その日。 日本国の首都、東京はいつにもまして賑やかだった。 あちこちで交通規制が敷かれ、警視庁やマスコミのヘリコプターが何機も上空を行きかい、警察官や護衛官、SPと名のつくものは総動員され――と、なにやら非常にものものしくあったが、それはあくまで目に見えない裏方でのこと。 その他は至って明るく楽しく、朝からこの一大イベントを盛り上げようと忙しくしている。 テレビ局はみなこぞって、今日と言う日のためにあちこちから著名なコメンテーターをかりあつめ、数少ない資料からなんとか見栄えのする映像と、学友、恩師、ご近所、一度立ち寄っただけのレストランのマスターまで出来うる限りのインタビューをくみあわせ、特別映像を組んでこの日を待ち受けていたのだ。気合の入りようも尋常ではない。 交通規制による混乱を防ぐために今日と言う日は特に休日が選ばれたのだが、そのせいか一般市民も多くはテレビの前に陣取ったり、イベントの主役たちを生で一目見ようと沿道にずらりと並んでみたり、と、なかなか不自由ながらこの状況を精一杯に楽しんでいる。 そして、いままさに。 あちこちの家庭や街頭のビジョンは、その映像を映し出している。 それは、獅子と蛇の印象的な紋章がくっきりと描かれた白い小型飛行機が、飛行場でゆっくりと機首を回頭させている様子だった――。 『ハイ、こちら空港でーす! たったいま! たった今です、ブリタニアの皇室専用機が、この飛行場に降り立ちました!』 あちこちのテレビはいっせいに生中継をはじめ、今からそこまで盛り上がっていてどうするんだ、と思うようなハイテンションな女性リポーターの声を響かせている。 どこのチャンネル見てもこればっかり、と言う一部のぼやきはさておき、日本国国民の大部分が、多少の差はあれどもこの中継を興味深く見守っていることだろう。 空港周りにずらりと並んだマスコミの数は国内外あわせてどれほどいるのか、空港周辺での取材許可証の発行数のほうが警備員数よりもはるかに多くなって、担当者があわてて人員を増強したくらいだ。 日本国民が待ちに待った、とまでは言い過ぎにしても、十分彼らの興味を引く――それこそ政治的駆け引きや外交関係などといったお堅いものから、奇跡のようなラブロマンスまでありとあらゆる方面の話題を、それひとつで提供してくれるニュースの当事者が、今まさに空港に降り立とうとしているのだ。 『あれが皇女殿下を乗せた専用機です、見えますでしょうか、私の後ろに機首を回頭させて――あれですね、あれ! カメラさん、アップに出来ますかー』 『ご覧になれますでしょうか、ブリタニアの国章が、くっきりと白い機体に描かれています、大国ブリタニアに相応しい、堂々たる立派な機体です!』 ほめるものは手当たりしだい、それこそ専用機の白さ加減まで褒めちぎりながら、リポーターやカメラマンたちは、取材が許されたぎりぎりの区内、その中でもたとえ一センチでも「それ」に近づこうと必死だ。 一歩でも禁止区域に入ろうものなら警備員に押し戻されるのだが、そこはテレビクルーもプロ根性で足を踏ん張っている。 『さあ、今回新婦となられる姫君と、付添い人として第二皇子であられるシュナイゼル殿下が、あちらに乗っておられます。今――ああ、まさにいま! タラップが取り付けられております! いよいよ、皇女殿下のお姿を、間近で拝見することができるのです!』 『未成年と言うことで、公式の場には殆ど出ていらっしゃらなかった皇女様ですが、大変にお美しいということで、私も今からどきどきしてきました!! お写真で拝見するだけでも、あんなに綺麗なお姫様ですから、本物見ちゃったらどうなるんでしょう!!』 異様な緊張と興奮が空港周辺を取り巻いていたが、エンジンを止めてしまった飛行機の周辺については実に静かだった。 何一つ手違いのあってはならぬという緊張感はあれども、タラップを取り付けるのも粛々と、なにもかもが予定通り、手筈どおりに進められている。 タラップのたどり着く地上では、枢木首相をはじめとする政界の重鎮がずらりと左右に並び、その周辺をさらにSPがぎっちりと固めている。――その中に。 ひとり異彩を放つ――と言うか、なんだかこの面々の中には非常に不似合いな、年若い青年がひとり。 