少年イエス
ルカによる福音書2章41〜51節
 今日は、待降節第二聖日です。イエスさまのお誕生日が目の前です。午後には、私の按手礼が待っています。わくわくします。
 さて、今日の題目は、『少年イエス』です。福音書には、イエスさまの少年期については一回しか登場していません。今日のルカ福音書のみです。そこに触れる前に、ちょっと立ち止まってみましょう。
 あらためて、「12月8日」と言われると、70代ならば、夜の墓場をさ迷うような暗い思いに囚われてしまうでしょう。
 1941年12月8日は、日本人にとって忘れることが出来ない痛恨の朝です。そうです。真珠湾攻撃の朝です。米英への無謀な開戦宣告をした朝です。
 同時に、この朝、もう一つの奇襲作戦が展開された事実をご存知ですか。マレーシアの北部、コルドバ奇襲上陸作戦です。大きな犠牲者を出した残酷な未明の奇襲攻撃だったのです。いわゆる太平洋戦争の開始、72年前でした。私が誕生した年です。
 その終結が広島、長崎の原子爆弾の投下でした。さらに二年前の福島原発の恐ろしい事故。そして今、秘密保護法をめぐる私どもの反対の叫び声。
 ところで、あの戦争を背景にした妹尾河童の自伝的小説『少年H(エッチ)』 1997年(平成7)をお読みになりましたか。舞台は戦前から第二次大戦中の神戸、洋服の仕立屋の父と母はクリスチャンです。宣教師のセーターにイニシアルが縫い込んであるのが気に入って、父は息子の僕(肇)のシャツにもH(エッチ)と縫い込んでくれたのですが、それが物珍しいので、虐めの原因にもなってしまう。官憲からは、スパイ、非国民と疑われたりしながらも、一家は戦時下をしのいでいく。ある時シベリア鉄道経由で多くのユダヤ人が現れる。彼らはバルト三国のリトアニア領事館に勤めていた杉原千畝(すぎはらちうね)の命掛けのビザ発給で助けられた六千名のメンバーの人々だったのです。『少年H』は、感受性豊かな少年の苦悩と喜びを描いた貴重な実録的な作品ですが、私どもキリスト者にとっては格別に信仰と人生を考えるヒントに満ちた小説です。お勧めします。
 では、私どものイエスさまの少年期は、どうだったのでしょうか。今日のテキスト個所は、「神殿での少年イエス」という小見出しが付いています。ここから父なる神の子であるイエスさまについて学んでみようと思います。他の福音書には登場しない十二歳のイエスさまは、何を語っているのでしょうか。今日取り上げた2章の41節から4章30節までは、12歳のイエスさまの自己証言の個所から始まっています。イエスさまの公的活動は30歳から33歳だったと言われています。4章までに登場してくる記事は、神の子としてのイエスさまの自己認識で貫かれています。同時に人の子として父母に仕えるへりくだった姿も垣間見せてくれます。30歳で敢然と公的活動に入ると同時に、故郷の人々から拒否され捨てられる場面までが四章半ばまでであり、ルカ独自の部分が多いので、じつに興味深い。ここで扱われた記事は、ルカ独自のものが三つも挟まっていて、たとえば、「マリアの子」という表現は取らずに、「ヨセフの子」という父の存在に重点を置いています。ヨハネの説教、天からの声、系図(ヨセフからアダムへと遡っている)、悪魔のイエス承認、旧約聖書などを通して、イエスさまのメシア性と神の子である事実を一貫して証言しているのです。
 では、テキストに沿って、一緒に考えてみましょう。
 41節、「さて、両親は過越祭りには毎年エルサレムへ旅をした。」 過越祭りは出エジプトでお馴染みですが、元来は3、4月の満月の夜を軸にした祭りで、羊や山羊などを屠って犠牲の献げものにしたのです。
 エルサレムの神殿詣での場面です。12歳のイエスさまが登場します。
 何故12歳なのでしょうか。旧約聖書は、イスラエルの成人男子に年3回の神殿詣でを命じていました。すなわち過越祭りと五旬節と仮庵の祭りでした。婦人たちは義務ではありませんでしたが、母マリアは参加していました。少年の宮詣で開始の年齢は規定されていませんでしたが、彼らの習慣では13歳からでした。ということは突然の宮詣での開始ではその宗教的義務に戸惑うこともあるので、その前年から心の準備のために両親が伴ってエルサレムへと上って行ったのでしょう。しかし、43節が、気になります。「祭りの期間が終わって帰路についたとき、少年イエスはエルサレムに残っておられたが、両親はそれに気がつかなかった。」 44節、「イエスが道連れの中にいるものと思い、一日分の道のりを行ってしまい、それから、親類や知人の間を捜し回ったが、」 とあります。大切な我が子がいるかいないかという重大な問題にどうして無頓着だったのでしょうか。軽率ではないかと考える人もいるでしょう。
