新しい契約
エレミヤ書31章31〜34節
 空梅雨と言われ記録的な雨量の少なさが報道されていました。先週月曜日17日の夕暮れ、まだ明るかったミントの畑が揺れ動いているのです。そこからふわっと何かが顔を出しました。まさか、動物園でもあるまいし、が。レッド・パンサーが立ち上がったのです。その愛くるしい顔。が、どうして牧師館の庭に。こちらの顔をきょとんとして見ています。はっと気が付きました。レッド・パンサーではない。イタチです。
 もう三十数年も前、善通寺の四国学院教員住宅の我が家に忍び込んで来たイタチ。
 そこからさらに二〇数年も前、私が小学生の時、昭和二十年代の半ば、さいたま市の我が家には鶏がいっぱいいました。学校から帰ると、イタチに鶏が襲われないかとよく見張っていました。それは表向きの言い訳で、ほんとうは私が鶏の卵を狙っていたのです。生卵をそのまま呑み込むのです。生卵はわたしの秘かな楽しみでした。
 あのイタチが三十数年ぶりに目の前に現れたのです。とても愛くるしい目でした。愛敬のある顔つき、懐かしくて思わず微笑んでしまいました。夕暮れのハーブ畑での再会にうっとりしていました。イタチはあわてずゆっくりと茂みの中に姿を消していきました。
 顔と顔を合わせて見詰めたのは、生まれて初めてです。そこには敵対心は全くなく、不信や恐怖もありませんでした。そこにあるのは命と命のゆったりとした見つめ合いでした。
 その後、うんざりするような空梅雨の日照りが続いて、おとついの二一日(金)には突然、台風四号と抱き合わせの大雨になりました。芽が出たばかりの枝豆が跳ね返った泥水で無残な姿を晒しています。が、昨日の土曜日は、晴れ間がもどり、枝豆はうれしそうに勢いよく双葉を開いたのです。
 と言う次第で、梅雨もいろいろ体験させてくれます。何よりも、抱きしめたいほど切ないまでの命の貴さを教えてくれました。
 さて、今日のテキストは、エレミヤ書の頂点と云われる新しい契約の場面です。ダビデ王朝のイスラエルの滅亡を預言して支配者たちの怒りを買い、暗殺されそうになったエレミヤは、じつはユダ王国の回復をも預言していたのです。さらに、古い律法を破棄したまったく新しい契約を与えるという主の預言をも伝達していたのであります。
 33節、「すなわち、わたしの律法は彼らの胸に授け、彼らの心にそれを記す。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる」というのです。
 古い律法である十戒の第一条は、週報の裏の十戒をご覧ください。「あなたは、わたしをおいてほかに神があってはならない」とあります。にもかかわらず、バールの神々を拝して背反を繰り返してきたのがイスラエルの歴史です。神でないものを神とするのは、現代でも同じであります。いったいいつになったら人間は神に背を向けるこの悪弊から脱出できるのでしょうか。経済最優先主義、金がすべてだという愚かな為政者たち。もっとその奥にあるのは、もう古い神は要らない。人間の知性、能力は生命の誕生さえ射程距離に入れたとさえ主張する人間絶対主義まで生み落としてしまったんです。そして第六条、「殺してはならない」。 国家利益のためならば、戦争をしてもいい、人殺しは罪ではない。戦争がなくても経済的利益のためには人間の命を犠牲にしてもかまわないという極端な人間たちが闊歩しているのです。その一方では、生きづらい現状に圧倒されて自殺して行く人さえ現れています。
 さて、妻とわたしの共通の知人の一人に、新潟県生まれの画家であり詩人でもある田川紀久雄さんがいます。田川紀久雄は、1942年、新潟県柏崎市生まれです。柏崎市と言えば柏崎原発で今日本中からその行く末が注目を浴びています。一時、週刊誌で、この原発を爆発させるため、北朝鮮からのゲリラが送り込まれようとしたという報道がなされて国内が緊張したことがあります。私個人にとっては、柏崎は盲目の芸能集団・鼓女(ごぜ)、およびその他の遊行芸能集団の発祥地の一つとして忘れがたい地です。わたしのお世話になった知人のご両親の故郷でもあり、お二人とも放浪の芸能集団に属していらしたのです。 
 話を戻します。田川紀久雄さんは、現在70歳、難病の妹を抱え、川崎市鋼管区のアパートに住んでいます。彼自身癌末期の患者でありますが、病院には入らず、毎日日記を書くように詩を書いているのです。
 彼が出した詩集は、33册です。40歳から毎年一册ずつ刊行してきました。癌になった2009年以降は二冊ずつです。ひたすら詩を書いています、それらはひたすら命を見詰め続けて書き続けられたものばかりです。彼は自分で原稿をPSに打ち込み、編集して印刷、製本、発行しています。では生活費はどうしているのか。公表していないので分かりません。余裕はないでしょう。彼はギターを弾きながら宮沢賢治や自作の詩を歌うように朗読します。まるで詩を演じているとしか思えません。私と同じで酒飲みでしたから自動車免許もありません。
 その巡礼行のようなひたぶるな生き方は、二千年前のイエスの弟子たちの伝道旅行のような日々なのです。私が働いていた恵泉女学園にも1度来ていただいたことがあります。
 さて、ほとんど収入無しなのに、田川紀久雄はなぜ詩を書き続けるのでしょうか。それは、原始キリスト教時代の弟子たちにとっての福音の伝道に等しいのです。すなわち命のいとおしさと命の輝きを一人でも多くの人に伝えたいからです。
 田川紀久雄は、クリスチャンではありません。が、キリスト教との間接的な関わりは、その詩の中から窺うことができるのです。
 最新の詩集『慈悲』(2113年3月刊)の中に、「存在と非存在」という詩があります。田川さんには失礼ですが、しばらく拾い読みをさせていただきます。

