知りません
 とうとう、近畿には、春の嵐、春一番が吹きませんでした。吹かないとなると、冬にきっちりとけじめを付けられなかったという心残りがします。これにはきっと意味があります。今年の3・11を冬明け切らぬまま迎えたのを忘れるなと警告されているのかも知れません。
 が、それでも土師教会の駐車場には、黄色も鮮やかなオキザリスが咲き、一本だけあるサクランボの若木の桜が四分咲きです。「春が来た、春が来た、どこに来た」という文部省唱歌が懐かしいのは私らシニアグループでしょう。古代日本語から推測しますと、「春」とは、乳が張るからきているようです。ちなみに「桜」は、紙などを「裂く」から来ていて、「桜」の「ら」は、僕らなどの複数を現す接尾語です。すなわち「桜」とは、「裂かれたものたち」という意味らしいのです。なにはともあれ、春の訪れは大歓迎です。これは西洋でも同じでありまして、復活祭と春の訪れは重なっているのです。
 さて、その西洋のルター派の教会では、受難節の第3、あるいは第4聖日に、今日のテキスト、ヨハネによる福音書の九章を朗読します。盲人を癒すこの九章の奇跡物語は、暗黒から光りの世界へと招かれるドラマの象徴なのであります。冬から春へと移っていく季節に包まれながら、朗読される。
 というわけなので、今日は、あらためてこの物語の中に入ってみようと思います。
 あまりにも有名な物語なので筋書きは、しっかりと頭に刻まれていることでしょう。
 ところで新約聖書の中では、盲人の目が開かれるお話は、4つの福音書に皆登場します。マタイ9章27〜31節、マルコ10章46〜52節、ルカ18章35〜43節。
 にもかかわらずなぜヨハネの九章が取り上げられて朗読されるのでしょうか。その理由は、今日のテキストが語る「見える」ということの内実に関わっているのです。
 九章一節、「さて、イエスは通りすがりに、生まれつきの見えない人を見かけられた。」  
 マルコだけは、盲人の名前が出てきます。共観福音書には、「生まれつきの盲人」とは書かれてはいません。ヨハネだけです。しかも今読んだようにイエスさまが「通りすがり」にたまたま「見かけられた」のです。その盲人を見て弟子たちが質問しました。2節、「ラビ、この人が生まれつき目が見えないのは、だれが罪を犯したからですか。本人ですか。それとも両親ですか」。 二千年前のイスラエルでは、ハンセン病や身体障害は、罪の結果だというのが律法の判断であり、皆がそう思っている通念であったのです。
 現在では、そんな差別的理解はまったく通用しませんし、そんな発言こそ差別であると弾劾されて然るべきです。が、今でもこんな愚かな発言が時には聞こえて来たりします。日本の場合、決定的なのは、本人でなければ先祖が悪いことをした報いだという理解です。
それでなくても病気や障害に苦しんでいる本人に向かって、道徳的倫理的悪の結果であると決めつけ、呪ったりするのです。これはとうてい責任を負えないことを本人に負わせる暴力的制裁であり、制裁なのです。
 イエスさまの答えは、どうだったでしょうか。3節、「本人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。神の業がこの人に現れるためである」であります。次の四節がおやっと思う言い方をしています。「わたしたちは、私をお遣わしになった方の業を、まだ日のあるうちに行わねばならない」。 そして五節、「わたしは、世にいる間、世の光である」と。ここの私たちとは、イエスさまと弟子たちのことです。イエスさまがご自身を「世の光である」と断言して、その意志をあなた方が継がねばならないのだよと優しく、かつ厳しく語りかけていらっしゃるのです。
 ということは、盲人の問題に止まらずに、暗黒から光へと導くことを語っているのです。盲人の目が開かれることは、奇跡でありますが、そこから新しい人生に向かって行くこの主人公の目覚めと行動の根底に霊的な目が歴史の中に刻みこまれたということなのです。
 イエスさまを信じる者たちとは教会共同体のことです。この共同体がこの世に明かりを灯して、世の光りを生きねばならないのです。
 こうしてイエスさまは、治療をします。
 六節、「イエスは地面に唾をし、唾で土をこねてその人の目にお塗りになった。宗教者は、本来医者でもあるのです。分業化の進んだ現代でも、宗教者は、魂の医師であります。7節、「シロアム――『遣われた者』という意味――の池に行って洗いなさい」と言われた。そこで、彼は行って洗い、目が見えるようになって、帰って来た」とあります。前の四節で、「私をお遣わしになった方の業を、まだ日のあるうちに行わねばならない」とありました。シロアムの池に行くように言われたのは、イエスさまと父との関係をこの盲人に気付かせるためであったことが分かります。じつは。このシロアムの池は、神殿からずっと下のほうにあります。
 ヒゼキア王が築造した地下水道の出口にこの池があるのです。二年前の春、妻と私どももこの地下水道をくぐり抜けましたが、真っ暗で天井が低く頭があちこちにぶつかり、水が膝の上まで
押し寄せて、どんなに不安であったことか、今思い出してもぞっとします。が、この盲人は恐れなかったでしょう。このひとは階段を下りていったはずですし、イエスという方を信頼していたからです。これは救いに至る道行きだったのです。
