ここは天の門
 みなさんは、未成年の時代に、家出したことがありますか。ある人はある。ない人はないでしょう。が、どちらであれ、自分がいるべき場所はここではない。きっとどこかにあるはずだ、と思い詰めた経験はきっとあったことでしょう。自分探しの旅、あるいは青い鳥症候群でもあります。
 高校時代の私は、何度か家出したことがあります。いまだに人前では言えない、言いたくない事情を抱えていました。埼玉県の西部に所沢という町がありますが、そこからさらに秩父へと向かう山の中に竹寺という小さなひっそりとした寺があります。現在はちょっとした観光寺院になってしまいました。その寺に山百合が強い香りを漂わせている七月、家出して泊まりました。質素な精進料理を食したあと、テレビもないので、持って行った文庫本の頁をめくっていました。下の方におそらくは所沢の灯火がちらつき始めました。やがて漆黒の闇になり、星が輝き出しました。その夜は禁酒して、じっと星を仰いでいました。下界は、世俗は、どうしてあんなにどす黒い、汚いのか、俺の周りはどうして愛が薄いのか。止めどない嘆きと怒りが押し寄せて来るのでした。が、同時に生きたい、生き生きと生きたいという喉を突き上げる叫び、も体中に溢れていたのです。
 翌朝、赤い目のまま、重い頭を抱えて、さいたま市の荒川の辺をふらふらになって歩き続けました。あの家出の間、私はずっとずっと一人でいたかった。
  白鳥は悲しからずや
  空の青海の青にも染まず漂う
 という若山牧水の短歌が浮かび上がってきました。
 でも、その夜、お酒が飲みたくて、ぼんやり家に戻って来たのでした。
 大学は、キリスト者である私は、京都の同志社に行きました。埼玉県から一人しか行かなかった。関東から離れて、関西での学生生活は限りなく刺激的であり、キリスト教にものめり込んで行きました。が、故郷(家)を捨てたという意識からは自由になれず、その後下関、四国は善通寺、韓国、東京を経て、故郷に戻るまで30年余りの月日が過ぎて行ったのです。「森田と言えば、放浪癖止まずの森田」と言われ続けた私が、背負い込んだものとは何だったのでしょうか。そこには、キリスト教が絡んでいましたが、この微妙な問題については、いつか改めてご報告いたします。
 あの家出して訪れた山の寺。限りなく孤独でありながら、禁酒して過ごしたあの夜に見た星、それはわたしの悲痛な夜でありましたが、ほのかな喜びでもありました。私が辿って行くであろう放浪の人生の予感でもあり、自分探しの旅への出発でもあったのです。わくわくしてもいたのです。
 
 さて、今日のテキスト個所も、やや変形した家出物語りであります。神に導かれたアブラハムに続く一族のカナンへの定住物語の一部であります。イサクとリベカの間に授けられた双子の兄弟エサウとヤコブをめぐる家族ぐるみの騒動が描かれています。双子をめぐるお話は世界中にあり、兄弟相争うドラマの絶好の設定条件なのです。じつは、わたしにもふたごの娘がおりますが、ありがたいことに相争う騒動は起こっておりません。ごく平凡な人生を明るく逞しく新潟県で過ごしております。
 さて、二人の誕生を創世記25章24節以下は次のように描いています。「体内にはまさしく双子がいた。先に出てきた子は赤くて、全身が毛皮の衣のようであったので、エサウと名付けた。その後で弟が出てきたが、その子がエサウのかかと(アケブ)をつかんでいたので、ヤコブと名付けた」。 その後の二人の人生については、主があらかじめ語っているのですが、これはエドム人(赤い人たち)を倒したダビデ王の歴史伝承が背景にあるのです。29節、ある日、狩人になった兄のエサウが家に帰って来て、空腹のあまり弟ヤコブの作ったレンズ豆の赤い煮物を食べさせてもらった代わりに長子権を譲ってしまうという大失策をしてしまいます。
