死の陰の谷
 詩人・小説家の堀辰雄を御存知でしょうか。昭和を代表する文学者です。芥川龍之介の弟子である、と同時に、カトリックの遠藤周作に大きな影響を与えた人です。堀辰雄の奥さまの多恵子さんはプロテスタントの信徒です。
 堀辰雄の『風立ちぬ』(1938、昭和13)は、重い結核を背負った女性と若い作家との死を前提にした愛を生きる物語であります。節子という婚約者と共に八ヶ岳のサナトリウムに住みこんだ作家は、二人の道は、もう行き止まりだと思っていたのです。ところが、なんとそこから始まっている新しい道があったことに気が付きます。それは、死の陰の谷間に差しこんだ光を生きる愛の物語です。
 が、この小説は、節子の死後が、第二部の始まりであり、しかも第二部の方が、長いのです。その第二部の冒頭が、詩編二三編の「たとえ死の影を行く時にも災いを恐れじ、主我と共に在ませばなり」の引用で始まっているのです。節子を失った作家は、サナトリウムの近くの山小屋で、三年ぶりに冬を過ごしています。ある夜、町から帰ってきて雪道を山小屋に向かって歩いていると、どこからか差し込んでいる雪明かりが谷間や山小屋辺りまであちこちを、それとなく明るく点々と照らしているのです。
 「だが、この明りの影の具合なんか、まるでおれの人生そっくりじゃないか。おれは、おれの人生のまわりの明るさなんぞ、たったこれっ許りだと思っているが、本当はこのおれの小屋の明りと同様に、おれの思っているよりかもっともっと沢山あるのだ。そうしてそいつ達がおれの意識なんぞ意識しないで、こうやって何気なくおれを生かして置いてくれているにかもしれないのだ」と。
 この雪明かりは、まちがいなく神の愛の比喩(暗喩)であります。
 堀辰雄の宗教的関心が本物であることは、彼の「浄瑠璃寺の春」というエッセイを紐解けばはっきりします。奈良の東大寺の戒壇院を訪れた私は、そこから突然倉敷の大原美術館を目指します。そこにはエル・グレコの「受胎告知」が待っていたのです。奈良の仏像群から唯一の神の世界への飛躍がなぜなされたのかは、何も説明されていませんが、師・芥川以来のキリスト教への求道が、隠された主題であることはまちがいないでしょう。
 ただし、堀辰雄は、「主は羊飼い」という信仰告白にいたったのではありません。あくまでも求道者の文学の営みです。その生涯に、キリスト者の多恵子夫人が、ぴったりと寄り添っていらしたのでした。そういう堀達雄の文学的足跡を遠藤周作は、「神々から神へ」という題で論じています。わたしの高校時代からの親友のMくんは、堀達雄の熱狂的なファンです。かれは神々の世界の人で、万葉集研究の第一人者です。彼は聖徳太子以来の仏教にも距離を置いています。そして同じく堀ファンの森田くんは、神々ではなく、神の恩寵を伝える人になったのであります。
 『風立ちぬ』の世界は、単に小説の話ではありません。戦前まで、日本人の青春は、結核と戦死の恐怖との戦いという死の陰の谷間を多くの人が通り抜けなければならなかったのです。
 さて、詩編23編の冒頭は、「主は羊飼い」です。私どもキリスト者には、何の抵抗もありません。が、キリスト教に縁のない日本の子供たちが、ここを聞いて、ピンとくるでしょうか。第一、「羊飼い」と言われたら、せいぜいアルプスの山のハイジの世界くらいしか思い浮かばないでしょう。ちなみに、「羊飼いは、何を持ってる?」と聞いたら、「鞭と杖」と答えるでしょうか。「そんなものを持って何するの?」と聞き返してくるでしょう。
 キリスト教に関心がなければ、大人でも大差ないでしょう。漠然と日本の牧場の羊が浮かんできて、子連れで遊びに行くか、ジンギスカン鍋が浮かんでくるか、であって、羊飼いという職業自体ぴんとは来ない。
 せいぜい春の始まりと共に羊の赤ちゃんの誕生ラッシュが五月頃までつづくなあ、もうそんな季節になったんだ、という程度でしょう。
 でも、羊年というのがあるよと言われそうですが、あれは中国の干支思想です。c
 つまり、日本では、羊飼いというイメージが結ばない。欧米の牧場ではなく、中近東の場合は、緑の牧場は、現在でもあまりありません。遊牧民の世界の中にあって、初めて羊飼いという職業がはっきりしたイメージを結ぶのであり、「鞭と杖」が深い意味を持つのです。羊飼いがいてこそ、羊たちは安心して従っていくのです。
 私どもは、子供のころ、「月の砂漠」という童謡をよく歌いました、「月の砂漠をはるばると旅の駱駝が行きました」で始まっています。が、じつは月夜であっても夜の砂漠を旅するなんてことはありえない。盗賊と野獣がいつ襲ってくるかも知れません。
日本という風土の中にいるからこそ私どもには、このようなロマンチックな童謡が可能なのです。
 ということは、旧約聖書の砂漠地帯の風土が、いかに私どもから遠いかということであります。わたしどもは、モンスーンのもたらす雨と緑豊かな風土で暮らしているのです。それゆえ、世界の多様な、ときには苛酷な風土をも十分考えないと、23編の内実が実感を持って分からない。迫って来ないのです。
 23篇の冒頭をもう一度見てみましょう。
「主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない」。イエスキリストさまは、わたしという羊を導いてくれる羊飼いであるという信仰告白なのです。私どもキリスト者は、羊飼いとは牧者であり、牧師という言葉と同じ意味だとすぐ分かります。が、一般の日本人には、牧師って何をするんだろう、暇だろうなあなどと言われたりします。そもそも宗教への問いかけが崩れさってっしまったのです。生きることと死ぬことの関係を問いながら生きていく習慣をいつから捨ててしまったのでしょうか。今度の大震災は、その意味では、生きることの意味を根源的に問い直す機会になっているのです。おのれの死はもちろん、膨大な死者たちを抱きしめて生きることの意味が見えてくるまで一緒に問い続けようではありませんか。
 遠藤周作の力作『海と毒薬』をお読みになった方もいらっしゃることと思います。あの第二次大戦の末期、米軍のB29のすさまじい空襲の最中の九州大学病院で、行われた米軍捕虜の生体実験に関わってしまった医師勝呂が病院の屋上から玄界灘の空を見ながらつぶやきます。小説のラストシーンです。

