わたしから離れて
ルカによる福音書5章1〜11節
 寒波が続いています。それでも土師町では大きなレモンと夏蜜柑がたわわに実り、鑞梅が咲いています。が、さすがにしたたる緑はほとんど見られず、連日零度前後の朝です。
 さて、誰でもが心和む風景に欠かせないものは何でしょうか。水と緑です。湧き水、川、滝の音、泉、沼、湖、そして海。

   主はわたしを青草の原に休ませ
   憩いの水のほとりに伴い
   魂を生き返らせてくださる。

 詩編23編です。
 渇いている時の一杯の水がどんなに美味しいものかはみんなが知っています。命の終わりの時に口元に注ぐ「死に水」もあります。
 古来、日本では、水の神が敬われてきました。那智の大社では、滝そのものが神として崇められて来ました。流水の分配を司どる水分神(みくまりのかみ)も、吉野熊野方面には健在であります。
 ところで私どもの拠り所である旧新約聖書には、積極的な意味が込められた水がたびたび登場してきます。
「命の水があふれ出る」という聖書表現はお馴染みです。命と水は切っても切れない関係にあるばかりか、命と水を私どもに送り込んでくださっているのが、神さまなのです。
 しかし、時々、水は恐ろしい存在になります。洪水、津波、豪雨。どれも歓迎するわけにはいきません。
 今日は、ガリラヤ地方とゲネサレト(ガリラヤ)湖が暮らしの舞台であった若い漁師たちが、どのようにイエスさまと出会ったのか、その出会いの場面から学んでみようと思います。テキストはルカ福音書の5章1〜11節です。この場面は、マタイ、マルコ、ヨハネに並行・関連記事がありますが、ルカの記事は、それらがモザイクになった魅力的な物語になっています。
 ゲネサレト湖(ガリラヤの海)の周辺は、イエスさまにとっては、絶好の宣教の舞台です。マタイの山上の説教もルカの平らな所の説教もみなガリラヤ湖畔なのです。
 今日のテキストの物語は、この有名な説教の前に起こった、若者たちの召命をめぐる物語なのです。
 5章1節、「イエスがゲネサレト湖畔に立っておられると、神の言葉を聞こうとして、群衆がその周りに押し寄せて来た。」 その前の4章の小見出し、「汚れた霊に取りつかれた男をいやす」で、イエスさまがなさった奇跡や、続く「多くの病人をいやす」を目の当たりにした群衆は、もっともっとイエスさまの奇跡を見たかった、あるいはイエスさまの癒しの報告を聞いた人々も加わり、烏合の衆となって、「その周りに押し寄せて来た」のです。群衆に押されて岸辺に後ずさってきたイエスさまは、2節、「二そうの舟が岸にあるのを御覧になった」。 これは漁船です。長さ7〜10メートル。3節、「そこでイエスは、そのうちの一そうであるシモンの持ち舟に乗り」とあります、どうしてシモンの舟だと分かったのでしょうか。イエスさまはシモンの暮らしの現場を知っていたのです。しかも、先週学んだように、109頁の上段、4章38節、「イエスは会堂を立ち去り、シモンの家にお入りになった。シモンのしゅうとめが高い熱に苦しんでいたので、人々は彼女のことをイエスに頼んだ。」
 39節、「イエスが枕もとに立って熱を叱りつけられると、熱はさり、彼女はすぐに起き上がって一同をもてなした。」 とあります。
シモンが漁師であることもシモンの家の場所も姑のことも十分知っておられたのです。
だからシモンの舟に目を付けた。
 5章3節、「そして、腰を下ろして舟から群衆に教え始められた。」 私どもの常識で考えれば、腰を下ろさずに立ったままの姿勢でメガホンなど握って語り掛けるほうが自然ではないかと思われるでしょうが、実は腰を下ろして座るほうが安全であり、中近東の習慣からすると、座って語りかけるのが教師の姿勢なのです。ただし、ここで群衆に向かって何を語ったのかは、何も記されていない。語った内容よりも、イエスさまの狙いは、漁師たちの方にあったのです。
 だから、4節、「話し終わったとき、シモンに、『沖に漕ぎ出して網を降ろし、漁をしなさい』と言われた。」 すると、シモンは、自分の姑を癒してもらった感謝の気持ちはあるが、この先生は漁について何も知っていない。私らが漁を開始する時間、その場所、網の使い方など、この先生は分かっていない。だからインテリは批評家なんだ。駄目だなあ。私らは、正直言ってもう疲れている。今からまた沖に漕ぎ出せだって、いい加減にしてほしいなあ。が、姑を助けてもらった。姑さんの喜んだ顔を思うと、無下に断るのもなんだなあといろいろ迷ったすえ、5節、「先生、私たちは、夜通し苦労しましたが、何もとれませんでした。しかし、お言葉ですから、網を降ろしてみましょう」と答えた」。 シモンにしたら、お世話になった先生に失礼に当たらないように精一杯ていねいな言葉を選んで答えたつもりだが、どことなく気が進まない、いやだいやだという感情や、投げやりな気分が出てしまったような気がして怯んでしまった。が、気を取り直し、思い切って沖に出た。