 日本も敗戦直後まで、旧民法の時代には、大家族制度でしたから、家父長権があり、父親の権限は上意下達、ほとんど絶対的であり、一番年上の長子権も同じでありました。現在の日本でもその面影は残っています。古代イスラエルも男尊女卑、大家族制でありました。双子とはいえども長子権はほとんど絶対的であったのです。その長子権であります。
 
 テキストに戻ります。どちらかと言うと、兄エサウは、直情径行、木訥な青年であり、弟のヤコブは、天幕の周りで働くのを好む穏やかな青年でした。そして、父イサクは兄のエサウを愛し、母リベカはヤコブを溺愛していたのであります。これが家騒動のひとつの原因になっていくのです。父の祝福を母の入れ知恵でまんまと手に入れた弟ヤコブ。ヤコブには、母の唆しに乗って、父と兄を騙して家督権を奪ったという良心の痛みがあったに違いありません。家督権とは、一家の長として家を監督し指揮する権威と資格のことです。一方の兄エサウは、自分の心の緩みで長子権を譲ってしまった、その上、家督権まで奪われてしまったという衝撃と怒りに震え上がっています。27章34節、「悲痛な叫びをあげて激しく泣き」、 やがて、四一節、「ヤコブを憎むようになった。そして、心の中で言った。『父の喪の日も遠くない。そのときがきたら、必ず弟のヤコブを殺してやる。』」
 この言葉が耳に入った母リベカは、ハランにいる伯父さんのところに匿ってもらえと説得して、ヤコブを旅立たせたのであります。イサクから祝福までもらって。
 父イサクは、嫁取りのための旅だと思い込んだのです。一方、兄のエサウは、自分の妻二人がカナン出身なので父が気に入らないのだと思って、新しい妻を迎えるのでした。
 ここまでが、今日のテキストに入る序曲なのですが、みなさんは、だいたいは覚えておいででしょう。
 さて、ようやっと10節、「ヤコブはベエル・シェバを立ってハランへ向かった」のです。駱駝の瘤にまたがって、ではありません。お伴の従者が付いたとも書かれていません。秘かに兄の目を逃れての逃亡の旅だったのです、これはある種の家出であります。
 高校時代の私の場合は、堂々とした家出でしたが、行き先は漠然としていて、夕方になって山寺を思いついたのでした。
 ヤコブも私も、秘かに家をでた。ただしわたしは父からも母からも逃亡した。ふたりとも必死であり、初めての夜を迎えようとしている。その夜は晴れ。ヤコブの目に入ったのはいちめんの輝く星であったに違いない。なぜなら、28章11節、「ヤコブはその場所にあった石を一つ取って枕にして、その場所に横たわった」とあるからです。普段なら天幕の中でゆっくり眠れるものを、何時野獣が襲ってくるかも知れない砂漠地帯の夜。兄が放った暗殺者に追われているかも知れない。カインとアベルの兄弟殺しの話を思い出す人もいるでしょう。底知れない恐怖に包囲されて、ヤコブは後悔したかも知れない。どちらかと言えば穏やかな性格ということは、優柔不断、他人に乗せられやすく、ときには狡賢く立ち回る暗い面をもった人物であった可能性が高い。どう考えてもヤコブは正義派ではない。とは言え、こんな恐怖に包囲されて、初めてヤコブは独りぽっちの底知れない絶望にさらされたのであります。中近東の砂漠地帯にあっては、砂原と巨岩しかない。枕にしたのはかわいい手頃な石ころではない。「石を一つ取って」であり、「石を拾って」ではない。わたしどもの東アジアでは、陶磁器性の石枕がありますから、石の枕は、唐突ではなく、考えられる範囲です。もしかしたら石の枕を作ったのかも知れません。
 さあ、その後が天に通じる梯子の場面です。
