大工の息子ではないか
テキスト マタイによる福音書 13章53〜58節
 九月中旬、台風の後、突然秋がやってきました。教会の駐車場では、次々に花が咲きます。西洋花が多い。
 日本の伝統的な花は少ない。が、街道際ぎりぎりの所に、秋の空色をした野菊が遠慮がちに、ひっそり、咲いています。そしてある日、気が付くと、曼珠沙華(彼岸花)が一株咲きそろっていたのです。実は曼珠沙華が咲く教会って、初めてなのです。極楽に咲く仏教の花というイメージから脱けきれなかったので、びっくりしたのです。死人花(しびとばな)とも言われて、荼毘にふされた死者たちのイメージでもあります。そもそも畦道に多いのは、球根が猛毒なので、ネズミが近寄らない。その球根(鱗茎)から薬もつくります、しかも水田の米を守る人間の知恵です。けれども、人間がまちがって口にすると、たちまち発狂して、人間が壊れてしまうのです。人間を守ると同時に壊す花。彼岸の季節に葉っぱもなしに茎の上に真っ赤に燃え上がる光景は、信仰の炎にも通じるような気がします。西洋を代表する花の女王の薔薇には棘があって、思いがけない時に体内に入って、殺人を犯すように。
 信仰の根元にも、毒と棘が、同時にいのちの薬が呼吸しているのです。
 今日読んでいただいたテキスト、マタイによる福音書十三章五三〜五八節は、短い一場面でありますが、良く読むと考えさせられる個所です。今日は、神さまが与えてくださった信仰というものが、その根元に抱えて持っている不思議な側面をご一緒に考えてみようと思います。
 五三節、「これらのたとえを語り終えると、そこを去り」、 とありますが、これは決まった定型の語り口なのです。群衆にたとえというかたちで、天の国について語ったのですが、肝心の群衆がイエスさまのみ心を理解できたかどうかについては、何も、書かれていません。どう理解するかは、群衆に任されているのです。救いは、本気で求めるものにしか近づいて来ない。それは一人ひとりの主体的な出来事です。その具体的例は、当人自身の物語であります。誰がイエスさまの証人になったのかは、隠されたままです。
 さて、五三節、「そこを去り」、 五四節、「故郷にお帰りになった」。 イエスさまは、ご承知のように、ベツレヘムに生まれて、エジプト経由でナザレに来て、ここで育ったのです。この場合の「故郷」とは、慣れ親しんだ地」という日本の古語「ふるさと」という意味に似ています。
 つまり故郷は、ナザレなのです。そして、ある日、ユダヤ教の会堂(シナゴーグ)で教えておられたのです。そのイエスさまを見て、その堂々とした大胆に語る態度とその内容に触れて、そこに集っていた人々は、「驚いて」とあります。その意味は、「びっくり仰天」したという意味なのです。「この人は、このような知恵と奇跡を行う力をどこから得たのだろう」と人々は言います。続けて五六節でも、「この人は」と同じ言い方をします。二度繰り返された「この人」という言い方には、明らかに人を見下した、軽蔑の思いが含まれていました。
 何故でしょうか。その直後の台詞を御覧ください。「大工の息子ではないか」、 です。間違いなく大工の息子であるという念の押方です。マルコによる福音書六章三節では、「この人は、大工ではないか」と書かれているので、お父さんのヨセフはもう亡くなっていて、イエスさまが家業を継いでいたということがわかります。ところで、大工というと、日本では、家を建てる専門家と思うに違いありませんが、古代イスラエルでは、家を建てるのは、石工の仕事であり、主に石を積み上げる仕事に携わっていたのであります。一般の家は石造りであり、屋根もない場合が多かったようです。雨はほとんど降らない砂漠と曠野の世界なのです。
 そういう中で、大工とは何をする専門家だったのでしょう。大工は主にレバノン杉などを素材にして家具や舟や時には棺桶などを造っていたようです。最近の研究では、イエスさまは、手工業技術者であったと説明しています。村落共同体の中で、日常の必需品を造っていたのですから、村人たちは、イエスさまの家族や暮らしぶりを十分知っていたことでしょう。
 家族構成については、五五節、「母親はマリアといい、兄弟はヤコブ、ヨセフ、シモン、ユダではないか」。 続いて五六節、「姉妹たちは皆、我々と一緒に住んでいるではないか」と人々は言っています。我々と同じ村人ではないかと言っているのです。イエスさまには、男の兄弟以外にも、姉妹が少なくとも二人いたことになります。処女であったというマリアは、多産系であったということでしょうか。詳しいことは分かりませんが、少なくても計七人の兄弟姉妹なのです。こんな大勢の子供たちを抱えた大家族ですから、村の中では、様々な情報や生活習慣などを共にしていたに違いありません。村の暮らしのいろいろな共通項を共有していたのですから、この家族については何でも知っていると思っていることでしょう。だからこそ、続いて疑問を発しているのです。三番目の「この人は」、 の後、「こんなことをすべて、いったいどこから得たのだろう」と。五七節、「このように、人々はイエスにつまずいた」とあります。自分らが知っている低所得階層の大工イエスと、奇跡と権威と言葉をおのがものとして行うイエスさまとの落差に戸惑い、かつ合点が行かなかったのであります。
 ここで私どもは、何を、どのように、考えたら良いのでしょうか。
 私どもも、地域社会に属しています。同じ地域で長く暮らしていますと、自治会活動などを通して、その地域の人々との行き来も深まって、選挙や葬式のお手伝いや醤油や塩の貸し借りまでするようになり、近所の家族の、人となり、まで、知っているような気がしてくるものです。その家の経済的状況までいつのまにか分かって来る気がします。
