信仰に基づく祈り
ヤコブの手紙 5章13〜20節
 三月十日、六八年前、B29の編成隊による東京大空襲が始まった最初の日でした。今なお正確な死者の数が分かりません。あの日から続いた空からの爆撃に手の打ちようがなくなすがままに晒された避難民の群れの中に我が家の家族もおりました。あの炎上する町、崩れ落ちた我が家は、いまなおわたしのトラウマです。ビーカーを使った化学実験、夏の夜の庭先の風物詩であるはずの花火にも怯えるのです。他人にはなんでもないことが当人を怯えさせる。これは当人にしか分からない悲しみなのです。
 当事者にしか分からないことって、じつはいっぱいあります。しかも当事者にとっては百パーセントの出来事なのです。あまりにも悲惨な出来事は、生きるために忘れることもありますが、思いがけないときにありありと甦って来て、当事者を恐怖に陥れるのです。
 私の長兄は、赤ん坊の時に高熱のため生死をさ迷いました。その結果、小児麻痺と癲癇に苦しめられて三十年余りの生涯を耐えました。戦前、戦中、戦後、父が熱心な真言宗、母が子供らをキリスト教の幼稚園やキリスト教学校へと通わせて秘かにキリスト教への共感を表現し続けたのも分かるような気がします。そこに息づいていたものは、我が子が障害児として苦しんで生きねばならなかった責任が自分にあると感じていた父と母それぞれの、救いを求める苦悩であっただろうと思うのです。
 私が四国の大学の専任講師になった春、宇高連絡船に乗ってはるばる訪ねて来てくれた父は、「私は罪人です」と善通寺の本堂の木の階段で大音声をあげて叫び、参詣者たちを驚かせたことがありました。母は障害児二人を抱えて苦しんでいた近所の主婦をいつも気に懸けていました。店で扱っていた米や木炭などの商品をそっと届けていたと母の死後に聞きました。
 一方、ことごとく父に反発してきたのは、私ども下の男、兄弟三人共通の人生ですが、七〇代まで生き残ったのは私一人だけです。
 その私も父と同じく「私は罪人です」と叫んでいます。ただし、キリストによって、罪を購われて。
 もし父が生きていたら、牧師になった私に戸惑い、そして改めて祝福してくれたことでしょう。父の激しい求道の道の延長線上に父にひたすら反発して生きてきた私が立っているこのユーモアを、苦笑いしながら受け入れていることでしょう。
 さて、先週あの東京大空襲から六八年目の十日、長老会の後、河内長老夫妻に甘えて、教会から奈良県生駒のアトリエまで車に乗せていただきました。あの日はぶり返しの真冬の悪天候、冷たい雨まで降り出して来ました。途中、法隆寺斑鳩町のコメダ珈琲のでっかいサンドイッチで腹ごしらえをしたあと、奈良市郊外の帝塚山大学まで順調なドライヴを楽しんでいました。
 が、そこからが問題。どういうわけかそこから第二阪奈に入りこんでしまい、脱け出したかと思いきやまたも第二阪奈に迷い込んで、しまいました。四時間掛けて生駒に辿り着いた時は、四人とも、ぐったり。おまけに鍵がなかなか穴に入らず、ようやっと上がり込んでも極度に寒い部屋です。
 ところが、年よりの冷や汗にもかかわらず、疲れも吹っ飛ばして、談論風発、賑やか、夕食の準備も忘れてお喋りパーテイに熱中。お互いの生い立ちから、キリスト教と日本、私どもの信仰についても次から次へと話が尽きず、この上ない楽しい冬の夜でした。
 なぜあんなに楽しかったのかと言うと、二度も道を間違えて、深く反省して、主の身元に立ち返るべく、まっすぐに帝塚山大学まで引き返し、そして、新鮮な心で再び出発点から走り出したからです。今日のドライヴは、信仰者の道と同じだなあ、と思いました。迷っても主の身元に引き返すこと、そこから私どもの先頭をみ腕を伸ばされて休むことなく進んで行かれる主に従うこと、そうやってここまで辿り着いたのだという感慨の中で、ぶどうの木につながっていることの喜びを確かめ合った夜でした。
 その夜、寝室はまだ電球を入れていなかったので真っ暗、懐中電灯で手探りしながら蓑虫になりましたが、蓑虫は、「ちちよ、ちちよ、と、はかなげになく」と『枕草子』に書かれています。が、妻と私は、天の父に向かって、「父よ、父よ、今日一日ありがとうございました」とお祈りしてからどーんと眠りに落ちたのでした。
 いつのまにか、もうヤコブの手紙に入ったようです。宣教「信仰に基づく祈り」の世界です。日本人の一般的な儀礼的挨拶においては、「祈る」と書くとき、敬虔な信仰とは無縁です。
 イヴェントなどに誘われた場合、返信に、「ご盛会を祈ります」といとも軽く書いています。ほんとうにその当日に、あるいは今、祈るでしょうか。
 心から望む、願う、念ずる。そういう時は、いつでしょうか。受験、病気、手術直前、出産などが思い浮かびます。が、少なくとも私どもキリスト者は、祈りについて、もう少しは考えています。
 みなさんは、「祈りって何ですか」と聞かれたらどう答えますか。私にとって、「祈りとは、父なる神との対話である」と思います。朝目覚めた時の神様への祈りは、朝を与えてくださったことへの感謝から始まります。考えてみれば朝目覚めるってことは不思議なことです。前の夜眠る時も「明日もしかしたら目が覚めないかもしれない、今晩が人生の最後かもしれない」と思って、眠るのが怖くなったあの青年期が過ぎて、今や寝るのが楽しみ、朝寝、昼寝も大好きな能天気な私でもありますが、これは神様への信仰なしには考えられません。こんな能天気な私を赦してくださる神様に感謝するところから朝が始まります。その上で、あらためて心から願い、望み、念ずるところまで行かなければなりません。神様の答えがいつどのように返ってくるかは分かりませんが、心から願って待つことが大切です。