枢木首相の隣に立つ、姿の良い若者である。 少し丸みが残る頬が幼く見えたりもするがなかなかの美青年で、穏やかな、いかにも懐の広い優しげな顔立ちであった。 何が嬉しいのかついニコニコしてしまうのをとめられないようで、枢木首相にそのたび小さく叱咤されて真面目な顔つきになるのだが、またすぐ頬は緩んでしまうようだった。 この年若い青年が、このたびの「大騒ぎ」のもうひとりの当事者であるという事情を知っていれば、まあそのしまりのなさもほほえましい部類に入るのだろう。 カメラはその青年のこともちゃんと捉えている。 『首相のご長男の、枢木スザク氏ですね。花嫁となる皇女殿下のお迎え、ということでしょうか――ああ、また何か、嬉しそうに笑っていらっしゃいますねえ』 スタジオで中継を見守るコメンテーターも『嬉しそうですねえ』『まあ、気持ちはよくわかりますねえ』と実に好意的に、冷やかし半分に持ち上げている。父親に肘でつつかれている様子もちゃっかりと映り、あちこちのスタジオやテレビの前の国民の微笑ましい笑いを誘っていたことを、当人は知らない。 そう。 このたびのこの大騒動。 日本国の枢木首相の一人息子と世界に冠たる大国ブリタニアの『皇女』との、いわゆる「ロイヤルウエディング」なる一大イベントなのである。 厳密に言えば「ロイヤル」なのは新婦となる皇女のほうだけで、形としては「降嫁」になるのだろうが、どの民放もそのへんのことは都合よく流している。「ロイヤルウエディングのほうがなんとなく響きがいいし」ということだ。 「皇女」が日本に花嫁としてやってくるにあたっては、政治レベルでも多々あったようだ。仮にもブリタニアの皇族である以上、その立場や身辺警護なども含めてどうしても国賓扱いになる。 国賓として迎えた後はどうするのか、皇族と言う立場から皇居へ参内が必要かどうか、結婚式は公開か非公開か、実際に暮らしだして後のセキュリティなどなど、問題は山積であったが、このところぎくしゃくしがちだった両国の間に、多少無理無理にでも友好ムードが生まれるのならば幸いであるし、そうとなれば国民の中の反ブリタニア感情を収めるためにもこの婚約は大々的に扱ったほうがいい。 件の「皇女」は過去に一度だけ非公式に日本への留学経験がある。そのときに現首相の一人息子と顔見知りになり、それからも技術提携だの語学留学だのなんだのと両国間を首相の一人息子が行き来する間に「愛」ははぐくまれ――と言うのが一応今回の成り行きであるらしかった。少なくとも日本国内ではそう認識されている。 政府から正式発表があってからというもの、毎日毎日、ニュースでもワイドショーでもこの話題が取り上げられないことはなく、街頭インタビューをすれば若い二人に対する好意的な祝福冷やかしがあふれ、ちゃっかりこの結婚に託けたグッズや記念品などもぞくぞく店頭に並んで、その経済効果たるや、などという報道もされる。『首相の息子ではあっても一個人の婚約に政府発表までするのはどうか、公私混同も甚だしい』と国会で水を差した議員なども一応いたが、これは「空気読め」とばかりに画面からは瞬殺された。 と言うわけで、上手く政府やらマスコミやらが立ち回った結果もあろうが、おおむねこの婚約については日本では好意的に受け入れられた。情報をつかさどる機関が結託してそう盛り上げたには違いないが、「純愛」に生きる若い二人を引き裂く悪役になど誰もなりたくない。 とはいっても、いろいろと政治的取引に絡めて勘ぐる声ももちろんあがった。しかし、これまた新郎となる首相の一人息子のほうが、この婚約に関して取材を受けるたび「よく顔面が溶け崩れずに保てるものだ」と父親に言わしめたほどの「幸せ」オーラを所かまわず出しまくっていたせいで、バカバカしくなって小難しい質問をする気力も失せた記者も結構な数いたとかいないとか。 それでもなお引き下がらず、このたびの「降嫁」が結局人質ではないか、さらにはその「皇女」を連れてくるのにどれだけ地下資源サクラダイトを結納金がわりに払ったのか、という不謹慎かつ不穏当な質問を、新郎本人に面と向かってした勇気ある人間は――さて、どうなったのか。 