炎のような舌
使徒言行録2章1〜13節
 今、お借りしている庭には、背丈の低い月見草が、あちこちに散在しています。夕暮れになると、お月様の柔らかな破片のように、灯るのです。心が和みます。
 そして、朝になると、タンポポが開きます。府立大にも土師にも白いタンポポはないようです。わたしの故郷さいたま市にかつてあった市営墓地の一角には、刑務所が管轄している囚人墓地がありました。そこには春になると必ず白いタンポポが咲きました。囚人のわびしい木の墓標の間、間に咲きました。毎年春分の墓参りになると、少年の私は、必ず囚人墓地のシロバナタンポポを見詰めたものです。
 シロバナタンポポはもともと関東より西に多いようです。高知県の安芸市は、シロバナタンポポしかありません。わたしが善通寺の四国学院大学で働いていた時、安芸市出身の新入生が、大学のキャンパスを埋め尽くすタンポポに驚いて、「黄色いタンポポ、黄色いタンポポ」と叫び声を挙げました。
 黄色いタンポポ、と言えば、忘れられない出来事があります。小学校低学年の春の遠足、徒歩でさいたま市の西を流れている荒川の土手を訪れました。まさに、「黄色いタンポポ、  
 黄色いタンポポ」だったのです。子供の私は、興奮しました。黄金の宝石が、荒川を背景にして、見渡すかぎり笑っていたのです。
 帰宅するやいなや、父を捕まえて、荒川で出っくわした黄金の宝石のパノラマを再現しようと、必死になって、話したのです。
 予想外でした。父は興奮しなかったのです。わたしの感動を共有してくれると信じていた私は、うっちゃりを食ったのです。この時の深い失望は、その後ずっと消えませんでした。 
 あの時、ひとは、必ずしも自分と同じようには共感してくれない、無視、あるいはまったく感じないこともあるのだ、という、苦い目覚めを経験したのであります。父と私の間には、考えていること、感じていることが、通じない時がある。これが私にとっての父との間の溝の始まりであり、父から孤立して行く悲しみ、あるいは自立していく始まりでもあったのです。
 さて、今日のテキストは、使徒言行録の2章です。この場面は、ペンテコステ(聖霊降臨日)礼拝の時にはしばしば読まれるご存知の個所です。ペンテコステは、ギリシア語です。50回目という意味です。原始キリスト教の歴史の中で、次第に儀式として確立していくのですが、2世紀の終わり頃には、イースター(復活祭)と並ぶ祝日になりました。それまでは、イースターにのみ限定されていた洗礼が、ペンテコステにも行われるようになりました。
 使徒言行録の作者ルカは、ご存知のように内科医であり、またキリスト教の歴史を、信徒の立場からその起源から捉え直した、最初の歴史家でもあります。
 ところが、この言行録を書いている時には、イエスさまはもういらっしゃらないのです。イエスさまの直弟子たちは、ほとんど地上の生を終えています。その後の世代だったのです。ただし、使徒言行録を読んでお分かりのように、ルカはパウロのアジアからヨーロッパへの宣教の旅へも同行しているのです。その辺りの苦難の旅の実体は、大冒険海洋文学に負けない生き生きとした筆遣いで描かれています。が、1章からパウロの回心の直前までは、ちょっと筆遣いが異なっている。実体験ではないので、具体的、記録的、実証的な文体ではない。ましてや教会の誕生を描くペンテコステを描写するにはどうしたらいいか、もちろんたくさんの資料を集めたでしょうが、聖霊が降ってくるという奇跡の場面となると、科学者の目だけではお手挙げだったのです。それでもキリスト教の決定的な成立を伝えなければならない。どうしたらいいか。
 みなさんが当時のクリスチャンだったら、どうしたでしょうか。
 こんな時に力を発揮するのは、文字よりは絵画ではないでしょうか。日本の高僧や寺の縁起絵巻、例えば「聖徳太子伝絵巻」、あるいは、「信貴山縁起絵巻」のような絵巻の方が文盲の庶民にも分かり易かったはずです。
 しかし残念なことに、旧・新約時代のイスラエル美術史には、誇るべき宗教絵巻はありません。見えざる一神教の世界、偶像禁止の世界では、無理もないでしょう。
 そこにあるのは、徹底的に言葉の宗教なのです。とすれば、残された可能性は、伝承の力の上に立って、言葉で表現するしかありません。使徒言行録の冒頭部は、こうして使徒伝承の力の上に立って、ルカが自分に与えられた筆力を尽くして描写したのであります。
 そう思って、あらためて読むと、まるで現代のアニメーションのような大胆なイメージの世界なのです。
 2章1節、「五旬節の日が来て、一同が一つになって集まっていると」、 ここだけでもわくわくしてきます。なぜなら、当時の人々にとって五旬節は、過越の祭りから50日目、すなわち五月の末頃、もっとも良い季節であり、収穫祭でもあるからです。ユダヤ教徒にとって重要なことは、祭りを守ることです。ことに三大祭り(過越まつり、五旬節、仮庵祭)は、エルサレムから30キロ以内の住民は必ず出かけて行って守らなければならなかった。このペンテコステ(五旬節)の時は、散らされたユダヤ人がみな集まってきて、エルサレムは賑わい、ふだんの二十倍も人口が増えて百万人にも上ったとも言われているのです。地中海各地からの船旅にも適した季節、皆が楽しみにしていたのです。そしてユダヤ民族であることを再確認する絶好の機会でもあったのです。