 そして、目が見えるようになった、癒されたこの人は、今日が安息日であることにも気付いたはずです。労働を禁じられている安息日に、光の世界に招き入れてくださったこのイエスという方について何度も何度も思い巡らさずにはいられなかったはずです。その人が見えない。一目見たいのに見えない。
 マルコ、ルカ福音書は、目を明けていただいた盲人たちは、すぐにイエスさまに従った、と、書いてあります。
 が、ヨハネ福音書では 複雑な人間関係が織りなすドラマが展開していきます。8節、「近所の人々や、彼が物乞いであったのを前に見ていた人々が、『これは、座って物乞いをしていた人ではないか』と言った」。九節、「『その人だ』と言う者もいれば、『いや違う。似ているだけだ』」いう者もいた。本人は、『わたしがそうなのです』と言った」。
 初めて目を開いたこの人物を本人だと判定するのは微妙なことでしょう。これは、花が咲く前のひともとの植物とぱあっと豪華で美しい花が咲いた植物とが同じひともとの植物だと判定する時に戸惑いが生じるのと一緒です。ある偉大な奇跡をめぐってもこのように意見が分かれてしまうことがあるのです。誰がどのようにイエスさまと関わったのかという実質がなければ、現象的には、意見の分裂あるいは並行で終わってしまいがちなのです。肝心なことはイエスさまの人格との直截的な触れあいによる当事者本人の証言であるかどうかだけなのです。そこにのみ真実があるのです。
 そもそも生まれながらの盲人に、色彩が分かるのでしょうか。形は?文字は? 途中失明の人にお尋ねしたところ、真っ暗なのだそうです。その人にとって、目が見えるようになるとはどういうことなのか、私には想像しにくのですが、おそらく目が開いた時、それは本人の想像を絶する世界であったに違いありません。暗黒から光りの世界へ、というのはこちら側への説明であって、当の本人には、「見えるということ」は、恐怖にも近い感動のドラマであったことでしょう。
 その感動の絶頂にいる本人に向かって、周囲の人々は追い打ちをかけるように聞いてきたのです。12節、「その人はどこにいるのか」と。無茶な尋問にも似た質問です。見えるということの圧倒的な感動の只中に放り込まれた本人は、世界がはっきりと見えた時、「イエスという方」の顔も手も足も着ているものも髪の色、目の色も何も知らなかったのです。どこにいるのかと聞かれても答えられる手掛かりは何もなかったのです。周囲の者の関心は、奇跡を起こしたイエスという男を自分の目で確かめたいという好奇心に過ぎないのであって、イエスさまの人格に触れたいと願ったのではないのです。しかもそのあたりには、イエスさまを逮捕しようとその機会をうかがっている支配層たちがうろついていたのです。ですからこの本人がどこにいるのかを本当に知らなかったことは、神さまの演出としか思えません。本人は答えています。12節、「彼は、『知りません』と言った」。 周囲の者たちが、知りたい内容は、ほとんど価値のない内容でした。「知りません」と答えた本人は、ほんとうは知りたがっているのです。もっともっとイエスさまのことを。生まれながらの盲人であった自分に目を掛けてくださり、光の中へと招いてくださった方、あの方はモーセよりも偉大な預言者なのだ、私に爆発しそうな生きる喜びを与えてくださったあなたのお顔が見たい、その目が見たい。私は、あなたの弟子なのだ、あなたこそメシアなのだ、と、燃えるような思いでそこまで考えていたとき、この本人をファリサイ派の人々が裁判所に呼び出して根掘り葉掘り訊くのだ。さらに父母まで呼びつけ、卑怯にも、正直に答えないと会堂から追放すると脅かした。
 この本人の名前は終わりまで分かりません。
乞食であったこの本人は、近所の人々や裁判所のお偉いさんたちやファリサイ派の人々との論争にも似たやりとりを通して、もっともイエスさまの本質を見抜く人物になっていったのです。27節、「あなたがたもあの方の弟子になりたいのですか」という発言は、完全な信仰告白なのです。
 この九章全体の主題は、イエスとは誰か、という問いであります。そしてこの癒された人は、この問いに正面から答えを出したのです。イエスという方は、モーセよりも偉大な預言者であり、メシア(救世主)である、という答えを信仰告白として答えたのであります。
 
 イエスとは誰か、という問いへの答えが、わたしども一人ひとりに突き付けられている。この圧倒的な奇跡物語の書き手であるヨハネの鍛えられた信仰が、この盲人に乗り移っているとしか思えません。すでに、盲人を治癒する奇跡物語は、広く伝承されていたわけであります。が、ヨハネ福音書が描き出した、その目が開かれた後の裁判員たちやファリサイ派たちとの論争とも言える迫力に満ちた凄い信仰告白の証しは、著者のヨハネが産み落としたものに違いありません。恐怖と脅かしの切羽詰まった状況下での信仰ドラマの成立の背後には、ファリサイ派との論争によって鍛え込まれたヨハネ自身が辿った信仰の道筋があったに違いない。それが伝承された盲人と一体化して共同の信仰告白を世に送りだしたのであります。
 私どものキリスト告白もまた、いかなる試練にも耐えられるはずです。二千年間を生き抜いてきた信仰告白の伝統をまともに受け継いで、この現在のこの場所で、伝道して行きましょう。
 「あなたもあの方の弟子になりたいのですか」と、癒された人と共に、土師の人々に伝えて行きましょう。 
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