恵みの業と裁き
詩編 33章1〜11節
 新年おめでとうございます。この挨拶は、本来、「芽が出る新しい時ですね」です。
 私ども日本のキリスト者は、巡りくる新しい春、そして夏、秋、冬という循環する季節と、再臨を待つ直線的歴史観とを同時に呼吸しているのです。正月の年賀状の挨拶に「新春を寿ぎます」と書くのも、正月元旦への思い入れがあったうえでの表現であり、新年礼拝も松の内の中での、神様への心を込めた挨拶なのだと思います。
 
 さて、今日は、詩編です。新共同訳の「詩編」は糸へんですが、1955年度版の「詩篇」のへんは、竹冠です。二つの意味がどう違うかは、みなさんが自由にお考えください。
詩篇は全部で百五十篇あります。どんな分野
があるかというと、賛美、嘆き、悔い改め、信仰の確認、知恵そして礼拝式文の部分などです。
 詩篇という言葉の、ヘブライ語のもともとの意味は、歌(うた)です。それが旧約聖書であらためて「詩篇」として纏められた意味は、ヘブライ人(ユダヤ民族)にとっての歌がどんな存在であったのかを明確に語っています。中近東の様々な文学の影響を受けたことは事実ですが、他の文学との決定的な違いがあります。
 それは唯一の神と人間との関係を一貫して歌っているということです。その歌が神に対する人間の側からの信仰に基づいている。ということは神が人間に与えた契約の歌として聖書に収集したのです。これらの歌は、現在の私どもにとっては、抒情詩です。人間の喜怒哀楽を基盤にした宗教的抒情詩なのです。が、正直に言いますと、一般日本人には馴染みにくい分野なのです、唯一神という捉え方そのものが理解しにくいからであります。
 小学校の低学年の頃、私の家は商売人であり、米穀肥料燃料石炭ガソリン販売業でした。父は早起きで、毎日朝五時には、たたき起こされました。店の内外を掃除したあと、大きな神棚、仏壇、その他の神様たちの小さな神棚など十数か所にお神酒や白米などを奉げてからお祈りをしました。神々の賑わう店でした。幼い私は、そこに何らの宗教的疑問を抱いていません。神々と仏に包まれていることは、ごく当り前の日常風景であったのです。
 高校時代に入って、多神教と唯一宗教の文化的相違点を自覚するようになりました。スカンジナビア系アメリカ人宣教師に率いられた福音自由教会で洗礼を受けた私は、歴史とはヒストリーであり、ヒズ・ストーリー、すなわち彼である神の物語であると教わった時、学校の授業で教わる学問的歴史観を打ち破る、きわめて新鮮な思いがけない世界に目が開けたのであります。すなわち歴史以前の原初の原初に創造された宇宙から始まる救いの物語という魅力的なできごとなのです。しかしながら、まだ詩篇の詩の花束に心奪われたことはありませんでした。萩原朔太郎や中原中也や立原道造や宮沢賢治の詩のほうがはるかに魂を揺さぶってくれたのです。唯一なる神と私の対峙(向かい合い)を通して深める信仰と、詩篇の魅力は容易には結びつかなかった。
 詩篇からは、固い倫理的匂いばかりが前面に迫ってきて、抒情詩という実感が迫ってこなかった。
 大学生になって、日本キリスト教団に転会してから、信仰とは、神を原点とする縦軸と水平軸の表の上に自分をどこに位置づけるのかという営為(営み)のことだと自覚してから、詩篇の中のいくつかの詩が思いがけない時に胸に沁みこんだりするのでした。
 五十代に入ってようやっと詩篇に対して違和感が少なくなり、とくに構えることなしに唯一神教的な文学作品として読み始めたのであります。
すると、琴を奏でながら歌われた、あるいは朗読、あるいは暗誦される作品としての詩篇が、新しい表情をもってせり出してきたりしました。翻訳された詩の文体をもなんとか受け入れられるようになったのです。
 全作品がダビデのものでないという見解もありますが、それにも拘らず、全編をすぐれた政治的王、琴の名手であるアーティスト、詩人ダビデを思い描きながら、詩の海に身を委ねて、読み進めていくと、ユダヤ民族の歌が、いかに唯一神信仰に結びついた宗教的抒情詩であるかが分かってくるのです。
 それでは、詩編33編をご覧ください。1から3節は、賛美です。冒頭の第1節、「主に従う人よ、主によって喜び歌え」。 「主に従う」ということの内実を知らない限り、当然喜びはない。つまり信仰者でない限り、ここに表現された世界を理解できない。2行目の「正しい人」とは、信仰者という意味なのです。一般の日本人には、この意味は分からない。きわめて道徳的、倫理的に図式的に理解して反発さえするだろう。ユダヤ教社会においては、宗教的正しさとは、神との契約をまっすぐに受け入れるという意味なのであります。この事実がそのまま抒情詩として通じる。こういう文化感覚に馴染むまでには、私ども日本人は、相当の時間を費やさなければならないだろう。しかし、音楽を伴った宗教的信仰的世界は、たとえば四国遍路が歌うご詠歌(巡礼歌)を思い浮かべれば少し想像がつくのである。あるいは、鴨長明の『方丈記』のラストシーンにもこれに近い光景が描かれている。西山の夕焼けを見やりながら、琵琶を奏で阿弥陀如来の来迎を思い描く場面です。
 4節は、「主の御言葉は正しく」、この場合はどうだろうか。これは「まっすぐに真実」という意味である。だから「御業はすべて真実」と呼応するのです。「正しさ」と「真実」はたしかに呼応関係にありますから理解しやすいでしょう。