  なぜ自殺者が年間三万人以上いるのだろう
  誰からも手の届かない場所に追いやられる
  人の愛でも救え切れ世界がある
  この世の苦しみから逃れる方法は非存在になるしかない
  カトリック的立場からいうと
  それは絶対禁止されている
  しかしキリスト教徒でもない人たちには
  それを止める楔がない
  死は安易な方法だと言われても
  毎年多くの人達が亡くなって行く

とかいています。田川さんはキリスト者ではありませんが、カトリックに同意しています。ならば癌末期の本人はどうするのか。彼はこう書きます。

  病で亡くなるのと
  自殺で亡くなって行くのとでは天地の開きがある
  精一杯生き抜くことに
  いのちの価値がある
  それがどんなに辛くても
  生き抜いてみせるという気持ちに
  その人の生きている意味がある

と。復活を信じるキリスト者とは方向が全くことなるのだが、田川さんは、いきている証として詩をかいている。詩を書く賜物を与えられている。かれは、カトリックから自殺禁止の教えをまなんでいるのだ。そして死に真向かって生き抜くことに意味と価値を見出しているといえよう。かれの親友にもキリスト者がいるのできっといろいろ学んでいるこでしょう。
 そういう田川さんは、罪意識が鋭い。「罪意識は踏み絵である」という詩の中で、次のよう指摘しています。

  罪意識に恐れ戦きを感じなくなったら
  人を愛する心が奪われてゆく

という詩句に出くわすと、この詩人の宗教感覚は凄いと思わざるをえません。

  原発の事故だって
  安全神話に包まれているから
  誰も責任を負わない危険極まりもない代物の再稼働をすすめる人たちがいる
  いくら反対運動をしても
  結局その恩恵に預かってしまう
  豊かさの中で罪意識が薄らいでいく

と踏み込んだうえで、癌末期の身体で全力を注いで命の貴さをうたいつづけています。そして自分の幸福観を再確認するように、

  罪意識は人間としての踏み絵である
  強い罪意識の上で
  たった一人の為に生きていたい
  それが愛する人であったり
  家族であったり
  いちばん小さな幸福を求めて
  世の中に溶け込んで生きていたい

と結んでいるのです。
菰野場合「たった一人の人」とは誰かと聞けば、キリスト者は、イエスさまのことでしょうねと答えるでしょう。正解はなく、いろいろな答えが返ってくるでしょう。詩は宗教書でもなく、哲学書でもありませんから、それぞれの精一杯の答えがあっていいのです。私が、田川さんの内部に宿っている福音の影のようなものに引かれるのは、とくにこの詩の最終の二行です。

  いちばん小さな幸福を求めて
  世の中に溶け込んで生きていたい

 イエスさまがマタイによる福音書25章40節でおっしゃった「この最も小さな者の一人にしたのは、私にしてくれたことなのである」を想起せざるをえません。おそらくこの聖書の箇所から無意識的に影響された変化球がこの詩を産み落としたのでしょう。
 田川紀久雄さんがエレミヤ書の新しい契約の場面を知っているか否か、それはどうでもよいのです。確かなことは、この詩人がいつのまにかキリスト教的な発想と態度を身に付けていて、私ども教会キリスト者さえ発揮出来ない賜物で人生をぎりぎりまで生き続けているという事実です。
 もう度、聖書を確認しましょう。
 34節、「そのとき、人びとは隣人どうし、兄弟どうし、『主を知れ』と言って、教えることはない。彼らはすべて、小さい者も大きい者もわたしを知るからである、と主は言われる。わたしは彼らの悪を赦し、再び彼らの罪に心を留めることはない」。 この主の言葉は、主が田川紀久雄さんを特別に覚えて、贈ってくださったのだと私には思えてならない。
 さあ、原始キリスト教時代のように、死後の復活まで確信している私どもは、田川さんに負けないように、本気になって福音を伝えつつ、生き抜きたいものです。
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