もし信じるなら
テキスト ヨハネによる福音書 11章28〜37節
 正月の3日から3泊4日の休暇をいただいて、鳥取県の日本海側に近い三朝温泉に行ってまいりました。今回で3回目ですが、土師から行ったのはもちろん初めてです。なんばから長距離バスに乗り中国道の津山から北上して人形峠を越えるコースです。ウランで有名な人形峠周辺は、奥津、関金などの温泉があります。この辺りは、ラジウム温泉も幾つかあります。
 日本には、西洋医学から見離された、あるいは西洋医学を見捨てた癌患者が行く最後の駆け込み訴え寺のような温泉が三つあります。あるいはご存知かも知れません。秋田県十和田湖近くの玉川温泉、山梨県の山中にある増富温泉、そして鳥取県の三朝温泉であります。玉川温泉は訪れたことがありません。増富温泉は二度あります。増富温泉の金泉閣ホテルは極寒期は休業してしまいます。開業している季節に訪れて、熱い湯と冷たい水の湯船に交互に浸るのです。男湯はほとんど中年末期以降、腹部またはその周辺に刀傷のようなメスの跡がみなあります。しかも湯船の中でほとんど口数も少なく、じいっと浸かっているのです。皆さん、静かに私の体を見詰めた後、「お客さん、傷は?」と聞かれました。「大腸癌の妻と一緒に来ました」と答えると、異物を眺めるような表情を見せた後、たちまち無関心に戻ってしまいました。食堂では、皆さんひっそりと質素な食事を召し上がっていました。とても宴会をするような雰囲気はありませんでした。
 ここにはもう一個所、金泉閣という一番古い旅籠での壮烈な経験があります。寝ている顔の上を冷たい足裏のネズミが走り抜けるという有様ですが、今日は止めて起きます。
 それに比べて、鳥取の三朝は、何よりもありがたいのは温泉が60度近い掛け流しであることです。そして岩盤部屋(オンドル)というものがあって、うたた寝しながら治療にあずかれることです。今回は降りしきる雪に閉じ込められもしましたが、堺から訪れた私どもには、これも安らぎに溢れた慰めの時になりました。
 こんな時に観音菩薩の化身であるという白い狼が現れるのかも知れません。昔、傷ついていた白い狼を見た武士が矢を射かけるのを止めて、見逃してやったので、その狼がこの里に温泉を与えてくれたという伝説があります。
 この温泉に浸って、妻と私は英気を養うことができました。
 この9ヶ月間、40回近くを重ねて宣教のテーマは、「復活」であります。復活信仰なくしてキリスト教はあり得ないという原点を常にお伝えしてきました。
 先ほど読んでいただい招詞、ヨハネによる福音書11章25、26節(189頁下段)は、「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる。生きていて私を信じる者はだれも、決して死ぬことはない。これを信じるか」というイエスさまの襲いかかって来るような福音が展開されています。
 こんな力に満ちた断言は、他の宗教にはありません。「あなたは、私という一人の人間としての主体性をかけて信じるか」と迫っているのです。
 「信じます」。
 この告白が信仰生活の始まりなのです。
 さて、先ほど読んでいただいたテキスト、ヨハネによる福音書11章28から37節は、よくご存知の場面です。弟のラザロが死んでしまって墓に葬られ、嘆き悲しんでいるマルタとマリアという姉妹の場面です。
 一方、イエスの周辺は、イエスを逮捕しとうとして着々作戦を進めていました。エルサレムの宗教的権威を脅かす危険人物、イエスを抹殺しようと企んでいたのです。にもかかわらずイエスは、10章7節、「もう一度、ユダヤに行こう」と言ったのです。イエス様はラザロが死んだことを知っている。それを承知でベタニア村へと急いだのです。ベタニア村は、最近の研究で、ハンセン病患者の村だったと言われています。とすれば、ラザロはハンセン病であった可能性が高い。2000年前も現在も、ハンセン病に対する偏見は強い。当時の状況は、ご存知の通りです。
 そこへと向かう直前、なぜイエス様は、25節、「わたしは復活であり、命である」と言い放ったのでしょうか。力ある言葉が、同時に行動する言葉であることを証明されるのが28節以降であります。」 33節、「イエスは、彼女が泣き、一緒に来たユダヤ人たちも泣いているのを見て、心に憤りを覚え、興奮して、言われた。『どこに葬ったのか』」と。
 イエス様が、マリアとユダヤ人たちが一緒に泣いてているのを見て、「心に憤りを覚え、興奮して」とは、どういうことでしょうか。かれらが泣いているさまを憤ったのでしょうか。それはあまりにも表面的な反応です。そうではありません。「どこに葬ったのか」と聞かれたのは、ラザロが死んでいる、その死の壁に対して、魂の底から神の子として憤ったのであります。イエス様は、この現実にある最大の敵である死に向かって戦いを挑もうとしているのであります。だから11章4節(188頁)で、「この病気は死で終わるものではない。神の栄光のためである」と言ったのです。
 つまり、イエスさまはラザロを復活させることを通して、死からの勝利をここで宣言し、神の栄光を現そうとしたのであります。ラザロの復活は、イエスさま自身の死からの復活の先取りでもあるのです。
 さて、この復活をテーマに生涯を全うした元ハンセン病の詩人がいます。桜井哲夫、1924年(大正13)〜2011年12月28日、87歳、であります。年末の朝日新聞の夕刊で読んだかもしれません。妻とわたしの共通の友だちです。今日で死後12日です。
 瀬戸内海のハンセン病療養所である愛生園の長島聖書学舎の講師を務めた佐治良三初代牧師、年に一回ほど大島青松園を訪れた田中清嗣前牧師と土師教会が、どのように繋がってきたのかを知りたいと思っています。
 今日は、「哲っちゃん」こと、桜井哲夫さんを紹介します。12年前、妻と私が韓国の最大のハンセン病療養所であるソロクトー(子鹿島)を訪れた時、カラタチの実がたくさんなっていました。くりくり坊主のカラタチの実は、韓国語でテンジャーと言いますが、妻の耳には「哲っちゃん」と聞こえたようで、「哲っちゃん」と呼び続けていました。哲っちゃんは、背丈も低く、体重は30数キロ、くりくり坊主なのです。両眼を失い、両手は丸まっていて不自由、両足も不自由です。おへそのまわりにしか皮膚感覚も残っていません。ですから握手の代わりにへそを押します。
 20数年前初めて会った時、「あなたは背が高いですね」と言われてびっくりしました。もしかしたら見えるのではないかと思いました。「声が上から落ちて来るので、背が高いと分かった」と答えたのです。
 哲っちゃんは、いわゆる喉切りをしているので、喋る時には普通の私どもの50倍もエネルギーが必要なのです。彼の喋る言葉は、深い哲学と知恵に満ちていますが、通訳がないとなかなか通じません。
 哲っちゃんは、青森県津軽の生まれ、本名は長峰利造です。小学校卒業後、群馬県の草津にあるハンセン病療養所・楽泉園に入園、70年間を送りました。51歳でカトリックに入信、洗礼名、京都のラザロ(本名不明の日本人)。 
 哲っちゃんは、50代に入って、突然詩を書き出します。
 全盲の哲っちゃんは、暗黒の中で詩を組み立てます。何度も手を入れて、完成品を唇に乗せます。ぎりぎりの言葉だけが差し出されます。そこには少年期の津軽のリズムが漂っています。書き言葉よりも、口承文芸的な方言の多用、遊びやおかしみに溢れています。
 第一詩集『津軽の子守歌の中の「天の燭」という詩の前半部を紹介します。

