罪人を招くためである
テキスト マルコ 2章13〜17節
 突然、堺に、秋が訪れました。
 暑い暑い夏でした。入道雲と蝉の合唱と真っ黒な薮蚊の攻撃が続いて、そのまま台風でした。
 その台風12号は、紀伊半島に甚大な被害をもたらしました。奈良県十津川の暴風雨がもたらした土砂崩れは、痛ましいものでした。追い打ちをかけるように襲来した15号も、列島各地に惨害をもたらしました。
 三月十一日以来の、次々に襲いかかる災害の中で、次第に災害に慣れていくような錯覚に陥ってしまいそうです。
 堺はというと、今のところ、地震からも台風からも見染められていないようです。
 が、依然として、「なぜこんなひどい災害が次々に無辜の民に襲いかかるのか」という問いが、あちこちから聞こえてきます。この問への答えと、宇宙の創造者である神とが密接な関わりがあるということは、はっきりしています。土から人間を創り、命の息を吹き込んでくれましたが、この命を取り去るのも神です。しかし、この人間を救済する歴史を主宰しているのが神であるという信仰にしっかり立っていれば、答えが出せます。人間の側から人間の規準で、不公平だとか、損か得かなどと論じること自体意味がないのです。良寛お尚は、災害の夥しい死者について言いました。「人間死ぬ時には死ぬべきで候」と。無慈悲で冷たいなあと受け取る人もいるでしょうが、これは生き死について十分に考えぬいた宗教者の自然な発露としての言葉なのです。
 では、キリスト教の立場はどうかというと、さまざまな意見、発言がありますが、私は、ほとんど良寛さんに近いのです。違いは僅かですが、決定的です。それは、自然災害は、神のみ心だということです。人間が正否を論じる次元の問題ではありません。納得できない不条理がたくさんありますが、神の奥深いみ心は、私どもには把握できない。旧約に登場している義人(義の人)ヨブの、苦悩にもかかわらず徹底的に神に従っていった信仰を思い出してください。不条理を受け入れる鍵は、そこにあるはずです。現在の次々に起こる災害を眼の前にして、私は、人間が砂粒にも及ばない小さな存在でしかない事実を痛感しています。にもかかわらず、神さまに愛されていることの凄さに感動しています。これが私の答えです。
 なお、この問い、「なぜ、神さまはこのような酷い目に遭わせるのか」については、『信徒の友』の十月号で、ケセン語聖書の翻訳者で、気仙沼の被災地のカトリックの医師である山浦玄嗣さんの講演記録「被災地・ケセンから見た3・11」をぜひお読みください。

 さて、今日のテキストは、簡素で素朴、率直な信仰に生きたマルコ伝記者が書いた短い物語から、人間とは何者かを、もう一度考えてみます。マルコ伝二章十三から十七節、こことよく似たお話は、マタイ伝九章にもルカ伝五章にもあります。
 が、マルコ伝がいちばん古い。イエスさまのなさった業の原型におそらく一番近い記事だと思いますので、このマルコの物語にこだわってみましょう。
 十三節からの短い物語には、小見出し「レビを弟子にする」とあります。冒頭「イエスは、再び湖のほとりに出て行かれた」で、始まります。イエスさまの伝道の初期活動の舞台は、故郷のガリラヤ湖の周囲です。イエスさまの噂はすでに広まっていました。二千年前のイスラエルでは、貧困(今日食えるか食えないかというぎりぎりの絶対的貧困)と多くの病気と障害で苦しんでいる人がいっぱいいたのであります。「群衆が皆そばに集まってきたので、イエスは教えられた」のであります。たとえば「祈りの仕方」も教えました。例の「主の祈り」です。「我らの日用の糧を 今日 与えたまえ」と教えたのです。「今日も」は、日本人向けの訳文です。当時の人々は、「今日与えたまえ」は、「一日の苦労は今日一日で十分である」という言葉と同じく、じつに実感にあふれた表現だったのです。「今日」という一日が人生そのものだったのです。「明日のことは明日思い煩えばよい」のです。十四節、「そして通りがかりに、アルファイの子レビが収税所に座っているのを見かけて」、 接続詞「そして」を使って文章を繋げる方法は、中学一年生までのもっとも初歩的な作文の書き方ですが、マルコは時々「そして」を使います。
 ここにも「収税所」が登場しますが、ローマ帝国に媚びて、ユダヤ人から税を取り上げ、ピンはねを当然とする取税人は、ユダヤ人から民族の裏切り者として嫌悪され、蔑視(蔑まれて)されていたのです。
 しかし、取税人すべてが喜んで取り立てをしていたわけではないでしょう。生活のためとはいえ、同朋を裏切るのと同然の仕事をしている後ろめたさにたえず襲われ、苦しんでいる者もあったでしょう。それを顔に出すことができないところに彼らの苦悩があったに違いありません。レビ(マタイ伝ではマタイですが)は、きっとイエスさまの噂を聞いていたことでしょう。秘かに群衆に紛れて、イエスさまのお話に耳を傾けたことがあったに違いありません。心から共感しても表情に出すことはためらったに違いありません。ましては、行動に表すことはできっこないことでした。でもいつかは、いつかは、イエスさまに直接お目にかかって、相談してみようと密かに決心していたのでした。
