友と呼ぶ
ヨハネによる福音書15章11〜17節
 15章の冒頭の聖句「わたしはまことのぶどうの木、わたしの父は農夫である」。
 イエスさまは、大工でしょう。どうしてお父さんは農夫なのですか。もしそうなら、どうしてイエスさまは農夫にならなかったのかなあ、と思う子どもがいるかもしれません。大工さんと言うと、日本では、まず木材が浮かんで来て、木の家というぬくもりのある家を建ててくれる職人気質の建築屋さんが浮かびあがります。が、二千年前のガリラヤ湖の周辺の村では、基本的に石造りの家であり、雨も殆ど降りません。雨の中で説教するイエスさま、ずぶ濡れになって歩くイエスさまは一回も登場していません。当時大工さんとは、身の回りの家具や棺桶を作るのが仕事でした。ガリラヤ湖の辺の民衆の大部分は、農民、羊飼い、漁師でした。イエスさまの譬え話もそんな民衆の暮らしに直結しているのです。ですからイスラエルの代表的な葡萄の木が登場するのは、ごく当たり前のことです。
 ところでイスラエルの葡萄畑は、日本の葡萄畑のようなネット棚の畑ではなくて、一株ずつなのです。そのほうが、「わたしはまことの葡萄の木」のイメージにぴったりです。
スーパーマーケットに並べられた「ブドウの房」は浮かびあがりますが、「葡萄の木」の姿は、なかなか浮かびあがりません。イエスさまは、ブドウの房ではなくて、葡萄の木なのです。
 さて、今日のテキストの個所のテーマは、究極の愛とは、です。それは、12節、「わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。これがわたしの掟である」に尽きる。掟は律法です。命令です。弟子たちは、このように言われても何のことか、よく分からない。そこでイエスさまは、決定的な言葉を注ぎかけたのです。十三節、「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない」と。弟子たちは何も答えない。分かっているのか、分かっていないのか、それさえ分からない。
 「友のために命を捨てる」だって! お互いに顔を見合わせて、ううん、お前のためにねえ、などと考え込んだことでしょう。イエスさまは、何時になっても、ものがなかなか分からない弟子たちに、秘かに、何度も、溜息をついたことでしょう。
 が、もう何時までも待ってはいられない。迫り来る迫害と命を脅かされる危機の前で、急ぎました。14節、「私の命じることを行うならば、あなたがたはわたしの友である」、
 弟子たちは、再び顔を見合わせた。先生であるイエスさまが、「友」と語りかけた。これはどんな意味なのだろう。15節、畳みかけるようにイエスさまは断言なさった。「もはやあなたがたを僕とは呼ばない。僕は主人が何をしているのかを知らないからである。わたしはあなたがたを友と呼ぶ」。
 いったい何を言っているのだろう。俺たちは主人と僕ではないか。イエスさまはいろいろ教えてくださる。いつもうれしくなる。でも「友」って言われると、大いに気恥ずかしい。友って、水平な、平等な、関係ってことだろう。そんなはずないよな。そんはず! 
 そこまで考えたとき、不意に、さっき聞いたばかりの「友のために自分の命を捨てること」という台詞が甦ったのです。おれたちはイエスさまの友! まさか、否、本当かも知れない。胸がじいんと熱い。おれたちは、ほんとうは何も分かっていない、ろくでなしかも。教えられても教えられても失敗ばかりして叱られ放し! 
 それなのに、「友」だなんてうれしくて恥ずかしくて、恐る恐る師であるイエスさまを見詰め直して、イエスさまの台詞をもう一度、繰り返した。「わたしはあなたがたを友と呼ぶ」、 つづいて聞こえて来た。「父から聞いたことをすべてあなたがたに知らせたからである」と。
 「父」という存在、肉の父を越えた不思議な父が体中に迫って来るような気がした。もしかしたらイエスさまを通して、イエスさまのお父さんと今、出会っているのかも知れない。なんだかぞくぞくしてきて、イエスさまにしがみつきたいような気がしてきた。俺たち友だちなんだ、きっと。すべてをイエスさまに委ねていいんだ、どこまでも一緒にいよう、イエスさまもきっとどこまでもおれたちと一緒なのだ、きっと。ろくでなしのおれたちが友だちに変換されたんだ、という感動に突然襲われたのでした。そうだ、主人と僕という上と下の関係がとっぱられたんだ。打ち破られたんだ。
 16節、「あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ。あなたがたが出かけて行って実を結び、その実が残るようにと」。 そうだ、そのとおりだ、イエスさまがおれたちを選んでくださったのだ。
 が、ちょっと待て、「出かけて行って」とは、何処へというのだろう。イエスさまを信じよう、言われる所へ出かけよう。どんな実が残るのか、分からないけれども信じよう。
 ここまで考えた時、またしても聞こえてきた。17節、「互いに愛し合いなさい。これがわたしの命令である」。 互いに無条件で自分を与えること、これがイエスさまの命令だ。でも、命令は、ほんとうは、命令されて行うのではない。自分からそうしたくなることなんだ。イエスさまは、そうして、いままで反抗したり、ろくでなしであったおれたちが互いに立ち上がることを望んでいらっしゃるのだ、と弟子たちは、ようやっと気がついたのでした。
