ひどい話だ
ヨハネによる福音書6章60〜71節
 1948(昭和23)年、と言えば気が遠くなるような昔、まだまだ戦後のどさくさの中、進駐軍の支配下、66年も前です。四月桜が満開、埼玉県浦和市、常盤小学校の入学式、祖母の手を握りしめて校門をくぐった私でしたが、あの日、どんな服装をしてぃたのか思い出せません。
 学校で記念写真撮影があったかどうか。覚えているのは、ズック製の白いカバンを背負っていたことだけです。ズックといっても知らない人も多いでしょう。いま残っているとしたら、上履き用のズック靴くらいでしょう。それでも貴重品だった。カバンの中に何が入っていたのかも思い出せません。
 その四月だったか、二年生になった四月だったか、春の遠足は、4キロ離れていた荒川の土手でした。もちろん歩いて行ったのです。奧秩父から流れ出ている幅広いでっかい川を見ているだけでもうれしかったのですが、さらに、あっと驚く全身を震えさせたものがありました。見渡す限りの緑の土手いっぱいに、真っ黄色のタンポポが咲いていたのです。スフ制の安っぽい学生服についている金バッジだけでもうれしくていつもそっと人差し指で触っていた私は、うわあと喚声をあげました。金色、金色、色紙でしか見たことがなかった金色があたり一面に広がっていたのですから卒倒しそうでした。テレビも総天然色映画もなかった時代、その生きて風に揺れる金色のタンポポに、興奮して飲み込まれてしまったのでした。
 夕方家に帰った私は、父のところに駆け込んで、金色の世界の美しさを泣きそうになってしゃべったのです。
 が、米俵の米を計っていた父は振り向こうともせず、耳も貸さず、反応なしだった。
 米屋だった父は配給米を計ることが、今日の、大事な仕事だった。金色(こんじき)のタンポポの話には、まったく心動かさなかった。
 ショックでした。こどもの私が抱いた驚きや感動や喜びが必ずしも父の感動にはならないこと、私と父とは、時には全く違う経験をするのだと肝に銘じたものです。その後のいろいろな経験もなかなか共有出来ない悲しみは、少年期、青年期になって決定的になりました、が、一方で、切っても切れない親子の関係というものも深くなっていったのです。人間一人一人の個人的な経験は決定的な意味を持っていますが、それがそのまま普遍的な経験と価値には必ずしも繋がらない悲しみは、大人になるまでにいやになるほど叩き込まれたのです。父と私は、お互いに餓鬼みたいなところがあり、自分の記憶、自分の経験に拘ってしばしば衝突を繰り返して来ました。その典型的な場面の一つが、高校生であった私の受洗(バプテスマ)であり、父の希望を裏切った同志社大学ヘの入学でした。二つとも家の宗教である真言宗への絶縁宣言だと父は受け取ったのでした。にもかかわらず父子共々世の中の一般的な世俗的価値体系に対しては、強い違和感を覚え、宗教的、反俗的価値にのめりこんで行ったのでした。
 私や父がそれぞれ経験から得た美や真理を点とするなら、どうしたら点から線へと変貌させ、面へと広げられるのか、苦闘した人生なのです。
 父と子が宗教的に初めて出会ったのは、「私は罪人です」と善通寺の本堂で大音声を上げて祈った父の後姿に私自身の告白が重なったあの日でした。反発しあいながらも共感する私どもは紛れもない親子だったのです。
 さて、今日の個所は、ガリラヤでの宣教が一区切りついた後のイエスさまによる宣教の纏めであります。湖畔での五千人の給食、続いてぞっとするような迫力ある湖の上を歩いて接近して来たイエスさま。さらにみずからを「命のパン」だと不思議なことを断言するイエスさまがいます。
 そして翌日の今日、宣教とは何か、福音とは、信仰とはとイエスさまが、弟子たちに確認を迫った上で、イエスさまが自分は何者であるのかを露わにしたクライマックスでもあります。
 が、イエスさまの長い説教は、群衆にも弟子たちにも、パンに及ぶと、群衆にも弟子たちにも、分かった気がしたが、ほんとうは分からない、自分の肉を食べよ、血を飲め、と言われる、気圧されて何が何なのか、分かったようでいて分からなくなり、どうしたらいいのか戸惑ってしまうのです。
 イエスさまは断言された。57節、「わたしが父によって生きるように、わたしを食べる者もわたしによって生きる。これは天から降(くだ)って来たパンである。(略)このパンを食べる者は永遠に生きる」。
 前日の給食の場面が甦ってきた。ああ、腹いっぱい食べた、五千人もの人がお互いに名前もよく知らないのに仲良く、喜びをもって、食べたのは初めてだ。あんな喜びを今日ももう一度味わいたい。毎日パンをくれるならこの人に従おう。毎日食べられること、これを保証してくれるなら、イエスさまは私どもが待っていたメシアに違いない。が、どうも合点がいかない。どうも意味が分からない。
 正式に言うと、ここからが今日の個所です。小見出しは、「永遠の命の言葉」、 私どもは、21世紀のキリスト者ですから、この小見出しを見ても何の違和感もなく抵抗感もありませんが、生きているイエスさまと一緒だった二千年前の群衆や弟子たちにとっては初めての経験の連続であり、展開なのです。「このパンを食べるものは永遠に生きる」と言われて、荒野の苦難の旅の中にあった先祖らに降ってきたマナを想起していたのです。でも、今はイエスさまは自分自身そのものをパンだと言いなさる。となると、生きている生身の肉であるイエスさま、天から降(くだ)って来たイエスさまを食べるとはどういうことだ、いくら考えても分からない、混乱。
