愛する嫁
ルツ記2章17節
 いよいよ百舌鳥八幡神社の蒲団太鼓が迫ってきました。毎日夕方になると、ドドドーンドードドーンッツという太鼓の音が公民館の辺りから聞こえてきますが、宵闇が近づきますと、どこか切ないような、もの悲しいような、それでいて懐かしい響きになってくるのです。あたかも宵闇に紛れ込んだ遠雷、遠い雷のように心の奥底に届いてきます。この懐かしさって、何時どこで感じたんだろうと先夜じいっと考えていたら、60年近く前の大晦日の夜更けの光景が甦ってきました。百舌鳥八幡のお月見祭りの練習太鼓の響きと12月31日・大晦日の夜更けが、懐かしさで結び付いたのです。
 昭和20年代の後半、あの頃、中小企業の商人の店では、現金商売でしたから、支払いを迫る取り立てから逃れるためにてんてこ舞いの年の瀬でした。大晦日は、夜十時を過ぎて、ようやっと借金地獄から解放され、夜の商店街に母といっしょに妹たちと私は、繰り出すのでした。明日の朝は元旦、今晩中に風呂に入って着替えねば、すがすがしい朝を迎えられません。母は、子供たちの下着や新しい毛布などを買うのです。母の手を握り、親子がぴったり身を寄せ合って歩いた大晦日の夜更け、あれは、滅多にない母子の束の間の幸せでした。セピア色になってしまった古い古い写真の一齣ではありますが、何物にも代え難い懐かしさです。これが、百舌鳥八幡の練習太鼓が私に思い出させた、切ない郷愁です。
 てんかんを伴う小児麻痺の長男を抱えていた母は、その後、看病と商売に疲れ果てて、52歳で世を去ってしまいました。
 ところで、母は自分史(自分について)については何も書き残しませんでしたから、ほんとうのことは何も分かりません。熱心な日本教(神棚と真言宗)であった父は、キリスト教については何も関心を示した形跡はありません。
 が、それならば、なぜ姉と私がキリスト教の幼稚園に通ったのでしょうか。しかもプロテスタントとカトリックの幼稚園に。なぜ次兄は、聖学院高校経由、立教大学だったのでしょうか。なぜ、私は、埼玉県からたった一人、同志社大学に入ったのでしょうか。
 ここからは、全くわたしの想像ですが、旧制の女学校に汽車で大宮から浦和まで通っていた母は、その頃キリスト教に引かれていたのではないでしょうか。それで、子供たちにキリスト教教育を経験させたかったのではないでしょうか。あの熱烈な日本教の父に抗ってまで、実行しました。今思うと、私がこうして、土師教会に赴任した遠因(遠い遠い原因)の一つにも母の思いが伝わったとは言えないでしょうか。母が教会に通ったという事実はなさそうです。
 けれども、母は無自覚のまま、隠れ切支丹のように、キリスト教的なるものを子供たちに伝承する役割を演じたのではないでしょうか。
 こんなことを考えたのは、ルツ記を読んでいるからなのかも知れません。
 さて、今日のテキストは、お馴染みのルツ記です。女性の名前が題名になった貴重なテキストです。このテキストは、一般的には、姑と嫁のうるわしい物語として記憶されています。
 今日は、みぎわの会と婦人会が合体した午後のイベントがありますから、もう少し、踏み込んで、ルツという女性の生涯を描いた短編物語として捉え直して見ようと思います。
 先ほど司会者に読んで頂いた冒頭の1章1節をご覧ください。
 士師が世を治めていた頃、飢饉が国を襲ったので、ある人が妻と二人の息子を連れて、ユダのベツレヘムからモアブの野に移り住んだ。2節、その人は名をエリメレク、妻はナオミ、二人の息子はマフロンとキルヨンといい、ユダのベツレヘム出身のエフラタ族の者であった。彼らはモアブの野に着き、そこに住んだ。3節、夫エリメレクは、ナオミと二人の息子を残して死んだ。
 冒頭に土師ではなく、士師がでて来ます。これは「収める、裁く人」という意味ですが、中国語聖書から来ています。まだ王制になって稲井時代の部族政治、連合時代が舞台なのです。
 砂漠の国イスラエルには、しばしば飢饉が襲ってきた。部族連合の時代、天幕生活が残っていた頃から、モアブは緑豊かな肥沃の地であった。
 なぜエリメレクは、モアブの野に移住したのか。ナオミが、モアブの女性であったからだ。ユダヤ教の側から見れば、モアブは農業の神々の異教の地であった。が、ナオミにすればわが故郷である。
 が、モアブの娘たちと結婚した二人の息子も死んでしまった。異教の地でやもめになってしまったナオミは、二人の嫁にそれぞれの故郷に帰るように説得したのです。
 当時の状況から言えば、寡婦になった女性たちが生き延びる道は、再婚しかなかった。そのためには、モアブ人同士の結婚が一番安定した選択方法であったのです。
 にもかかわらず、マフロンの嫁だったルツは、聞き従わず、ナオミに向かって「あなたの神はわたしの神。あなたの亡くなる所でわたしも死にそこに葬られたいのです」と答えました。このモアブの嫁ルツは、ここでユダヤ教へと改宗したのだと解釈できる。ということは、わが故郷、モアブを捨てて、姑のベツレヘムへと移住して生涯を共にする決断をしたということです。当時の、(否、現代でも) この決断は並大抵のことではありません。ルツという女性の決断力と行動力には目を見張らずにはいられません。
 しかし、姑のナオミにしてみれば、夫と二人の息子を奪われ、絶望のどん底に落ち込んで真っ暗な状況だったのです。二〇節、「全能者がわたしをひどい目に遭わせたのです。21節、出て行くときは、満たされていた私を主はうつろにして帰らせたのです」と呻いていた。
