深い悩み
サムエル記上1章12〜20節
 ようやっと猛暑を脱したと思ったら、涼しい朝夕の風、が、日中は依然として30度の夏日、が続いています。駐車場のフェンスの下、伐られてしまった桜の根本から数日前、彼岸花が咲いてくれました。不思議なことにちょうどお彼岸の頃、あの真っ赤な花です。葉っぱはありません。雄蕊と雌蕊が突出していて、百合を切り裂いたようなこの花は、火事が美しい花に化身したかと思うほどです。
この彼岸花は、一名、死人花、仏花、曼殊沙華、天上の花など、あえて言えば生と死の二重のイメージを描きたてる花なのです。列島各地の路傍、墓地、畦道に咲きます。
 飢饉の時には、球根を食べました。同時に、球根は毒でもあります。ネズミの害を防ぐために、畦道にも植えたのであります。
 ただし、北海道にはないそうです。お彼岸の中日、奈良盆地からは、ニ上山の雄岳と雌岳の真ん中のくびれに、真っ赤な夕日が描く阿弥陀如来の来迎図が見えるのだそうです。
 皆さんは、折口信夫という民俗学の学者をご存じですか。この人が書いた小説に『死者の書』という不思議な短編小説があります。
 ニ上山(奈良県葛城市、近鉄南大阪線)に沈むお彼岸中日の真っ赤な夕日に心を奪われて南都奈良の屋敷を出て、当麻寺に来た藤原の郎女である姫は、現在の感覚でいえば行方不明、当時の言い方をすれば、突然神隠しになったのであります。貴族の家を捨ててまで、一体何を見たのでしょうか。夕日の中に立っている美しい皇子の幻を見たのであります。しかも、その皇子は、すでに死者でありましたが、衣を纏っていなかった。その気高さと寂しげな空気に触れた姫は、寺の蓮の糸を紡いでは紡ぎ、とうとう浄土図を織りあげて、幻の皇子に差し出したのであります。幻想の世界での二人の運命的な出会い、死者との出会いであります。
 今も残っている当麻寺の曼荼羅図であります。
 お彼岸とニ上山、生者と死者の交流、鎮魂、浄土と救い、私がひそかに愛読した小説です。
 なぜこんなお話をしたのでしょう。
 じつは女性の生き死に、を賭けるような苦悩(深い悩み)と救いについて一緒に考えたいと思うからであります。
 テキストは、「サムエル記」であります。
旧約聖書の成立については何回かお話ししてきました。目次の題名も順序も歴史観など、その構成、成立なども、今日では、ある程度解明されているのです。旧約聖書のモーセ五書(「創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記」)は、ご存じのように、天地創造から族長時代、やがてエジプト脱出、十誡と律法、荒野の四十年を語っています。そのあとに続く、いわゆる「前の預言書」は、イスラエル民族連合のカナン侵入、士師時代、王国の成立と滅亡までを語っています。そしてバビロニア捕囚の苦難の果てに、歴史家たちは、「何故我々イスラエルは滅んでしまったのか」と反省に反省を重ねて、ついにユダヤ教の神学思想を打ち立てたのであります。すなわち神に選ばれたイスラエルが、神に背き続けた結果の滅亡なのだと全存在を賭けて反省した時から旧約聖書が組み立てられていったのです。この後が、後期預言者たちによる悔い改めとメシア待望へと展開していきます。
 さて、今日学ぼうとするサムエル記は上下とありますが、イスラエル王国の歴史であります。
 古代イスラエルにおいて、王国の成立は、この民族の空前の出来事であります。神による直接政治形態を生きてきた部族連合共同体が、神の代理人としての王制と言える神権政治を選んだ結果、どのように歩んでいったのかを纏めた物語なのであります。紀元前1050年から1000年頃までに経験したこの出来事を、バビロニア捕囚体験から築き上げた申命記的歴史観で纏めようとしていますが、サムエル記を丁寧に読んでいますとあちこちに矛盾した、あるいは重複した内容が見えてきます。何回か編集して修正したようですが、紀元四世紀後半にまで及んだようです。肝心なことは、いつも同じですが、いわゆる歴史的事実かどうかが一番の中心的な問題なのではない。ユダヤ教が確立していく過程の中で、どのような歴史観に立って書かれているのかを見極めて、そこから神さまのメッセージを読み取れるかどうか、なのであります。
 では、サムエル記の冒頭を見ていきましょう。
 一節、「エフライムの山地ラマタイム・ツオフィムに一人の男がいた。名をエルカナといい、その家系をさかのぼると、エロハム、エリフ、トフ、エフライム人のツフに至る」。二節、「エルカナには二人の妻があった。一人はハンナ、もう一人はペニナで、「ペニナには子供があったが、ハンナには子供がなかった」。 
 エフライムとはどこでしょうか。聖書の裏にある地図の3をご覧ください。現在のほぼイスラエルに当たる場所、ベニヤミンにあるエルサレムがお分かりですか。その北側がエフライムです。「ラマタイム」は、高地の複数形だろうと思われます。
 何気なく書かれていますが、初めて読んだ人は、びっくり仰天します。えっ、「二人の妻だって?」、 当時の社会で二人の妻は認められていたのです。もちろん一夫一妻もたくさんいました。どちらかというと一夫一妻が旧約聖書の目指す夫婦の在り方だろうと思います。「一人はハンナ」と、先にハンナの名前が登場してくるということは、ハンナが最初に結婚した女性だったことだろう、と、言えます。が、子供を授からなかった。当時、子供がない女性は、神から呪われた者として、周囲から蔑まれたのであります。男尊女卑の家系を重んじるエルカナは、もう一人の女性、ペニナを妻として迎えた。そして、もう一人の妻・ペニアには、「息子たち、娘たち」が与えられた。この事実が、ペニアの何よりも家庭内での優越を語っているのです。複数の妻を持った男の家庭内の争いは、旧約にいくつも書かれています。女奴隷に子を設けさせたアブラハムと不妊の妻サラを思い浮かべる人もいるでしょう。
