キリストの内に
フィリピの信徒への手紙3章2〜11
 ちょっきりクリスマスの一ヶ月前になりました。
 土師教会が創立されてから83年目の誕生日が来月12月24日です。クリスマス・イヴです。七人の小人、七人の侍ならぬ七人の初代キリスト者です。純農村であった土師村に伝えられたキリスト教が、軍国主義、戦争、敗戦、戦後民主主義を、どのように生き抜いてきたのかは、うっすらと、『土師教会80周年史』で辿れそうですが、詳しいことは、分かりません。そろそろ本格的な土師教会史を編集すべき年になっているのではないでしょうか。関係者が生きている今がチャンスかもしれません。
 さて、この一週間、急速に冷え込んでまいりました。おとついの金曜日、京都へ行きました。わたしの就任式にも来てくれた、妻の従姉妹のフェルトの織物デザイン展覧会を見た後、京都御所を妻と二人でそぞろ歩きました。ぱらっと雨が降る晩秋の昼下がり。驚くほど背の高い公孫樹に思わぬ所で出っくわしました。ここに、ここにも、こんな公孫樹があったっけ。ここに、ここにも、こんなモミジが紅葉していたっけ、と、何度も思いました。学生時代から半世紀以上も京都に親しんできたのに、初めてなのです。
 天を突く公孫樹は、はらはらと落葉して、一面の真っ黄色な絨毯が地上に同心円を広げています。観光客もまばらで皆さん圧倒されて、黙ったまま申し訳なさそうに絨毯の上を忍び足で歩いたり、カメラを向けたりしています。無言のまま、喜びの輪が広がっていきます。公孫樹もモミジもどうしてこんなに美しいのだろう。わたしの体全体が喜び、無言の魂になっていく。妻も無言の魂になっているのが伝わってくる。
 そこにまたしても、はらはらと散ってくる公孫樹やモミジ。若い日も京都のあちこちに紅葉狩りしたのに、楽しかったのに、今日の紅葉とはまったく違う。何故か。老いるとは、感動して泣きたいぐらいなのに言葉を失ったまま、美しさに、呑み込まれることなのだろうか。同時に、魂は、しみじみ感じていたのです。「生きている。今日、今、私は神さまに生かされて生きている。言葉を失って泣きたいぐらい、しみじみ感じている」と。
 その時、ふと、はらはら、舞いながら散ってゆく公孫樹の小さな声が聞こえてきました。
 「さようなら、みなさん、ありがとう」
 すると、妻がいぶかりながら私に言いました。
 「何か言った?」
 東の方角に出口の門が見えてきました。
 同時に思い出しました。ヨーロッパの修道院では、何時も、「死を覚えよ。常に死を覚えよ」と唱えます。
 こんな不思議な散歩でした。また、音もなく小雨が降り始めました。
 土曜日の朝日新聞の朝刊は、京都東福寺の昨日のモミジを、「十年に一度の美しさ」と寺の声を伝えていました。
 じつは、この一週間、立て続けに二つの電話を聞いて、わたしの心は痛んでいます。土師教会の礼拝に出席してくれた愛媛と東京の教え子の二人の女性が、ほぼ同時に蜘蛛膜下出血で倒れたのです。二人ともまだ五十代に入ったばかりです。一人は意識不明のままだそうです。
「牧師として祈ってください」
 この言葉の重圧の中にいたのです。 
 「常に死を覚えよ」というあの厳粛な言葉を唱えてこそ命の輝きを自覚できるのです。
 さて、今日のテキストは、フィリピの信徒への手紙3章2〜11節です。
 フィリピ教会は、パウロが初めてフィリピを訪れた第二次伝道旅行の時に創建されました。そこはヨーロッパとアジア、西と東を分ける丘陵地帯であり、同時に西と東を結ぶ重要な戦略上の地点であった。パウロが伝道基地としたのは、いつも軍事上の要地であり、ローマ帝国の植民都市とも重なるのであります。
 そこに建てられたフィリピ教会は、散らされたユダヤ人キリスト者、ギリシア文明に育てられたギリシア人キリスト者、様々な人種の奴隷階級が織りなす、多言語、多文化の教会であった。それ故、教会の内部には、色々な問題が起こった。ギリシア的哲学とキリスト教の福音が混合して、パウロが伝えた福音が歪められ、内部に党派的行動が目立ち、とりわけ性的乱れが教会の調和を壊し、内部分裂まで起こっていたようです。その間パウロは、おそらく三回に亘って懇切丁寧な手紙を書き送った。それらの手紙が後に編集、構成されて今日の姿になったのであります。
 そのため少々構成的にずれがあったり、論理が非連続になったりしています。が、三本の手紙を一貫しているパウロの福音論理と信仰理解に乱れはありません。
 まずは、1章の20節を再確認しましょう。
 「これまでのように今も、生きるにも死ぬにも、わたしの身によってキリストが公然とあがめられるようにと切に願い、希望しています。」 21節、「わたしにとって、生きるとはキリストであり、死ぬことは利益です」と断定しています。人間の生き死にを信仰によってはっきりと捉えており、あまりにものきっぱりとした断定に怖じ気づいてしまう者もいるに違いありません。しかし、生きるのも主のため死ぬのも主のためと言い切る境地に立ってみたいと思うのは、キリスト者なら当然ではないでしょうか。今日はその辺りのことを探ってみようと思います。
