羊を飼いなさい
ヨハネによる福音書21章15〜21節
 9月29日(土)、関西大学の教養講座「生駒の神々 民俗宗教の姿」と題する宗教社会学者の講演を聞きました。大阪府西部の生駒山系は、その全体が横たわる龍であり、霊地としての水系でもあるらしいです。みなさんもご存知のように、一つは、生駒南部の信貴山中心周辺、朝護孫子寺、岩戸神社など。一つは、生駒東部のケーブルカーの周辺、宝山寺、岩屋の瀧大聖天、天光寺など。一つは、石切周辺の石切神社など。これらの一大聖地で宗教法人格の施設は、四百もあるそうです。仏教、神道、修験道、キリスト教、その他、諸宗教市場の観を呈しています。年間延べ、1千万人が訪れるそうです。近年は、減少しつつあるとはいえ、六百万人は下らないということです。聖天さんの石段に沿った脇に並んで立っている寄付金を刻んだ石札の最高額は、なんと一億円です。二位が五千万円です。私どもの教会の献金と比べることはナンセンスと言っていられません。ドキドキワクワクしませんか。
 さて、妻と私は、石切には一度だけ訪れたことがあります。まるで占い街道でした。日本最大の占いセンター。正直言って馴染めない、というよりもわたしたちの体質には合わない。遊びとして割り切るほど楽しそうではなかった。
 これらの宗教施設の中で、韓国系あるいは在日コリアン系が60もあるそうです。韓国人専門墓地を持つ寺もあります。韓国人がもっとも密集している大阪特有の現象です。
 これらの諸宗教雑居地帯の特徴は、1、出入り自由の非組織化。2、激しい消長(興亡)、3、信仰の「はしご」、 つまり拘らない。が挙げられます。
 では、なぜ生駒山地なのでしょうか。それは緑豊かな自然と関係があります。功率、出世が中心的価値である大都会の生活に疲れた人々の「逃れの場」だと講演者が説明しておられました。
 ただし、過去20年間でこれらの施設の風景も変わりつつあるようです。自然食レストランやヨガ道場、ジャマイカのレゲー的ライブなどが登場しているそうです。既成宗教に飽き足りなくなっているのでしょう。信仰の継承が急速に難しくなっているのも事実です。
 私は、この講演会に出席してとても勉強になりました。信仰の継承の難しさ、一つを取り上げても他人事とは思えない。
 疑問も抱きました。なぜ東京周辺では、こういう現象が起こらないのか、と。
 思うに、関西圏には、江戸末期以後、中山みきの天理教、亀岡の大本教、岡山の黒住教、戦後の富田林のPL教団など、神道系新興宗教の勃興の歴史が続いている、これをどう説明できるでしょうか。
 関西のキリスト者は、たえず周囲を取り囲んでくる日本教と闘わなければなりません。
 信仰を貫くことは、戦いです。葬式でさえ自己決定が難しい状況の中で、イエスさまへの愛をどのように貫けるのか、もう一度考えてみましょう。
 イエスの十二弟子と言えば、真っ先にペテロの名前が浮かんでくるでしょう。中には、いやあ、トマスだ、という人もいるでしょうが、今はやさしく妥協してください。
 今日のテキストは、ヨハネ福音書の最終を飾るはずのエピローグ。なのに、なぜ、イエスさまのしつこいまでのペテロに対する確認が展開されているのでしょうか。
 そうです、すぐに思い出す箇所があります。18章12から27節、204頁上段の後半、小見出し、「イエス、大祭司のもとに連行される」の部分です。ペテロがこともあろうに、イエスさまを知らないと言ってしまう場面です。イエスさまが大祭司から尋問されているあの夜の現場です。大祭司の屋敷の中庭、十七節、「門番の女中はペテロに言った。『あなたも、あの人の弟子の一人ではありませんか。』 ペテロは、『違う』と言った」 18節、「ペテロも彼らと一緒に立って、火にあたっていた。」 ペテロが初めての否認した場面です。あわてて自分を守ろうとして、咄嗟に口から出てしまった科白は、「違う」だった。乱暴な投げやりな、それでいて必死な否定だった。思わず「しまった」と心の内側で叫んだことでしょう。後悔にさいなまれるペテロの顔を炭火は黙って照らし出している。顔が歪む。
 その時、イエスさまは尋問に対してこう答えています。20節、「わたしは、世に向かって公然と話した。/略/ひそかに話したことは何もない。なぜ、わたしを尋問するのか」と。二二節、「下役の一人が、/略/イエスを平手で打った。」
 一方、ペテロは、二五節、「『お前もあの男の弟子の一人ではないのか』と言うと、ペテロは打ち消して、『違う』と言った。/略/26節、『あの男と一緒にいるのを、わたしに見られたではないか』」 27節、ペテロは再び打ち消した。するとすぐ、鶏が鳴いた」
