家中に響いた
使徒言行録 2章1〜13節
 今年の冬は、厳しい寒波に見舞われました。一日でも早く、春よ来い、春よ来い、と待ち続けた日々でした。そうこうしているうちに、3月28日が洗足の木曜日、29日受難日、三日後の31日に、復活節(イースター)を祝ったのでした。すでに大仙公園の桜が満開になっていました。その喜びの中で、教会総会を開くと、もう五月がやってきました。
 今や、新緑の緑がいろいろな美しさを重ね合わせていて、見ていると、心が広がっていくようなときめきに襲われます。日の光を全身で味わっているのかなと思わせるような、トカゲの日光浴を時折見掛けます。臆病なスズメたちが辺りをうかがいながら庭をじっと見つめています。そんな庭を、キアゲハが低くゆっくりと舞っています。先日は、今野幸治兄と西康彦さんのおかげで、滝の洪水のように素晴らしかったモッコウバラを剪定しなければならず、きれいに刈っていただきました。
 そして、心新たな思いで、12日の礼拝を守ったその時、踊り場の異変に気が付きました。踊り場の飾り棚の下の角から夥しい羽化した白アリが舞い立っていたのです。階下の集会室の白アリ対策工事を去年したことを思い出しました。「これで一年間は大丈夫」と言った森下建設社長の穏やかな笑顔を思い出しました。ほぼ一年が過ぎたのです。
 夏も近づく八十八夜、八十八夜の別れ霜ならぬ、八十八夜の迎え翅アリになってしまったのです。すぐに連絡を取り、三日間点検したところ、事態は深刻で、かなり大掛かりな工事が必要であると判明しました。教会の台所と風呂の間が長年の湿気で腐っている可能性が高く、風呂場をスケルトン(骸骨)にしないと退治出来ないとのことです。二週間掛かるとのこと。長老会としては、教会建築の将来構想に乗り出そうとしていた矢先なのです。
 さて、司会者に読んでいただきましたが、今日は五旬節、ペンテコステ礼拝です。使徒行伝の描写は短いですが、ハリウッド映画のスペクタルシーンのように大掛かりで派手な場面でもあります。地中海世界を背景にした多人種多文化の群れがエルサレムの神殿に、三大祭りを祝うために集って来た。そこに激しい音が天から吹いてきて、家中に響いた。驚き、驚きそして驚く。集まって来た世界各地からの群衆。そして語りかけるペテロによる説教。この派手なスペクタルをどう受け止めればいいのでしょうか。
 昨日の土曜日のことです。先週の礼拝後にあった矢辺修造兄の呼び掛けで、五人が集まり、二台の車で葛城山まで出かけました。妻と私も参加させていただきました。富田林の奥の方は、行ったことがありませんが、あちらの方面は、たしか古寺巡礼の道であり、同時に古事記、万葉集の舞台でもあります。
 ケーブルで上がると、山頂は、突然真っ赤な霧島深山ツツジの洪水でした。天空の花畑、ツツジが敷き詰められた神殿と言ったらいいのでしょうか。
 神さまの近くに近づいたような厳粛ながらも幸せな気分でいっぱいになりました。ツツジが燃えています。「炎のような舌」とはこんなイメージなのでしょうか。ツツジに吸い寄せられて、その蜜を吸っている蝶や蜂たちの至福の食事の御相伴に私どもも預かっていました。
 二千年前の最初のペンテコステも晴れていました。聖書を読んでいると、その場所は正確には捉えられません。使徒たちが集まっていた家屋の中のようでもあり、多くの人々が集まっていた神殿の境内のようでもあります。が、どちらでもいいでしょう。エルサレムの朝も葛城山上のように真っ赤な炎の色がいっぱいだったのです。
 2章1節、「五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると」、 2節、「突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた」。 3節、「そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人にとどまった。」 
 「吹いて来るような」、「炎のような舌」というように「ような」という比喩表現になっています。オーケストラのトランペットの高音が天からのように押し寄せてきた、と言ったらいいのでしょうか。ギリシア語では風が息であり霊でもあるので、「天からの神の霊の訪れ」に違いありません。これは聴覚の働きであると同時に、風という目に見える視覚の働きが重なっています。