 羊の雲の過ぎるとき 羊の雲の過ぎるとき
 空よ。お前の散らすのは、白いしいろい、綿の列

 ここの「羊」に、神がそれとなく指し示されていると感じるのは、読み過ぎでしょうか。
 そして、2、3節は、水の決定的な重要性を指し示しています。去年の大震災のあと、ペットボトルの水が売り切れたりしました。水がほしいだけ手に入る現実を恵みとして受け取る感受性を呼び戻していきましょう。
 3節の後半、「わたしを正しい道に導かれる」、 こういう倫理的反省が欠けているのが
今日の日本であります。何が正しいことなのか、正義とは何かを問う姿勢が薄れつつあります。ここでしっかりと踏み留まる事が可能なのは、主の恵みによってなのであります。
 4節もその後半が大切なのです。「あなたがわたしと共にいてくださる」。 それまでは、「主」という三人称であったのですが、ここで「あなた」という二人称に代わっています。わたしの主という意味です。堂々とまっしぐらに「あなた」と呼び掛けられることは親愛の情の表現です。たとえ暗黒の闇のトンネルの現場にいても、主であるあなたが私と共にいてくださっていると確信できることは恩寵としか言いようがありません。私というちっぽけな自分にではなく、主であるあなたに委ねることの安らぎこそ信仰の喜びなのです。これを前提にして、初めて五節が分かるのです。飴と鞭ではありません。「鞭と杖」が「わたしを力づける」のです。恵みは、同時に訓練を伴って訪れて来るものなのです。「鞭」は、行く方向を教えるためであり、「杖」は、崖や穴に落ちた羊を救い出すためです。共に、敵と戦うときの武器にもなります。
  さて、続く5節、

 わたしを苦しめる者を前にしても
 あなたはわたしに食卓を整えてくださる。
 わたしの頭に香油を注ぎ
 わたしの杯を溢れさせてくださる。

 これは、どのように、前の4節と繋がっているのでしょうか。唐突ではないか、と思われる方もいることでしょう。これも砂漠の遊牧民の慣習が分からないと合点できないのです。
 すなわち、羊飼いである主は、私をもてなす主(あるじ)でもあるのです。遊牧民は天幕の中が、治外法権の領域であります。自決権を尊重する習慣なのです。天幕の中に逃れてきた、あるいは訪れた者を、誰でも歓待する。そんな砂漠の民の生活習慣がここで描かれています。たとえ罪人であっても、許されて香油を注がれる、賓客として迎えてくださる。このことは、無償の罪の贖いを意味しています。同時に無償で義とされる信仰の奥義なのであります。すなわち、天幕の中への放蕩息子の帰環なのであります。日本の鎌倉時代には、駆け込み寺がありました。少し似ています。この歓迎の宴に対しては、外部の者は、襲撃できない。敵は見ているしかない。
 というわけで、5節は決して唐突ではないのです。二千年前の人ならば、すぐにうなづいた救済の場面なのです。逃れの家、天幕なのです。このように、神は私ども一人一人を顧みてくださるのです。
 では、最後の六節に来ます。

 命のある限り
 恵みと慈しみはいつもわたしを追う。
 主の家に私は帰り
 生涯、そこにとどまるであろう。

 わたしの地上の生が終わる時まで、「恵みと慈しみ」が「いつもわたしを追う」とは、どういう意味でしょうか。この場合の「追う」とは、捉えて離さない、であります。この圧倒的な主への信仰告白が23編であります。
 が、去年の大震災と原発以来の日本の状況の中で、私どもキリスト者は、この23編を自己反省なしで読むことはできません。
 葬式のときにも、結婚式のときにも、世界中で朗読され、歌われている詩編23編です。
 けれども、今日本では、2節の「青草の原」も「憩いの水のほとり」も危なくなっています。創世記で、すべての地上の被造物の管理を委ねられた人間が、重ねてきたものは、神の命令への背きだったのでしょうか。
 私どもキリスト者は、世界の創造の物語に立ち帰って、もう一度、主の声を聞き直さなければならない。もう一度、創世記から読み直さねばならない。
 あなたと呼び掛けられる恵みと慈しみを噛み締めて、緊張して、主の前に、信仰告白をやり直さなければならない。恵みと慈しみが私どもを捉えて離さないというこの押し潰されそうな喜びを、全身で表現して証ししていく義務があるのです。
 信仰とは、私どもの姿そのものなのです。祈ります。 
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