 そして五節、「主は恵みの業と裁きを愛し」、ここは分かりにくい部分ですね。正しさと真実、正義と慈しみ、これらは、一体化しているのです。ここを読んで恐れる人は、信仰がない人である。信仰者は、主の恵みの豊かさを絶えず実感する。5節にあるように、悪しき者ものへの正しい裁きを望んでいる。ただし、自分ら信仰者は、彼らとは違っていると考えているならば間違いです。信仰者である私どもまた裁かれる。が、その裁きとは、神に立ち帰らせるための裁きなのです。そうでなければ、「裁きを愛し」という表現はあり得ない。
 6節、「主の御言葉によって」は、「主の口の息吹によって」と同じです。これは主の御言葉、行動する御言葉のことであります。続く「天の万象」とは、太陽、月、星のことであります。
 ここを読めば、天地創造の物語が浮かびあがるでしょう。「光あれ」という言葉によって、「こうして、光があった」。言葉がそのまま力なのです。神の息が風であり言葉であり、神の霊でもある。とすれば言葉とはそのまま力なのです。こういう神の御言葉に接する信仰を失っているのが、現在の世界です。まっすぐな信仰を奪い返さねばなりません。
 そのためには、できる限り時間を割いて聖書を紐どきましょう。神の言葉に聴く習慣を身につけましょう。その訓練を繰り返し繰り返しし続けることを通して、詩編の一編ずつも、全く新しく姿をもって迫ってくるのです。
 み言葉を朝ごはんのように毎朝食べていますか。食べていないとすれば、何が原因かをていねいに考えてみる必要があります。が、その後が大切です。その原因の責任を自分以外の外側に押しつけたら失敗です。歯と舌で食べて、味わうことが基本です。神の言葉によって生きる姿勢を確立できない人には、聖日礼拝の説教を通して神の御言葉を食べることができないでしょう。
 福音書を思い出してください。「パンだけで生きるのではない。神の一つ一つの言葉によって生きる」のであります。ここが分かるならば、一挙に聖書の言葉が私どもの魂に沁みこんでくる。
 8節。「主を畏れ」とあります。この意味は、主が全能であることを知り、主の御前で自分を省みることです。後半の「おののく」は、全身が震えることです。自己主張ではなく、限りなく謙遜になっていくこと、ちっぽけな存在である自分を受け入れる、それは主の全能を信じることによって、逆に慰められ、満たされることなのです。
 こんなことが分かってくると、人生ずいぶん楽になります。穏やかな気分になれる。そして現代の人間がいかに闘争的で嫉妬と怒り、競争に駆り立てられているかを実感するのです。これをもって人間の本質だと思い込んでいるのではないでしょうか。何がなんでも。私、私が、俺が俺がという側面があるにはありますが、あれは本質ではない、私中心の自己に辟易して、嫌気をさしている人のほうが多数派ではないでしょうか。
 それよりも誰かのために役に立ちたい、誰かが、隣人が喜ぶのを見てうれしく思うのも人間ではないでしょうか。むしろその方に生きる喜びが溢れるのではないでしょうか。
 もう十年以上も前になります。現在も続いている埼玉YMCプログラムにフィリッピン・ワーク・キャンプがあります。開発が遅れている農村、漁村に出かけて行って、現地の若者たちと一緒になって、村に橋を造ったり、公民館の建物を建てたり、村にトイレを掘ったりしています。ある年、国立地方大学の男子学生が遊び気分で参加しました。バナナがたわわになっているフィリッピンの海辺でのんびりできると思っていた目算は、はずれてしまった。苛酷な労働が待っていたのです。彼の考えていた遊びながらのボランティアではなかった。大工や道路工事の技術などと全く無縁な小学校教師養成課程の卒業年を迎えていた彼は、絶対的貧困の村人や子供たちの現場に放りだされて、何もできない自分の無力さにうちのめされ、頭を抱えて泣き出してしまった。
 三日後、その日の労働を終えた彼らのまわりに何時もの夕方のように子供たちが集まって来て、彼らをじっと見ている。言葉は通じない。お互いににできることは笑うことだけだった。その時、例の先生希望の彼は鋸を持ち出してきて、木の枝を払って、大きな枝だけを残し、そこにロープを吊るしてその先端に板切れを結び付けた。きわめて単純なブランコ。彼は、そのブランコに乗って漕ぎ出して見せた。子供たちは、歓声を上げて、我先に飛び付いた。笑顔笑顔コーフンコーフンの海になった。その時、子供たちを見ていた彼の顔がみるみる歪んで泣き出したのだ。
彼は、夕食あとの反省会で、しゃべり出した。今まで人のためになることをしたことがなかった。というよりそんなことできると思ってもみなかった。とっさに思いついたことをしただけなのに、あんなに子供たちが喜んでくれた。俺は生まれて初めて人のためになった。俺にできることが実はいっぱいあるんだと気がついたんだ。あの子たちが生きる喜びを教えてくれたんだ。
 その後、彼が教師になれたかどうかは分かりません。が、教師になれなかったにしても、彼は、新しい出発をしたのです。
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 5節、「主は恵みの業と裁きを愛し/ 地は主の慈しみ満ちている」とあります。地上の一人一人を手のひらに刻んでおられる主は、裁くことによって謙遜になるようにしてくださっているのです。そして主の慈しみに気がついた時から新しい出発をするのです。ですから恵みの業と裁きを「愛し」とダビデは歌っているのです。
 救われた私どもがなすべきことは、三節のように、「新しい歌を主に向かってうたい/ 美しい調べとともに喜びの叫びをあげる」ことなのです。
 2013年の1月、この一年も共に前進して行きましょう。祈ります。
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