絶えず祈りなさい
テキスト テサロニケの信徒への手紙一 5章12〜25節
 連休はどう過ごされましたか。家族サービスあるいは個人的な気分転換、あるいは久しぶりにお墓参りに行かれた人もいるのではないでしょうか。その間、関越道の長距離バス、トラック追突事故、北アルプスでの遭難など悲しいニュースも飛び込んできました。しかし、自然はこのところ、穏やかで、若葉といろいろの花々が心を落ち着かせてくれます。
 牧師館の庭には、葱坊主が賑わっています。花が集中している葱坊主には黄揚羽や青筋揚羽が時折やってきます。蝶々の目はよく見るとどう猛な怖い感じがします。獲物を狙って急降下し、襲いかかる鷹と同じ目の表情です。ただし、どう猛で怖い感じと思うのは、人間の勝手であります。ほんとうは懸命に仕事に励んでいるのです。

  てふてふが一匹韃靼海峡を渡って行った

 という堺市育ちの詩人安西冬衛の有名な一行詩があります。事実、福島県から奄美大島まで年に一度大旅行して渡って行く蝶々もいるぐらいです。しかも、かれらが吸う花の種類は特定のものしかありません。その生き抜力には驚くべきものがあります。
 牧師館の庭に遊ぶ蝶々、ではなく。庭で全力集中して葱坊主の蜜を吸っている蝶々。あれは全力集中で神さまにしがみついている信仰者の姿と重なってきます。花も蝶も生きることそのものの表現なのです。
 さて、今日のテキストは、テサロニケの信徒への手紙であります。テサロニケは、どこにあるのでしょうか。聖書の付録の地図の9、パウロのローマへの旅をご覧ください。黒海の左とエーゲ海の上の部分マケドニアの辺りです。
 マケドニアと言えば、アレキサンダー大王という名前が思い浮かぶ。ああ、歴史の授業でやったな、と、思い出しませんか。あの人です。紀元前358年から323年、弱冠35歳で亡くなった。マケドニアの王フィリップス二世の子です。これがフィリピという地名です。20歳で即位、卓越した戦争技術を駆使して、ギリシア、シリア、エジプト、ペルシアと、東はインドまで征服して帰還しました。後のローマ帝国以前の世界大帝国を作り上げた帝王です。彼は、言ってみれば世界主義を実現した最初の英雄です。彼の理想は、普遍的であると信じたギリシア文化を世界中に伝えることだったと言われています。じつは日本とも遠く繋がっています。無関係ではありません。
 それは何か。答えは、彫刻です。ギリシア彫刻の美は、いまさら言うまでもありません。その影響の結果、インドで仏像が発生したのです。それまで仏像というものはなかったのです。釈迦の足跡(あしあと、そくせき)を慕う心を仏足(ぶっせき、そくせき)を作って表現していたのです。初期の仏像がギリシア系の顔をしているのを見ても頷けます。仏像の多くは、祈っている姿であります。その仏像が東アジアに入って来て日本に上陸したのです。その歴史の面影は法隆寺の壁画に残っています。その後神道にも影響して神功皇后などの神像まで生みだしました。さらに明治以降の立像建立にまで及んでいます。私どもには、堺市市民文化会館の呂宋助左右衛門像が身近です。
 アレキサンダー大王の故郷がテサロニケであります。これは異父妹にちなんだ名前です。
テサロニケは、アレキサンダー大王のお膝元であり、当時の世界の中心地の一つであった。ローマとアジアを結ぶ道であり、世界を結ぶ貿易の港町でもありました。使徒言行録16章を読むとそんなヨーロッパに初めて使徒パウロは、上陸したのであります。そしてユダヤ教から独立したキリスト教は、福音を世界へと伝える契機となったのであります。キリスト教は、クリスチャンに神の選民としての自覚を促して、人種と国境と言語を越えて世界化していく第一歩を踏みしめたのであります。ここからキリスト教は、ローマ帝国の奴隷階級にも浸透して行ったのであります。
 パウロが育てたテサロニケ教会は、喜ばしい福音の種を通してすくすくと成長していましたが、ギリシア哲学や文学の影響も強くて、教会は必ずしも健全に育っているわけではなかったのです。まだ新約聖書はなかった、聖書とは旧約のことだったのです。
 パウロから伝わった、キリストの再臨が、しだいに切迫感を伴って人々に迫ります。やがて、再臨を前に何をやっても意味がないと誤解されて、日常の生活感が失われて、というより日常性を疎んじる傾向が強くなっていくのでした。
 これは、コリント教会をも巻き込んだ快楽主義へと雪崩れ込んいく。傾いていくのでした。
 そこでパウロは、クリスチャンとして、教会員として、どのように生活すべきであるのかを勧告して、主の日(再臨)への目覚めを促しているのです。
 ところで、クリスチャンという言葉の意味は、ユダヤ教の分派、すなわちキリストにいかれた野郎たちという軽蔑語として使われたのが出発であります。そのクリスチャンたちにパウロは、しっかりしなさい、日常のあれこれに心を惑わされて、煩わされ疲れ果てて、何もかも放り出して、逃げるように眠るのではない。そうではなくて、主と共に生きる、主に委ねて生きる安らぎこそ、私どもが求める不安の抹殺であることを懇切ていねいに説いたのであります。それらをこんこんと説いた後で、結びの言葉として纏められた部分が、今日のテキストなのです。すなわち五章十二節から二五節であります。
 12節、兄弟たち、あなたがたにお願いします。あなたがたの間で労苦し、主に結ばれた者として導き戒めている人々を重んじ、13節、また、そのように働いてくれるのですから、愛をもって心から尊敬しなさい。互いに平和に過ごしなさい。
