この声を聞いた
ペテロの手紙2 1章16〜21節
 散歩という漢字は楽しいですね。散る歩み、踊りながら歩くのでしょうか。近頃私は、急速に外出が億劫になってきたようです。これではいかんというので、夕暮れの散る歩み(散歩)を楽しむことにしたのですが、言うは易く実行は難しです。朝になると近所の方々の散歩が見られます。日差し除けのつば広帽に腕カバー、まじめな顔付き、前にのめりこむ姿勢で歩いている人もいます。一方、「散る歩み」と発音しているような楽しそうなご夫婦もいます。
 土師に来て四年目の夏、鳥の声が嬉しいです。今頃は、鷺、カラス、雀、燕など。ことに雀たちは、発音、アクセント、イントネーションが豊かで、ミュージカルの舞台を楽しんでいるような興奮があります。
 さて、この土師に来て一度もお目にかかっていないのが、でんでん虫虫のカタツムリです。
 雨に濡れた紫陽花の葉っぱの上で見つけたのは、中年末期までの思い違いだったのでしょうか。
 ある夕暮れ、雨の気配がする散歩中、童謡がどこからか聞こえてきました。「でんでんムシムシ カタツムリ お前の頭はどこにある角出せ 槍出せ 目玉出せ」
 すると懐かしいかたつむりの家族が濃い青色の紫陽花の葉っぱを散歩しているのがはっきり見えるような気がしてきたのです。さらに、ある童話が生き生きとよみがえってきて、懐かしい声が聞こえてきたのです。この声は、もう亡くなった姉の声らしいのです。
 「私(カタツムリ)はたいへんなことに気が付きました。
 私はうっかりしていたけれど、私の背中の殻の中には悲しみがいっぱい詰まっている。このままではもう生きていられない」。 そこで友達に言ったら、「私の殻にも」と言います。次々に聞いてみましたが、みんな同じ答えなのです。
 最後に、このカタツムリはこう言います。「悲しみは誰でも持っている。私ばかりではないのだ。だから私は私の悲しみを堪(こら)えていかなきゃならない」。
 そして、このでんでん虫はもう嘆くのを止めたのであります。
 思い出しました。これは愛知県半田市生まれ、29歳で死んでいった新美南吉の童話です。「ごんぎつね」が一番有名です。生きる悲しみを童話の中に塗り込めた詩人です。
 私森田は、かつて南の新美南吉に深く共感した文学青年のひよこでした。が、やがて北の宮沢賢治に決定的な影響を受けて南吉から遠ざかりました。なぜなら真っ向から人間の救済を問い続けた賢治と出会ったからです。「もう生きられない」と告白した南吉に今、福音を伝えてあげたかったとつくずく思うのです。
 さて、今日のテキスト「ペテロの手紙2」は、福音にしっかりと立ちなさいと励ましている書簡です。ペテロの手紙1、2は、共にポントスその他の各地に散らされたユダヤ人に宛てた書簡ですが、作者はどう考えてもペテロではない。最大の理由はこんな端麗なギリシア語を書く力はペテロにはない、のと、書かれた時代が明らかに西暦90年代以降であり、伝えられている使徒ペテロの殉教以降だからです。
 ということは、ペテロの権威を借りた偽文書なのです。時代状況としては、ローマ帝国によっても異端視された原始キリスト教への迫害の季節下であります。なんとしても原始キリスト教団の信仰を守り抜かなければならない。しかも教会内部に巣食っている異なったキリスト教を語る偽教師たちとの論争を抱え込んでいたのです。ですからキリストの十二弟子たちの筆頭者であるペテロの名前が必要だった。第2ペテロの冒頭の「挨拶」では、「シメオン・ペテロ」と名乗っています。「シメオン」は、ヘブライ語名であり、「シモン」は、ギリシア語への音写(音の写し)です。さらにペテロが殉教を覚悟して書いた遺書という形式を取っているのも注目すべきでしょう。1章14節をご覧ください。「わたしたちの主イエス・キリストが示してくださったように、自分がこの仮の宿を間もなく離れなければならないことを、わたしはよく承知しているからです」。 続いて、「キリストの栄光、預言者の言葉」という小見出しを掲げた16節以降が始まるのです。
 偽教師たちは、イエスさまの再臨を否定していました。その理論的根拠はこの書簡には登場していません。そしてペテロというよりは、パウロの神学からの影響がより強く匂っているのがペテロ書簡なのです。この書簡の著者は、仮に「ペテロ ダッシュ」として学んで行きましょう。
 ペテロから伝えられて、信仰者がいつも念頭に焼印して置くおくべき方針は、ここに二つ明記されています。
