それを与える
マタイによる福音書14章1〜12節
 みなさんは十九世紀末に出たオスカー・ワイルドの珠玉の童話集『幸福な王子』を紐解いたことがあるでしょう。そう、あれあれ。ちょっと筋書きを思い出してみましょう。
 「西洋のある町の中心部。高く聳え立つ王子像。二つの目は青いサファイア、腰の剣の装飾は真っ赤なルビー、身体は金箔に包まれていて、心臓は鉛。美しい像は人々の自慢。エジプトへ旅立つ燕がその王子さまの足下を塒にしようとしたとき、大粒の涙が落ちて来ました。王子さまはこの町に住む貧しい人たちに自分の宝石をあげてほしいと頼みました。燕は、剣の装飾のルビーを病気の子がいる貧しい母親に、青いサフィヤを劇作家とマッチ売りの少女に持って行く。さらに身体の金箔を大勢の人たちに配ったのです。そして両目を無くした王子さまに町のいろいろな話をしてあげましたが、いつしか冬になり、燕も王子さまもぼろぼろになり、凍え死んでいきました。天から見守っていた神さまは、二人を天国に招きいれて祝福してくださったのです。
 思い出しましたか。ワイルドは、『ドリアン・グレイの肖像』を書いた詩人・作家です。愛欲と享楽に身を任せて滅んでいった恐るべき人生を描いた人物です。
 じつは、今日のテキストに登場するヘロディアの娘を描いたあの傑作小説『サロメ』の作者でもあります。
 ワイルド文学をどう読むかという問いは、別の機会に譲りましょう。作家とは、神さまに献げる献身から神さまを裏切る背信までも描くという複雑な精神構造を持った存在です。世界中の作家の心を捕らえたサロメは、今日のテキストの中でどういう役割を担っているのでしょうか。
 ヘロディアの娘、サロメという固有名詞は、じつは聖書には登場してきません。ただし、イエスさまの十字架の側に留まった女性たちの一人であるサロメは登場します。
 今日のテキストの個所を開いてみましょう。14章1節、「そのころ、領主ヘロデはイエスの評判を聞き、」 2節「家来たちにこう言った。『あれは洗礼者ヨハネだ。死者の中から生き返ったのだ。だから、奇蹟を行う力が彼に働いている。』 3節「実はヘロデは、自分の兄弟フィリポの妻ヘロディアのことでヨハネを捕らえて縛り、牢に入れていた。」 とあります。日本語で読む限り、明らかに2節と3節は、時日が矛盾しています。3節以下のほうがさらに古い時日なのです。これは記者マタイの常套表現であり、ある過去の報告をまとめて結論を先に出してしまう方法なのです。
 続けます。4節、「ヨハネが、『あの女と結婚することは律法で許されていない』とヘロデを批判して何度も公言したからである。つまり一人の女性を兄弟で順次妻としたのである。ヘロデが横恋慕して強引に自分の妻にした。これは明らかにレビ記の律法への違反である。
 それでなくても「じぶんの罪を認めて悔い改め、洗礼を受けよ」と主張するヨハネは、大きな反響を呼び起こし、多くの民衆が従いていくので、いつ群衆が暴徒化するかも知れないという怖れを権力者として抱いていたので、政治問題にまで表面化、拡大化されるのを怖れたヘロデがヨハネを引っ捕らえて牢獄に入れたのであった。そこは先代のヘロデ大王が造営したマケルスの砦にある牢獄。死海の東南約二十キロにあった。
 5節、「ヘロデはヨハネを殺そうと思っていたが、民衆を怖れた。人々がヨハネを預言者と思っていたからである。
 6節、「ところが、ヘロデの誕生日にヘロディアの娘が、皆の前で踊りをおどり、ヘロデを喜ばせた。7節、「それで彼は娘に、「願うものは何でもやろう」と誓って約束した。「誓って約束」する。こういう表現は、いかにもユダヤ的、ローマ的であって、ここまで強調されたことは、やがて訂正できない地点に自分が追い込まれていく原因をみずから作り出すことになる。
 8節、すると、娘は母親に唆されて、「洗礼者ヨハネの首を盆に載せて、この場でください」と言った。9節、「王はこころを痛めたが、誓ったことではあるし、また客の手前、それを命じ、」 10節、「人を遣わして、牢の中でヨハネの首をはねさせた。」
