言(ことば)は神であった
ヨハネによる福音書 1章1〜12節
 昨日11月9日(土)は、天気予報に拠れば晴のち曇でしたが、午前十時頃から雲行きが怪しくなり、心配になりました。というのは、午前11時から土師町営墓地に於いて、故農口靜子姉の納骨式が始まるからです。初めて尋ねる農口家の墓地、青空天井ですから雨になったらどうしよう、でした。幸い天気は持ち直して、暑いくらいの秋晴れになりました。思わず、神さまありがとうと叫んでしまいました。
 墓誌は先月十月に出来上がっていました。一番左、すなわち一番新しいのが、農口靜子姉の召天月日でしたが、もう一人、農口喜代松兄の名前が刻まれていたのです。あっと驚いたとはこのことです。中島都長老が、「農口喜代松兄は土師教会の召天者名簿に載っているが、今迄縁者が分からなかったのだが、この農口家の人だった」と納得しています。
 今回の喪主順一さんに聞いて見ると、自分が生まれる以前の人だが、母・靜子の義兄とのことでした。昭和12(1937)年12月7日が召天月日です。
 私は、靜子さんのキリスト教への接近は、いつどこで何がきっかけでと思っていたのです。斜め左前が佐治良三牧師を輩出した佐治家、その右前が土師教会の生みの親の小林豊尾おばあちゃんを輩出した小林家ですから、なんらしかの間接的なきっかけがあるのではないかと思って来ました。
 実は、農口家自体にきっかけがあったのです。
 義兄の農口喜代松兄は、兵隊として中国に送られて、昭和12年12月7日以前に帰国していたのです。戦地で発病。病名は分かりませんが、病身のままの帰国であったそうです。
 靜子さんが、農口家の嫁として乞われて海辺から嫁いで来られたのが、前年の1936(昭和11)年ですから、27歳の喜代松兄は、あの柿の木のある現在の農口家の人として過ごされた筈です。この期間、最大限一年間近く同居されていた筈です。キリスト者であった喜代松兄は、土師教会の会員であったのです。ただし、当時の教会原簿が残っていない。その他の教会資料が無いのです。とはいえ、靜子姉入信の直接的な原因と喜代松兄が土師教会の信徒であった事実とが結び付きました。
さらに喜代松兄の姉妹がほぼキリスト者であったという証言までも昨日墓前で得られました。
 昨日の夕方、教会の原簿を見ながらここまで辿りつきました。土師教会の歴史の謎がほんわずか解けそうな気がします。
 さて、今日の説教題目は、「言(ことば)は神であった」です。この題目とヨハネの第1章を呼んで見て、みなさんは何を感じ、何を考えたでしょうか。
 私は、この第1章を読むと、旧約創世記の第一章を想起するのです。私もそうだと言う方もいらっしゃるに違いありません。
 ここには、宇宙の起源の始まり、在って在るもの、起源の起源として存在するもの、そして宇宙と共に永遠に在る者の存在を感じずにはいられません。
 では、何故、文語体聖書では「太初に言ありき」なのでしょうか。太い最初の初(初子のはつ)と書かれていて、言語の語抜きの言(ことば)なのでしょうか。
 聖書を翻訳した人は、いわゆる言語と言(ことば)を区別したかったのです。
 私ども日本人は、「ことば」を漢字でどう表記するかというと、「言の葉っぱ」です。
古語では、「言」は「事柄の事」という意味です。事は事件、一大事、あの事などの事象(物語)を意味します。では、何故、事象と葉っぱが関係があるのかと言うと、古代人が毎日見ていたものは、まず目にしたものは、自然現象です。天気であり。風、雲、雨、雪、太陽、月、星などです。日常の現場では、草木の葉っぱの動きです。雨に濡れ、風にざわめき、光に身をまかせ、それらの葉っぱの表情から、喜怒哀楽を読み取ったのでしょう。それらが人間の心も動きを表現する「ことば」となったのだと思います。日本最大の詩集は『万葉集』は、自然の葉っぱのコレクション、ことばの博覧会です。葉っぱの動きを観察するところから、ことばを産み出した日本人って素晴らしいですね。自然観察からことばを産み出したのだといえるでしょう。葉っぱは、怒り、喜び、悲しみ、歌うのです。
