見て、信じた
ヨハネによる福音書  20章1〜10節
 4月7日(月)、午後5時から大阪教区宣教委員会16名が、定例会の会場となった当・土師教会に集まりました。かなり分かりにくいローケーションなので、みなさん早めに集ってくれました。玄関前のモッコウバラ(中国原産の棘のないこの)バラは、白と黄色の二色がありますが、今ちょうど小さな蕾がびっしりとついていて、いつ咲こうか、いつ咲こうかと時を窺っています。おそらく大阪教区の中でこんなにバラに覆われる教会堂はないだろうということでした。復活節にぴったりの花の動きにみなさん心が動かされたようでした。小林のおばあちゃんの歌碑は何処ですかと聞かれ、さらに純農村に伝えられたキリスト教の80余年の歴史についてもご存知なので驚いていましたら、ホームパージを見ていますとの答えでした。
 さらにおとついの金曜日、メイルと郵便の両方で、埼玉YMCAから連絡が入り、12月1日月曜日の早朝祈祷会の説教依頼が飛び込み、慌てました。顧問からです。「説教時々読んでいます」とのことでした。ここでの説教が大阪教区や埼玉地区でも読まれている事実に、「時代だなあ」と実感しました。ぽつんと孤立していると思っている方もいるかも知れませんが、葡萄の枝である個別教会は主の一つの体としてつながっている。大きな励ましを頂き、うれしくなりました。
 さて、今日のテキストは、キリスト教の土台である復活の朝の出来事です。読んでいただいたヨハネの二十章の見出しは「復活する」。 なんどか申し上げてきましたが、「復活」というと、トルストイ原作の長編小説『復活』を想起する方もいらっしゃるでしょう。愛と再生を主題にした壮大な物語です。それはそれとして、「復活」という漢字二文字からなる言葉の意味はどういうことでしょうか。原語のギリシア語では、「起き上がる、起こされる」であります。じつに簡潔明解です。死体となった人間が再び起こされる、起き上って生きる、です。
 21章1節、「週の初めの日、朝早く、まだ暗いうちに、マグダラのマリアは墓に行った。そして、墓から石が取りのけてあるのを見た」とあります。安息日が終わっても夜が帳を降ろすので動けません、ですから「朝早く、まだ暗いうちに」です。イエスさまの身体に香料を塗ってさしあげようと出発した。ところが、墓の入り口の大きな石がなかった。何故、誰が、転がしたのか。分からない。あわててペテロと主が愛していたもう一人の弟子の家に行って、空っぽの事実を知らせた。2節後半、「どこに置かれているのか、わたしたちには分かりません」。 ここで、「わたしたち」と複数形になっているのでマリアだけではなかったことが分かります。マリアが代表しているのです。3節、「そこで、ペテロとそのもう一人の弟子は、外に出て墓に行った」 どうやら二人の家は別々であり。この二人は一緒にいたのではないようです。4節、「もう一人の弟子の方が、ペテロより早く走って、先に墓に着いた」。 二人はすわ大変、主のご遺体が盗まれたのではと思って全速力で走った、走った。が、おそらく若いもう一人の弟子にはかなわなかった。この辺りは、もうひとりの弟子の方がより優先的に描かれています。そして、すぐに、5節、「身をかがめて中をのぞくと、亜麻布が置いてあった。しかし、彼は中に入らなかった」。 ここには一番弟子を自認しみなからもそう見なされているペテロに対する遠慮が感じられます。また「身をかがめて」という表現はとても実感的な描写です。「身をかがめて」とは、じっと見つめる時の姿勢ではないでしょうか。6節、「続いて、シモン・ペテロも着いた。彼は墓に入り、亜麻布が置いてあるのを見た」。 7節、「イエスの頭を包んでいた覆いは、亜麻布と同じ所には置いてなく、離れた所に丸めてあった。」 これは、19章の40節(208頁の下段)にあるように、ヨセフとニコデモは、亜麻布でイエスさまのご遺体を包んだのです。その亜麻布が置いてあった、というのです。亜麻布からすっと抜け出たのでしょう。あるいは亜麻布がふわっとはずれていったのです。つまり脱皮した蝉の抜け殻のようにそこに置かれていたのです。そして少し離れた所に「頭を包んでいた覆いは、」 「丸めてあった」という描写は、明らかに起き上がったイエスさまが丸めたという行動が記されています。言うまでもない。復活を証言するドキュメンタリーの決定的な場面です。  