 この賑々しい祭りの日が聖霊降臨と重なったのであります。この場合、「一同が一つになって」という表現が大切なのです。聖霊は、旧約ではしばしば預言者個人に降る場合が殆どです。しかし、ここでは、イエスさまが予告された聖霊が与えられるのを、今か今かと待ち続けていたユダヤ教系信仰宗教と言われたキリストに従う信徒たちが、この日も、どこか、ある場所で一塊になって、ひたすら待っていたのです。2節、「突然、激しい風が吹いてくるような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた」。 旧・新約聖書に於いて、風は、神の息吹であり、霊であります。息吹と霊が風という音で表現されているのが、身近な感覚であり、親しめます。続く3節、「そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった」。 学校の化学の実験の時に使ったアルコール・ランプの炎を思い出すといいでしょう。炎は舌の形に似ています。あるいは、寺の仁王像の後背の紅蓮の炎を思い描いてもいいでしょう。
 私のような年寄りは、あの第二次大戦の空襲が想起されるのです。銀色の大きな翼のB29が襲いかかってきて、次々とヒューヒューと寒気が増してくる音を立てて落下してくる爆弾の雨。たちまち燃え上がった我が家の二階で、幼い私を蒲団で寿司捲きにして、絶叫しながら一緒に転がり落ちた祖母。あの恐怖の火事現場がありありと甦るのです。まっかな炎のような舌が逃げ惑う人々の上に容赦なく襲いかかる。これが空襲に見舞われた現場の光景です。
 が、テキストは、聖霊が降ってきた場面です。「炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった」のです。空襲と霊の降臨をごちゃ混ぜにするのは滅茶苦茶だと分かっていますが、あの恐怖感は同じであろうと思います。
 日常性を突き破る聖なるものとは、私どもに恐怖感を与える超越的なるものでもあります。
 4節、「すると、一同は聖霊に満たされ、霊≠ェ語らせるままに、他の国々の言葉で話しだした」。 一人一人の上に霊がとどまり、そして一同は霊に満たされたのです。
 こんな出来事を、集った者一同が共通して経験している。これが決定的です。こうして使徒たちは、共同で在りつつ、一人一人が、同時に満たされて、神の証人として立ち上がったのです。これが、教会の誕生、です。
 ルカは、教会誕生の真実を描くために伝承の力に頼って編集しました。さすがは医師です。冷静な目と篤い信仰が描いた聖霊降誕アニメーションです。
 その現場にいなかったルカが、どうしてこんなに、ありありと描けたのか、その秘密をほんの少し学べたような感じがしませんか。
 かれらは、5節、「だれもかれも、自分の故郷の言葉が話されているのを聞いて、あっけにとられてしまった」。 とあります。さあ、かれらは何を語ったのでしょう。意味不明の異言であったら、何の感動も与えられなかったことでしょう。
 そうではありません。
 11節、「彼らがわたしたちの言葉で神の偉大な業を語っているのを聞こうとは」。
 この偉大な業とは何か。これは病気を癒す奇跡の業のことではありません。弟子たちはこぞってイエスさまが旧約以来熱望されてきたキリストであるという信仰告白をして、人間の救いについて熱く語ったのであります。収穫を感謝してパンを献げる五旬節は、イエス・キリストを讃美する証しの大集会へと変貌したのであります。
 では、その証しを聞いた7から11節までの人々は、いったどこから訪れた人々でしょうか。イスラエルを原点にして見渡せば、アジアの北東方面のメソポタミアの人々およびアジアの北西のトルコ方面の人々、そして南西のエジプト方面の人々であります。つまりイスラエルを原点にしたほぼ円周にすっぽりと入るでしょう。さらにローマからの滞在者もおります。当時の地中海世界、すなわちローマ帝国の領土とかなり重なるのであります。五旬節の祭りは、世界中のユダヤ教とユダヤ教への改宗者たちを目の前にして、ユダヤ教からキリスト教へと転換していく歴史的な日を迎えたのであります。なんという壮大な物語の舞台設定でありましょう。
 神が介在したバベルの塔の崩壊に拠って、ばらばらになってしまった言語でありますが、ここに展開されているのは、そのばらばらな言語それぞれの言葉で語られた弟子たちの口を通して証しされた福音であります。世界を一つに纏める言語は、ギリシア語でもなく、イエスさまが語ったアラム語でもない。世界を真に一つに纏めるもの、それは福音なのであります。ペンテコステ(五旬節)は、ユダヤ教からキリスト教が独立して世界宗教として出発した第一日目なのです。
 この最初の日を経験できなかったルカが、描いた栄光の日のドラマです。どうでしょうか。直接体験しなくても証人になれるのです。実際私どもは、二千年後の証人なのです。
 
 あの小学校低学年の少年であった私のタンポポの土手の感動は、結局父の感動を呼び起こすことはできなかった。が、わたしの感動がそのまま伝わらなかったのは、伝えられる賜物がまだ私には与えられていなかったのであります。おそらく父は、幼い息子の興奮は理解したことでしょう。感動の共有はできなかったが、息子の興奮と同時に失望も理解してそっと懐の奥深くにしまいこんだに違いありません。
 そして、「今日の失望を噛み締めて成長せよ」とそっと応援してくれただろうと、今にして思うのです。
 後年、父は、私と共に弘法大師の誕生寺である善通寺を尋ねた折、周りの人を驚かす大声を挙げて、「私はかつて罪を犯しました。お赦しください」と叫んだのです。父が何を言いたかったのか、その時十分に大人になっていた私は、分かっていました。父がもう少し生き延びていてくれたら、牧師になった息子をきっと祝してくれたに違いありません。
 ペンテコステに始まった教会の歴史は、二千年後、土師にもこの教会を打ち建てたのであります。しかも、クリスマス・イブの日に。  
 今日、私どもは、もう一度、心をさらけ出して、この礼拝堂に響き渡る風の音に耳を傾けましょう。あれは、聖霊の招きの声だと確信できるまで。
 祈りましょう。


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