 が、そのことと、人間個人個人の心の動きや人格とは、別ものではないでしょうか。同じ家族の中にいると、夫婦、親子の間では、全部知承知の介と思い込んでいるのです。だからこそ、安心していられるのです。が、ほんとうにお互いがすべてを分かっているでしょうか。厳密な意味で心の動きすべてを分かっていることは、恐ろしいことです。あのことも、このことも全てを相手が知っているとなったら、恥ずかしくて生きていくのも大変です。家族なのでお互いに分からないことがあっても信頼の赤い糸に結ばれて、赦し合い、妥協し合って生きているのではないでしょうか。その関係を愛の関係といっていいのです。愛とは、強固な信頼に基づく妥協と赦し合いのことです。
 さて、二千年前のナザレに話を戻しましょう。大工のイエスを知っていると思い込んでいて、一歩もそこから引かない人々が見ているものは、いったい何でしょうか。個人個人、ひとり一人の全存在の重さ、固有の重さが見えない人々の群れは、そのまま自分自身の固有性が見えていない、つまり見ようとしない群れであります。その限界がそこにはっきりと見えてきます。過去の暮らしを共有しているという自惚れが、イエス・キリストという父なる神に派遣された偉大なる預言者の出現を見抜けなかった限界がそこにはあるのです。「この人はこんなことをすべて、いったいどこから得たのだろう」という大疑問しか浮かんでこないのです。その躓きの中にいる人々に向かって、イエスさまは、「預言者が敬われないのは、その故郷、家族の間だけである」と発言しています。このイエスさまの発言をみなさんは、どう思われますか。そんな冷たいことを言わずに、周りに有無も言わさないもっと圧倒的な奇跡を起こしたらどうか、という意見もあるかもしれません。が、その後を御覧ください。五八節、「人々が不信仰だったので、そこではあまり奇跡をなさらなかった」とあります。 イエスさまの発言の真意(ほんとうの意味)は、肉の関係を越えよ、肉の関係を越えた天と地上を結ぶ垂直線に目覚めよ、と諭してくださっているのです。神と人との垂直な関係に目覚めた時、人間はあらためて、本来の肉親への愛を手にすることが出来るのだと諭してくださっているのです。神の圧倒的な愛には、及びもつかないが、限界の中でお互いを慈しむことが肝心なのであります。
 ナザレの村人は、この天と地上を結ぶ垂直線が見えないのです。見えないということは、イエスさまが見えないのです。見えていないのも関わらず見えていると言い張る時、これを不信仰というのです。
 イエスさまは、ここで「預言者」としての自分をはっきりと名乗っています。旧約以来預言者の運命は、神の言葉を真っ直ぐに伝えたがゆえに悲劇的な苛酷な人生を強いられてきました。イエスさまは、自分の十字架の道程をすでに覚悟していたのであります。
 だからこそヨハネ福音書十九章二五節以下がが書き記したように、イエスさまは十字架の上から、母とそのそばにいる愛する弟子とを見て、母に、「婦人よ、ご覧なさい。あなたの子です」と言われたのであり、弟子に向かっては、「見なさい。あなたの母です」と言われたのです。肉親の母マリアを、一人の独立した人格へと解き放って、「婦人よ」と呼びかけた時、マリアは、息子イエスではない、神の子イエスさまと出会う第一歩を踏み出したのであり、イエスさまの復活後には、弟子の一人として活動するのであります。
 つまり、ナザレの村人の不信仰とは、イエスさまを肉の基準からしか見ようとしない、肉の視点以外から見られない限界のことです。
 もし村人たちが、家族が、のぞき趣味の好奇心によってではなく、もっと素直にイエスさまの奇跡そのものを受け入れていたなら、その驚きは、世俗と信仰の境界線へと近づく出来事であったでしょう。
 このことを的確に説いているのが、ヨハネ伝一章十一〜十三節です。開く必要はありません。耳を傾けてください。「言は、自分の民のところへ来たが、民は受け入れなかった。しかし、言は、自分をうけいれた人、その名を信じる人々には神の子となる資格をあたえた。この人々は、血によってではなく、肉の欲によってではなく、人の欲によってではなく、神によって生まれたのである」。 
 私自身は、イエスさまの復活後、ナザレの村人たちは、どんどんキリスト教徒になっただろうと想像しています。事実、二千年後の現在のイスラエルの中で、ナザレは、キリスト者の町として知られているのです。
 さて、今日の結論に入りましょう。信仰の根元には、一方にある毒と棘に対して、もう一方に、いのちの薬の働きが呼吸しているのです。他の言葉で言えば、人間を生き生きと生かすと同時に、壊すのも信仰の側面だと言えるでしょう。
 何故そんなことが起こるのか。米国のキリスト教原理主義あるいはイスラム原理主義の危険性は、みなさんがご存知の通りです。そこにあるのは、無批判の信心です。訳も分からぬまま、唯一神への信仰に基づくのではなく、組織や指導者の主張を無批判のまま信じ込むことの危険性です。
 けれども、私どもは、一人一人に語りかけてくる人格神との関係を重んじるキリスト教の信仰に固く立っているのです。医者であるイエスさまに癒された、救われた、解放された、という実感に基づいて生き生きと生きようと歩んでいます。自分が信じている神さまがどんなお方であるかを吟味しない信心が、その人にとって猛毒になるのであり、棘になるのです。
 私どもは、イエスさまという最高の命の薬を毎日飲んでいるのです。与えてくださるのは、イエス・キリストご自身なのです。同時に、イエスさまに従う者として、証言者として、ひょっとすると殉教者の道へと踏み込んでいくかも知れないという覚悟がなければ、ほんとうの信仰者とはいえない。いのちの薬とは、復活したイエスさまであり、神さまなのです。
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