 ヤコブの手紙5章7節をご覧ください。
「兄弟たち、主が来られるときまで忍耐しなさい。農夫は、秋の雨と春の雨が降るまで忍耐しながら、大地の尊い実りを待つのです。」とあります。主の再臨を今か今かと待っている二千年前でも、「忍耐しなさい」と言っています。砂漠気候の中での雨がどんなに貴重なものであるかは行ってみないとなかなか分からないものです。日本のようなモンスーン気候の中にいると、どうも雨の恵みを忘れがちです。神に守られて生かされて喜びを感謝すことが祈りの基本なのです。キリスト者の祈りは逆境の時も順境の時にも主に聴き従うのであって、自分の都合が悪くなると「神も仏もあるものか」と悪態を吐くご利益信仰とは全く無縁なのです。私どもは「切に」祈る。
 その上で13節、「あなたがたの中で苦しんでいる人は祈りなさい」と言っています、「苦しむ」とは、人生のあらゆる災難のことであります。が、続けて、「喜んでいる人は、賛美の歌をうたいなさい」と言うのです。一般的日本人は、ご利益を願うことは知っていても、賛美の祈りはあまり自覚していません。が、キリスト者にとって賛美は、生きるとは賛美だと言い切ってもよいくらい決定的な、祈りの初めであり、中心なのです。「賛美する」のもともとの意味は、「弦楽器を奏でる」という意味です。その楽器に合わせて朗誦して祈ることが、詩編の吟じ方なのです。長い間修道院では、詩編は歌われてきたのです。それが賛美です。賛美と音楽は一体化していたのです。
 そもそも、苦しみ、悲しみ、病気などは人生の同伴者のような存在です。向こうが離れてくれません。が、できれば克服して生きていかねばならない。そのとき、神との垂直的対話を基本にした祈りと、祈り合う水平的連帯が慰めと励ましをもたらしてくれるのです。
 14節、「あなたがたの中で病気の人は、教会の長老を招いて、主の名によってオリーブ油を塗り、祈ってもらいなさい」とあります。原始キリスト教が確立した時から、長老は特別な力と使命を与えられた方々であります。土師教会も教会総会ごとに選挙で長老を選び、神さまに支えていただく任命式を行っています。現在七人の侍ならぬ七人の長老が重責を担っています。長老は会員一人一人の信仰の証人として働いているのです。原始キリスト教会では、長老の中に病気を癒す賜物を与えられた人がいたらしいのです。オリーブ油が万能であったという意味ではなくて、肉体を癒す有力な方法の一つであったようです。が、肝心なことは、主が癒してくださるのであり、主が祈る者の声を聞いてくださるのです。
 ですから、15節には、「信仰に基づく祈りは、病人を救い、主がその人を起き上がらせてくださいます」とあります。心の病、肉体の病、両方ともです。主は求める者を拒みません。あらゆる人を招いていらっしゃる。じつはすべての人は、ある意味で病んでいます。病人は医者が必要です。主はお医者さんなのです。
 さて、19、20節は、迷い出た羊たちへの責任の取り方です。19節の冒頭は、「わたしの兄弟たち」で始まっている。「長老たち」と言ってはいません。これは、長老を含んですべての会員、私の仲間への呼びかけなのです。つまりキリスト者としての倫理から離れて迷い出た者たちへの責任は全員に降りかかってくるのです。どう責任を取るのか。「私どもには責任は取れません」と言ってはならない。「その人を真理へ連れ戻すならば、」 20節「罪人を迷いの道から連れ戻す人は、その罪人の魂を死から救い出し、多くの罪を覆うことになると、知るべきです。」
 ここの「罪を覆う」とはどんな意味でしょうか。よく分からないという答えが返ってきそうです。それは当然です。それくらい重い意味が掛けられているからです。
 20節の魂は、命のことです。つまり文字通り、その人の命の終わり、人生の破滅から救い出すためには、こちらも命を掛ける、命掛けなのです。死を掛けた仕事なのです。教会員であるということはそれほど重いことなのです。ですから「連れ戻す人は、多くの罪を覆うことになる」のです。これはその罪を自分が命がけで覆いかぶさって覆うことです。できるはずはないのですが、それらの罪を引き受けて購おうという、出来ない、けれども購おうとする、これが究極の信仰の表現でしょう。主は必ずその兄弟と共にいらっしゃるのです。それを信じなければ信仰とは言えないでしょう。そして終わることない祈りがそこにはあるだろうと思います。
 主の兄弟、エルサレム教会の権威そのものであるヤコブの名前で書かれたこの手紙は、「隣人を裁くあなたは、いったい何者ですか」(4章12節)と言っています。すでにこの世世の価値観に汚染され始めていた地中海沿岸の諸教会の世俗化に強い警告を発しています。そして、ヤコブは、何よりもまず行動で正義を実行することを命じているのです。私どもは、命掛けで生きる信仰を放り出して、理論に逃げこんではならない。世俗化に抗して、ヤコブが薦めるように、「純真で温和で優しく従順な者でありたい」3章17節。ヤコブは、三章の終りを次の言葉で占めています。「義の実は、平和を実現する人たちによって、平和のうちに播かれるのです」
 祈ります。
説教一覧へ