鶏が鳴いた
マタイによる福音書26章69〜75節
 わたしが育った家には、戦前から鶏がいっぱいいました。50羽くらいはいたでしょう。私が覚えている一番古い鶏は、戦争中のB29の東京空襲の時ですから、1945年(昭和20年)です。おそらく春だったでしょう。鶏と空襲って、どんな関係?と言われるでしょうね。
 あれは、夜でした。幼い私は防空壕の底に放り込まれていました。兄達三人は、父らと必死になってバケツの水を家や鶏小屋に掛けていたのです。焼夷爆弾で燃え上がった 小屋の中は、火だるまになった鶏たちがケッツーという断末魔の叫びを挙げて中空に乱舞していました。翌日の朝、焼け死んだ鶏たちたちの骸がるいるいと重なっていました 。
 これが、鶏たちの最初の記憶です。家で飼っていたのは、白色レグホン、東天紅、軍鶏シャモなどです。父は、闘鶏、闘犬、要するに戦う鶏、戦う犬が大好き人間でした。
 わたしはと言うと、喧嘩は大嫌いなのですが、人間の生き死にを問う宗教を、人生の戦いとして受け入れていく姿勢は、人一倍強い。これは父からの間接的な影響かも知れ ません。こういう訳で、私にとって鶏は、戦争と人間の生き死にを問うジャンプ台なのです。
 さて、今日のテキストに登場している鶏は、何色でしょうか。みなさんは、どんな種類の鶏を思い描いていますか。
 鶏は、旧約聖書には出て来ません。鶏は、福音書の、しかもペテロとの関係でしか登場しません。なぜ最高法院(サンへドリン)の中庭に鶏がいたのか、分かりません。
 お馴染みの鶏ですが、この頃は、土師でも見かけません。聖書のにわとりというルビがある鶏って、キジに似ていませんか。とくに雄は、頭をしゃきっと立てて、辺りをじいっと見ている。威風堂々、貫禄のある歩き方そっくりです。そう言えばキジも見かけなくなってしまいました。じつは鶏はキジの仲間なのです。
 鶏とは、人間のお屋敷の庭にいるから庭鳥と言うのです。古くから飼われてきた家禽(家で飼う鳥)です。長く鳴くので、時を知らせる鳥としても知られています。合戦が始まるときの鬨の声をご存知でしょう。「えいえい、おう」と三度大きな声をあげますね。尾長鶏が有名ですが、その鳴き声を「とおてく もるるるるー」と書き表した人もいます。鶏と鬨の声は、直接的には結び付きませんが、ペテロの三度の「知らない」と言う否定の声は、「とうてく もるるるうー」という懸命なそれでいてどこか悲痛な鳴き声に似ていなくもありません。
 今日のテキストの「ペテロ、イエスを知らないと言う」は、あまりにも有名な場面です。普通、これは、イエス様に対するペテロの裏切りだと理解する人が多いのですが、裏切りは、その前に出てくるユダが極めつけです。ペテロの場合、裏切りと断定するよりも、もう少し内面的に屈折した、説明を超えたドラマが隠されているようです。
 ゲツセマネの林でユダに裏切られたイエス様は、官憲に逮捕されて、即製裁判にかけられます。サンへドリンという最高法院に死刑宣告の権限はなかったはずですが、勢い付いた祭司たちによって裁判が進められる。そしてローマを代表するピラトの前に突き出されます。
 その裁判をペテロは見たかったのでしょうか。イエスは三回問い詰められます。ペテロは、法院の下の庭で三回イエスと一緒だったと指摘されます。同時進行する詰問の場面で三回の問う詰めがあっても、一貫しているイエス様の堂々とした態度に比べて、ペテロは、イエス様を否む。しかも一回ずつもっとひどくなります。
 マタイ福音書にはこの庭の場面に小道具の焚き火が登場しません。が、マルコ、ルカ、ヨハネ福音書では、焚き火があって、少々寒いのでしょうか、火にあたっているペテロが登場しています。六九節、「ペテロは外にいて中庭に座っていた。そこへ一人の女中が近寄って来て、『あなたもガリラヤのイエスと一緒にいた』と言った。」 七〇節、「ペテロは皆の前でそれを打ち消して、『何のことを言っているのか、わたしには分からない。』と言った」とあります。「打ち消して」という表現は、単なる否定よりはきっと重い、あるいは強いでしょう。ペテロは保身のために強く出た。その上で、とぼけて見せた。こんな態度、私どもにもたまに見られます。弱い人間が咄嗟に見せる哀しい演技です。71節、「ペテロが門の方に行くと、」ペテロは、こりゃあまずい、めんどうなことになったら、やばい、というわけで、すたこらさっさと逃げ出したのですが、またしても新たな証人が現れてしまったのです。「ほかの女中が、『この人はナザレのイエスと一緒にいました』と言った」のです。ペテロはどっと疲れが噴き出て、72節「『そんな人は知らない。』と誓って打ち消した」。 今度は「誓って」が付け加わった。「誓って」しまった時、ペテロは、内心「しまった。イエス様に申し訳ない」と思って、ちらっと主イエスの方を見やった、幸か不幸か、イエス様は振り返らなかった。小さな安堵と共に自分の卑劣さが厭になった。イエス様を裏切るというよりは、自分の良心(良い心)の前に恥ずかしい行為だと思った。思ったらますます恥ずかしくなって、本気で逃げ出したくなった。73節「しばらくして、そこにいた人々が近寄って来てペテロに言った、『確かにお前もあの連中の仲間だ。言葉遣いでそれが分かる。』 
