信仰の継承は可能か
 オウム真理教事件以来、宗教は、「やばい」という感覚がとくに若者に蔓延しています。それでなくても、現在の日本は、宗教的思考感覚が萎えてしまったままです。
 キリスト教主義大学では、キリスト教学の試験でAを取ると、評価を下げてほしいと願い出る学生が出てきたそうです。宗教に関心がある学生はやばいと企業から警戒されて採用が不利になるという話も聞きました。
 日本は、政教分離に立っていますが、その意味がどうやら誤解されていて、宗教は個人の問題だから、公教育とは関係ないと受け取られています。公教育の現場で、宗教教育は全く無視されていますから、日本人は、宗教とは何かについて真面目に考える手立て(方法)が培われていないのです。戦後いっそう世俗化が進んだので、宗教的無関心は加速度を加えています。宗教的無関心を、あっさりと「私は、無神論者です」と言い換えてしまうことの浅はかさについて反省したことはないはずです。自分の家の宗教という言い方にも問題はありますが、仏教といっても浄土真宗とか真言宗とか宗派さえよく分からないまま、お葬式を迎えたりしています。得体の知れないキリスト教式結婚式をホテルで挙げても、それはそれだけであって、宗教的問いを持ったりはしません。こういう状況に至った理由を私どもは、真面目に追求しなければならないでしょう。
 そして、日本キリスト教団も、高齢化と少子化という時代の波の中であがいています。
 『ミニストリー』というキリスト教季刊雑誌の最新号に一挙掲載「データで見る牧師の実生活」が組まれています。回答者は、牧師(教職者)です。その項目の中で、「尊敬するキリスト者」への答えの第一位は、内村鑑三でした。牧師という教職者が、教職制を持たない無教会主義の内村鑑三を、筆頭に挙げたのは奇妙です。もっと驚いたのは、第二位が、「父・母」でした。いくら牧師の子、あるいはクリスチャンホーム育ちとはいえ、自分の父母を挙げる神経にも驚き桃の木、山椒の木です。どうやら時代と世代が激しく動いているようです。つまり価値観が動いているのです。就活、婚活も難しく、家族の絆もばらばら、異常気象と災害、経済的不況の長期化という不安で内向的な時代に入り込んでしまったようです。
 今日の宣教題目は、「信仰の継承について」、であります。継承というと、親から子へと直結させて、というように、短絡的に考えがちです。それは世襲制のことです。しかし、この問題は、私どもの切実な宿題であります。そもそも、日本キリスト教団の伝道委員会が現在取り組んでいながら、思わしい成果が上げられていないのに、わたしの宣教一回で即効薬になるはずはありません。
 信仰(思想と言い換えてもよいでしょう)の継承は、そうたやすい性質のものではなく、ワンクッション置いて飛び地的に見知らぬ土地に、あるいは近い肉親へ、あるいは全く無関係だった人物に継承されることもあります。それを実現させてくれる契機(きっかけ)になるものが教育だろうと思います。この場合、とくにクリスチャン・ホーム家庭教育、そして教会の児童教育(CSや幼稚園教育)を考え直さねば展望が開けないでしょう。先ほど申し上げましたが、公教育には、当分期待できそうもありません。
 ですから、焦らずに、先ずは、聖書をよく読んでみましょう。テキストは、コロサイ書3章16節から4章の1節まで、短い文章です。聖書の奥に載っているパウロの世界宣教の地図9「パウロのローマへの旅」をご覧ください。現在のトルコの南西部、エフェソの南です。エフェソから160キロ離れたリュコス渓谷を挟んで、ヒエラポリスとラディキアは両岸に、コロサイはもう少し奥地に川に面していました。これらの場所は、地震地帯であり、かつ肥沃な土地であり、商業地域でしたが、いつしかコロサイは、昔日の繁栄を失い、パウロの時代には、小さな町になってしまっていました。パウロが活動していた時代にここにも福音の種が蒔かれたのであります、福音を伝え、教会を建てたのは、エパフラスであったらしい。コロサイ教会は、おそらく異邦人が構成員の大半であったようですが、ユダヤ人もいたようです。温泉と商業の繁栄を知って多くのユダヤ人が移住してきていたのです。エパフラスからの手紙を通して、コロサイ教会の周辺に異端思想とまでは行かないにしても、使徒たちが伝えた福音の核心を危うくしかねないギリシア哲学や排他主義的傾向性の強いユダヤ教の一派などの悪影響が心配なので、パウロは面識はないものの、キリスト教の倫理について懇切丁寧な手紙を書き送ったのであります。論理的なパウロとは違って、むしろイメージから連想していく文体やパウロ的な用語が登場しないなどの理由によって、これは、パウロの名前によって、他の人が書いた手紙だろうと推測されています。
 では、テキストの内部へ入っていきましょう。テキストの内容は現代人には分かりやすすぎて、とくに新鮮でもなく、むしろなぜパウロは奴隷制度批判をしないのかと疑問さえ湧いてきます。が、これにはそれなりの背景があります。その点を考えるべきです。
 小見出しは、「家族について」です。家族の構成部分に奴隷がいるのです。18節、「妻たちよ」、20節、「子供たち」、22節、「奴隷たち」と呼びかけています。夫、親、主人との対応を考えると、二千年前当時の主従関係に於いて、従う側へ、パウロは呼びかけているのです。これはどんな意図があるのでしょうか。