  お握りとのし烏賊と林檎を包んだ唐草模様の紺風呂敷を
  しっかりと首に結んでくれた
  親父は拳で涙を拭い低い声で話してくれた
  らいは親が望んだ病でなく
  お前が頼んだ病気でもない
  らいは天が与えたお前の職だ
  長い長い天の職を俺は素直に務めてきた
  呪いながら厭いながらの長い職
  今朝も雪の坂道を務めのため登りつづける
  終わりの日の喜びのために

 そして、第一詩集の略歴に本名・長峰利造と銘記しています。戦前入園最初の日に、本名を棄てて仮名を被りました。その仮名のまま。殆どの人は50年以上も暮らしてきたのですから、現在本名を名乗ったとたんに、誰がだれであるのか分からなくなってしまうのです。
 哲っちゃんが、故郷津軽へと帰郷訪問を果たした事実を追ったにんげんドキュメンタリー「津軽 故郷の光の中へ」(2002年冬、総合テレビ)をご覧になった方がいらっしゃるかも知れません。
 さらに哲っちゃんは、80代に入って、ハンセン病に苦しむ人々の救済を願って、自分の詩集の英語版を携えて、ローマ法王の謁見を果たすため飛行機の人になりました。
 では、私がもっとも好きな哲っちゃんの詩「おじぎ草」を紹介します。おじぎ草は、ご存知のように、指で触れるだけで頭を垂れて挨拶する木です。

  夏空を震わせて
  白樺の幹に鳴く蝉に
  おじぎ草がおじぎする

  包帯を巻いた指で
  おじぎ草に触れると
  おじぎ草がおじぎする

  指を奪った「らい」に
  指のない手を合わせ
  おじぎ草のようにおじぎした

 哲っちゃんは、生きている間、毎朝、目が覚めると、「おはよう、めっけものだ」と叫んだ。「めっけもの」とは「もうけもの」というイミです。「あっ、朝だ、新しい命のプレゼント?」と言っていたのです。復活バンザーイです。
 妻と私が、韓国の釜山の大学にいた時には、哲っちゃんは釜山までやって来て、カササギの姿と声に興奮しました。カササギの翼に乗った哲っちゃんは、ハンセン病を通して、タイや韓国などアジアを舞台に国際的な活動を軽やかに展開しました。彼の周りには、詩人はむろんのこと、哲っちゃんを支えるたくさんの人がいました。桜井哲夫の文学は、復活の文学であります。人間の尊厳と命の輝きが文学の主題になりうることを肉体と魂を賭けて証ししつづけてくれたのであります。

 では、再び聖書にターンバックしましょう。35節、「イエスは涙を流された」。 全存在丸ごと一人の人間として、死んでしまったラザロの前で涙を流しているイエスさまがここにいます。ここまでが今日のテキストですが、思い切って、前へと突き進みましょう。
 38節、イエスさまは、「再び心に憤りを覚えて」墓に来られました。入り口を塞いでいた石をのけさせたあとのイエス様の言葉、40節、「もし信じるなら、神の栄光が見られると、言っておいたではないか」。
 これは先ほど読んでいただいた11章4節、「この病気は死で終わるものではない。神の栄光のためである」とさらに念を押しているのです。
 「もし信じるなら」、これは万一信じるなら、という可能性の低い仮定法ではありません。皆さんがすでに見抜かれているように、じつは命令なのです。あなたが意志をもって自分のこととして信じるという主体的な姿勢をとるか否かを迫っているのです。「終わりの日の復活の時に復活することを信じるか」と問うているのではないのです。この世にあって今日ここで復活することを信じるかと迫っているのです。復活信仰がなければ、この世にあって、同時にこの世を越えるというしなやかで強靱な生き方はありえません。
 ラザロ・桜井哲夫は、妻とわたしの中に生き続けています。

 そして、イエス・キリストこそ復活の主であり、命なのです。祈ります。

 
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