 ヘロデの誕生日がいつであったかは分からないが、誕生祝いの宴席が設けられたのは事実らしい。この物語は、歴史家ヨセフスが書いた古代地誌に乗っ取って記されている。常識的に考えてヘロデの誕生日の宴会となれば彼の居城地のティベリアスの王宮が考えられるが、もしそうならティベリアスとマケレス砦までは約二百キロも離れているので、ここの物語の筋書きは破綻してしまう。テキストからは宴会場の地下室ぐらいが浮かび上がってくる。またいかに淫乱な母の地を受け継いだとはいえ、王女がそんな官能的な踊りを人前で踊るのは考えられない。史実だろうかと疑いたくなる。
 が、どこまでが史実かどうかはあまり問題ではない。この福音書は歴史書ではない。ヨハネに関する伝承がこういう物語に纏められていったのであろう。ヨハネによる福音書には採用されなかったという事実も別の意味で興味深いのである。史実通りではないのであろうが、その後の作家や画家にとって格好の素材になったことも興味深く、演劇や映画化もされてきたことも興味深い。
 が、肝心なことは、共観福音書作者の狙いがどこに在るのかということである。ヘロデという権力者の性格的弱さや邪心や恐怖が、ヨハネの逮捕、投獄、刺殺へとどんどんエスカレートしていく。が、各福音書を仔細に読み比べてみると、ヘロデの小心ぶりがみごとに描写されているが、一方で「こころを痛めて」などヘロデの良心の呵責にも触れている。が、おそらくこれは当時のユダヤ支配者たちへの福音書記者の配慮でもあるのだろう。そうしなければ原始キリスト教を守り切れなくなる怖れもあったのは事実であるのです。
 徹底して描かれた弾圧の惨さなのです。にもかかわらず、ヨハネの悲惨な人生の結末は、逆転して殉教者として伝説化していったのです。ヨハネもイエスも預言者として民衆の中に根付いていった。さらに遡れば父ヘロデ大王は、メシア誕生のうわさに怯えてベツレヘムの嬰児たちの大虐殺を実行した張本人であり、イエスさまは難を逃れて奇跡的にエジプトに逃れ、やがてメシアとしての人生を貫徹されました。
 父ヘロデ大王、そして息子のヘロデ領主は、親子そろってキリスト教虐殺に深く関わった悪役を負わされたのであります。
 では11節を御覧ください。
「その首は盆に載せて運ばれ、少女に渡り、少女はそれを母親に持って行った。」
 9節の「それを与える」、 11節の「それを母親に」は、日本人には異質的な三人称単数の「それ」です。が、要するに「ヨハネの首」です。小説では、この早熟なサロメが、荒野で暮らす預言者ヨハネの野性的な魅力に魅せられ好奇心を煽られていますが、そこに母親ヘロディアのヨハネに対する怒りと憎しみが折り重なって、異様な熱気が立ちこめたクライマックスになるのです。ここまで舞台設定を整えたマタイ福音書記者は、なかなかの文筆家です。
 この後、ヘロデが辿った歴史の事実は、神の裁きとしか思えないほど、悲惨な末路を辿って行きますが、それは興味ある方が御自分で調べてみてください。
 私たちのキリスト教の発生から原始キリスト教の定着まで、どれほどの苦しみを味わったか、そのごく一部が、この短いテキストからも探ることができました。
 大王ヘロデによる嬰児大虐殺、そして息子ヘロデ王による執拗な弾圧とヨハネの斬首、つづいてイエスさまの十字架上の刑死。これらの虐殺にもかかわらず、キリスト教が成立し教会が成立してから二千年間を生き抜いてきたのです。中国キリスト教への新たな弾圧の始まりは皆さんがご承知の通りです。
 今、日本で弾圧がもし起こっても、受けて立つ覚悟を持っていなくてはなりません。ほんとうは今日本国憲法九条を初めとするなし崩しの勢力が湧き起こっています。秘密保護法をめぐる動き、靖国神社詣で、この危機状況に対して黙ってはいられません。信仰はこれらの危険な動きに対して戦いを挑んでいく行為を通して与えられる喜びなのです。
 そこから、日曜日の礼拝を守るということの意味の重さを実感しなくてはなりません。
悲壮な思いになる必要はありませんが、気楽にお散歩代わりに礼拝に来るのでは、神さまはお喜びにはなりません。私どもを見守ってくださる神さまにすべてを委ねて、喜びながら信仰を走り続けて行きましょう。

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