食卓から落ちる
マタイによる福音書15章21〜28節
 2月12日(火)昼前に、あるご夫妻にお会いするために堺東の駅前に行きました。ご主人にお会いするのは初めてです。七〇代前半の、巧まぬ微笑を湛えた上品な紳士です。漏れ聞いていたのは病状が思わしくないとのことでした。いかにも工学部出身らしい実直さを感じました。高島屋奥にある方違い神社の二軒隣りに江久庵というお茶処「利休」に案内されました。私は、以前その店に入ったことがあります。ちらっと菓子類の棚を通り抜けて、店の奥のほのかな明るさを演出した茶室「朝雲庵」と反正天皇陵の借景を見やってから出てきたのです。そのお茶処での昼食ということになりました。奥さまはキリスト者で、フリーメソジスト堺教会の信徒です。お父様が宣教師とともに創立されたとのことです。ご夫妻共に堺っ子、ご主人は日本の古代史に深い関心があります。堺市の歴史も詳しく、奥様の教会の歴史もよくご存知のようでした。私どもは、お祈りをしてから昼食に預かりました。ご主人が教会に通うようになるか否かは予測できませんが、私どもにできることはしなければならないでしょう。
 さて、江久庵の庭には、千利休の茶室が復元されていて、庭もあの時代に近付けているようでした。待合とにじり口の近くに、じつは石造の切支丹灯篭二基があります。ひとつは、下半分がはめ込み式の十字架になっています。つまり、横軸の石が取り外せるのです。普段は横軸の石を抜いていて官憲の目を逃れていたそうです。こんな大胆な発想を取り入れた十字架を初めて見ました。これが堺で発見されたということは、あの切支丹迫害、弾圧の歴史がこの地にも確実にあったという事実を物語っています。
 そういうお茶処で共に食事をしたことが私ども四人にどういう契機をもたらすのか、静かに期待せずにはいられません。
 中世の堺を包囲した織田信長の肉親にキリスト者が続出した事実をみなさんは、ご存知だと思います。日本の戦場での、最初のクリスマス休戦は、信長が実行した事実も興味深い出来事です。
 さて、フィリピンには、黒いイエス像を奉っているカトリックの一派があります。日本でも切支丹美術のなかに聖母子像絵画があって、十二単衣のマリア像があります。
 私が韓国プロテスタントの延世(ヨンセ)大学チャペルを訪れて圧倒されたのは、壁面に描かれたイエスの生涯です。なんとみな韓国人の顔をしていて、その服装もみな韓国の装束なのです。
 現在の日本の場合、東京芸大教授の加藤信朗をご存知でしょうか。彼の画集『イエス伝』は、二千年前のイスラエルを忠実に再現しようとしています。イエスの弟子たちには、白人も黒人もいます。いろいろな人種の共存を水彩絵の具でていねいに細やかに描いているのです。日本画的手法です。
 属する国家や文化が異なっても、公同教会の枝であると確信していることが肝心なのです。それぞれの文化に根を下ろしながらも、外に向けて開かれている、つまり独自性と開放性が同時に存在していながら信仰において一つである。ここにキリスト教が生きている事実があるのです。
 このことを示唆して、可能性を示しているのが、今日のテキスト「カナンの女の信仰」なのです。すでにイエスさまは、ファリサイ派と断食について問いかけられて明快に答えを出しています。さらに十二人の弟子を派遣して、迫害を予告します。安息日に麦の穂を摘んだ弟子たちを見たファリサイ派が訴えています。やがてそんな思いがけない答を出すイエスさまを放置しておけば公的秩序が危なくなると判断したファリサイ派は、「どのようにしてイエスを殺そうかと相談した」(「マタイ12章14節」)のであります。そういう危機的状況の中で、イエスさまは、「そこを立ち去られた」のです。その後、イエスさまは、イエスさまの家族について、「だれでも、わたしの天の父の御心を行う人が、わたしの兄弟、姉妹、また母である」と神の家族についてはっきりと言い切ったのであります。教会に連なるということは、それほど厳しく重い事実なのです。その上、領主によってヨハネが殺されました。
 イエスさま、危うし。
 こうして、15章21節、テキストをご覧ください。「イエスはそこをたち、ティルスとシドンの地方に行かれた。」 22節「すると、この地に生まれたカナンの女が出て来て」へと続きます。
 ここと並行する記事がマルコ伝7章24〜30節「シリア・フェニキアの女の信仰」として登場しています。ここの「行かれた」という意味は、「退かれた」という意味と微妙に重なっていますが、あまり詮索しないで良いでしょう。
 ところで、二つの記事は、地名、人種名共に食い違いが見られます。聖書の裏の地図六をご覧ください。ガリラヤの西がフェニキアです。ティルス・シドンはその北です。その辺りは、現在のレバノンです。が、両者の違いは、大きな問題ではありません。肝心なことは、パレスチではないという事実、すなわちイエスさまが外国に足を踏み入れたという事実です。要するに、イエスさまは、マルコ伝によれば、誰にも見られたくなかったのです。福音書において、イエスさまがパレスチナンから外に出たのは、この時だけであります。いよいよ迫ってくるエルサレムへの入場への魂の準備もありました。
