死ぬ方がまし
ヨナ書4章7〜11節
 二年前、2011年3月下旬に、この土師の町に赴任して、いろいろ興味深いものに触れました。
 一番びっくりしたのは、いつも言っていますが、柑橘類です。夏ミカンがたわわになっている。普通の家の庭になっている光景は感動的でした。夏ミカンがなっている光景を生まれて初めて見たのは、城下町、萩の武家屋敷の中でした。もう五〇数年も前のこと、高校生でした。山陰の寒い城下町で何故夏みかんが、と思ったのですが、萩の北の海には暖流が流れていて、意外に暖かな土地なのです。福井県の日本海に水仙の名勝地があるのと同じです。
 「初代牧師を輩出した佐治家の庭には、その木があるので見にいきましょうか」と磯野良嗣長老から言われたときには、びびってしまってあわてて御断りしてしまいました。
 二番目に驚いたのは、真黒な藪蚊の大軍です。容赦ない武装ゲリラの行動には根をあげました。埼玉では高層アパートの七階にいましたから。蚊が上がって来なかったのです。たまにエレベーターに偶然運ばれてきた蚊が姿を見せることはありました。
 ところが、土師では玄関のドアの前に蚊取り線香が焚かれていた。初めは目を疑いました。これは何のためにあるのだろう。玄関から火事になったら大変、と思いました。
 その藪蚊を防ぐために土師自治会の隣組長さん宅に蚊の発生を防ぐ薬が用意されているということも知りました。と言っている間に今月から私が隣組長になりました。薬を入れるためにおとついペットボトルを買ってきました。
 三番目の驚きは、堺の夏の暑さです。東洋のヴェニスと言われた水の都・堺は、南蛮貿易で発展しました。それは東南アジア、あるいは南アジアを経由した西洋との交流での地であったのです。遠くスペインまでつながっている海に面した堺は、基本的に南に向かっている。そのせいか、皆さん暑さに強い。暑い、というよりは痛い、のです。教会堂の窓から見える北田さんの庭のアロエの真っ赤な花、そう言えば、町のあちらこちらにアロエのまっかな花が燃え出すのです。
 「暑い、篤いといつも先生は言いますが、暑いと口に出したからと言って、暑さが減るわけでもなく、涼しくもなりませんよ」と中島隆太長老にぴしゃりと抑えられて以来、なるべく口にすまいと努力しています。
 四番目は、もう止めます。痛い暑さではありますが、だからと言って、誰かさんのように、「死ぬ方がまし」とは言えません。
 今日は、夏ミカンの話ではなく、とうごまの木に焦点を絞ることにします。ここに出てくる「とうごま・唐胡麻」を六十代以上の方は、知っているはずです。ひまし油を取るあのヒマです。旧新約聖書を通して、たった一回だけ登場していますが、西日本では、わりあい目にしていた植物です。広辞苑によれば、「トウダイグサ科。アフリカ原産。温帯・熱帯で広く栽培し、熱帯では低木状となるが、温帯では一年草。茎は赤色で高さ二、三メートル。秋、下部に黄色の雄花を、上部に雌花を開く。球形の果実は表面に棘がある。種はひましと言い、ひまし油を製し、下痢剤となる」云々。ああ、思い出した。お腹を洗うためとはいえ、苦くて苦い。脂っこい、いやな薬だったです、ね。
 そのとうごまの木の陰でほっとしているヨナ、とうごまが枯れてしまってぐったりしているヨナ、を思い描くと、本人は「死ぬ方がまし」と、お叫びをあげています。神に逆らって巨大な魚に呑みこまれたヨナ、日照りの中でとうごまに頼るヨナ、を、思い描くと、無責任に言えば、ちょっとユーモラス、ですよ、ね。
 小預言グループにこの「ヨナ書」は属していますが、ヨナの預言そのものは、決定的な意味を持っていません。むしろヨナを巡る伝承を元にした魚ととうごまの物語なのです。
 この物語を作った作者あるいは一団の人々は、おそらく捕囚期の時代に、選民イスラエル民族の排他的で偏狭なまでに固まっていく民族主義に対する強烈な批判の持ち主であります。その批判的視点からヨナの物語りを再構成したのであります。
 ヨナは、自分たちのイスラエルの神が異民族や他国の救いに乗り出すのを喜んでいない。そのため主の前から逃げ出す。が、主はヨナの自分勝手な行動を赦さない。結局ニネベに送り込まれてしまう。主は、イスラエル民族であるか、他国および他国の民であるかを問わない。悔い改める者には憐れみを注ぐのであります。排他的で偏狭な民族主義を越えて行く視点を作者は、うち建てたのであります。ヨナ書の前がもっとも短いオバデヤ書です。最近一緒に学びましたように、オバデヤ書は、イスラエル民族の他民族に対する憎悪をむき出しにした詩で書かれた預言書です。憎悪の詩と対照的な、他民族にも注がれる主の憐れみを描いたヨナ書がその直後に配置されているという事実は、旧約聖書を編集した人々の英知としか言いようがありません。これは、旧約のユダヤ教的世界観を越えようとする新しい地平が開かれた預言書であります。