あまり知られていない枢木スザクの二面性を、その身をもって知ることになったのかどうか。どちらにしてもそのあたりは狡猾すぎるきらいもある彼のことで、ぬかりはないのだろう。 ともあれ――。 その一大イベントの前哨戦ともいえる、「皇女」の到着、そしていよいよその姿をカメラに収められるとあって、テレビクルーたちは妙な緊張感と期待感で盛り上がる。 何しろ未成年を理由に殆ど政治的な舞台に登場しなかった、言ってみれば幻の皇女。 さまざまな障害を乗り越え、一国の首相の息子とぶっちぎりの遠距離恋愛を実らせた姫君なのである。 飛行機の扉が開いた瞬間、場はこの上なく盛り上がり、高揚し。 そして。 ――停止した。 たまたま一番いい場所を陣取ったテレビクルーとリポーターの女性が、ぽかんとして現れた二人を見上げた。 「うわ……」 カメラスタッフが思わず呟いた。その腹の中、面識もない首相の息子に「うまいことやりやがって」とひそかな悪罵を浴びせていたことは内緒だ。 側近の男たち数人に続いて現れたのは、それは美しいふたりの人間だった。 小柄な、細い人影が件の『皇女』なのであろう。「彼女」は間近にいたテレビスタッフに気づくと、彼らににっこりとほほえみかける。 それこそけぶるような、とか、花開くように、とか、ありったけの美しい形容を並べても間に合わないような微笑であった。 『皇女』はよく晴れた明るい日差しの中に、つややかな黒髪をこれでもかときらめかせて姿を見せた。髪は肩辺りで切られていて、惜しいものだと少し残念に思った者もいただろう。 しかしそんな些細なことはみな吹き飛んでしまうほど、『皇女』の姿は度肝を抜いた。 宝石細工のひとがた、さもなくば今を絢爛と咲き誇る清らかで豪奢な薔薇のよう。 お姫様、と言う言葉から日本人が想像するようなきらびやかさも派手さもなく、どちらかといえばシックないでたちであろうに、その容貌の整い方は奇跡のようだ。 傍らでその「皇女」の手を取って優雅にエスコートする青年は、黒髪の皇女とは対照的な豪奢な金髪であったが、「貴公子」という言葉そのものを美しく体現している。 日本人から見れば、ふだんブリタニアの皇族が着ている衣装は多分に装飾的、そして古典的にさえ映るものだ。そのあたりは国賓として迎えられることを弁えているのか、ふたりとも服装に関しては驚くような異国的なものでもない。 しかし何を言うにもこの皇族のふたりは文句なく美しかった。 兄皇子のほうは丈の長いフロックコートで、一応正式とされるグレイの色調のものではあったが、光の具合で紫がかったシルバーにも見える美しい光沢をもった生地で誂えられている。そのせいで決して仰々しくもお堅くもなく、通り一遍のつまらない正装姿には決して見えない。 カフリンクスやちょっとした装飾などもきちんと銀で統一されていたが、見事な金髪や華麗な容貌と相まって全体的に非常に華やかな、むしろ本国ブリタニアの社交場に出ていても十分通じるような姿であった。 その彼と同じ血の「皇女」はなおのことだ。いかにも婚約の相整った年頃の女性らしく、ひらひらとした装飾はできるだけ控えてはあったが、何を言うにも年若い。「彼女」の魅力と若さを十分に引き出すような華やいだものであった。 兄と揃えたのか薄い紫のワンピースであったが、こちらはどちらかといえば藤色に近い、上品でどこか日本的な色合いだった。パールの小さな首飾りも品よく、揃いの髪飾りで黒髪を丁寧にまとめてある。肩から胸にかけてはふわふわした、薔薇の花びらを幾重にも重ねたような飾りのショールが殊更ふんわりと、やたら丁寧に巻きつけられていた。 その紫は「皇女」の美しい双眸に敬意を表したのであろう。一つ間違えば野暮ったく見えてしまいかねない色合いを「皇女」は見事に着こなし、その美貌を引き立てるに相応しい。 しばらく唖然としていたリポーターだったが、他の取材クルーに促されてあわてて実況を続ける。 『あ……あー……すみません、思わずびっくりしてしまいました』 彼女を責める声はスタジオにはない。大体何処のテレビ局も、リポーターも、そしてテレビの前の視聴者さえ、その「皇族」たちの美貌に一瞬見ほれて言葉もなかったからだ。 『――これはまた、想像以上の綺麗なお姫さまですねえ。