 ではないのです。過越の祭りになると人口5万人のエルサレムにその2倍もの10万人の巡礼団が全国から集まって来る。親戚知り合いなどが群れをなし隊列を作って一丸となってやってくるのです。その群れは、先頭に子どもたち、次に女たち、しんがりが男たち、隊列の前後に少年たちが自在に走り廻っていたのです。それはどういう理由かというと、エルサレムへの道はエリコからでも荒野であり、追い剥ぎや強盗はちょくちょく獲物を狙って待ち伏せしていたからです。同じルカ福音書の10章の「善いサマリア人」を想起すれば納得されるでしょう。ですから大きな群れを作って、共同で群れを守っていたのです。だから群れの中に我が子がいるものと思って安心しきっていたのでした。たいへんなことが起こったわけです。まさかまさかと最悪の状況も考えながら必死になってエルサレムまで引き返したのです。
 すると、思いがけない光景が両親の目に入って来た。46節、「イエスが神殿の境内で学者たちの真ん中に座り、話を聞いたり質問しておられるのを見つけた。」 とあります。これは偉人物語にしばしば場登場する神童が驚異的な知恵を見せて周囲を驚かせる場面ではありません。そうではなくて教師たちとの教理問答の場面であります。賢い少年イエスが、「学者たちの真ん中に座り」とありますから物怖じしない、しかも礼儀正しい勉強ぶりが描かれているのであります。
 にもかかわらず四七節、「聞いている人は皆、イエスの賢い受け答えに驚いていた。」 
 13歳の一つ前12歳とは言え、賢い少年であったのでしょう。が、奇跡的な存在ではない。
 そんな場面に出っくわした両親は、48節、「イエスを見て驚き、母が言った。『なぜこんなことをしてくれたのです。御覧なさい。お父さんもわたしも心配して捜していたのです』。 親と一緒に帰らず、よりもよって学者さんたち、先生たちと悠悠と応対しているとはなんということだ.呆れた」と言わんばかりでした。ほっとして溜息をつくと同時に、我が子を叱ったのです。すると、イエスさまは、ご両親に素直に謝ることなく、想像出来ないことを口にしたのでした。思いがけない言葉でした。
 「どうしてわたしを捜したのですか。わたしが自分の父の家にいるのは当たり前だということを、知らなかったのですか。」 
 「えっ、自分の父の家だって。父は私だ」、と思わずヨセフはつぶやきました。母マリアはイエスが生まれた夜の不思議な出来事を思いだしていました。羊飼いたちが話していた讃美の言葉を。何かが起こっている、わたしたちの子どもなのに、そうではない不思議な事が起こっている、と。50節、「しかし、両親にはイエスの言葉の意味が分からなかった。」 父は間違いなくこの私なのに、この子は、神殿を「自分の父の家」だと言い切った。これはどういうことなのだろう。さっきまでの怒りを忘れてしまって、両親二人は、我が子の謎の言葉について考え込んでしまったのです。12歳の我が子が、口にした「自分の父」とは一体誰のことなのだろう。ここは神の家なのに。まさか、神がこの子の父なのだろうか。まさか、そんなはずは、と。
 51節、「それから、イエスは一緒に下って行き、ナザレに帰り、両親に仕えてお暮らしになった。母はこれらのことをすべて心に収めていた。」 
 この12歳の過越祭りの出来事が、母マリアには謎のまま心に刻み込まれたのです。いくら考えても謎は解けなかった。が、忘れることはなかった、けれどもイエスさまはこのことをそれ以上何も語ろうとはしなかったのです。
 52節、「イエスは知恵が増し、背丈も伸び、神と人とに愛された。」 
 ガリラヤ湖の丘の中腹にあるナザレを故郷として少年イエスは伸びやかに育ったことでしょう。父ヨセフの大工の手伝いをして家具から棺まで作ったのであります。やがて親たちよりも身長が伸びて、知恵にも恵まれて、逞しい若者になっていったのでした。
 聖書には、イエスさまの初恋や教理問答への質問の内容や人生に対する悩みなど何も書かれていません。しかもお父さんのヨセフはその後一度も登場してきません。もしかしたら早死にしたのでしょうか。イエスさまに関する記録は30歳になるまで全く空白なのです。
 おそらく肝心なのは、神殿を「自分の父の家」だと言い放ったイエスさまの神の子であるという自己認識であって、それ以外のことは聖書の核心ではないのです。
 ここから公的宣教に乗り出し、やがて自らのメシア性を宣言する地点まで行ったのです。52節の「神と人に愛された」は、イエスさまの地上での人生の本質をすぱっと簡潔に語っています。
 そして、一挙に十字架へと進んで行かれたのです。地上にあっては、家族の村の一員として仕えたのであり、同時に神の子としての使命を完璧に果たされたのであります。人間としての水平軸と神の子としての垂直軸を極限まで貫いたイエスさまですが、その二重性の芽生えこそ12歳の少年イエスの宮詣でであったのです。
 このイエスさまが父なる神と子なる神と聖霊との三位一体であるという神秘を私どもは、今新たに実感しています。これがわたしどもの信仰告白であります。
 主イエスさまの誕生日が目の前です。
 主イエスさまの誕生日をお祝いするということは、すなわち私どもが信仰を与えられて新しく生きることになった、キリスト者として誕生した喜びにそのまま重なるのです。
 クリスマス、おめでとうございます。

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