 第一に、ペテロがイエスさまの出来事の威光(犯しがたい権威)を目撃したその証人であるという事実の確認です。この場合、16節、「わたしたちは、キリストの威光を目撃したのです」と複数形です。私ペテロと他の弟子たちも共にその聖なる現場にいたのですと再確認しているのです。
 そして、17節、「荘厳な栄光の中から、『これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者』というような声があって、主イエスは父である神から誉れと栄光をお受けになりました」。 18節、「わたしたちは、聖なる山にイエスといたとき、天から響いてきたこの声を聞いたのです。」 とあります。
 この文章の背景には、イエスの威光(犯しがたい権威)の力と再臨をめぐる論争があるのです。再臨を否定する偽教師たちを論破するためには、キリストがかつて見せた出来事の事実を伝えなければならなかった。おそらくここを読んだ皆さんは、マルコ福音書の9章2節以下の「イエスの姿が変わる」(マタイおよびルカの並行記事)を想起するでしょう。ペテロ ダッシュは、使徒ペテロにこの出来事を語らせることを通して、事実を見て聞いた重さを納得させようとしたのです。
 そのうえで、19節、「こうして、わたしたちには、預言の言葉はいっそう確かなものとなっています。夜が明け、明けの明星があなたがたの心の中に昇るときまで、暗い所に輝くともし火として、どうかこの預言の言葉に留意していてください」。 「預言の言葉」とは旧約全体を指しているのです。託された神の言葉だからです。「明けの明星」は、民数記24章17節に由来しています。旧約276頁、開く必要はありません。お聞きください。「ひとつの星がヤコブから進み出る」。ここからヒントを得た表現でしょう。
 イエスさまの聖なる山での聖なる出来事を見聞きした事実から、わたしたちは再臨もまた確かな事実として確信できるのです。
 とすると「暗い所に輝くともし火として、どうかこの預言の言葉に留意していてください」はどのように受け取ったらよいのでしょうか。
 イエスさまの復活信仰によってわたしどもは希望に生きる新約時代にいるのではないのでしょうか、との反論は、現実認識が甘いのです。福音はそれほど底が浅くはない。さきほども述べたように、紀元九〇年代、あちこちで始まっている迫害と偽教師による福音の攪乱による信徒の堕落もまた深刻であったのです。この書簡そのものが偽教師の論理の論破を目指しているのです。
 21世紀の日本の現実、そして私どもの家庭の現実もそう単純におめでたい状況ではないでしょう。
 では、福音は無力なのか。いいえ、そんなことは言っていません。
 さあ、カタツムリの嘆きを思い出してください。悲しみが詰まっている殻を背負ったまま覚悟して生きていくと決心したカタツムリを救えなければほんとうの福音とは言えません。
 「明けの明星があなたがたの心の中に昇るときまで、暗い所に輝くともし火」が、復活されたイエスさまなのです。現実の荒波の中で苦しみ唸り、泣きながらも「輝くともし火」を見失うことなく前進していく信仰、迫害の中でも歩み続ける信仰こそ、わたしどもキリスト者が生き抜いていく基盤なのです。私は、改めて「ごんぎつね」を読もうと思います。かつてのように悲しみの涙にぐったりして沈み込むのではなく、悲しみながらも希望に生き抜く人生の最終コースが私の道なのです。そして私どもの人生なのです。
 20節を開いてください。「何よりもまず心得てほしいのは、聖書の預言は何一つ、自分勝手に解釈すべきではないということです」。 21節、「なぜなら、預言は、決して人間の意志に基づいて語られたのではなく、人々が聖霊に導かれて神からの言葉を語ったものだからです。」
 歴史を振り返ってみても、今も、いつの時代でも迫害はあるのです。
 確かなことは、異教社会の中にあって、異端視されたキリスト教がどのように生き抜いていくのかをこの書簡は論じているのです。そのための原点は、聞いて受けたことをそのまま語ることです。これが信仰です。
 自分勝手な解釈は堕落の始まりです。良き信徒とは、聞いて、信じて、与えられた信仰を保つこと、この単純明快さが肝心です。ペテロの遺言状から学ぶことは、暗い所に輝くともし火としての福音と共に生き抜くことです。何故なら私どもはイエスさまの声を聞いたのです。福音は悲しみをも受け入れて希望に生きることなのです。

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