栄光と平和
ルカによる福音書二章八〜二一節
 おとつい、十二月二一日(金)は、冬至でした。太陽の死と再生を願って常緑樹の神聖なモミの木に祈った冬至祭りが、やがてクリスマス(キリストのお誕生日)と定められたのであります。
 襲ってきた寒波の中、妻と私は、中之島の国際美術館で開かれているエル・グレコ展に足を運びました。
 みなさんは、画家、エル。グレコをご存知でしょう。キリスト教の聖画で世界に名を轟かせている一六世紀を代表するスペインで活躍した画家です。
 真っ先に驚いたことは、何故見に来る人がこんなに多いのだろうということでした。グレコと言えば倉敷大原美術館にある「受胎告知」が有名であり、人々がみな二等辺三角形の中で、天上を見上げている独特の構図の聖画が思い浮かびます。
 グレコは一五四一年、ギリシアのクレタ島生まれであることを初めて知りました。しかもエル・グレコは本名ではなく、ギリシア人という意味の愛称なのです。本名はドメニコス。テオトコプーロスです。青年期には、すでにイコン画家として活躍した後、イタリアで修業してからスペインに行き、大活躍します。
 国民の大部分が文盲であった時代、聖画は現在のテレビヤ映画の映像と同じ目に訴える力を持っていました。しかも、聖書の世界を分かりやすく、美しく描く義務があったのです。それで納得したことがあります。ペテロ、ヨハネ、パウロさんたちが、皆ハンサムなのです。高貴な気品も兼ね備えていて、とても獣の腰布をまいて、イナゴを食べていたとは思えません。あるいは筋骨逞しい実直無骨な漁師には思えません。肉の棘に苦しむテント職人には見えません。少なくとも頭と顔は、一様に白と黒を基調にした美貌の青年たちなのです。ただ、イエスさまの誕生現場に招かれた羊飼いたちだけは都市定住を拒まれ、野宿して羊の寝ずの番をしていた労働者の姿でありました。
 現在の私どもは、幸いです。聖書を日本語で読んでいます。必要なら原語でも読めます。日曜日毎の礼拝も日本語です。教会を通じて、さらに自分の想像力を通して、聖書の世界を思い描くことができます。ですから十二弟子全員がハンサムなんて思い描くことはないでしょう。
 私がグレコが大好きな理由は、聖画であるよりも、構図や色彩、線が造り出す絵そのものに興味があるのです。あの夥しい鑑賞者の群れは、聖画に引き寄せられる巡礼の一行だとは思えません。彼らにとって、グレコの魅力は何処にあるのでしょうか。
 大阪のホテルやデパートはクリスマスの賑わいでした、帰りに買った梅田大丸の鰻弁当は、大きなクリスマスデザインの紙袋でした。鰻弁当とクリスマス・ツリーを描いた大きな紙袋との取り合わせは、いかにも日本のクリスマスシーズンの風景だと思います。あまりにも立派な紙袋なので、クリスマス・カードと一緒に家の牧師館の壁に吊りました。
 さて、日本に於いて、文学や哲学や思想界では、一般的に、神の誕生や神の死という問題を取り上げる場合の「神」は、キリスト教のイエス・キリスト像は、ほとんど考えないだろうと思います。
 しかし、私どもキリスト教徒は、人間の歴史の現実の中に、肉の形を取って現れたイエスさまが私どもの救い主(キリスト)である、と、告白しています。が、イエス教徒とは言わないのであります。すなわち、暗くて、ろくでなしで救いようがない私ども人間を、自分の命と引き替えに解放してくださった救い主であると告白しているキリスト教徒なのです。
 この信仰を支えるものが教会です。教会は、外観的には、この現実の世界に建てられた建築物です。が、キリスト者にとっては、神の身体なのであります。譬えで言うと、キリストは、葡萄の木であり、信徒はその枝なのであります。ということは、私どもの身体の中にイエスさまが住んでおられるということです。もったいないことですが、ほんとうなのです。
 そのイエス様が生まれた二千前、ユダヤはローマ帝国の支配下にありました。皇帝は、アウグストウスと呼ばれていました。アウグストウスとは、ローマ皇帝に贈られた敬称(尊敬する呼び方)です。意味は、崇敬するおかた「崇拝して尊敬しているお方」です。俗に、「生きている神」であります。当時皇帝は、オクタヴィアヌスでした。
 一方、イエスさまは当時見向きもされなかった寒村ベツレヘムの、旅籠でもない、家畜小屋でお生まれになりました。インマヌエル(神共にいます)という名前を与えられて。
その小屋さえない場合には、洞窟を宿屋代わりにしたようです。磐だらけのベツレヘムなのです。だから納得したことがあります。
 三年前、ベツレヘムを訪れました。現在パレスチナ自治区の一つであります。そこにイエスさまの誕生教会があります。歴史的証拠はなく、あくまでも伝承の地に建てられた教会です。が、文字通り、穴蔵に突進する無数の蟻の軍隊のような、世界中からの巡礼で一杯でした。その穴蔵に磐を刳り抜いたような小さな岩船がありました。こんな冷たい磐船の中に、寝かされていたのでしょうか。伝承の世界とはいえ、暗い、冷たい、見捨てられた貧しいその現場にお生まれになった救世主を思い描きました。
 ローマ皇帝とイエスさまをこうして対比的に登場させたルカは、演出家の才能があります。富と権力と武力の皇帝と生まれたままの裸そして母がくるんでくれた一枚の布、非暴力と平和の中の嬰児イエス、なんという取り合わせでしょう。
 お祝いに駆けつけたのは、東の占星術の学者たちと、天使に招かれた羊飼い労働者だけです。
 このイエスさまがその後、どう生きたかは、みなさんがご存知の通りです。武力(剣)そのものであったローマ皇帝と人間の心に平和の砦を築いていったイエスさまとは、根本的に異なった存在なのです。
 ローマの武力によって葬られたイエスさまは、まったくの社会的弱者ですが、そのイエスさまは、甦えられたのです。永遠の命を得て生きて働いておられます。
 天使に加わった天の大軍の讃美「いと高きところには栄光、神にあれ」とはどういう意味でしょうか。処刑され、死を死んだイエス様は、全ての人の罪を背負い込んで人間の代わりに死んでくださった。それだけでも涙せずにはいられないのに、死と戦って勝利された。復活されたのです。社会的弱者としてなぶりものにされたイエスさまは、ほんとうは強者であったのです。この世の価値観をひっくり返して止まなかったイエスさまらしいドラマの終わりと始まりなのです。
 この暗い世を照らすまことの光、真理そのものであります。さあ、イエスさまと共に平和の砦を築いて行きましょう。ハレルヤ。
説教一覧へ