 次に、「炎のような舌」は、視覚的であると同時に、皮膚感覚に訴えてきます。低温度ではないでしょう。が、高温度でもないでしょう。ある熱さを持った舌と言うと、「熱情的に語りかける舌」と解してもいいでしょう。が、決定的な客観的な答えはないでしょう。現代人から見れば、かなり荒唐無稽にさえ思えるこの場面ですが、ほんとうに荒唐無稽なのかと言えば、逆に不思議な実感的なスペクタルなのです。山下清が描いた絵のような、あるいは、ネムの木学園の子供たち、あるいは止揚学園のカレンダーの絵のように生き生きしていて私どもの心を激しく揺さぶってくる感動があるのです。
 4節、「すると、一同は聖霊に満たされ、〃霊〃が語らせるままに、他の国々の言葉を話し出した。」 他の国の言葉をしゃべりだしたのは誰でしょうか。世界中から集まってきた人々でしょうか。いいえ、弟子たちなのです。どう考えてもこれらの弟子たちがヘブライ語とギリシア語以外の外国語を話せたとは思えません。ならば何語なのか。パウロがあまり積極的には認めていなかった異言なのです。意味不明の言葉です。が、そこに集ってきた世界各地の人々九節以下に書きとどめられている多くの遠い地から訪れた人々は、このように反応しているのです。6節、「だれもかれも、自分の故郷の言葉が話されているのを聞いて、あっけにとられてしまった」。
7節、「人々は驚き怪しんだ言った。『話をしているこの人たちは、皆ガリラヤの人ではないか。どうしてわたしたちは、めいめいが生まれた故郷の言葉を聞くのだろうか』。 東北はメソポタミヤから南東はアラビヤ、南はアフリカ、西はローマまで、ローマ帝国の各地からの人々で賑わっていたのです。ほんとうにめいめいの生まれ故郷の言葉であったのかどうかは分かりませんが、世界各地の言葉としてそれぞれの耳に入ってきたのです。たしかに驚くべき、しかも怪しまずにはいられない出来事だったのです。
 これらの現象をどのように捉えたらいいのでしょうか。
 このことを考える時に忘れてはならないことは、使徒行伝の書き手が医師のルカであるという事実です。古代キリスト教史を最初に手をつけた歴史家でもあるのです。となれば、かなり客観的な冷静な目でものを捉える人物であると思うのです。が、それにしてはどうもドラマチック過ぎて、まるで歌舞伎のような見せ場づくりがうまい手練手管の演出家に見えるのです。この出来事はじつはルカの実体験ではないのです。
 しかし、パウロに同行した忠実な信徒でもあるルカが作者であることを考えると、このペンテコステの場面は、現代人の考える客観的なリアリズムではない。では何かと言うと、聖霊に導かれた、つまり霊的リアリズムの物語なのです。霊に導かれて描写されている。信仰者の信仰告白の実感に忠実に書かれた表現方法なのです。モーセの燃える芝の場面のように、火と聖霊は共に神の臨在の姿なのです。霊的実感が生んだ最初のペンテコステの記録であり、世界伝道の最初の日であるペンテコステの記録なのです。すなわち教会の誕生の記録として記念すべき象徴的な歴史的ドキュメンタリーなのです。
 あの創生記のバベルの塔の物語によれば、人類の思い上がりへの罰として塔が崩れ、言語が散らされて、人類はお互いの意思疎通の道が断たれてしまったのです。
 が、この使徒言行録のペンテコステでは、それぞれの国の言葉が祝福されているのです。それぞれの言葉が神様との対話の正当な方法なのです。世界中の翻訳された聖書が、キリスト教の正典として認められていることはご存知の通りです。
 私どもは、現代のキリスト者として、再び霊に導かれて伝道に勤しまなければなりません。東アジアの日本に上陸したキリスト教を次にどこに伝えていくのか心して取り組むべきなのです。
 まずは自分が日常出会っている人々に伝えることが肝心なのです。次に、この土師の隅々まで福音を伝えることが、土師教会の使命なのです。
 さあ、霊に揺り動かされて出発しましょう。
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