信仰に生きる
コリントの信徒への手紙2 4章16〜18節
 8月1日〜6日まで、初めての休暇をいただいて、久しぶりの韓国への旅をしてまいりました。と言っても最初の四日間は、民俗村で有名な龍仁市にある韓国聖書公会研修院で開かれた日韓キリスト者文学会議に参加していました。日本側代表としての重責があり、絶えず気遣いが必要でした。発表、討議、すべてが日本語と韓国語の二か国語で進行していきましたから、参加者全員神経を集中、エネルギーを注ぎ込みました。両国の関係がぎすぎすしている中での文学者会議でありますが、キリスト信仰によって一つであり主の身体としての教会につらなる兄弟姉妹としてしっかりと結ばれている喜びに包まれていましたからなにも心配しませんでした。最終日には、キリスト教テレビ局の取材があり、日韓の現状を、キリスト教作家としてどう立ち迎えるのかというインタビューに答えました。
 迂闊なことに妻と私の安物の携帯は日本国内しか通じず、たいへんな苦労をしました。その上、血圧の薬を土師の牧師館に置き忘れて来てしまったので大騒ぎになりました。結局日本語の会話は出来ないが、日本語の医学書を読んでいる医師のおかげで、すべてはうまくいきました。たくさんの韓国人のお世話になりました。論理的に見えて、じつは極めてエモーショナル(情感的な)韓国人と、根がまじめで冷静な観察者である日本人との温度差がもたらしたものの結果が分かった頃は、会議の終了間際でした。二年後、三浦綾子の北海道の旭川市か堀辰雄の軽井沢かでの再会を誓ってお別れしました。
 妻と私は、龍仁から水原に出て、高速バスでテジョン(大田市)に南下しました。いざという時の軍事用滑走路である高速道路を一気に走りました。なにしろ携帯なしの旅なので連絡が付かず、心細く、時間をロスして、おまけに猛暑、いささかやけっぱちになりそうでした。
 ようやっと82歳になられたパク・ヨンベー牧師と奥様(キム・ヒョスク、金孝淑)彫刻家、ご夫妻にお目にかかることができました。韓国は夫婦別姓です。ただし子供たちの苗字はすべて夫の姓になってしまうので、母はいつも寂しさを覚えているそうです。とくに離婚したときには、子供達は、みな別れた元夫の姓のままになってしまうのです。
 朴(パク)牧師は、同志社大学神学部大学院の出身です。同志社と在日韓国人の奨学金に支えられ、充実した幅広い留学生活をすることができました。その結果、韓国人知識人としては珍しく、在日の苦労を十分理解している韓国人です。「聖書と文化」という小雑誌の発行人でもあります。現在、私が聞いたことが無い病気を抱えていますが、とても重病人とは思えない天真爛漫の明るさで私どもを歓迎してくれました。信仰の力が目の前で花開いているような感動でした。
 奥様の金孝淑さんは、韓国の代表的な彫刻家であり、近代美術館にも作品が展示されています。武蔵野美術大学にも留学されました。
 妻の背丈が低くなり、長い髪の毛が無くなっていたので、何があったのかと案じてくれました。夕暮れ、彼女の工房(アトリエ)へと案内してくれました。鶏龍山の麓の静かな地にありました。建坪百坪余り、庭も広い。ただし、テレビ、楽器などはいっさい置いてない。助手も置かない。全作業を自分でやりぬく。彫刻は、肉体労働なのです。殆どの作品のテーマが十字架であることが分かります。しかもイエス様の苦痛そのものである打ち込まれた釘とご遺体から抜かれた釘の跡。主の苦痛を再体験しながらの彫刻芸術なのです。まるで苦しみの工場現場なのです。
 ご主人の朴(パク)さんのもっとも愛する音楽は、シュバイツアーのマタイ受難曲そして文学、奥様の金(キム)さんは、彫刻自体が人生の表現です。

         

 暮れなずむ公州(コンジュウ)の素朴な民芸風焼きもの店を訪ねてから、大田に帰ってきました。