お隣に見えるのが、お兄様の皇子殿下ですか?』 『そ、そうです。そうですね。――えー、お隣で皇女の手を引いてらっしゃるのが、第二皇子シュナイゼル殿下です。……うわ、かっこいい〜』 ついつい本音を漏らした女性リポーターはカメラマンに睨まれ、あわてて取材を続ける。 『いやいや、一瞬言葉もなかったですね。今まで皇女殿下のお姿は、お写真でしか見ることがなかったですし、そのお写真も活動的な、どちらかといえば男装に近いものでしたから、こうして改めて拝見しますと! 本当にお綺麗な皇女さまです。あ、今、タラップを降りられ始めました、さすがに本物の姫君、しぐさも優雅でいらっしゃいます!』 女性リポーターの声はすぐにテンションの高さを取り戻した。そのあたりはさすがにプロである。しかし。 ――誰が姫だ、誰が。 その声を少し離れた場所で聞いていた『皇女』は口の中で低く呟いた。 ――いまこの場面の何処に『皇女』がいるというんだ、言ってみろ!! ――此処にはブリタニア一の頭脳明晰さを誇る第十一皇子と、ブリタニアに並ぶものなき腹黒第二皇子がいるだけだろうが! 誰かひとりくらい気づけよ! と己の容姿と装いを棚に上げて不機嫌オーラ全開の『皇女』に、隣から物柔らかな声がかかった。 「ルルーシュ、いまさっき心の中でさりげなく自画自賛と私の悪口を言わなかったかい」 「皇女」の隣でにこやかに、あちこち手を振る兄皇子である。眦とか白い歯とか、ひと昔前の漫画のようにきらきら光らせそうな勢いの笑顔である。 「――さて、なんのことでしょう兄上」 存外に低い声音で「皇女」は応じた。後ろに居た側近が、あまり大きな声は出さないようにと小声で注意してくる。「皇女」は舌打ちをしたげであったが、兄のほうは何処吹く風と、さらにこんなことを言ってきた。 「ほらほら、そんな怖い顔しちゃいけないよ、ルルーシュ。カメラが全部キミのほうむいてるんだから。まあ、君の悪役顔はいつものことだし私は見慣れてはいるけど、今日に限っては見せないほうがいいね。初めて見る日本の人はきっとおびえるからね」 ね? と顔を覗き込んでくる兄を無視し、近場のテレビカメラに向かって極上の笑顔をくれてやりながら、ルルーシュは隣の兄の横っ面に一発入れたい衝動を必死で堪えていた。 「いやあ、それにしても君の外面の良さには恐れ入るよ。たいしたものだねえ」 「何をおっしゃいますか、私など、兄上の面の皮の厚さに比べたらたいしたことはございません」 遠くから見れば麗しい「兄妹」が仲良さげに親密に、それこそ「あははうふふ」の世界でたあいないことを言い交わしているようにしか見えないが、周辺温度の低下具合と言ったら尋常ではなく、側近たちの胃をきりきりと締め上げ続けている。 しかし「皇女」にしてみれば、そんな悲壮な顔つきの側近の胃ごときどうなろうと知ったことではない。 (そんな死にそうな顔をするぐらいなら、最初っからこんな縁談すすめるな!!) いい気味だ、と少々意地の悪いことを思いながら地上に目をやると、にこにこと手を振ってくる青年の姿が目に入る。 その能天気な面構えの青年とはなるべく目を合わせないようにしながら――けれども煮えくり返る腹の中をなんとかなだめつつ、それは美しいつくり笑顔で優雅に兄のエスコートを受けてタラップを降りはじめ。 ――そうして、ルルーシュ・ヴィ・ブリタニアは心にかたく誓う。 (枢木スザク) (あとで百回ぶっ殺す――――!!!!!!!) ルルーシュのその殺意に満ちた気迫をよそに、地上で待ち受ける青年――枢木スザクは、待ちに待った「花嫁」の到着を心から喜んでいた。 ――でもルルーシュ、なんであんなに怒ってるんだろう 傍目も気にせず手を振りながら、そんなことをふと思う。 彼の心は、今日の青空のように晴れ渡って幸せだった。風は温かく、太陽はきらめき、そしてなにより「花嫁」は美しく世界は平和である。 ――とりあえず、今のところは。 そもそもの始まりは、半年近く前のこと。 ブリタニア皇宮の一角、アリエス離宮――場所は、離宮の中でも奥まった一室。 そこは薔薇園へと直接出られる明るいサンルームを一角に配したリビングで、皇族たちのごくごく私的な空間となっている。 