見いだされる者
イザヤ書65章1〜7節
 土師村40戸の純農村に東京神学社(現・東京神学大学)を卒業したばかりの佐治良三が帰って来たのが1932年(昭和7)年4月であった。土師教会の初代牧師の誕生です。その後、1942年(昭和17)8月に澤田静夫牧師が代務教師を牽引して、43年8月に正式に赴任されました。1983年(昭和58)6月、田中清嗣牧師の就任式がありました。四代目の小生森田進の就任式は、2011年(6月)です。
 そして、去年のクリスマス・イブが創立84周年でした。現在90周年が射程内に入って、教会員は手を取り合って歩んでいます。
 一口で84年とは言え、その歴史の歩みは一言で捉えられるものではないでしょう。そろそろ90周年を無事迎えるための準備を始めなければならない。そのためには、ここら辺で、土師教会史を纏め、総括をしなければなりません。
 最近私は、まず初代牧師佐治良三について調べようと思い立ちました。佐治牧師が編集もしくは共著されたであろう『いずみ教会50年史』を始め、『病床への福音』、 ルターの翻訳、被差別部落問題に取り組むまでを描いた半ば自叙伝『愛の中に生きる』、 『わかりやすいキリスト教入門』など、10册もの著書があるのをご存知ですか。
 しかしながら、私が保存するように委託された著書は一冊もありません。佐治牧師の生涯と業績については、纏めるのにふさわしい方が長老の中にいらっしゃるのでお願いしようと思っています。澤田静夫牧師、田中清嗣牧師についても纏めるのにふさわしい方がきっといらっしゃるでしょう。
 時々纏めたものの発表会をしたいと思っています。
 私はまだ就任してようやっと三年になろうとしています。按手礼を受けてからは、まだ三ヶ月しか経っていません。が、後期高齢者でもあり、いつ召されるか分かりません。が、牧会を一生懸命に務めさせて頂いております。長老会始め皆さまに多大なご負担をお掛けしているのを申し訳なく思っております。
 こんなことを考えながらこの一週間を過ごしました。
 まさにバビロン捕囚を経て、ようやっとシオンに帰還できたユダヤ人が、今後をどう生きていくのかを懸命に模索していた第三イザヤ時代に放り込まれた思いです。
 今日のテキストは、イザヤ書65章1から7節、イザヤ章の最後の部分、新しい天と地の創造を主が語られる寸前です。
 が、ちょっと戸惑った方がいらっしゃるかも知れません。というのは、立ち往生してしまう難しい書き出しなのです。
 では、慎重にもう一度、1節から見て行きましょう。「救いの約束」という小見出しですが、以下のような文章なのです。
 1節、「わたしに尋ねようとしない者にも/わたしは、尋ねだされる者となり/私を求めようとしない者にも/見いだされる者となった/わたしの名を呼ばない民にも/わたしはここにいる、ここにいると言った。」 とあります。
 この場合の「わたし」とはイスラエル民族を救い出した神(主)であり、「民」とはイスラエル民族、すなわち神の民、のことですが。それにしては2節から9節までの民は、神に反逆する民であり、神の怒りを買っているのは、どうしてか。そして10節に登場する「私を尋ね求めるわが民」とはどういう関係なのかすぐには分からない。
 こんがかりそうです。2〜7節までの民と10節からの民は、おなじイスラエルなのですが、長いバビロン捕囚時代の中で異教である他民族の土着宗教に呑み込まれて一種の混合宗教化してしまって、本来の唯一神信仰からずれ落ちてしまった民と、本来の神の民との二つのグループに別れてしまっていたのです。こういうことは良くあることです。隠れキリシタンが、ついには土着の宗教に呑み込まれて、本来のカトリックに戻って来ない地点にまで入りこんでしまったグループが日本でもありました。
 さて、この二つのグループを見つめていた主なる神の言葉がテキストの一節なのです。これはどういうことを言っているのか。この部分をもっと日常の口語体に近づけて分かり易く翻訳しているのがカトリックのフランシスコ会訳『聖書』(2011年)です。
 早速、こちらの聖書の同じイザヤ書65章1節を紹介します。
 1節、「わたしは、わたしを尋ね求めなかった者に/私を求めさせた。/わたしは、わたしを捜さなかった者に/わたしを見出させた。/わたしは、わたしの名を呼ばなかった国に向かって/『わたしはここにいる、わたしはここにいる』と言った。
