱く思い詰めながら過ごしていくのです。が、実際に通いつづけたのはハンセン病の施設でした。 そして、高校教師、短大、大学教師を長く勤めましたが、定年近くなった時、かつて17歳の時に神学校に行きたいと熱望した夢が再燃したのです。眠っていた火山が爆発した、否、神さまから召されたのです。「人生の総決算をしなさい。今しかない」と。
 結局、マンションも売ってしまって帰る所もなくなってしまいました。神学校の卒業式は東日本大震災のあの日あの時刻でした。地震の多いイスラエルとよく似た日本、神道、仏教、信仰宗教に包囲されたままの日本のキリスト教ですが、だからこそ伝道者として派遣されたのであります。70代半ばは目の前です。人生のターミナルを前にして、もう一度あの「いっさいは空である」と絶望していた頃を切実な思いで抱き締め直して、だからこそ主が招いてくださり、与えてくださった恵みと平和を伝えているのです。
 現在の私の心は、今日読んで下さった招詞が十分に語っています。すなわちローマの信徒への手紙10章11〜13節をもう一度開いてみましょう。288頁です。
 「聖書にも『主を信じるものは、だれも失望することがない』と書いてあります。ユダヤ人とギリシア人の区別はなく、すべての人に同じ主がおられ、御自分を呼び求めるすべての人を豊かにお恵みになるからです。「主の名を呼び求めるものはだれでも救われる」のです。」
 祈ります。
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