 8節、「それから、先に墓に着いたもうひとりの弟子も入って来て、見て、信じた。」 のです。すなわち、空っぽであるということ、そして亜麻布が置かれた、抜け殻のような場面を見て、イエスさまは起き上がった、復活されたという事実をまっすぐに信じたのであります。
 と言うことは、九節が記しているように、「イエスは必ず死者の中から復活されることになっているという聖書の言葉を、二人はまだ理解していなかったのである」。 聖書の言葉は旧新約の何カ所かを通して確認できます。例えば、聖書を開く必要はありません。聞いておいてください。まず使徒言行録2章27節、「あなたは、わたしの魂を陰府に捨てておかず、/あなたの聖なる者を/朽ち果てるままにしておかれない」。 続いて詩編16編10節、「あなたはわたしの魂を陰府に渡すことなく/あなたの慈しみに生きる者に墓穴を見させず」など。さらに共感福音書からも確認できるのです。
 が、肝心なことは、聖書のどこそこの確認ではありません。蛻の空っぽの墓を、「見て、信じた」という行為そのものです。私どもの信仰の精髄もここにある。考え、追求し、結論を出したという個人の頭脳行為の結果がそのまま信仰になるのでは」ありません。信仰は、真っ直ぐに信じることです。もっと正しく言えば、信仰は主に招かれて、上から授かった出来事なのです。恵みなのです。
 イエスさまが処刑されたあと、弟子たちは官憲による残党狩りを恐れて、ひっそりと身を潜めていた。そんな弟子たちの現場に復活したイエスさまが姿を現した。驚き、感激し、そこからただちに立ち直り、死に至るまで復活の証言者として伝道し続けたのであり、教会が生まれたのです。復活を信じて伝道をしない人生はキリスト者の本来の在り方ではないのです。
 さて、先月3月の末、29、30(土、日)の2日間(じつはリハーサルを含めて3日間)、河内長野市のラブリーホールで、清教学園中・高等学校吹奏部による第33回 定期演奏会が開かれました。妻と私は2度目なのですが、新しい出会いがありました。私どもの土師教会にとって安村喜行牧師のご一家は大きな存在であります。親子三代に亘る教会生活からたくさんの励ましや勇気や知恵をいただいております。長老の一人としての安村真兄と清教学園の音楽教師であり、クリスチャン教師である安村真先生が、生徒たちにどう映っているのかは、コンサートのパンフが語っています。
 「我らが『あんそん』こと安村先生は、とてもステキな笑顔でいつも熱心に指導してくださるので、部員全員から愛される存在です。
 先生は音楽面だけではなく、日々の生活や勉強面においても、厳しくかつ丁寧に指導してくださいます。そして、クラブ活動の基本となる、信頼関係や仲間の大切さをしっかり伝えてくださいます。/略/「響け」心で奏でる清教サウンド 一音入魂」とあります。こんな紹介を書いてもらえる安村兄は。まさに教師冥利に尽きるって心境でしょう。
 大ホールに響き渡る吹奏楽の音響空間に身を委ねて、さらに、生徒たちの言葉で直接訴えるさまざまな叫びや主張などにも耳を傾けているうちに、楽器の音と言葉の音とさらに全被造物が奏でる音が創り出す宇宙に体中が反応して、踊りたくなるような衝動が何度も押し寄せてきました。彼らの青春の躍動、爆発の音楽の祭典が私ども聴衆を巻き込んでいく嵐だったのです。
 今、冷静に振り返ってみますと、生徒たちは、神さま、ありがとうとは言葉に出して表現しませんでした。が、「信頼関係と仲間の大切さ」という言葉で、ある深い実感を告白してくれたのです。かれらは、清教学園の宗教教育を通して無意識のうちに福音を掠め取っているようです。すなわち、「信頼関係と仲間の大切さ」という表現によって、神のからだである教会の本質を言い当てているのだと私に気づかせてくれました。
 「見て、信じた」というヨハネによる福音書20節8節は、この演奏会が指し示すものと一致しているのです。神の姿は直接ラブリーホールには現れない。が、かれらの音楽が言葉が、家族や先生方への信頼がみな一つになって響き合う時、彼らは見えない神を見ているのです。かれらが実感する信頼こそ信仰の確信です。それらを全力投球して教えている教師団の中に、土師教会のあんそん・安村長老がいることを嬉しく誇らしく、神さまに感謝した一日です。
 私どもがなすべき信仰生活は、すなわち伝道そのものなのです。二千年前の原始キリスト教団の弟子たちのように、私どもも残された人生すべてを通じて伝道して歩んで行きましょう。

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