 梯子も階段も同じ意味です。私ども日本人に。は、梯子のほうが想像しやすい。12節、「すると、彼は夢を見た。先端が天まで達する階段が地に向かって伸びており、しかも、神の御使いたちがそれを上ったり下ったりしていた」。 
 古代の人々にとって夢は大きくて深い意味を持っていました。現代の私どもは、夢は単なる生理現象の一つであったり、深層心理の現れだという解釈でけりが付いてしまいます。が、本当にそれだけのことでしょうか。しばしば亡き人が夢枕に立ったという話しを聞きます。そして「寒い」と言った。驚いて墓場に行くと、墓の納骨地下室が水浸しであった、とわたしの父も言っていました。
 法隆寺には、有名な夢違い観音がございます。高さ八十七センチの白鳳時代の金銅仏の傑作です。あれは、ちょっと複雑な意味を担っています。悪い夢を見た時、この観音さまに祈ると、良い夢に変えてくださるという古代信仰の一つです。ということは、日本でも古代人は、夢に出てくる出来事を現実以上の現実として受け取っていたという事実であります。蛇足ですが、法隆寺には聖徳太子が創建した八角形の夢殿があり、そこの本尊は長身の秘仏、救世観音であります。世を救う救世主の救世と書いて「ぐせ」と発音します。メシア像なのです。脱線は、ここまで。 
 砂漠の星降る夜、恐怖と壮絶な孤独の夜、ヤコブが見た現実は、「12節、「地に向かって伸びて」いる天からの階段であったという事実です。私ども現代人は、地上から天上へという垂直的思考には好意的ですが、逆なのです。天から地上へと伸びて」いる垂直線です。「しかも、神の御使いたちがそれを上ったり下ったりしていた」とはっきり書かれている。ここからみなさんは、何を想起するでしょうか。愛する一人子のイエスさまを地上に送って下さった父なる神、天と地を自由に結ぶ神さまの御心ではありませんか。驚くべき透視図であります。旧約と新約は、こうした物語を通して、福音を一貫して語りかけている。    
 だから、その直後13節、「見よ、主が傍らに立って言われた」のです。「わたしは、あなたの父祖アブラハムの神、イサクの神、主である」。 これは、旧訳にしばしば現れる神の顕現を示す台詞です。そして15節で決定的な言葉が出現します。「見よ、わたしはあなたと共にいる。あなたがどこへ行っても、わたしはあなたを守り、必ずこの土地に連れ帰る。わたしは、あなたに約束したことを果たすまで決して見捨てない」と。これ以上の喜びはない。この主の言葉を、孤独と絶望の砂漠の夜の夢を通して見て、聞いたヤコブの魂は、踊りあがった。
 その時、眠りから覚めたのです。十六節、「まことに主がこの場所におられるのに、わたしは知らなかった」と懺悔し告白したのでした。ここに書かれているのは一族家族から離れていても、その単独の私一人に語りかけ、出会い直させてくださる神さまの実在なのです。
 神さまとの決定的な出会いの砂漠の初夜から、その後20年間ヤコブは異郷で鍛えられるのであります。
「ここはなんと畏れ多い場所だろう。これはまさしく神の家である。そうだ、ここは天の門だ」。 孤独の極みの中で、ヤコブは、天の門に立ったのであります。
 高校生であった私の山寺の一夜も故郷からの新しい旅立ちの記念的な一夜になったのであります。

 50年後、故郷さいたま市を離れて、初めての堺市土師町に赴任した私に、ヤコブに語りかけた主が、またしても、「見よ、わたしはあなたと共にいる」とはっきり宣言なさってくださったのです。私は奮い立ち、前へと歩み始めたのでした。
 そして、もう二度目の春が終わろうとしています。今を盛りと咲き匂う真っ黄色のモッコウバラを包む力強い声が、一人一人に語りかける声が、聞こえています。
 「あなたも、今日、神の門に立っている」。

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