 いかがですか。とっても分かりやすいでしょう。分裂したどちらにも響いていく主の言葉です。と同時にここにいる現在の私どもに与えられた主の言葉なのです。そうだ、その通りだとうなづけます。
 ここまで納得できたでしょうか。
 では、もうひとつ先週の朝日新聞の小さな記事を紹介します。一つは、3月25日に載った「ハンセン病療養所を世界遺産に」です。
 今ある「ハンセン病療養所の将来構想をすすめる会」が、瀬戸内海の「長島愛生園」と「邑久光明園」を始め全国国立十三療養所の世界遺産登録をめざすことを決めた、という内容です。日本のハンセン病者の強制収容の歴史は、ご存知のようにまさに人権抑圧の恥ずべき歴史です。イエスさまがハンセン病者に体当たりして、救いの手を差し伸べたことは福音書を通して私どもは十分知っています。日本の現代史のハンセン病者の救いのためにどれほど多くのキリスト者が医師、看護婦、牧師として、あるいは市民として関わって来たことでしょう。と同時に、強制収容への積極的な弁護者としても過ちを犯して来たかも知っています。だからこそキリスト教会は、元ハンセン病者のためにも世界遺産登録は自主的にすすめるべきです。これは主イエスさまの愛の事業なのです。
 その翌日、26日には、「水平社宣言ユネスコに申請」が載っていました。あっと私は声に出していました。ユネスコへの申請までは頭に入っていなかったのです。そうだ、人権抑圧の事実に対して立ち上がった輝かしい歴史を世界に訴えなければならないと思ったのです。
 皆さんは1960年代以降活躍した歌手・タレントの植木等をご存知でしょう。あのズーダラ節という右手と脚をぶらぶら揺るがせながら、いいかげんにやって行こうぜと歌い踊った無責任人生を訴えた等。スイスイスーダダッタラスラスイノスイスイ、あの歌です。彼の父、植木徹誠は全国水平社の活動に参加、被差別部落解放のために戦い、治安維持法違反という廉で何回も逮捕された浄土真宗の僧侶であった、ことをご存知でしょうか。タレント等がその父について本も出しているのです。
 この被差別部落の解放をめざす水平社は、1922年(大正11)に設立されましたが、この運動の象徴である荊冠旗をご存知ですか。水平社の跡を継いだ団体の一つ部落解放同盟の団体旗です。まっかですが、その左上に荊の冠、イエスさまが十字架の上で被せられた荊の冠、受難と殉教の象徴がデザインされているのです。大阪教区が日本キリスト教団の被差別部落解放委員会の中心であり、この運動の核を担っているのがいずみ教会であることも言うまでもありません。佐治良三牧師が創立した教会なのです。受難節の主日礼拝の今日、土師といずみ教会を結ぶ佐治良三牧師についてほんの少し学べたことは感謝であります。
 今日のテキストは、尋ね、求め、そして呼べ。そうすれば「わたしはここにいる」と主は答えると言っているのです。これが先週の「あなたが叫べば」の主の答えと全く同じなのです。マタイによる福音書7章でも、「叩け。叩け、開けてもらえるまで叩け」と主は言っておられるのです。
 ところが、テキストの3、4、5節には、野外でいけにえを献げ、墓場で座り、隠れた所で夜を過ごし、という邪教に身を売ってしまい、自己正当化を求めて堕落していく破滅の人生を描いています。が、10節の「わたしを尋ね求めるわが民」には、17節からまったき解放を主は宣言されています。
 すなわち、「見よ、わたしは新しい天と地を創造する」と。「天」と言えば東アジア圏では、儒教的にあの垂直線の窮極の場所、神の場を想定しているのですが、聖書は、その天をも神が創造(創る)のです。つまり天も被造物なのです。感動せずにはいられません。
 最後に、1169頁の24節を一緒に朗読しましょう。
 「彼らが呼び掛けるより先に、わたしは答え/まだ語りかけている間に、聞き届ける」
 わたしどもは希望に生きる兄弟姉妹です。神の家族なのです。
 青年イザヤのように、「わたしがここにおります。/わたしを遣わしてください」と声を上げるキリスト者として逞しく生きて行きましょう。

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