 だから、十四節、先ほどに続いて、イエスさまが「『わたしに従いなさい』と言われた。かれは立ち上がってイエスに従った」。 となったのです。電撃に打たれたようにイエスさまの足元に飛び出していったのです。自分の職業をその場で捨てて、放り出して、従うのは、そうた易いことではありません。聖書には書かれていない、取税人レビの個人史(他人には見えない物語)がその背後にじつは横たわっていたのです。この十三、十四節は、レビの召命物語なのであります。取税人の固有名詞がレビでもマタイでもかまわないのです。重要なことは、異邦人と接していること自体を汚れとみなす律法規定に縛られ、さらに民族の裏切り者と蔑まれて、罪人として扱われている取税人という苦しみの現実から脱出させてくれたイエスさまに従ったという行動が、彼らにはまさに救いであったという事実にあるのです。
 だからこそ十五節からのレビの家での盛大な食事が始まったのです。イエスさまのなした業の中でとくに目立つことは、食べることです。共に食べること、共食または給食であります。家族そろって、あるいは知人友人親戚と共にする食事、学校の給食、みんな楽しく愉快なうれしい時間です。イエスさまは、五千人の給食を実現してなお食べ物が余るという奇跡を行ったのです。イエスさまの最初の奇跡、結婚披露宴で水を良質な葡萄酒に変えたことを思い出してください。イエスさまは、共に食べること飲むことが大好きだったのです。これが最後の晩餐として結実して、さらに復活の後の食事へと繋がっていったのです。共に食べる共食、給食の喜びは、二一世紀の地球でも実現されるべき緊急の課題なのです。
 レビの家は、大いに賑わっていたのです。
 十五節、「多くの徴税人や罪人もイエスの弟子たちと同席していた」とあります。マルコ伝の記者にとって、徴税人の存在が罪人よりも重い。しかも徴税人はレビだけではなかったのです。何人もの徴税人がいたようです。さらに罪人もいました。あらためて罪人と書かれると社会的な犯罪者のことだろうかと思ってしまいがちですが、そうではありません。ここの場合は、旧約の律法を忠実に守れない人、あるいは守ろうとしない人たちのことです。律法にたえず忠実で、完全に守る自分たちを義人(義の人)として誇る律法絶対主義者に対する反感もあったことでしょう。十五節、「実に大勢の人がいて、イエスに従っていたのである」。 徴税人と罪人の集団がイエスさまに従っていたということは、イエスさまのように、具体的には、体を横たえて食事をしたということであり、文字通りイエスさまについていったということであります。そういう食事の光景は、反社会的な行為であり、放っておいたらどうなるか分からない危ない不穏な状況が形成されているという解釈も可能なのであります。ですから十六節、「ファリサイ派の律法学者は、イエスが罪人や徴税人と一緒に食事をされるのを見て、弟子たちに、『どうして彼は徴税人や罪人と一緒に食事をするのか』と言った」とあります。ここで興味深いのは、ファリサイ派にとってはイエスさまではなく、単に三人称の「彼」でしかなく、律法を守る義人であることを誇るかれらは、律法を守らない罪人が徴税人よりも重い存在なのです、イエスにとっては徴税人の方が重い。 
 ファリサイ派の態度は、いつの時代にも起こってきます。律法を図式的形式的に絶対化するその態度こそ、他者を裁いて止まない病気なのです。かれらは自分らこそ狂気に陥っている病人だという自覚が持てない、じつは、罪人なのです。
 徴税人たち、罪人たち、弟子たちがイエスと同席している場面は、当時の常識からいっても、世間的な基準からはみだした異様な集団に思われたことでしょう。当時、一般市民が徴税人と同席することはありえないことであったのです。
 十七節、ファリサイ派は、イエスさまに聞くべきことを弟子たちに聞いたのですが、イエスさまがまっ正面から答えたのです。「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである」。 と。
 歴史を遡るほど、宗教と医術(医学といってもいいでしょう)は、近い存在になります。
名らに新薬師寺という名のお寺があるのをご存知でしょう。薬師とは、くすりしのことです。ご本尊は、大きな目でぎょろっとこちらを見ている薬師如来です。高名な医学博士さまと思えばいいでしょう。宗教者が祈祷者でもあって、病気を癒すのは世界共通であります。イエスさまは、お医者さんでもあります。
しかも名医です。私どもも、「み心ならば、癒してください」と毎日祈っております。イエスさまは、「自分は医者である」と宣言しているのです。しかも「わたしが北のは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである」と締めくくっています。このせんげんがファリサイ派の学者たちに向けた答えなのです。言うまでもありません。学者たちの思い上がりをピシャと諌めたのであります。律法を絶対化して、自分たちこそ義人であると誇っている、あなたたちが罪人なのだと宣言した時、かれらはどう反応したのでしょう。
 聖書は、その後について何も語りません。ここも小説や道徳訓とまったく異なっています。ファリサイ派の学者たちがどうしたのか、ではなく、自分の内部のファリサイ派に気づいていないのは、じつは私どもではないでしょうか。
 医者であるイエスさまが、私どもの目の前に立って、招いておられます。ここでどうするのか、一人一人が行動しなければなりません。イエスさまの招きに応えて、さあ、イエスさまに向かって、走りだしましょう。走りながら、悔い改めましょう。


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