 今日までこの方に従って来た理由は今更言うまでもない。イエスさまその人にぞっこん惚れ込んでいるからだ、この人の言う言葉には風格なんてものじゃない。圧倒的な力がある。口には出せないが、心の中で大声で言おう。ヘロデ王なんて問題じゃない。イエスさまの言葉と行動には力と権威がある。
 が、今日はむちゃくちゃだ。自分の肉を食え血を飲め、だと。これではもう、もう、我慢ができない。
 60節、「『実にひどい話だ。だれが、こんな話を聞いていられようか。』」 イエスさまの弟子たちがしばしばイエスさまが言われた言葉を理解できなかったことは他の福音書でも指摘されています。61節、「イエスは、弟子たちがこのことについてつぶやいているのに気づいて言われた。『あなたがたはこのことにつまずくのか。』 とあります。62節、「それでは、人の子がもといた所に上るのを見るならば、、、、、、。」 「天から降(くだ)って来たパン」に対比させて、「もといた所に上る」という答えを用意しているのですが、これで納得できる筈がありません。もともとのイエスさまの言葉そのものが謎めいた表現であります。この世的な即物的な判断をしているかぎり話はさらにこんがらがってくる。
 そこで、イエスさまは、続けて、63節、「『命を与えるのは〃霊〃である。肉は何の役にも立たない。わたしがあなたがたに話した言葉は霊であり、命である』」と決定的な台詞を口に出したのです。「わたしが父によって生きるように」(57節)。 ここには父と子との一体化が強く現れています。 父なる神と子なる神、さらに聖霊との三位一体という構造(しくみ)は、キリスト教独自な神学です。他の宗教にはありません。この三位一体というしくみも理論的に考えて行くと、なんだか分からなくなるのです。
 そこでイエスさまは、念を押すように言い切ります。63節の後半、「わたしがあなたがたに話した言葉は霊であり、命である」と。
 そして64節で思いがけない言葉が告げられます。「『しかし、あなたがたのうちには信じない者たちもいる。』」 と。
 皆どきりとした。「信じない者たち」という複数形で告げられた。自分も確かにその一人だと思い当たったからだ。ひやりと冷たいものが背筋を這い下りた気さえした。
 66節、「このために、弟子たちの多くが離れ去り、もはやイエスと共に歩まなくなった。」 イエスが直接選んだ十二人と+何名かが残った。六七節、「あなたがたも離れて行きたいか。」 
 68節、「シモン・ペテロが答えた。『主よ、わたしたちはだれのところへ行きましょうか。あなたは永遠の命の言葉を持っておられます。』 六九節、『あなたこそ神の聖者であると、わたしたちは信じ、また知っています。』 と。さすがは十二弟子の代表を自認しているペテロ(岩の信仰者シモン)だけあって、「わたしたち」と複数形で答えています。
 ペテロの告白は、弟子集団の共同告白であり、信条でもあり、感動的です。ここを読んで私どもはほっとするのです。
 が、すかさずイエスさまは、ぐさりと突き返すのです。「ところが、その中の一人が悪魔だ。」 と。71節、「このユダは、十二人の一人でありながら、イエスを裏切ろうとしていた。」 ペテロの共同告白は、敗れさるのです。その後、肝心のペテロでさえイエスさまを「知らない」と叫んでしまう。
 そして、ローマによる処刑が始まる。こんな悲惨な出来事がなぜ後世に残されたのか。
 ここにキリスト教の神髄がある。復活です。死と復活のドラマにすべては集結されるのです。そこから弟子たちは立ち直り、教会が成立したのです。すべては聖霊の導きによって与えられた信仰の歴史なのです。
 さて、今年の映画伝道集会には、大型スクリーンの「ベンハー」がふさわしいという声があります。チャールトン・ヘストンの名前が世界中に広がったことでも鮮烈な記憶です。1959(昭和34)年の作品です。私が高校三年生、新島襄に深く魅了された年です。
 一方、日本で初めての大型スクーリンの宗教映画「釈迦」は本郷功次郎がシッダルタ王子を熱演しました。1961年の作品です。
私が大学二年生二十の青年でした。この二本とも東京で父と二人で見たのです。キリスト教と仏教の本格的伝記物を見ないと父は安心できなかたようです。
 両方見た後、父は、「どうしてキリスト教はあんなに残酷な死刑を描くのか分からない。ひどい話だ」とつぶやいていました
 思えば、父は、自分の罪を深く受け止めた人でしたが、イエスさまの十字架上での磔刑(はりつけ)が、私どもの罪の贖いとして殺された、そして甦ったというドラマを、それが救いの福音であることを映画では理解できなかった。もし理解できたら、と考えるのは止めます。わたしの父は、こうして狭き門の入り口までは、辿り着いていたのです。
 私どもは、皆自分の中にユダを抱いています。が、にもかかわらず生きよと後から肩を押してくださるイエスさまの呼び掛けによって生かされているのです。
 信仰は、論理的追跡によってはけっして得られない。論理を突き破った、あるいは論理からジャンプした神秘の領域の出来事なのです。霊によって初めて与えられるものなのです。
 ユダでありペテロでもある私どもであるゆえに、主の導きによって前進しましょう。

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