 パウロは、明らかに教会を意識している。
 「あなたがた」と複数形を使って呼びかけている。すでに教会の組織化が始まっている原始キリスト教の時代である。おそらく50年代後半でしょう。「労苦し、導き戒めている人々」は、教職者や役職者を指しています。この場合「あなたがたの間で」が重要なのです。
 つまり一般信徒も教職者もみな教会を建設している仲間なのです。が、役割が異なる。召された人々がおり、それゆえに、「労苦し、導き戒める」という重責を担ってくれているのです。だから「重んじなさい」と勧告している。仲間であるからこそ、「愛をもって心から尊敬しなさい」と勧告する。これは教職者に何か特別な優越的な特権を許すということではありません。神の前に全く平等な一直線の仲間なのです。その仲間を尊敬できること、これが愛なのです。続く「平和に過ごしなさい」も重要。ときには、意見が食い違って喧嘩になり、尾を引いて憎しみの感情に取り付かれてしまう事もあるでしょう。そのとき、十字架のイエスさまを思い起こして、憎しみの感情を克服できなければ教会員としては失格です。この時、祈らなくてはならない。祈りは不可能への挑戦なのです。一度祈ってすぐに答えが出てくる祈りは祈りではない。憎しみが浄化されて安らぐこと、そこまで至らなければならない。これは葱坊主にしがみつく蝶々の姿勢なくして実現しない。
 14節は、教会員同志が相手に実行すべき態度がはっきりと書かれています。ここで注目したいのは全て複数形であることです。お互いになすべきことなのです。私どもは、ともすれば、互いに、怠けやすい、気落ちしやすい、弱い者なのです。だからこそ、「怠けている者たちを戒めなさい」。「気落ちしている者たちを励ましなさい」。「弱い者たちを助けなさい」と命じられているのです。これが信仰の訓練です。誰かにいつも助けを求めているだけでは鍛えられない。時には自分の方が他者を、戒め、励まし、助けることが私たちが祝される道なのです。その結論が、「すべての人に対して忍耐強く接しなさい。いつも善を行うよう努めなさい」なのです。うわあ、大変、私には無理、です。
 ですが、ここまで言われて、初めて、反省するという意味が、祝されるという意味が、分かってくるのではないでしょうか。この命令がじつは、祝福の言葉だ、として、受け入れられる地点まで辿っていきましょう。
 16節以下は、当時のテサロニケ教会を分析したあとで、パウロが出した結論です。
すなわち、「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい」です。うわあ、これは、もっと大変だと言いたくなるのですが、ちょっと待ってください。誰がどう考えたってこんな結論は出せないでしょう。それなのにパウロは大真面目でこう書き記したのです。続きをご覧ください。「これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです」と。命令ではありません。が、望んでおられることなのです。無茶な、と言いたい気持ちをじっと抑えて、深く考え直してみましょう。分かるような気がしませんか。思い惑った時に、最低限この個所を思い出せるといいですね。あるいは手帳にこの個所を書き写して置いてください。もしかしたら、ちょっとここに近づけるかも知れません。喜びと祈りと感謝、この三本立て興業こそ私どもの目標なのです。
 ここで、ちょっと祈りについて考えてみます。『車輪の下』や『シッタルダ』を書いたドイツの作家、ヘルマン・ヘッセをご存知ですか。彼は、仏教を熱心に勉強した人です。庭仕事が好きでした。人間が土に向かっている姿は、祈りの姿だと言っています。農民を描いたフランスの画家ミレーの傑作、晩鐘という作品をご存知ですか。夕暮れの農場で夕べの鐘の音を頭を垂れて聴いている農民を描いています。
 私が知っているほとんどの花は、蕾が開いていくその姿が祈りに似ています。人間は信仰を持っていようと、なかろうと、切羽詰まった苦しみの中では、祈りの姿勢を取る存在です。ひとときブームになった阿修羅像の祈る姿は、両手の間のやわらかな微妙な空間が魅力的でした。
 そして、どれにも共通しているのは、犯罪者が両手に手錠をかけられた姿とよく似ているという事実です。祈りとは、罪ある者が救いを求める姿によく似ているのです。
 テキストに戻りましょう。23節、「あなたがたの霊も魂も体も」神が非のうちどころのないものにしてくださいますように、と.書かれているとき、この「霊と魂と体」とは、三本立て興業に人間という意味ではありません。これは、霊である人間、魂である人間、体である人間、という三つの視点から捉えた人間像であります。私どもは、極めて複雑なな存在なのです。この複雑な存在である私どもをお創りになった神さまを、いつも感謝して見上げていたいものです。
 最後に、25節、「兄弟たち、わたしたちのためにも祈ってください」、 なんという素晴らしい言葉でしょう。書き送られた手紙を通して限りなく慰められたテサロニケの信徒たちに向かって、パウロは私たち使徒たちのためにも祈って下さいと認めている。神の家族としての兄弟、という実感をもって迫ってくる。パウロと遠くにいる信徒たちは、こうして祈りの鎖でお互いを縛ったのであります。    
 祈りは、祈り合うことによって、さらに一つの体の奥に入っていくのです。ハレルヤ。

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