 ここまで公然と言い切ることによって、私どもはキリストものであると言えるのです。
 現代のいい加減なキリスト者は、自分の精神的な慰めのために信仰しているとか、宗教はそのために必要なのだだとかいう説明はまったく無意味です。何度も繰り返しますが、精神と物質とか霊と肉とかいう二元論的なものの考え方は、キリスト教の考え方ではありません。
 3章1節では、「わたしの兄弟たち、主において喜びなさい」と言っています。冒頭、信仰共同体へ呼び掛けているのであります。
 生きていることが、どんなに悩みが多くても、悲しみに囚われていても、それが避けられないことである以上引き受けていかねばならない。ただし、だからといって人生は仕方がないもの、結局こんなものだと結論づけるのはまちがっています。
 キリスト者の信仰は、生きるにも死ぬにも、悲しみ悩みを通してそこにキリストを実感して、生きていることはすばらしいことなのだと告白して、共感され、讃美してもらう時点まで辿り着かねばならない。信仰は甘くありません。そういう在り方をパウロは、「主において喜びなさい」と言っている。
 さて、次の2節から論調が激しく変わります。2節には、「あの犬どもに注意しなさい」とあります。現在の日本でも「あいつは××の犬だ」という軽蔑表現があります。類語表現としては、「あいつは××の腰巾着だ」という軽蔑表現もあります。さらに、「よこしまな働き手」という表現は、全面的否定です。
 この2節だけで彼らがどういう群れであるのかを明確にすることはできませんが、おそらくユダヤ人キリスト者でしょう。しかもユダヤ教律法主義に縛られている群れのことと思われます。キリスト者になっても依然としてユダヤ教の伝統から解放されることなく、割礼を信仰の絶対条件としている群れ。つまりユダヤ教民族主義を清算できない頑なな群れです。パウロは、二節、「切り傷にすぎない割礼を持つ者たちを警戒しなさい。」 3節、「彼らではなく、わたしたちこそ真の割礼を受けた者です」と言う。私どもこそ神の前に立つ、キリスト・イエスを誇る信仰者なのだと確信して、彼らを断罪し切り捨てています。真の信仰とは、六節以下にあるように、自分の業績、財産、名誉、そのたの肩書き一切のものは、8節、「塵あくたと見なします」ということです。 
 この世を去るとき、私どもは何も持っていくことはできない。そうです。何も必要ありません。裸で生まれて、何も持たず、素っ裸のまま、神の前に立つことこそ真の信仰の姿なのです。貯金も不要です。神から与えられた義だけを纏って立つ、その時、九節、「キリストを得、キリストの内にいる者と認められるのです」。 であっても今日、今、私どもがこの次元に達成しているとは言えない。パウロも12節で、「既にそれを得たというわけではなく」と言っているのです。が、信仰者は、ここまで志ざさねばなりません。だからこそ信仰は、自分で持つものではなく、あくまでも神さまから与えられるものなのです。
 さあ、ここからがキリストに拠る贖罪と復活信仰の精髄です。死者が生き返るだけならば、他の宗教にもたくさん例があります。ラザロも生き返りました。が、キリスト教の復活とは、そういう一時的な現象のことではありません。イエスさまは、政治犯としてもっとも残酷な十字架に掛けられ、処刑され、まったき死を死んだのであります。その死からの復活は父と共に永遠に生きることであり、現在今も私どもに神の国へと招いてくださっているという事実なのです。
 これを信じることが信仰です。この復活を信じることは、絶望を越えて生きることです。この喜びを手にしているのがキリスト者なのです。私どもは死の向こう側にジャンプした者なのです。10節「わたしは、キリストとその復活の力とを知り、その苦しみにあずかって、その死の姿にあやかりながら」生きるのです。ことに死の苦しみに預かることが大切であって、信仰の喜びは苦しみをも引き受ける雄々しい生き方を貫くことです。ということは殉教しない殉教を生きること、すなわち命懸けの伝道が私どもの仕事なのです。
 晩秋の小雨の中のただならぬ美しい紅葉と落葉の現場に佇んで想起した「死を覚えよ」というあの言葉は、じつはものごころ付いた者すべてが聞くべき言葉なのです。やがては死すべきすべての人間が、死を覚えることによって、逆に命の輝きに目覚めなければなりません。生者と使者を共に見守っている主に導かれる喜びの信仰を、力強く前進して行きましょう。
 信仰共同体である土師教会に祝福あれ。
 祈ります。
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