塩の柱
創世記19章15〜29節
 最近、何処の神学校でも、入学希望者が減っています。カトリックやオーソドックスの場合でも同様だそうです。この予測不能、不安定な激動の時代、宗教的関心が深まっているとも言われています。いよいよ宗教の出番か?とも言われています。『不思議なキリスト教』に至っては三〇万部突破という売れ行き。
 が、宗教的な関心が深まることと信仰を問うこととは別物であります。
 子供をキリスト教主義の小・中学校に入れたがる親が多いことと、子供に教会に通うことを勧めることとは別物なのです。
 信仰は、それに関わる当人の決断と同時に責任がのしかかってくるので、たじろいでしまうのです。
 では、なぜ私・森田進は、信仰に近づいたのか、と考えてみますと、それなりの理由付けは出来ますが、これだという決定的な答えが出てきません。全身洗礼を受けたのは、高校時代、浦和福音自由教会で、十六歳のペンテコステであります。
 今振り返ってみると、極めて世俗的理由しか思い当たりません。一つは、日本そのものが厭だったからです。そんな理由付けってあり?と言われそうですが、本当です。
 中学時代から大学時代初期まで、政治・経済中心の日本の中では、文学・美術にのめり込んだ私は役立たない人間ではないのか、文学は、太宰治、堀達雄、萩原朔太郎、トルストイ、ロマン・ローラン。美術はシャガール、ゴッホのフアンの自分は、社会的な生活能力においては、無能な人ではないのか、と悩んでいました。家業は、米穀肥料、石炭、石油・ガソリン販売業を手広く営んでいる父は、将来の私が、外交官か経済界の重鎮になることを強く期待していました。が、私は、そんな現世的な父に距離感を覚えていました。その結果、息子の私は、キリスト者になってしまったのでした。私は、立身出世的な世俗的価値観をひっくり返すことがキリスト教的世界観だと解釈していたのであります。今思えば、他の誰でもないこの私という固有の存在を認めて、生きていいのだという声をキリスト教信仰を通して聞いていたのだと思います。だから当時埼玉県からたった二人しか行かなかった同志社大学を目指したのです。日本でもっとも古いキリスト教主義大学、創立者新島襄が関東の群馬県出身だというのも大きな慰めでした。私は、全く見えなかった未来に向かって決然と京都行きの列車に乗り込んだ。
 と、言うと格好良く聞こえますが、実際は、心細い出発でした。故郷を離れることがどういうことであるかを、その後、身をもって知ったのであります。それは自立することの苦闘の旅でした。悪戦苦闘したわりには、人間としての成長はあまりできなかったのですが、四十年余りを経て、またしても故郷を離脱することになったのです。
 神学校では、赴任先について全く神さまにお任せするのが原則です。「堺」と言われて、どきどきしました。尊敬している、埼玉YMCAの評議員である小倉和三郎牧師に、アブラハムの出で立ちと同じです。まっすぐにお出かけなさい、と言われました。
 「アブラムは、ハランを出発したとき七五歳であった」(「創世記十二章」)。 アブラハムは、ユーフラテス川下流の沿岸都市、古代メソポタミア文明の中心地のウルが故郷ですが、そこから上流西の都市ハランへ、さらに西南に向かって、現在のイスラエルまで大移動します。一族を引き連れて、財産である家畜、金銀、家財などすべてを運搬したのです。紀元前1970年から1700年くらいまでに沸き上がった民族大移動の一つです。民族移動が起こる最大の理由が飢饉です。
アブラハムに限らず、たくさんの民族移動が当時ありました。ほとんど同じコースであったようです。砂漠地帯の苛酷な暮らし、まさに死に物狂いですが、創世記のアブラハムに関する記事は、割合にゆったりと穏やかな移動ぶりが描かれています。神の召命をまっすぐに受け取ったアブラハムのひたむきな信仰が感じられます。途中で、家畜などの管理上の問題があって甥のロトと左右に分かれることになり、低地と山地に別々に住むのですが、この時もロトがまず肥沃な低地を選んだのですが、寛大に受け入れています。けれども14章、現在の死海付近に定住してからの、メソポタミア帝国連合軍との果敢な戦争場面の報告にはびっくりします。この戦争で捕虜にされたロトを奪い返しています。  
