死んでも生きる
ヨハネによる福音書11章17〜27節
 七夕の後、7月14日(日)の午後は、半日修養会です。「90周年を目指して」と題名を決めましたが、90周年は、まだまだだなあ、が、少しは射程距離の中に入れて置いたほうがよいだろうくらいに思っていました。が、先週6月12日(水)の聖研祈祷会の席上でちょっと考えてみたら、1929年のクリスマス・イヴの教会創立以来もう84年にもなっている。ということは、九〇周年までにあと6年しかありません。あと六年も、という方もいらっしゃるかもしれません。
 ところで、土師教会の現住陪餐会員の平均年齢を出してみたことがありますか。澤田芳枝姉・百歳、土永博兄・90歳を筆頭に、あっと驚くタメゴロウ、平均年齢○○歳なのです。私ども全員が日野原重明博士ではありませんから、体力、記憶力、判断力みな日々衰えているのです。「まだまだ若者なんかには負けないよ」なんて減らず口たたいてはいられないのです。
 では、平均年齢を下げるには、どうしたらいいでしょうか。葡萄の実がたわわに実ること、つまり伝道しかないのです。
 2019年、90周年祝賀式、六年後、晴れやかな笑顔で迎えたいのですが、こればかりは誰も保証できません。白蟻の心配のない礼拝堂が、いつ、どこに、建てられているでしょうか。安村真、聡子ご夫妻の正人君は、東京神学大学のあるいは農伝神学校の一年生になっているのでしょうか。
 はたして教会墓地は設けられているでしょうか。だいたいこの私は、牧師としての務めを果たせているでしょうか。モッコウバラは元気でしょうか。カラシダネにはカラスが巣を作っているでしょうか、六年後。
 2年前の半日修養会で、磯野良嗣長老が、「森田先生と共に若返る」という素敵な発題をなさいましたが、「共に若返る」とは具体的にはどういうことだったのか、いまだに解決できない謎めいた宿題です。
 なにはともあれ、今年の修養会も楽しみです。中島隆太長老と今井泰幸、安村聡子の三位一体がどんなメッセージを会衆に放ってくれるのでしょうか。神の体である教会をさらにどう形成していくのか、陶工である神様に従ってていねいに考えてみようではありませんか。ロクロをまわして形造ってくださる神さまに祈りつつ、夏を待ちましょう。
 さて、今日のテキストは、またしても同じ個所だと言われそうです。あえてそうしました。いよいよイエスさまが、ユダヤ当局から狙いうちをかけられていく直前のベタニア村でのラザロの死と復活の場面であります。
 ここでのイエスさまの宣言と行動が引きがねとなって、イエスさまの逮捕、裁判、十字架の死と復活、へと、まっしぐらに突き進んでいくのです。
 イエスさまは、ラザロの墓の前で涙を流すのですが、その前に宣言します。
 ヨハネによる福音書11章25節、「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる。生きていてわたしを信じる者はだれも、決して死ぬことはない」と。
 そもそも、自分自身を「復活」だと、自分自身を「命」だと言い切る人間ってかつていたでしょうか。復活することを願い、永遠の命を願った人間はもうたくさんいましたが、権力者である王であっても、どうにもならないのが人間の死であります。人間以外の生物も例外なく必ず死ぬ運命を免れえない。
 が、人間は他の被造物の自然死とは、決定的に異なっています。「神の似姿」として、陶工である神さまが土を捏ねられて形造ってくださった。そして人格を与えられて、神さまと人格的対話を通して生きる存在になったのです。そして他のすべての被造物の管理を委ねられているのです。こういう人間存在は、もともと神様から祝されて地上の生活をするのであり、地上の生を終えたあとも神の身元に招かれている存在なのです。
 言ってみれば、永遠の生を与えられている。
 というわけですから、イエスさまの言葉を実感を持って受け取れるのであります。
 「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる。生きていて私を信じる者はだれも、決して死ぬことはない」。
 19世紀以降のヒューマニストたちは、このイエスさまの言葉を、非科学的、滑稽な子ども騙しの作り話だ、と言うでしょう。これこそ科学絶対主義の偏った考え方です。
 永遠の生を生きることを赦されている私どもキリスト者にとって、葬式もまた神道、仏教とはまったく異なるものであることは言うまでもありません。すなわちあちらの世界へと招かれて、主を恐れず、顔と顔を合わせて生きる喜びの世界の始まりなのです。
このイエスさまの言葉は、14章の弟子たちへ向けてなされた決別の説教の中で、あらためて決定的に語られるのです。