 お二人と私達のお付き合いも長くなりました。もうお会いできないかも知れないという思いがちらっと脳裏を掠めましたが、「またお会いしましょう」と力強く手を握ってお別れしました。「外なる人」としては何時お別れしてもいいのだとごく自然に思いました。こういう別れ方ができる歳になったんだという実感と永遠を生きるとはこんな風に自然なんだろうなあとも思ったのです。私どもは、主にあって、「日々新たに生きて行く『内なる人』」同志なのです。
 さて、今日のテキストは、コリントの信徒への手紙2 4章16〜18節です。「『外なる人』は衰えていくとしても、わたしたちの「内なる人」は日々新たにされていきます」、ここが愛唱聖句である友人に、藤田三四郎さん(1926年生まれ、83歳、群馬県草津のハンセン病施設楽泉園自治会会長、詩人)がいます。もう30年近いお付き合いです。現在最後の力を振り絞ってハンセン病の啓蒙活動のため、全国を走りまわっています。大きな大きな補聴器を最近耳にくっつけて講演しているそうです。三四郎さんは、聖公会の信徒です。どこからあのエネルギーが出てくるのかと思います。皆さんに共通しているのが、聖日礼拝を欠かさないという一点です。主の前での信仰告白を欠かさないという一点です。
 聖書の「外なる人」とは、「衰える、一時的、見えるもの」ですが、「内なる人」とは、「日々新たにされ、測り知れない、重い永遠の栄光、何時までも続くもの」であります。と言えば、もう十分にお分かりでしょう。聖書に拠れば「外なる人」とは、土の器であり、今ある「この肉身」であり、同時に「死ぬべき肉体」なのです。これらの奥にある欲望や邪心なども含んでであります。これらは肉体の衰えと共に死に向かっていくのです。
 しかしながら、私どもキリスト者は、「内なる人」でもあります。なぜならイエス様が十字架の磔を通して勝利しているからです。
 こうして「外なる人」と「内なる人」との同時存在の中で苦しんでいる私どもでありますが、一日一日と測り知れない重い栄光に迎えられる、否、すでに迎えられていることを確信している時、「日々新たなり」という断定が可能なのです。希望に生きる毎日なのです。十七節「わたしたちの一時の軽い艱難」という表現がありますが、「使徒言行録」を読んでいれば、「軽い艱難」という表現は、やがてやってくる「比べものにならないほど重みのある永遠の栄光」を前提にした表現なのです。だいたい「艱難」自体に軽い、重い、の違いがあるはずがありません。艱難は、常に艱難なのです。ただし、まちがってはならないことは、地上の艱難に耐えたご褒美として栄光が与えられるのではない。栄光はあくまでも主のものであり、その栄光が恩寵として私どもに注がれるのです。
 「一時の軽い艱難」とは、地上を生きる私どもにのし掛かってくる艱難でありますが、それは軛(くびき)である。が、軛を共に牽いてくださるのがイエスさまなのです。だから、軽い。これがなければどうして難病と向き合えるでしょうか。数々の不運に立ち迎えるでしょうか。
 私自身肉親の背負い込んだ病気や不運を思うと叫びたくなる。が、かろうじて耐えています。伝道を果たせぬ悲しみに泣きたくなるほどです。「主よ、信じています」と、これで精一杯なのです。
 目に見えない永遠の栄光の世界など、ちゃんちゃらおかしくて信じられるかという声が聞こえてきそうな気さえするのです。ここが私どもの踏ん張り所です。「目に見えないけれどもあるのです」とあの金子みすずの詩が聞こえて来ます。
 イエス・キリストを信じるということは、死に打ち勝ったイエスさまが約束する見えない世界が与えられる、否、すでに与えられているのであります。復活の先取りなのです。
 いつお別れしてもいいとごく自然に言える信仰生活こそ私どもキリスト者に要求されているのです。
 猛暑は猛暑。艱難は艱難です。にもかかわらず私どもは生きています。古き人を脱ぎ捨てて、内なる人は日々に新しくされているのです。
 祈ります。
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