 赤ん坊は、育ててくれた母、家族から聞いて、聞いて、やがて自分も話し出して、聞く話すことばを獲得していくのです。文字を読む、書く力は、ずっと後から獲得していくのです。現代でも基本的には変わりません。読む、書く力は、かなり高度な能力です。基本的には、話し言葉がコミニケーションの基本なのです。教会の宣教の中心である説教も、良く聞くこと、そして率直に話すことが重要なのです。これがことばの原点です。読む、書くは、記録を残す時、異なる意見をまとめあげるとき、つまりみんなの共通財産として共有するときに普遍的な威力を発揮します。普遍化という力です。学問は、主にこちらの能力です。だからこそ聖書は文字化されているのです。絵画、音楽よりも文字のほうが事を精確に把握して伝達する力を持っているのです。私ども人間は、これらの言語使用能力をもって文明を造り上げてきたのですが、最も重要な事は、聞き、話す能力です。
 話し言葉であれ書き言葉であれ言語化すること、これは言葉を生きる人間の命掛けの仕事です。
 さあ、聖書に戻りましょう。
「初めに言があった」と言うときの「言」とは、何を意味するのでしょうか。続いて「言は神と共にあった」となると、ややこしくなりますが、私どもの言語運用能力は、言語そのものの本来の姿は、神と共にないと危ないものではないかと考えさせられます。然り、聖書は、続けて、「言は神であった」と結論するのです。ならばこの「言」は、人格的働きを持っていなければなりません。つまり、「言」とは、普遍的なるもの、すべてを貫く原理的なるもの、しかも学問的論理を越えた真理、人間を生かしてくれるものでなければならないのです。そういう原理が神であります。3節、「万物は言によって成った」とあります。まして畳みかけるように、四節、「言の内に命があった。命は人間を照らす光であった」と断言されれば、イエス・キリストがこの世に来られた出来事という啓示としか言いようのない歴史的事実を再認識せざるをえないのです。
 学問的真理は、客観的な普遍性のことでありますが、それだけでは、人間を生かす力にはならない。人間の地上的な能力や業績、財産などをいくら積み上げても、人間の不安や苦悩、罪の帳消しにはならない。否、全く無力なのです。
 客観的普遍性をもって真理だと理解をしてきた近代的ヒューマニズムをひっくり返す、あるいは根本的に否定する真理観を打ち建てなければならない。それは福音の真理が、近代的ヒューマニズムを越えるものであることを最発見すべきであるということです。
 あらゆる価値観が相互に紛れ込んで、ものごとが相対的価値観しか持ち得ない時代に入り込んでしまっているわけですが、ここを突破していけるものがあるのかどうかということであります。
 私は聖書から、「在る」と言いたいのです。
 11節、「言は、自分の民のところに来たが、民は受け入れなかった」。 12節「しかし、言は自分を受け入れた人、その名を信じる人々には神の子となる資格を与えた」とあります。
 今日のテキストはここまでです。
唯一なる神は、強制しないのです。ただ忍耐強く待っています。私どもに委ねられた仕事は、もちろん伝道です。教会はそのためにある。ぶどうの木の枝が教会だとしたら、私たちは、当然、証しの共同体なのです。
 さて、昨日の納骨式を通して土師の墓場に流れた讃美歌、「わが歌こそ、わが歌こそ、『主よ、みもとに近づかん』」(讃美歌21)が会衆の胸底に微かにでも、響いたのか、あるいは式辞を通してキリスト教っていいなあという共感を生み得たのかはほとんど分かりかねますが、何度でも町営墓地で歌いたい、証言したいと思いました。少なくとも私どもに続く仲間を獲得して、全力で祈りつつ、聖霊に助けを乞いつつ、前進して行きましょう。

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