 これもアブラハムの一面であり、穏やかであり、果敢勇猛でもあり、統率力もあったアブラハムが浮かび上がってきます。こうして、アブラハムは、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の三大宗教における共通の誇るべき父祖であり、かつ信仰の父として心に強く刻み込まれているのです。
 ところで、私自身は、アブラハムと同世代として、今回は、家も売り払い、書籍もほとんど売り払い、肉親とも一応離れて、この堺の土師町にやってまいりました。
 とはいえ、アブラハムのような立派な人生とはとうてい比べようがありません。役立たず、無能な人という自意識を克服するまで人生の大半を費やしてしまった私は、自分に与えられた賜物を生かして神さまにお献げするために神学校に入り、こうして、人生の最終コーナーを走らせていただいております。
 さて、族長としてのアブラハムがいかに寛やかな心を持った人であるかは十分に分かりますが、弱点も創世記には書かれております。興味のある方は、帰宅後じっくり読んでみてください。そこが聖書に登場する人間たちの牽引力でもあります。
 まして二千年以前の文書ですから、現代の私どもとは全く異なる風習、倫理観、価値観もあり、受け入れるためには、良き導きが必要にもなったりします。
 にもかかわらず、聖書全体は、神さまの、人類に対する救済史として一貫しているのです。読むたびに新しい発見と理解があり、わくわくするのです。
 さて、創世記12章以下は、族長たちの物語であります。今日のテキストは、アブラハムの甥っ子ロトと家族がソドム滅亡から脱出する場面であります。
 ここまで、神に背いた人間たちへの神の怒りの物語は、ノアの方舟、続くバベルの塔の崩壊がありますが、この線上にソドムとゴモラの滅亡のドラマが描かれていきます。三つとも神の介入による怒りなのですが、いちばん人間臭い、つまり文学的なのが、この滅亡物語です。ただし、どの物語も神の憐れみによる救済がちらっと見えています。
 19章をご覧ください。その頃、ロトは十分ソドムの町に溶け込んでいて、町の指導層の一員になっていたのです。伯父アブラハムとの長いつきあいの中から見えてくるロトの人となりは、どちらかというと単細胞、条件反射的な凡庸な人物であります。しかも、ソドムとゴモラは肥沃な低地に築かれた繁栄する都市文明を満喫していたのであります。現在の死海は当時豊かな沃野だったらしい。残念なことにいまだにソドムとゴモラがどこであったのか遺跡を突き止められないままです。死海辺りであることは確実です。もともと半遊牧民的なイスラエルは、都市文明の周辺で暮らしてきた部族連合であり、本来的には反都市的、反文明的な性質を持っていました。ソドムがどの程度、道徳的に堕落した都市であったのかは疑問が残ります。なぜならロトの家族が溶け込んでいたのですから。とはいってもユダヤ教の倫理観からすれば堕落そのものの象徴であったことでしょう。神はこのソドムを滅ぼす決定をすでにしていたのでした。その神に義人が何名いたら災害から逃れられるかと、アブラハムは粘り強く何度も交渉したのであります。愛する甥ロトの家族が住む都市を救いたい一心であったことでしょう。こういう背景を前提にして、19章が展開されてしまったのです。
 19章1節、「二人の御使いが夕方ソドムに着いたとき、ロトはソドムの門の所に座っていた」。 道徳的に堕落した都市はまたしても犯罪を匂わせる夜の帳の前の時を迎えていた。なぜロトは門の所に座っていたのか、聖書は何も書いていない。漠然ともの思いに耽っていたのでしょうか。あるいは伯父アブラハムの一族のことを思い浮かべて会いたいなあと懐かしんでいたのでしょうか。ロトは伯父がソドムの滅亡を心配し、命懸けで神と直接交渉をしているとは思ってもいなかった。