 ガリラヤ弁で喋る田舎者だと証言されてしまったのです。シュやテュなどの発音が明確でないガリラヤの田舎者であることがばれてしまった。ペテロはどうしたか。ついに、「ペテロは呪いの言葉さえ口にしながら、『そんな人は知らない』と誓い始めた。するとすぐ、鶏が鳴いた。」 「もし俺の言うことが嘘だったら、この呪いは俺の上にのしかかってもいい」と言ったのも同然だった。嘘の上塗りがここまで来てしまった。絶体絶命。
 みなさんがペテロだったら、どう振る舞ったでしょうか。ペテロは愚か者、その通り。
 が、だからと言って、笑って抹殺できるでしょうか。
 たった数時間前、ペテロは、イエス様の面前でこう言ったのだ。「たとえ、御一緒に死なねば成らなくなっても、あなたのことを知らないなどとは決して申しません」(26章35節、53頁)と言ったばかりなのである。最高法院は、リーダーのイエスを逮捕することが目的だった、そして死刑に持ち込むこと、それが目的だった。ろくでなしの弟子たちなど目でなかった。だからペテロが中庭に忍び込んできても放っておいたのです。しかし、ペテロ自身にとっては事態は全く違っていた。今俺の人生は崩壊してしまった。ががっと崩れ落ちてしまった。何もかも捨てて、あの人に従いてきた、それが幸せだった、あの人と一緒なら死んでもいいと本当に思ったんだ。その俺が、魔が差した、と言うしかない。こんなことになってしまうなんて! イエス様を裏切ったんじゃあない。違う、違う。俺の良心を貫けなかったのが恨めしい、恥ずかしい、あああ、どうしたらいい。
 一方、ルカによる福音書では、22章61節(新約、156頁上段末)「突然鶏が鳴いた。主は振り向いてペテロを見つめられた。」 となっています。ここは、見逃すことができません。重要な個所です。何故か。鶏を通して、じつは、人生の決定的な時(その日、その時)が告げられたのです。絶望のどん底で主イエスとの出会いがあったのです。この決定的な時に目覚めよと鶏が知らせていたのです。
 その続きは、マタイもルカもまったく同じです。「そして外に出て、激しく泣いた」。 マルコは、「いきなり泣きだした」。
 ペテロはあらんかぎりの声で泣き出したに違いありません。イエス様の眼差しがどうであったかは聖書には書いてありません。哀しげな目であったのか、憐れみの目、あるいは怒りの目であったのか、何も分からない。
 ただ、ルカ福音書に、この個所が記されている事実は重い。この時の主の目が語っていたものを、私どもは一人一人が直感的に掴み取る、しかない。
 あの夜の出来事の意味を教えてくれたものは誰もいないのです。そして、なぜその後、のペテロが、『使徒言行録』に書かれているような目覚ましい活躍をしたのか、その理由はどこにも書かれていません。
 おそらくその鍵を握っているのが、「外に出て、激しく泣いた」の部分に潜んでいると思います。それは、単純な後悔の涙であったはずはありません。論理的に説明できるような出来事ではなくて、きっと説明を越えた、恐ろしいような、しかも聖なるものに抱きかかえられるドラマが成立したのだろうと思います。やがて、ペテロ殉教の伝承が生まれてくる淵源もそこにあるのでしょう。
 鶏の時の声が遠くになってしまった今日、思い切って外に出かけましょう。
 私どもは、「知っている、知っている」も、「知らない、知らない」も、ほんとうは、安易には言えない存在です。そうではなくて、「主は振り向いてペテロを見つめられた」ように、私ども一人一人を見つめられたのに、気が付かない存在であることに気が付く地点から、また一歩ずつ歩みはじめましょう。ときには、「外に出て、激しく泣く」ことが必要なのかも知れません。
 私どもは、すでに知られており、見つめられているのです。そこに気が付いた時、初めて主にある平和が生まれるのです。ハレルヤ。

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