皇妃マリアンヌの趣味で、ごてごてとした装飾のない出来るだけすっきりとした家具を優雅に配置し、高い天井と柔らかな色調でゆっくりくつろげる場所になっている。他の皇子皇女たちが華美な装飾や装いに倦んで、よく此処に遊びに来るのもうなずけるというものだ。 時刻は午後三時を少し過ぎたとき。 アリエスの離宮に母と、そして妹皇女と住まう第十一皇子ルルーシュが、長く読みふけっていた分厚い本からようやく顔を上げた。母の美貌をそのまま受け継いだだけでなく、あらゆる学問に秀で、特に軍事面における才覚は群を抜く。天は彼に二物どころか、ありとあらゆる美と才能を授けたようだ。多少、運動能力の面で問題があるようだったが、そこまで言っては酷だろう。 少し休憩しよう、と優雅な曲線を描くカウチの背もたれに身を預け、大理石のテーブルに置かれた紅茶を彼がちょうどひとくち口にした――そのときのことだった。 「そうそう、ルルーシュ。貴方の婚約が決まったわ」 「はあ?」 庭で薔薇を摘んできた母は、ルルーシュのすぐ傍の別のテーブルで花の具合を見ていたが、唐突にそんなことを言った。 母親の発言が突拍子もなく、まるでなんでもないことのように「とんでもないこと」を口にするのはいつものことだったが、今日はさすがにルルーシュも面食らった。 「婚約……ですか。私の」 「そうよ。貴方の」 うふ、と言う感じで笑う母は美しい。子供を二人も生んでいるとは思えないほど若くすらりとして、どこか少女じみていた。 「どこの国ですか」 誰と、と言う前に、「国」が出てきてしまうのは皇族のさがか。自分の立場から言えば、「婚約者」とやらがいる国に送りだされると考えるのが自然だろう。 いずれそういうことにもなるだろう、と言う気構えはあったものの、突然に言われるとやはり驚くものだった。 「日本よ、日本。あなた行ったことあるでしょう」 「ほんの子供のころのことではありませんか」 日本。 (……日本か) 意外ではあったが、想定外ではない。可能性としては低い位置にあったが、決して考えられないことではない。 どちらにしてもあの小国の持つ豊富な地下資源と、精緻な技術力は世界の垂涎の的。内密の話だが、ブリタニア国内で開発中の人間型戦闘兵器の研究にも、もっと技術者が欲しいところ――なるほど、そういうことか。 想像はしていたが、やはり人質に近い形なのだろう。いずれにせよナナリーを差し出されるよりは自分が行ったほうがいい。 日本なら――やはり皇室関係のいずれかだろうか。 「ああ、それから。婚約者の方のおうちはあなたの考えているようなやんごとなき方々の関係ではありませんからね。そのあたりは安心していいわよ、あちらで大学にも通えるようにもしてくださるし、ここにいるよりは比較的自由かもよ」 ルルーシュの思考を読んだようなことを、母は言った。息子の婚約、結婚という重大事をどう考えているのか、まるで「明日のおやつはプリンで、パンプキンとマロンと両方ありますからねー」とでも言っているようだ。 「――必要ありませんよ。なにかあれば自分で勉強します。それで?」 「なあに」 「皇室でないなら、どこの政治家関係です」 「枢木首相のご子息よ」 母がさらっとこたえたひとことが、なぜかそのときルルーシュの頭に入ってこなかった。 いや、もちろん聞こえていたし、その短い説明からひとりの人物は想像できたのだが、その直前まで話題に上がっていた内容とは、まったく関係ない――はずである。 「あなた知ってるでしょう、ルルーシュ。仲良いんだから。ほら、スザクくんよ、あの子よあの子」 「――母上」 「なあに」 「私の婚約の話をしていらしたのでは?」 「そうよ。いまもその話だけど」 「そこでなんでアイツ――いや、枢木スザクが出てくるんですか」 「だーかーら」 物分りの悪い子ねえ、と波打つ黒髪も麗しい皇妃は、片腕に薔薇を抱えたまま、ずいっと彼女の息子を覗き込んだ。 「あなたの、婚約の、お相手よ」 「誰が」 「枢木スザクくん」 また沈黙。 「――母上、私はルルーシュで、ナナリーではありませんが」 「判っているわよう、そんなこと。いくら私でも息子と娘をまちがえたりしませんっ」 「いえ、いま現在盛大に間違ってます」 「だって、あちらさまからご指名なのよ。