あなたの家族も
使徒言録16章25〜34節
 先週の月曜日、10月22日、妻と私を乗せて不動産会社のお人好しの社長さんは、奈良から長岡京を目指して北上していました。向かった所は、数か月前まで、ある未亡人が住んでいた家です。鍵を開けて真っ暗な部屋に入り、ボタンを押すと、シャッターが上がり、ぱあっと秋晴れの光が満ちて、松や石灯篭の日本庭園が広がっています。豪邸。どの家具もどっしりとした高価なものばかりで、どうして息子さんが引き取らないのか不思議でした。何を持って行ってもよいとのことです。
 実を言うと、私どもが、ようやっと手に入れた生駒市のアトリエは、冷蔵庫や洗濯機は、もちろん、テレビもありません。布団は大和郡山市のニトリで買った一番安い物と知人からもらった古布団を使って二回寝てみました。
 そんな私どもですから、この豪邸に入って圧倒されました。あれもこれもほしい。この机と整理タンスは、教会に持って行きたいなどと思いましたが、小さな一トントラックでは運べません。それでも机と椅子と水屋、冷蔵庫、食器、英語、ドイツ語、古語辞典、男の礼服上下、ズボン、冬ものの男の背広などをいただいてアトリエに戻りました。個人情報の秘密を守るため、あとは一切合切廃棄処分するのだそうです。返す返すもったいない。
 ここのご主人は、有名企業の副社長を経て、某国立大学の工学部教授を務めた後、定年退職。直後体調を崩して亡くなったそうです。
 私は、帰る間際、書斎の中に、新共同訳の聖書一巻を見つけました。相当読み込んだあとがあるので、社長さんに聞きましたが、クリスチャンではなかったようです。表紙裏には、びっしり書き込みがあります。キリスト教への共感者または同伴者であったかどうかも全く分かりません。が、奥様も息子さんもこの聖書を手にしたかも知れませんが、持って帰らなかった。捨てられていたのです。私どもには、ここの主人がどういう方であったのかは何も分からない。聞かないことが礼儀でしょう。学歴、教養、財産、社会的業績は残されました。が今ここにあるのは、孫たちが使ったチャイルドシートやジクソーパズル、玩具の山、ビデオ、膨大な研究資料ファイル、そしてアルバムなど。今それらの人生の思い出が消滅しようとしている。ここのご主人の内面の世界の営みは、家族でも分からなかったことでしょう。その聖書を私は持って帰りたかったのですが、思い止まりました。これらの物はすべて、火に投ぜられるでしょう。
 そして、あの家には、知らない家族が入居するでしょう。
 一昨日は、クリスマス礼拝で使うかもしれない?燭の使用について消防署に聴きに行きました。このあたりでは、届け出る必要がないことが分かりました。その帰りに土師共同墓地を歩いてみました。戦没者の平和への声なき声を忘れないための鐘がありました。鐘を鳴らし、膨大な死者たちの声を聞こうとしましたが、なかなか難しいようです。
 あの豪邸の亡くなられたご主人であれ、この共同墓地に葬られた膨大な人々であれ、一人一人が人生の重さを噛み締めながらこの地上を歩いてきたのです。しかし、一人一人が自分の人生を書き残すことはほとんどありません。他者が書き残してくれることもほとんどありません。これが庶民の歴史なのです。
 残されたものは墓だけです。が、モーセの墓はどこにあるでしょう。イエスさまのこれだという墓もありません。日本では、室町時代でさえ、身分が高くない僧侶たちは、死ぬると橋の下や川辺に捨てられたのです。民衆の墓が一般化したのは、江戸時代になってからです。
 こういう私どもの姿を、神様は、いつも見ていることでしょう。私たち生者は、私どもの人生をしっかり見つめながら、生きていることを喜んで生きて行かなければなりません。 しかし、どうやって。
 それを考える一つの強力なきっかけが、今日のテキストの箇所なのです。
 私どもは、イエスさまに救われた喜びによって生きている。イエスさまを証しする伝道を使命感として持っている。
とは言っても、「では、昨日伝道しましたか」、 「今日、イエスさまに喜ばれるどんな行動をしていますか」、 と聞かれたら、どう答えるでしょうか。
 分かっているけど、でもねえ、なんて口ごもってしまわないでしょうか。
 それは、なぜか。救いの感動が失われているからです。救いは行いによって決まるのではない。上から注がれる一方的な恵みによって救われたのだ、というあの生き生きとした救いの喜びを取り返さなければならない。そして伝道せずにはいられない次元で生きて行かなければならない。
 パウロが命がけで伝道したのは、救いがユダヤ人だけのものではない、全世界の人々のためにあると確信していたからです。この喜びを伝えようとしてローマ行きを実現しようとしたのであります。
 今日の箇所は、パウロの世界伝道の旅をしているフィリピで、16節「祈りの場所に行く途中、占いの霊に取りつかれている女奴隷に出会」った。その女の霊を追い出した結果、その女の主人たちの恨みと怒りを買い、捕えられて広場へと引き出されて、パウロとシラスは衣服をはぎ取られ、何度も鞭打たれ、挙句の果て一番奥の牢に入れられ、木の足枷を嵌められたのです。19節「主人たち」と主人が複数いるのは変だなあと思いませんか。
おそらく女奴隷の怪しげな呪文や叫びを利用して、神様のお告げだと言いふらしてぼろ儲けしているアウトロー的な男どもが眼に浮かんできます。いかにも自分らの言い分に理があるような訴え、20節「ローマ帝国の市民であるわたしたちが受け入れることも、実行することも許されない風習を宣伝しております」 