 当時一世紀半ばのローマ帝国では、市民対奴隷の数は、一対十。市民一に対して、奴隷は約十倍であります。莫大な奴隷の海なのです。かれらに、あらゆる労働を押しつけていたのです。現代の職業一般だと思えばいいでしょう。その他、ローマ軍兵士に使役される奴隷、ライオンと戦わされた、あるいはどちらかが死ぬまで戦う戦闘者など、奴隷の目からみた帝国は地獄だったのです。かれらには、結婚の自由もなく、もし子供が生まれたら、その子は主人の所有物だったのです。ローマ法というすぐれた法律は、市民のためにあったのであり、奴隷はまったくその対象には入ってなかったのです。ですから奴隷は生涯私有財産がありません。無一物です。
 市民の子供であっても、子供の権利という法律的保障はなく、十五世紀の宗教改革まで、子供は、一人の人間として見なされたことはありません。衝撃的なのは、子供の売買も親はできたのです。ローマ帝国のこの悲惨さのなかで、「貧しい人々は幸いである。神の国はあなたがたのものである」というイエスさまの言葉がどれほど貧民の心を揺さぶったか、まして生涯無一物の奴隷にとって、神の国が与えられるという言葉は感動そのものであったろうと想像します。イエス様は、律法の完成者だったのです。そしてローマ帝国を行動する言葉の力でひっくり返したのであります。その結果、帝国は、イエス様を政治犯として逮捕、死刑を執行したのです。
 18節以下に取り上げられているこの家族は、クリスチャン共同体です。奴隷もクリスチャンです。当時一世紀の後半、ローマ帝国の膨大な奴隷たちが雪崩れを打つようにキリスト教に入信していった事実の背景がお分かりになったことと思います。
 人間としての人格(現在で言えば基本的人権の保障)とほぼ同じ価値観をキリスト教が伝えたのです。人間として目覚めさせてくれたキリスト教に彼らはいのちを献げ、すべてを委ねたのです。この世を超越する永遠の命を与えてくれたキリスト教は、真っ赤な火事となって燃え上がったのであります。世界に誇るローマの町に自ら放火して、キリスト教徒の仕業だとデマを流し弾圧した暴君ネロ皇帝を見れば、燎原の火のように広がった奴隷たちの信仰の力に怯えた権力者が見えてきます。その奴隷を抱えた家族なのです。
 18節の「妻たちよ、主を信じる者にふさわしく」と強い前置きがある理由はお分かりでしょう。キリスト者であるということは、これほど重い事実なのです。ユダヤ法においても、婦人は夫の所有物なのです。権利というものは夫人にも子供にも全くなかったのです。だからこそパウロは、19節、「夫たちよ、妻を愛しなさい」と強調するのです。この場合の「愛する」は、アガペーであります。他者に仕える愛です。パウロは、夫婦の平等性を強調したのであります。これは驚くべき相互責任制であります。パウロの主張は、キリスト教倫理の基本原理として成立していくのであります。それは、相互義務の倫理です。その両者の間にイエスさまがご臨在なさっている。これが、「主を信じるものにふさわしく」の内実なのです。イエスさまがご臨在なさっているあらゆる現場で、夫婦が親子が主人と奴隷どうすればよいかは、はっきり見えています。
 20節、「子供たち、どんなことについても両親に従いなさい」、 これは十戒の第五番目ですが、イエス様の出現後は、続いて、「それは主に喜ばれることです」とあります。さらに、21節、「父親たち、子供をいらだたせてはならない。いじけるといけないからです」とあります。子供を労働させたり売買することも出来る時代の真ん中で、愛の原理に基づく家庭教育を勧めるこの個所だけでも革命なのであります。
 そして、22〜25節、もっとも長い部分が「奴隷たち」という呼びかけで始まります。ここでも、主の臨在が強調されています。とくに24節、「あなたがたは、御国を受け継ぐという報いを主から受けるということを知っています」とあります。先ほど述べたように、無一物の奴隷が、もっとも光栄ある御国の継承者なのです。神の家族として地上ですでに結ばれたこの家族は、帝国の中にあってすでに帝国を越えた御国の国籍を与えられているのです。
 こんな愛の家族共同体が燎原の火となったのであり、ローマ帝国を根底から揺さぶっていったのです。原始キリスト教が貧しい人々の救済に力を注いだのは、信仰から来る必然であったのです。
 ところで、序の部分で指摘しましたが、なぜパウロ(もしくはパウロの名の下に執筆した作者)は、奴隷制そのものを批判しなかったのでしょうか。現在の私どもとしては、歯がゆい、パウロのキリスト教倫理には決定的な弱点があると批判するのは当然でしょう。が、二千年前の帝国の中で、ローマ市民、かつ、キリストの使徒である難しい立場で、パウロが動ける範囲には限界があった。個人を越えた時代の制約を私どもは、把握しておかなければなりません。もし奴隷制度を打ち破れたとしても、奴隷たちの職場をどう保障したらよいでしょうか。ローマ帝国の社会的構造そのものを転覆しないかぎり、喜びをもって働く場を用意できない。だいたい職業選択の自由がないシステムが帝国なのです。
 ならば、私どもの時代の中で、どうすればいいか、キリストに派遣された証人として、精一杯、信仰の灯火を灯ししつづけて生き抜くことです。反時代的に見えても突き進むことです。私どもの生き方そのものが、伝道であります。どこに、誰に福音が伝わるかは心配しなくていい。ひたすら福音の放火犯として走りつづけ行きましょう。祈ります。

 
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