その首相のご子息と同い年で、アリエス宮に住んでいて、皇族で、名前はルルーシュ」 「……」 「あなたのほかに、その条件を満たす人がいて?」 「……もうひとりぐらい産んでた、なんてことは」 「あるわけないでしょ」 失礼な子ねえ、と母親が憤慨する声が遠くに聞こえる。――何故だろう、頭の端が痛み出してきた。 「母上。一応お聞きしますが、間違いなく日本は私を指名しているんですね」 「そうよ? 一応外務省からってことだけど、結局のところスザクくんのつよーい希望らしいわ」 ルルーシュは幸せ者ねー、と微笑む母をよそに、「指名」されたほうは思わず大きな音をたてて椅子を蹴ってしまった。 「あいつはアホか!! 何年友人やっている!! 男女の区別もつかんのか!!!」 「ルルーシュったら……そんな普通の男の子みたいなやんちゃな口が利けるようになったのね、母さん嬉しいわー」 「いや、喜ぶところでもないし、今の話題はそういうことでなく――」 嗚呼こういう母だった、とルルーシュはがっくり気落ちする。 「何でそういう話の対象が俺なのか、と言うことで……」 「あらいやだ、ルルーシュには話が通っているものだとばっかり思ってたわよ。だってこないだまでスザクくん此処にいたじゃない。あの子、何も言わずに帰ったの?」 そう。 くだんの「枢木スザク」はつい先日まで、このブリタニアに滞在していた。表向きは短期留学と言う名目だが、実はブリタニアが世界にこっそり内緒で開発している人型戦闘兵器の専属操縦士として研究所につめていたのだ。 開発のための技術力の提供、動力源となるサクラダイトの大量供給――それにくわえて、その人型兵器と妙に相性のいい枢木スザクがデータ収集に協力。 いずれ量産体制が整った暁には日本に優先的に輸出する、という密約のもとに行われていることだ。 そのあたりは政治的な、国家間の取引が諸々からみあっている。ルルーシュ自身、自分で出来る限りの情報を集めてはさまざまなパターンを推測するのは楽しいことではあったが、半ば投げやりな道楽であろう。――実際、それに関して自分が何の権限も持たぬ、口出しすら許されない立場であることをよく知っているからだ。 しかし、友人スザクがその戦闘兵器の実験に唯々諾々として従い、はるばるブリタニアまで何度もやってくるについては、一度疑問を投げかけたことがある。 『ここにくれば、ルルーシュと一緒にすごせるでしょ。僕、それを楽しみに来てるんだよ』 そうにこにこと答えられてしまって、それ以上なにを問う気もなくなった。 実際、枢木スザクはルルーシュにとって唯一の、そして最高の友人である。幼い頃に知り合い、自分とは正反対の性格ながら意気投合し、互いにないものを補い合い、彼とならどんな無理なことでも――それこそ世界征服でさえ出来そうだった。 そう、確かに彼は友人としては最高だった。 が、同時にまた、最悪の――。 (最悪の……この場合はなんて言うんだろうか) 最悪の――。 そうだ、最悪の。 最悪の「求愛者」。 いよいよ増してきた頭痛に、ルルーシュは知らずこめかみを押さえた。 (まさかこういう実力行使に出てくるとは……!! ええい、スザクのくせに生意気な!!) しかしまさか、いくらなんでも、と言う感じがする。 「ええと……母さん」 「なあに」 他人がいないことを再確認して、ルルーシュはいくらか砕けた口調で母に呼びかけた。 「母さんはまさか、承知してませんよねこの話」 「え、どうして?」 「いくらなんでもおかしいでしょう。俺は男で、貴女の息子です。そしてスザクだってれっきとした男子です。スザクの話がどこかでこじれただけかもしれないし、勘違いにつぐ勘違いがあったのかもしれませんが、俺の知らないところで世界の常識が変わったというのでなければ、男が男に嫁ぐのは不可能です、だから」 「ルルーシュ。私は最初に言わなかった?」 だから断ってくれ、といおうとした息子の言葉をさえぎって、史上最強の皇妃マリアンヌはにっこりと笑う。 「あなたの婚約が『決まった』って」 |
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