 いかにも整然とした論理のようでありますが、これは方便にすぎません。キリストの福音を伝えることは、外側から見れば、異端宗教の宣伝に見えるでしょう。が、この男どもの占いは、インチキ臭い、危ない商売です。
 こういう論理で取り締まれば、ほとんどの問題は法律の名に於いて、したい放題です。だいたいローマ市民であるパウロやシラスがこんなことを知らないはずがありません。
 そして、25節以下がこの物語のクライマックスです。パウロとシラスが賛美の歌をうたって神に祈っていると」、26節、「突然、大地震が起こり、牢の土台が揺れ動いた。たちまち牢の戸がみな開き、すべての囚人の鎖も外れてしまった」とあります。
 さて、これほどの大地震であったのに、どの文書にもこれに当たると思われる地震の記録が残されていません。例えば、日本の鴨長明の「方丈記」には、平安京を襲った大地震や火事などの描写と世の無常が、重ねられています。フィリポあたりは地震地帯です。地震は珍しくありません。ここで注意したいのは、石造建築は地中海文明の代表の一つでありますが、二千年前、いかにローマの建築技術が優れていたとは言え、植民地都市の隅々まで完璧であったかどうかは分かりません。囚人を放りこむ牢は、ぞんざいなものであったでしょう。牢は、ほとんどの場合、二四節に、「いちばん奥の牢」とあるように、部屋と思えばよい。部屋と部屋は、監視しやすいように木材で仕切られていたようです、つまり縦横に材木を組み合わせた格子枠だったのです。プライバシーなぞまったく考えられない時代のことです。24節の「足枷」は、拷問のための刑具で、ずっと後のことです。この頃は、この格子枠に結わえ付けられていた。縛り付けられていたのです。これで、木の戸が開き、鎖(じつは縛った紐)が外れた場面も想象できるでしょう。
 ところで、この時代の看守の規則がどんなに重いものであったか、驚きですね。自殺はあちらの世界でも珍しいのですが、ここまで責任を取らされたのです。大失恋の果てに毒蛇に喉を噛まして死んでいったクレオパトラとは決定的に違っているのです。
 だからこそ、この状況の中で脱走しなかった彼らに失神しそうなくらい驚愕した看守は、29節「パウロとシラスの前に震えながらひれ伏し、」30節「二人を外に連れ出して言った。『先生方、救われるためにはどうすべきでしょうか。』」31節「二人は言った。『主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたも家族も救われます。』」32節「そして、看守とその家の人たち全部に主の言葉を語った。」どのように語ったのかは、聖書には書かれていません。が、私ども土師教会の信徒にはその内容は、想像できます。今度は私ども一人一人の番なのです。伝道は、各々一人一人がなすべき仕事なのです。パウロに見習い、自信をもってすべての人に福音を伝えねばなりません。
 この看守が、どんな顔で、二人からの主の言葉を聴いたのでしょう。目を大きく開いて、耳をそば立てて、心を集中させて、一つ一つの言葉を食べさせていただいたのに違いありません。
 私どもが洗礼を受けた日、もうその時の牧師の言葉一つ一つは思い出せませんが、水の中から飛び出してジャンプしたような、あの鮮烈な感動は忘れられない。
 テキストに戻ります。33節、「自分も家族の者も皆すぐに洗礼を受けた。」 34節「神を信じる者になったことを家族ともども喜んだ。」とあります。
 家族制度が頑丈だった古代ローマでは、家長の権限は絶対的だったのです。ですから家族全員が洗礼を受けるのは比較的たやすかったとも言えるでしょう。が、「家族ともども喜んだ」とある以上、その時にみんなで喜びを共有しているわけです。
 日本でもキリシタン大名の時代には、殿さまが入信したら、家来もその家族も入信したのです。その現象をすべて封建制の結果だと結論することはできません。キリスト教は、人間の生き方の根底的な変革をもたらしたのです。細川ガラシア夫人を想起すればお分かりでしょう。自分の屋敷に火を放って自害した徹底的な献身から、私たちは多くのことを学べるはずです。生き方の根底的な変革が、この看守の一家にも起こったのです。
 あの長岡京の屋敷を私が訪れることは、もうないでしょう。たった一時間、お邪魔させていただいたあの屋敷に残された聖書一巻、書載の書籍のゴミのような山の中から、どうして聖書一巻がわたしの目の中に飛び込んできたのでしょうか。きっと神さまが開いてごらんと私に呼び掛けてくださったのだと思います。そして表紙裏のあの書き込み、あれはご主人の魂の小さな叫びではなかったのか。
 もしかしたら、イエス様はご主人に何かを語り掛けたように、この私自身にも語り掛けているのではないでしょうか。
 きっとこの国における伝道とは何かをめぐるあたりにそのヒントがありそうな気がします。私どもは、異なった多くの価値観の中に過ごしています。価値の相対化の世界の中で、「神を信じる者になったことを家族ともども喜んだ」と言える日の到来を最後までしっかりと確信して生きていきましょう。
 若い世代であれ、老いていく世代であれ、圧倒的な主の恵に包まれて一日一日を生きているのです。主に栄光あれ。祈ります。

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