 当時、子供がない女性は、神から呪われた存在として回りから蔑まれたのです。ハンナは、子供がないという事実の前で苦しみつづけていたのであります。女性の生き方をこんな風習で束縛するなんてナンセンスと決めつけ葬ることは、いとも簡単ですが、ハンナとペニアは、エフライムに住んでいるのです。三千年も前の状況の中でしか生きられない。ですから、毎年いけにえをささげる日の食事の席で蔑みの視線に晒されつづけるハンナの屈辱と悲嘆はいかばかりであったか。
 3節に「万軍の主」という言葉が出てきますが、旧約でこの言葉はここが最初の登場です。土師記を読んでいると、戦争に次ぐ戦争場面なので、「万軍の主」とは、戦争の神なのではないかと思いますが、いろいろな解釈がありますので、あまり問い詰める必要はありません。
 むしろ、七節の、「毎年このようにして」の方が、ハンナの苦痛が繰り返えさせられる事実が迫ってきて、気分が重くなっていきます。この部分、口語体聖書では、次のように書いてあります。
 「こうして年は暮れ、年は明けた」と。つまり明けても暮れても、神に呪われた女として蔑まれ続ける日々の苦悩、脱出口のない日々の苦痛、なぜ主はわたしの胎を開いて祝福してくださらないのか、と、悲痛な思いを引きずりながら、ハンナは祈っていたに違いない。実際、神殿で、10節、「ハンナは悩み嘆いて主に祈り、激しく泣いた」。 切実な問題を抱えた、この激しい祈り。現在の私たちは、このような切実さを抱えて祈ることを忘れてはいないだろうか。
 11節、ハンナは、「誓いを立てて言った。
「万軍の主よ、はしための苦しみをご覧ください。はしために御心を留め、忘れることなく、男の子をお授けくださいますなら、その子の一生をおささげし、その子の頭には決して剃刀を当てません」。
 そして12節以下が今日読んでいただいた山です。祭司エリは、おっちょこちょいで、洞察力がないので、13節、「酒に酔っているのだと思い」、 14節、「いつまで酔っているのか」と言ってしまったのです。これはぼんくらな祭司の科白です。いけにえの宴の時には、酔っぱらう者が多かったのです。日本のお祭りの時の無礼講だと思えばいいでしょう。が、祭司エリは、素直でもあります。
 15節、ハンナは答えます。「いいえ、祭司様、違います。わたしは深い悩みを持った女です。ぶどう酒も強い酒も飲んではおりません。ただ、主の御前に心からの願いを注ぎだしておりました。/略/今まで祈っていたのは、訴えたいこと、苦しいことが多くあるからです」と。
 この「願いを注ぎだす」というハンナの言葉が凄い。王の即位式の「油を注ぐ」を想起してしまいます。すると、エリは、「安心して帰りなさい。イスラエルの神が、あなたの乞い願うことをかなえてくださるように」と祝してくれたのであります。エリは全霊をこめて祝したのです。祭司の祝福はそのまま神の祝福になると確信していたのです。毎年のように、7節、「今度もハンナは泣いて、何も食べようとはしなかった」のですが。今は全く違います。18節、「それから食事をしたが、彼女の表情はもはや前のようではなかった。一家は朝早く起きて主の御前で礼拝し、ラマにある自分たちの家に帰って行った」。20節、「ハンナは身ごもり、月が満ちて男の子を産んだ。主に願って得た子供なので、その名をサムエル(その名は神)と名付けた」。
 サムエルという名については、「神聞きたもう」という意味もあるそうです。
 京のテキストはここまでです。このサムエルの誕生は、どことなくイエス様の誕生と通い合うところがあるような気がしませんか。
少なくともこれだけは言えます。両者ともに神が直接介入なさったドラマであるという事実であります。
 あの70年に及ぶ捕囚体験がなかったら、旧約聖書は、誕生しなかったでしょう。
 ハンナの身悶えするような体験がなかったら、サムエルの誕生もなかったでしょう。
 プロローグの「死者の書」の藤原の郎女とハンナの共通点は、どこにあるのでしょうか。それは、郎女はたいへんな時間を懸けて、浄土図を蓮糸で織り上げることを通して、自分自身をもっとも高き存在に奉げました、ハンナもたいへんな時間をかけて祈り続け、ついに祈りの中に、自分自身を注ぎだして神に奉げました。郎女が織りあげること、と、ハンナが願いを注ぎ出すこと。この二つの行為には、もっとも高き存在に対する全幅の信頼があります。
 けれども、日本教における郎女が見ていた存在と、ハンナの唯一なる絶対的な存在である神とは別ものなのです。唯一なる神の介入によって神の子サムエルが生れ、やがてイエスさまの誕生へと繋がっていくのです。
 旧新約を貫く唯一なる神は、今も私どもの祈りを待ってくださっているのです。
 ですから、苦悩の底にある時にも、おおっぴらに祈ってよい。苦悩がそのまま喜びへと変換される奥儀こそ信仰なのです。
 祈りましょう。

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