 その後、イエスさまが辿った道はご存知の通りです。わたしどもを救うために、身代金として自分の命を献げてくださった。そして復活されたイエスさまに出会って、初めて弟子たちは、すべてを理解したのです。わたしどもも、敵であったわたしどもを友へと変換してくださったイエスさまに従って、世界中を友に変換させるために立ち上がらなければならない。
 友と友として互いに生き抜くこと、それは
和解の道であり、平和を実現する道です。
 愛は、要求して手に入れられるものではない。愛は要求されて差し出せるものでもない。徹底的に無条件で与え合う愛なくして、平和は実現しないでしょう。この究極的な愛を生きようとする共同体こそ教会なのです。
 ついにキリスト者には成れなかった太宰治の『走れメロス』は、この究極の愛を描いた傑作であります。わたしどもが何処へ出かけて行くべきなのかは、はっきりしております。
 では、五月に京都で開かれた平和を願う美術家の展覧会に参加してくださった一人の女性の方の感想文から代読させていただきます。
 
 静かな感動を頂いた時間でした。
 多くの入場者で一杯の会場で、腰痛で長く立っていることの苦手の私が、お話や詩の朗読、歌唱などを、辛いと思わず最後まで立って聞かせて頂く事ができたのは不思議でした。
 それぞれの内容が素晴らしかった上に、亡くなった繁樹君がわたしに聞かせてくれたと、今思います。
 繁樹君は代表者の森田直子さんのご長男で、私の教師生活初めての教え子でした。
 重症のアトピー性皮膚炎に苦しみながらも、いつも笑顔で人懐い子でした。
 当時はまだ、教師の中でもアレルギーについての認識も少なく、又、落ち着いて学習したくてもできない子供達に対する見方も弱いものでした。
 それでも、彼は優しく、かわいい子でした。
 夏休みの宿題で、箱のロープウエイを作ってきて、みんなの前で紐を引いてロープウエイが坂道を上るのを見せてくれました。思わず拍手が起こり、満足した嬉しそうな顔が忘れられません。
 一九七〇年代は公害問題が公になったころで、小学一年生の彼が「きたない水や、空気を出した人がいる。それで病気になった人がいる。」と憤っていました。
 その後東京に行かれ、彼が20才になった年の年賀状を頂いたすぐ後に、亡くなったとの知らせがありました。
 何とも信じられない思いで、その頃の資料を整理していると、私の拙い初めての学級通信に子ども達の「七夕様へのおねがい」が載せてありました。ほとんどの子のお願いは、「プールで上手になりたい。」 「おもちゃがほしい。」 などですが、繁樹君は『天使になりたい』と書きました。
 彼は確かに天使になっていて、あの平和を願う集いの会場にお母さんと一緒にいたのだと思います。
 原子力災害の恐ろしさに、知れば知るほど「震災鬱病」のようになる人もいます。でも、そうではなく、前を向いて平和のためにと、この集いを企画された方々に、亡き繁樹君とともに心から賛同させていただきます。
 もう一人、素晴らしい「アリラン」の歌を聴いて思い出した同じクラスの子供がいます。
 伸ちゃんという元気な在日朝鮮人の子。
 一年生の音楽の時間に、『ひのまる』の歌を教えなければなりません。共通教材と言って、必須だったのです。音楽ワークのページの日の丸の旗に子供たちが色を塗ります。ところが伸ちゃんは『これ、朝鮮の旗や。』と言って、朝鮮民主主義人民共和国の旗を大きく描いてきました。そのキラキラした目を忘れません。焼肉屋を営むお母さんにその話しをすると、「祖国が統一されたら帰ります。」と言っておられました。
 祖国を奪い、名前まで奪った国の旗を、「ああうつくしいにほんのはたは」と、この子に歌わせてはいけないと思いました。日本の子供達にもこの旗の下にどんな歴史があったのかを知らせずに歌わせてはいけないのです。
 私の両親は戦時中の中国にいて、引き揚げ列車の中で私の長兄を亡くし、その兄は今も中国の土となって眠っています。
 母の一番下の妹は広島で女学校の学徒動員で被爆して亡くなりました。8人の母の姉妹のうち、その叔母だけが結婚もできず、数日のうちに訪れる新しい日本も見ず、未来を絶たれたのです。
 私はこんな話を毎年担任の子供たちに話して聞かせてきました。
 亡くなった人たちの思いを受け継ぎ、今自分が生きている意味を問いながら、もっと良い世界を築いていきたい。そんな皆さんの思いの中に小さい私も入れて頂けることは幸せなことです。

 ここで、代読は終わりです。生きるということは、幾つもの貴い命とのさよならを体験することでもあります。そして、何時訪れるか分からない自分の死を見詰めることなしに、自分の今日の命を愛おしく抱きしめることはできません。生きるとは、じつに死者との連帯でもあるのです。
 振り返って見れば、私どもが生まれる二千年も前に、イエス・キリストというお方が貴い自分の命を投げ出してくださった、たった一回かぎりの出来事。この出来事が私ども一人一人の身代わりだったのです。「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない」。
 人種、国籍、文化が違ったまま、なお一つに結ばれて行くことは困難極まることですが、イエス様の復活がすべての人を和解させて一つにしてくださるのです。この実現を信じなくてどうしてキリスト者と言えるでしょう。見えないものを確信すること、ここに私どもは、イエス様の友として立たせられているのです。ハレルヤ。
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