栄光と平和
 22日のクリスマス礼拝の題目を、覚えていますか。「野宿しながら」でした。ベツレヘム郊外の羊飼いたちに突然、「主の天使が近づき、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは、非常に恐れた」とありました。
 そして、クリスマス礼拝に続く今日の題目は、「栄光と礼拝」です。
 「栄光」という言葉は、旧新約聖書にしばしば登場してくるので、わたしどもには馴染みの言葉ですが、よく考えてみますと、日常の会話には殆ど使っていません。あらためて意識するとちょっと使うのは照れくさい、否、かしこまった儀式などでしか仕えない言葉のような気がします。
 では、聖書ではどんな時に使われているのかと思って振り返ってみますと、この言葉は、だいたい神が顕現(現れる、出現)するときにその徴として現れる光を指しています。日本語のかしこまった表現の中に、「瑞光」(芽出たいことの兆しを表す光)という表現があります。これに近い。
 京都の同志社大学の構内に「栄光館」というアメリカンゴシックの煉瓦作りの儀式場があります。ふだんは、同志社女子中・高のチャペルとして使われていますが、日曜日になると同志社教会に変わるのです。と言うより、正確には、同志社教会は、法人同志社からお借りしているのです。つまり同志社教会は間借り教会なのです。へえ、初めて知った、
という人もいらっしゃることでしょう。
 「栄光館」という名前の由来は、神が顕現するときの徴としての光を意味しているのです。
 だからカトリック・ミッション・スクールにも栄光学園という学校もある。そこから名誉とか誉れなどという意味も派生してきたので、受験ための予備校にも栄光ゼミナールという名前がしばしば見受けられるのです。有名大学への誉れ高き予備校というわけです。
 さて、今夜は、聖夜讃美礼拝ですが、聖夜と言えば、クリスマス・イブ、すなわち、イエス・キリストさまの誕生の夜です。言うまでもなく、輝く大きな美しい星がイエスさまの生誕の徴だったのです。つまり栄光です。
 話が少し飛びます、四国の香川県善通寺市にある四国学院大学は、アメリカ南長老教会が日本の改革派の協力の下に、1950年に創立したミッション・スクールです。この大学で10年余り若き日にお世話になりました。
 香川県は、瀬戸内海国立公園に面しています。多くの島々があります。が、実際は、交通が不便な漁村です。漁師ペテロやアンデレなどの海です。かつて私は、これらの島のどこかで無免許運転の牧師として伝道したいと夢想していたことがあります。この瀬戸内海の夜はことに美しい。静かで穏やかな海辺の暮らしは、安らぎ(平和)に満ちています。
 そのとき作った詩、「聖夜」を読ませていただきます。

     聖夜
  ひたひたと波がうたっています
  夜光虫が待ちきれなくて
  背伸びしています
  あちこちで
  星がきらめきはじめました

  こんなにしずかな夜
  時がみちて
  すてられたひとびとの涙から
  あたらしいメシアが生まれるのです

  ひとびとは
  ふたたび
  よみがえるのです

  島ぜんたいに星が降っています

 祈りましょう。

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