 という視点で読み直すと、ヨナ書が新しく生き生きと迫ってくるのです。
 3章の最後の10節を見てみましょう。「神は彼らの業、彼らが悪の道を離れたことを御覧になり、思い直され、宣告した災いをくだすのをやめられた」。 神がなされた事実、つまり主がニネベの12万人あまりの人々を愛するのを見て、ヨナは、4章1節、「大いに不満であり、彼は怒った。彼は主に訴えた」。  
 この訴えを読んでいると、ヨナは自分の言いたいことしか言わない。神がなした事実から学ぼうとは全くしない。自分の快・不快の感情的判断しかないのではないか、と疑ってしまうほどの取り乱し方です。挙句の果て、4章3節、「主よどうか今、わたしの命を取ってください。生きているよりも死ぬ方がましです」と言ったのです。ヨナの言上げに対して、主は、4節、「お前は怒るが、それは正しいことか。」 と逆にたしなめます。
 ヨナは、最初、主の命令に背いて逃亡した。彼が乗り込んだ船が遭難しそうになったが、乗組員らの命乞いの祈りが聞き入れられて、ヨナは巨大な魚の腹の中で三日三晩過ごした。主の愛によって陸地に吐き出されたヨナは、反省して、命じられた通りに巨大都市ニネベに向かって、「あと四十日すればニネベは滅びる」と預言をする。その結果どうなったか。何と、ニネベは国を上げて、自分らの罪と堕落を認め、悔い改め、懺悔をしたのです。しかも災いはくだらなかった。
 では、ヨナの心はどう動いていったのか。神の事実としての憐れみの行動を見詰めるよりは、自分の感情のままに動いた。感情の中心にあったのは、自分のメンツがつぶされたという怒りです。何のためにニネベまで出てきたのか。そして滅びの預言を勇気を出してニネベに向かって、命がけでなしたのに神は実行しなかった。それどころか悔い改めたニネベを御許しになり、憐れみ給うたではないか。そんなっ、俺の立場はどうなる。これでは俺様は報われない。ちきしょう、死んだ方がましだ、と、叫んでしまった。
 痩せても枯れてもヨナは宗教家、預言者であるはずです。この怒りの感情の爆発の底には、イスラエルの預言者たちに巣くっている選民思想(神に特別に愛されるのはユダヤ人だけといううぬぼれ)が潜んでいるのです。
 5節、「ヨナは都を出て東の方に座り込んだ。そして、そこに小屋を立て、日射しを避けて」云々。忍耐強い、憐れみの主は、6節、「彼の苦痛を救うため、とうごまの木に命じて芽を出させられた。/略/ヨナの不満は消え、このとうごまの木を大いに喜んだ」。 ヨナは神の憐れみに気がついていない。神への感謝でなく、とうごまの木を大いに喜んだのです。ここにも自分中心のヨナの限界が見えています。だからそれを見ていらした主は、七節、「虫に命じて木に登らせ、とうごまの木を食い荒させたので木は枯れてしまった」のです。八節、「ヨナはぐったりとなり、死ぬことを願って言った。『生きているよりも死ぬ方がましです。』 神が下そうとした災いの一切れをヨナは味わわされたといえるでしょう。それでも、暑さと熱風のために痛みつけられて「死ぬ方がましです」と叫んだ。
 これで二回目です。続いて、「それは正しいことか。」 これも二回目です。主は、ヨナの誤りを目覚めさせようとして、諫めています。にもかかわらず、ヨナは口答えをするのです。「もちろんです。怒りのあまり死にたいくらいです」と。
 10節の主の台詞は、私ども現代のキリスト者の心をどきりとさせるものがあるはずです。
 「お前は、自分で労することも育てることもなく、一夜にして生じ、一夜にして滅びたこのとうごまの木さえ惜しんでいる」
 神のみこころがどこにあるのかをしっかりと見据えることなく、ともすれば自分の感情的な、快・不快で判断してしまってはいないでしょうか。すべては神の手の中にあることを今だに気がついていないのが私どもの今日の現実なのです。
 ヨナとしては必死の叫びであっても、ヨナの決定的な間違いがある。それは神さまから与えられた命の重さをほんとうは感じていないということです。主の導きがあって支えられている命、そして生きて、生かされてあることへの感謝が感じられません。ヨナの言う「死ぬ方がまし」、 「死にたいくらい」には、重さがありません。こんな安易な軽いセリフを主が赦すはずがありません。が、主は限りない忍耐をもってヨナに語りかけているのです。10節、「どうしてわたしが、この大いなる都ニネベを惜しまずにいられるだろうか。そこには12万人以上の右も左もわきまえぬ人間と、無数の家畜がいるのだから」。
 私ども現代のヨナは、何が主のみ心なのかを絶えず見極めて、主に与えられた命を感謝し、主を証しして生き抜きましょう。
 祈ります。
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