 「ロトは彼らを見ると」、「ひれ伏して」迎えた。これがロトたちの救出の伏線になるのです。ロトは3節、「酵母を入れないパンを焼いて食事を供し」と続きます。旅人が何者であるのかを確認もしていませんが、旅人をもてなすことは律法の定めであります。かつてエジプトで寄留者であったことを忘れないための優れた倫理的配慮であります。ところが,町のならず者たちは目敏かった。五節、「連中はどこにいる。ここへ連れてこい」とわめいた。ていねいに拒否したロトに向かって、「こいつはよそ者のくせに、指図などして」。 ここにはロトがこの町に溶け込んでいてもほんとうはそうではなかったことが露わになる場面です。こういうことはよくあることです。ロトの位置が見える場面です。二人は神の御使いであると名乗り、ソドム滅亡を告げます。余裕などない。緊急避難しかない。
 一方、婿たちは、あまりにも突然の情報を信じようとはしなかった。14節「冗談だと思った」。 ここはもの凄い真実感があります。あまりにも凄い情報に触れると、それを回避する装置として、冗談だと思って笑い飛ばしたくなるものです。15節、「夜が明けるころ、御使いたちはロトをせきたてて言った」云々。夕方から夜明けまで、あまりにも緊急な危機に狼狽えるロトと妻が目に見えるようです。私は、67年前の空襲警報のサイレンを思い出してしまいます。夜空を焦がす美しいB29の銀色の巨大な翼、絶叫する人々の声、防空壕に放り込まれた子供だった私の恐怖。それらとは異なるにしてもロトはロトなりに滅亡のイメージを描いたことでしょう。
 16節、「ロトはためらった」。 娘と婿、財産、なじんだ都市の光景、あれもこれもほんとうに滅びてしまうのだろうか。しかし、主はもう待っていられなかったのです。
 23節、「太陽が地上に昇ったとき、ロトはツヲアルに」着いた。命からがら辿り着いたのです。24節「主はソドムとゴモラの上に天から、主のもとから硫黄の火を降らせ、これらの町と低地一帯を、町の全住民、地の草木もろとも滅ぼした。ロトの妻は後ろを振り向いたので、塩の柱になった」。 
 「後ろを振り返ってはいけない」という主の言葉をまっすぐに受け入れて、渾身の力を振り絞って走り続けたロト、後ろ髪をひかれて娘たちや婿たちを思って思わず振り返ってしまった妻、どちらがより人間らしかったのか、みなさんはどう思いますか。
 29節、「神はアブラハムを御心に留め、ロトを破滅のただ中から救い出された」のであります。となると、神さまの心を和らげたのは、アブラハムなのであります。この族長の懇願を通して、ロトは救われたのです。これは、神の一方的な憐れみの結果なのです。ひたすらな信仰を生きるアブラハムがあって初めてロトたちは救い出されたのであり、一方で、妻は永久に塩の柱になって二千年以上後の今日も死海の辺で立ち尽くしているのであります。その姿は、後ろを振り返ったままであります。もう跡形も無く消え失せてしまった古代都市を思いなしか、じっと見詰めているようです。
 私どもは、確実にロトよりも、妻に近い存在、です。
 もしあの時代に生きていたら、当然、塩の柱になっていたでしょう。しかし、主イエス・キリストの出現によって、この私どもは生きられる者になったのであります。ということは、主イエスさまの深い憐れみによる救いに与って今日も生かされているのであります。
 主にすがって生き抜くしか道はない。
 この弱い私どもを憐れみながら、今なお語りかけてくださっている神さまを見上げて、一歩一歩、歩まなければならない。
 主の憐れみに感謝しましょう。ハレルヤ。


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