 さて、マタイ伝の「カナン人」とはどんな人々だったのでしょうか。カナン人は、もともとユダヤ人が出エジプトを果たしてパレスチナに足を踏み入れた時に、そこに住んでいた先住民族です。彼らは、元来ユダヤ人と領土を争い、憎み合ってきたのであります。つまり先祖以来の仇敵の間柄であることを考える時、イエスさまとカナンの女の出会いは、出会い頭から緊張を孕んだドラマなのです。その女は、きっとイエスさまについて何がしかを聴き及んでいたことでしょう。その奇跡の力にすがりつきたかったのです。女は、こう切り出しました。「主よ、ダビデの子よ」と。一般のカナン人の女ならけして口に出すべき言葉ではなかったはずです。これはあきらかに仇敵を越えた信頼の言葉であります。続いて「わたしを憐れんでください。娘が悪霊にひどく苦しめられています」。 「娘を憐れんでください」ではない。「わたしを憐れんでください」である。ここには、悪霊に苦しむ娘と一体化した母がいる。これは娘に代わって全身で救いを求める母の身を投げ出した痛ましいまでの謙虚な姿がある。23節、「しかし」イエスさまは、沈黙したままである。それは女への無視でもあり、救いの拒否でもある。なんとも冷淡なイエスさまです。意を得たりと言わんばかり、「そこで、弟子たちが近寄ってきて願った。『この女を追い払ってください。叫びながらついて来ますので』 弟子たちは派遣された時のイエスさまの台詞を思い出していたのです。「むしろ、イスラエルの失われた羊のところへ行きなさい」を。その通り、24節、イエスさまはお答になったのです。「わたしは、イスラエルの家の失われた羊のところにしか遣わされていない」と、派遣の時よりも厳しい台詞だったのです。
 それで終わったのでしょうか。25節、女は引き下がらない。「しかし、女は来て、イエスの前にひれ伏し、『主よ、どうかお助けください』と言った」。 仇敵の垣根を飛び越えて、わが身を投げ出し、救いを乞い願う女に対して、イエスさまはさすがに心を痛めた。
が、お答はこうだった。「子供たちのパンを取って小犬にやってはならない」と。この場合の「子供たち」とは、「イスラエルの家の失われた羊たち」のことであります。つまり迷えるイスラエル人のことでしょう。これを聞いた女は、すかさず次のように答えています。「主よ、ごもっともです。しかし、小犬も主人の食卓から落ちるパン屑はいただくのです」と。小犬は、当時家の中で飼われていた小さな小犬で愛玩用ペットでもあったようです。女は、あくまでも謙虚におこぼれにあずかる小犬に事寄せて、愛する我が娘を助けていただくべく身を投げ出して救いを乞うのであります。これは、同じマタイ伝の8章「百人隊長の僕をいやす」の短編をも強く想起させます。百人隊長は、ローマ人であります。明らかに外国人である。が、これはイスラエルの山の下での出来事ですが、この時、イエスさまはどう言われたか。「はっきり言っておく。イスラエルの中でさえ、わたしはこれほどの信仰を見たことがない。/帰りなさい。あなたが信じたとおりになるように」と。「ちょうどそのとき、僕の病気はいやされた」。 イスラエルの中で外国人と、初めてのイスラエルの外、レバノンでの癒しの短編物語です。この二つの短編に共通しているものは何でしょうか。一つは、百人隊長とカナンの女の従順がイエスさまの癒しを引き出す力になっている事実である。もう一つは、僕の苦しみと娘の苦しみを思いやる隊長と母の病人と共に苦しみ、その痛みを担って震える共感力であります。
 テキストに戻りましょう。28節、「『婦人よ、あなたの信仰は立派だ。あなたの願いどおりになるように。』 そのとき、娘の病気はいやされた」。
 福音書に続く使徒言行録が証ししているように、パウロは、ダマスコへの道のりの途上でイエスさまに出会って劇的な回心を体験したあと、異邦人への使徒として全力を投入して、福音の普遍性を世界化というかたちで実現したのであります。パウロイスパニアの地を踏むことなく、おそらく殉教していったのであります。が、主はその後も先頭に立たれて、伝道を続けてくださいました。
 この日本は世界の最後の伝道地の一つです。
が、私どもは、希望を抱いています。私どもが主の証人として活動し続けるのです。この地球上に愛と平和が実現するように委託された神の家族として、この土師の地から伝道し続けなければなりません。
 ただし、反省すべきことがあります。あの秀吉時代の朝鮮侵略戦争の時、切支丹大名が先陣争いをした事実です。しかも西洋人パードレ(宣教師)が加わっていたという事実も忘れてはなりません。キリスト教の伝道と侵略が同時に行われてきた歴史的事実とはたして関わっていたのかどうか、学問的に突き止める必要があります。近代史に於ける朝鮮伝道と侵略の同時進行の歴史も猛反省しなければなりません。私どもの使命は、徹底的に福音伝道なのです。政治的経済的侵略と福音伝道は、はっきりと切り離して、神の国の到来のために全力投球をしていきましょう。
 私どもは、もはや失われた羊のままであってはならない。良き羊飼いと共に生きる喜びを伝えるべく派遣されているのです。
 カナンの女は、身を投げ出して、救いを乞い願って叶えられました。救いは実現した。
 私どももまた、身を投げ出して、伝道をしていかねばならない。イエスさまに全幅の信頼を置く。その上で全力投球すれば、必ず実現する。その信頼を貫いていかねばならない。
 祈ります。
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