 14章6節、169頁下段、「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない」という言葉に極まるのです。
 ここでいう「道」とはどういう意味でしょうか。普段私どもは、道といえば、今いる場所から目的地へと行かれる道路を考える。自宅から土師バス停へとか、自宅から土師小学校へという具合に。東海道五十三次と言えば、江戸日本橋から京都三条大橋までというぐあいに、です。その拡大されたイメージが、世界はローマに通じる、です。実際、ローマを訪れると、二千年まえのローマ帝国の街道が現在でも使われていて、夥しい車が行き来しているのにびっくりします。さすがは石の文化です。日本で残っているのは、熊野の巡礼古道を除いたら、せいぜい室町時代以降でしょう。
 さて、イエスさまが言われる「わたしは道である」とは、どこからどこへと行く道なのでしょうか。ターミナルはどこなのでしょう。
 そもそも出発点はどこでしょうか。どうもどこからどこへと通じている道とは違うのではないでしょうか。
 聖書に出てくる道は、エリコとエルサレムを結んでいる道や、復活したイエスさまとは気が付かずに弟子二人が歩いたエマオ村への道もありますが、もっと違う道のようです。
 マタイ3章3節、3頁、「主の道を整え、その道をまっすぐにせよ」。 
 また21章32節、41頁、「ヨハネが来て義の道を示したのに」のこういう道はどこからどこへとは違いますね。武士道、剣道、華道、道徳などの「道」「どう」ならば分かりますね。すべてに共通するのは、「宇宙の根本原理」とでもいったものです。普遍的原理というほうがいいでしょう。こちらに近いと思います。
 が、小見出しは、「イエスは父に至る道」と言われると、父がターミナルで、イエスさまは、そのための手段か、手掛かりとかいう意味合いが強くなってしまいそうで、私には不満なのですが、みなさんはいかがでしょうか。
 父と子と聖霊の三位一体を告白している私どもには、みな一体なのであって、通過点や手段や手掛かりではありえないのです。イエスさまの道はそのまま終わりのない救いそのものなのです。
 私ならば、この個所の小見出しは、10節の、「わたしの内におられる父」を採用させていだきます。「私は道である」という大胆な発言は、「私は父でもある」という表現でもあるのです。この奥義が分からないと道が手段になってしまうのです。
 この奥義こそキリスト教であって、一般常識では溶けない謎です。この奥義が。ついには「死んでも生きる」という二律背反を綜合して永遠性へと人間存在を招いてくださっているのです。
 神さまが土師教会を建ててくださったのは一方的な恩寵(惠み)としかいいようがありません。みな老いていく、体力を失って行くように見えますが、はたしてどうなっていくかは、全く分かりません。私どもは祈りながら御心を教えて頂かなければなりません。
 水曜日ごとに開いている聖研祈祷会のご案内は、週報に開始時間も研究個所も祈る対象の教会も明記してあります。土師教会が祈る対象として掲載された時、覚えていますか、
全国の教会から葉書やお手紙、墨書きの聖句まで送られてきました。
 1階の集会室のボードには、あちこちの諸教会から届いた葉書の礼状がいつもピンアップしてあります。
 みなさんが、たとえ聖研祈祷会に出席できなくても、週報や『信徒の友』を開いて、職場で家庭で研究も祈祷もできるのです。水曜日、みなさんは、どう過ごされていますか。一ヶ月間、研究も祈祷もしない信徒が漫然と過ごしているだけならば、とても共同体とは言えないでしょう。ましてや主の身体としての教会ではありません。
 人里離れたさびしい所へ行って祈られたイエスさま、オリーブ山で苦しみもだえ、いよいよ切に祈られたイエスさま、「汗が血の滴るように地面に落ちた」とルカ福音書には書かれています。イエスさまの苦しみに少しも触れることのない信仰生活だったら、土師は見離されるでしょう。高齢者であっても中年であっても幼子であっても、祈りから祈りへと結ばれて行く信仰共同体でなければ、主の讃美には成らないでしょう。
 どうでしょうか、「死んでも生きる」と断言して保証してくださっているイエスさまの言葉をどのくらい身に沁みて感じていますか。九十周年が射程に入ってきたでしょうか。
 私どもは、イエス・キリストを信じる共同体なのです。葡萄の木なのです。たわわになった実、それは私どもであり、そして新しく加わってくる仲間たちなのです。
 さあ、土師教会にふさわしい貢献をみんなで重ね上げて、いきましょう。
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