 6節、「そして、漁師たちがそのとおりにすると、おびただしい魚がかかり、網がやぶれそうになった。」 7節、「そこで、もう一そうの舟にいる仲間に合図して、来て手を貸してくれるように頼んだ。彼らは来て、二そうの舟を魚でいっぱいにしたので、舟は沈みそうになった」。 
 一体何が起こったのか、始めは呆気に取られていたが、夢中になってみんなで魚を取りに取った。はっと気が付いた時、これはただごとではない。本当に何が起こったのだ。あっ、先生のお言葉に従っただけだ。が、どうして、何故、夥しい魚たちの山に埋もれそうになっている自分たち、シモンは突然、恐怖に襲われた。
 8節、「これを見たシモン・ペテロは、イエスの足もとにひれ伏して、『主よ、わたしから離れてください。わたしは罪深い者なのです』と言った。」 9節、「とれた魚にシモンも一緒にいた皆驚いたからである」。
 たしかに思いがけない、予想外なことが起こった。だが、それだけなら偶然なのかも知れない。見せ物としての奇跡なら、さすがに、イエスさま、凄い、これからもよろしくお願いしまーす。はい、そこまで、チョンチョンチョンで終わったかも知れない。
 違う。大違いなのです。
 フルネームで書き止められたシモン・ペテロは、「イエスの足もとにひれ伏して」とあります。そして口を突いて出た言葉は、「主よ」だった。さっきは、「先生」でした。今度は、「主よ」。 明らかに全身全霊を投げ出して足下にひれ伏した。これは私の全存在をあなたに委ねます、という信仰告白です。続いて、「わたしから離れてください」。 たちまちの正反対の台詞、我が身を差し出しますと言いながら私から離れてくれというのです。これはどういう意味なのでしょう。ペテロは、見てはならないものを見てしまった、イエスさまの内部の聖なるものに出会ってしまったのです。イエスさまは単なる教え導く先生ではない。イエスさまは救い主、神さまなのだと直観で納得してしまったのです。食べきれないほどの魚がとれたという喜びなんか吹っ飛んでしまって、呆然自失せざるをえないものに出会ってしまった、神を見てしまったという圧倒的な事実がペテロを襲った。
 なんという自分のつまらなさ、神さまを侮って投げやりな行動に出てしまった自分のみじめさが丸ごと分かった瞬間です。『私は罪深い者なのです』は、まさにおのれのすべてを吐き出した叫びであります。自分は罪人だという強烈な自覚を抱いた時、聖なる神に『わたしから離れてください』と叫ぶだけだったのです。
 もう40年余り以前、四国の善通寺の本堂に駆け上がった真言宗の熱烈な信徒であった父が、「私は罪人です」と絶叫したので、周囲の観光客や巡礼の方々が皆黙り込んでしまったことが忘れられません。それは、まだ若かった29歳の私自身の魂の声でもあった。私ども父と子は、罪人同士として至高なる者の前に立たされているのだと実感した瞬間でした。
 父は、私に成り代わって罪人であると叫んでくれたのです。私どもは、神の前で毎日毎日罪人であることをはっきりと自覚して声を上げて叫び、ひれ伏すべきなのです。
 父が生きていたら、そして私が牧師になったと知ったなら、激怒しながら、きっと最後には祝福してくれただろうと思います。シモン・ペテロを襲ったこの告白は、霊的体験としての神秘であるのです。
 続いて、10節、「イエスはシモンに言われた。『恐れることはない。今から後、あなたは人間をとる漁師になる』。 高校時代初めてこの聖句に触れたときは、よく分からぬまま、大きな衝撃を受けました。釣りは残酷だと考えていたかつての高校生は、今となってようやくこのイエスさまの言葉の意味が分かるようになりました.この場合の「人間をとる」とは、「生け捕りにする」という意味です。現代でもよくある方法です。殺してはならない。必ず生け捕りにせよ。全く新しい人生へと変革されて生きるようになるためにです。神の前に私どもは畏怖(恐れ畏まりつつ)をもって生きて行くべきなのです。そのとき初めて、「恐れることはない」という声が聞こえるかも知れません。私は、まだ聞いたことがありませんが、「そのままで生きよ」と常に励まされています。
 最後の11節、「すべてを捨ててイエスに従った」という意味は、その後も漁師を続けていった弟子たちを見ている時、どう捉えたらいいのでしょうか。これは、生きる目標が魚の取れ高ではない、生きる根拠はイエスさまと共に生きる事だと知って、全く新しい人生を選んだと言う意味なのです。
 今年こそ、日々新たに変革されて生きる道に踏み込んで、全力で走って行きましょう。
 祈ります。

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