 緊張し裏切ったペテロに追い打ちを掛けてきた追及から逃げ切れなかった。炭火に照らされたペテロの顔は歪んでひきつっている。すると、鶏がペテロを見上げて大声をあげた、あんたは裏切り者、裏切り者だ」と。今や半べそをかいたまま耳を塞ぎ、泣きじゃくってしまった。
 しかし、役人たちは、縄に掛けなかった、打っちゃって置いた。ペテロに関心はなかったのだ。イエスに死刑を宣告すること、この一事に賭けていた。ペテロは、石畳に顔をこすりつけて泣きつづけていた。 自分を責めて責めてせめて恥じ入って、身を縮めて赦しを乞い続けたに違いない。
 そして、イエスさまの処刑、弟子たちはみな、逃げてしまった。
 21章、ガリラヤに逃げのびてきた弟子たちの漁の現場に現れたイエスさまは、岸辺で、12節、「『さあ、来て、朝の食事をしなさい』」と招いてくださったのです。これは、聖餐式です。14節、「イエスが死者の中から復活した後、弟子たちに現れたのは、これでもう三度目である」。
 続く15節以降が、ようやっと今日のテキストであります。ペテロに対する三度の確認は、しつこいとしか言いようがないのですが、少し冷静に考えればお分かりのように、三度も主イエスさまを裏切ってしまったペテロは、もう身の置きどころもなかった。にもかかわらず朝食に招いてくださった。朝食が終わったあと、そのペテロに向かってイエスさまは、子供に語りかけるように一語一語改めて念を押すように語りかけたのでした。
 ここで、この度、キリスト教出版大賞を受賞した山浦玄嗣の方言に翻訳された『ガリラヤのイエシュー』の今日の箇所を読んでみます。東北弁のイエスさまです。/略/
 15節、「『ヨハネの子シモン、この人たち以上に私を愛しているか』」と。「この人たち以上に」と条件づけられると、拘ってしまいそうですが、みなさんがこう聞かれらどうするでしょうか。が、ペテロの性格をよく見抜いていらっしゃるイエスさまらしい聞き方です。率直でストレートなペテロですから、もちろん文字通りに受け取ったに違いありません。『はい、主よ。わたしがあなたを愛していることは、あなたがご存じです』と言うと、イエスは、『わたしの子羊を飼いなさい』といわれた」 この場合の「子羊」と16、17節の「羊」は、同じ意味です。十六節はイエスさまの二度目の語りかけです。このときのイエスさまの答えは、「わたしの羊の世話をしなさい」で、非常に具体的です。続いて追い打ちを掛けるように、三度目の語りかけです。二度目と全く同じ内容です。「ペテロは、/略/悲しくなった。そして言った。『主よ、あなたは何もかもご存じです。わたしがあなたを愛していることを、あなたはよく知っておられます。』と。「悲しくなった」のは当然でしょう。しかし、イエスさまがほんとうに言いたかったのは、じつは、そのあとの言葉なのです。すなわち、『はっきり言っておく。あなたは、若いときは、自分で帯を締めて、行きたいところへ行っていた。しかし、年をとると、両手を伸ばして、他の人に帯を締められ、行きたくないところへ連れて行かれる』」 19節、「ペテロがどのような死に方で、神の栄光を表わすようになるのかを示そうとして、イエスはこう言われたのである。このように話してから
、ペテロに、「わたしに従いなさい。と言われた」のであります。
 鶏が鳴く前の三度のペテロのイエスさまの弟子であることの否定、復活したイエスさまの三度の出現、そしてペテロへの三度の語りかけ。その結果、「わたしの羊を飼いなさい」と言われ、弟子としての復権を正式に認定してくださった。これは、こんなに弱いペテロをそっくりそのまま認めて伝道に励むようにと励まし、祝福しているのであります。
 現在の私どももまた、同じであります。弱い、欠点だらけ、イエスさまを否定しかねないこの私を、そのまま認めて、「立ち上がりなさい」と、力づけてくださっているのです。
 が、しかし、これでハッピーエンドではない。「しかし、年をとると、両手を伸ばして」の「両手を伸ばして」は、十字架刑にされるときの囚人が取らされる罰される姿勢なのです。これだけでペテロが逆さ十字架で処刑されたという伝承が見えてきます。おそらくペテロと主が愛した弟子の二人がこの世を去っていったあとに二一章が書かれたことが想像できます。この厳しい殉教の道を預言して、「わたしに従え」と命令されたのです。イエスさまが先に進んで行かれたのです。弱いわたしの現実をそのまま受け入れてくださる主は、同時に主を証しして生きる伝道に命を賭けよと命じているのです。
 キリストに従うことの喜びは、徹底的な献身を通して与えられるものなのです。
 感謝しましょう。

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