 こうして、二人は、ベツレヘム(パンの家という意味)に帰って来た時、22節、「大麦の刈り入れの始まるころであった」。
 ここからが2章、422頁、「ボアズの厚意」です。
 第一節、「ナオミの夫エリメレクの一族には一人の有力な親戚がいて、その名をボアズといった」。 このボアズが、落ち穂拾いをするルツに対して厚意を示し、やがて激しい恋の炎に焼かれて、求婚するまでに至っています。この落ち穂拾いを許す習慣は、寡婦や寄留者などに対する配慮であります。ミレーの「落ち穂拾い」のあの有名な名画を思い浮かべてください。
 ボアズとルツの接近は、お互いの会話の変化によく現れています。五節、「そこの若い女は誰の娘か」は、「どこの出身、つまりどの部族に属している誰なのか」、という意味です。答えは、「モアブの娘です」は、明らかに蔑視表現です。古代奴隷制の中での、しかも、異教の女、正統なユダヤの部族ではないというのです。しかし、ボアズの心は動く。その証拠に、8節、「わたしの娘よ」と肉親のように接して行くのです。10節、「よそ者のわたしに」から、13節、「はしための一人にも及ばぬこのわたしですのに」という卑下表現まで使っているルツを、ボアズは、14節で、「こちらに来て、パンを少し食べなさい」とまで言うのです。そこを乗り越えて厚意から恋へと火が付いている。軽蔑すべき異教のモアブの女への恋心が、燃える。
 この二人の会話を追っていると、私は、万葉集時代、つまり日本の古代の歌垣(歌の垣根)を想起するのです。男女がお互いに歌を歌うように口ずさみながら、舞踏して遊ぶ風習のことです。これは、一種の求婚の方法であり、おおらかな性の解放が許されていたのです。ルツとボアズは、会話でありますが、歌と変わりません。愛のやりとりなのです。
 それを知った時、姑のナオミは、知恵を授けます。
 3章に入りましょう。1節、「わたしの娘よ、わたしはあなたが幸せになる落ち着き先を探してきました。あなたが一緒に働いてきた女たちの雇い主ボアズはわたしたちの親戚です。あの人は今晩、麦打ち場で大麦をふるい分けるそうです。体を洗って香油を塗り、肩掛けを羽織って麦打ち場に下って行きなさい」と。四節、「後でそばへ行き、あの人の衣の裾で身を覆って横になりなさい。その後すべきことは。あの人が教えてくれるでしょう」と。
 これは、女性の側からの大胆な求婚の表明であります。麦打ち場は、情を交わす舞台を意味しています。また、「衣の裾で身を覆いい」は、ルツの側からの誘い水でしょう。これを現代の物差しで反道徳的と見なすか、ごく自然な男女の結び付きとみなすかは、みなさんの意見も別れることと思います。
 ただし、ここで注意すべきは、これは、姑のナオミの台詞なのです。苛酷なうつろな状況に追い込まれていたナオミが、ようやっと見出した希望の光なのです。ナオミ自身と嫁のルツが共に幸せになれる、逃してはならない、またとない機会なのです。躊躇してはいられない。実際はどうなったのかは、みなさんがご承知の通りです。
 4章に入ります。懸命で、真面目なボアズは、当時のイスラエルで行われていたゴーエール制度(家を絶やさないための買い戻し)を町の有力者たちの正式な承認を受けて実行するのです。
 そして晴れてルツを妻として迎えて、周囲の祝福を浴びたのでした。そればかりではなく、二人の間には、息子が与えられます。17節、「近所の婦人たちは、その子に名前を付け、その子をオベドト名付けた。オベドはエッサイの父、エッサイはダビデの父である」。 ここまでくればこのダビデの系図の終わりにイエス様が生まれたことを私どもはすぐに理解します。二人の愛の舞台はベツレヘムです。このダビデの系図は、マタイ福音書の最初の一頁なのであります。
 絶望のどん底に陥っていたナオミを救い出したのは、人間の救済史(救いの歴史)を担っている神であり、その神の憐れみと慈しみの中でイエス様につながる系図にこの姑と嫁が決定的な役割を演じたという事実を語るルツ記なのであります。
 めであたし、めでたし。
 が、しかし、427頁の下段の「ダビデの系図」をよくご覧ください。ルツ記の主人公であるルツの名前もナオミの名前も登場してきません。ここにあるのは、男たちの系図だけです。イスラエルに限りません。明らかに男尊女卑の時代の産物であります。にもかかわらず題名は、「ルツ記」なのです。その意味は、お分かりでしょう。
 ましてユダヤ人ではないモアブの女は、正式な共同体のメンバーとしては数えられていない時代なのです。
 とすると、「ルツ記」物語が、正式な聖書の構成文献として収められているこの事実には、神の慈しみが匂っているようです。ユダヤ人ナショナリズムではなく、古代の部族社会に於いてさえ、異民族との結婚は許されていたという事実の証であり、女性の働きの偉大さを神は高く評価してきたという事実なのであります。
 ひるがえって、今日世界でもっとも信徒が多いキリスト教は二十億人です。日本は一パーセントを割っていますが、日本の教会の活動を具体的に支えているのは、婦人会だと言い切って間違いないでしょう。が、男女同権の現在でさえ、男女の間には、多くの未整理の問題が残されています。
 さあ、二千年以上前から、女性の本質と力と共にあった神さまの慈しみを失わないように、教会の活力を取り戻していきましょう。
 これぞという時に、優れた決断をし、大胆に行動したルツは、今も教会が必要とする女性の力なのです。

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