第10期生お別れ会

2003年3月16日
場所 播磨町総合体育館/ミーティングルーム





6年生のお別れ会がおこなわれました。

親子バレー対決、後輩達の出し物、6年生の思い出朗読(伴奏付き)、保護者さん出し物

トロフィー争奪、等々楽しいひとときでした。

子ども達との別れも寂しいのですが、週4日顔をあわしていた保護者さん達との別れが管理人に

とっては同じ位寂しく感じています。幸いFUJI家が残っているのがそんな寂しさを紛らわす

より所になっています。(笑)

6年生逹、保護者さん逹、おつかれ様でした!!!


小学3年生から入部して4年間ですか。入部した時はどんな出来事があったのか?調べてみました。

・茨城・東海村の臨界事故
・H2ロケット打ち上げ失敗
・神奈川県警の不祥事隠し
・トルコ大地震で死者1万人を超す
・台湾で死者2000人を超す大地震

まさに、ノストラダムスの大予言の地球滅亡説にふさわしい?1999年でした。
ちなみにスポーツでいえば

・巨人の上原ペタジーニに対して敬遠指示で涙を流す
・浦和レッズJ2降格
・ジャイアント馬場死去
と、こんなとこですかね。



4年間ってどうですか?短い?早い?違う違う・・・長い?

言い尽くされた言葉ですが「終わってみれば早かった」でしょうか。

3年生の時から真面目に練習をする子ども達でした。

4年生になった時にはすでに対面パスをさせれば数十分もボールを落とすことなく

続けていられるくらいになってました。県外に練習試合に行った時、主催の監督さんが

Bチームも練習試合をさせようと思っていたが、この子達(当時4年生でBチーム)の

対面パスを見て「うちとは話しになりませんわ。」と取り止めにしたというエピソードもありました。

このまま順風満帆で取り組んでいってくれればと願っていましたが、5年生になり

病気、ゲガ、心の悩み、色々とありましたね(笑)

でもそんな苦難を克服するたびにこの子達は進歩していきました。

みなさんシャクトリ虫って知ってますか?

何で読んだのかな??新聞?ネット?書籍?ちょっと忘れましたが、

「シャクトリ虫は伸びんがために縮む」

人間も同じで進歩しようとすれば、ワンステップ上を目指そうとすれば、

ある意味「縮む」期間が必要だというような事を読んだ記憶があります。

あの子達の色々な苦難はその「縮む」という期間だったのかな?と今になれば感じます。

縮むだけ縮んでも前に出ようとしなければ進まない。

各保護者さん達の後押しもあっての克服だったと思いますよ!

がんばりましたね!パパさん!ママさん!拍手!拍手!ですわ。


後を引き継いでいく後輩達も、今から一歩づつ一歩づつ前に進んでいきます(いこうね!)。

その過程の中には「縮む」期間も幾度となくあると思います(いや!あるでしょう!)。

次代のママサン、パパサンも後押ししてやってくださいね。

監督さんにも「縮んでいる期間」だと思って頂いて見捨てず根気強くご指導をお願いしますわ(笑)

そうそう!シャクトリ虫の話しの続きで最後にこんな事書いてました。

「うまく伸びることができるかどうかは保証の限りではないが・・・」と(笑)

真っ直ぐ進めよぉ〜〜!新チーム!(爆)



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保護者さんが製作された卒業文集から卒業生の言葉と監督からのメッセージを
転載させてもらいます。
ルナ 私は3年生からジュニアバレーに入りました。私の目標は今高1のゆか先輩でした。ゆか先輩もセッターでした。でもセッターの練習はとてもきびしかったです。5年生ではケガばかりでみんなにめいわくをかけました。でも6年生になってからはその分一生懸命がんばりました。(自信がなくて3回やめようと思いました。)でもこの4年間続けたおかげで優勝もできました。播磨ジュニアのチームでバレーができてよかったです。
留奈へ 4年間セッターとしてキャプテンとして本当によくがんばりました!!途中何度か挫折しそうになったけど、それを乗り越え頑張った事は留奈にとって大きな財産になっていると思います。何事も一生懸命すればするほどカベにブチ当たります。その時はジュニアの事を思い出して頑張って下さい。中学へ行けばまた新しいメンバーと一緒になると思いますが、バレーはセッターが大事です。中学でも是非バレーに入って活躍して下さい。
ミナミ 私は2年の終わりごろからバレーに入部しました。3年生の時はぜんぜん上手じゃなかったけど、バレーに行くのが楽しかったです。でも4年生くらいからバレーをやめたくなってとてもつらかったです。でも6年になって初めての大会で優勝できてとてもうれしかったです。東播の大会もほとんど優勝できて近畿3位という成績が残せてよかったです。ここまでバレーを続けてきてバレーだけでなくいろんな事を学べてよかったです。今まで本当にありがとうございました。
みなみへ ×××中学へ行くことをよく決心しましたね。監督は前にも言ったと思いますが誰でもいける訳ではありません。そのチームとの出会いそして両親の援助等いろんな条件をクリアー出来る事が大切ですが、それよりもまず選手として認めてもらう事が一番です。後はみなみが好きなバレーを目標を持って頑張って下さい。レギュラーポジションを早く取る!!全国大会を取る!!最終目標は全日本に入りオリンピックで活躍する事!またジュニアのときはケガで練習が出来なかった事が長かった時もあったが6年生になってからはエースとしてよく頑張ってくれました。友達関係も含めてジュニアで経験した事は今後大きなプラスとなる事と思います。頑張れ!
ナルミ 3年生で入部した。4年生になって練習しんどかった。カントクのきびしさ友達とのケンカ、いやになって泣いた。何度もやめたいと思った。でも「ガンバレ」「前向き」といわれがんばった。5年生になってAチームになった。もう「やめたい」とか言ってられない。夏の練習しんどかった。色々なポジションを乗こえたので、すこしずつ上手になっていると自分で思った。6年生、試合でたくさん優勝した。ここまでこれたのはいろんな人が支えてくれたから。今はバレーがとても楽しい。しんどい時、つらい時、色々あったけど休まず、やめずにバレーができ上手になれて本当にうれしい。皆さんありがとうございました。
成美へ 4年間練習を1日も休む事なくよく頑張りました!!ケガをしてもダメ!!カゼをひいてもダメ、お出かけ等々もすべてを我慢してバレーを第一優先に考えてくれてほんとうに有難う!またその気持ちがバレーでも技術、プレーに現れて来て発揮する事によってジュニアバレーの見本となってくれました。中学へ行っても紗理や留奈と一緒にバレーを続けて頑張って下さい。また高いレベルでの、みなみと対決する時が来るかもしれません。目標は常に大きくもっていて下さい。
サリ 私は3年生からバレーを習いはじめました。初めはさそわれて見に行ってバレーが楽しそうだったし、かっこよかったから入ろうと思いました。5年生からレギュラーなって初めは思うようにプレーができなかったけど、じょじょに練習したプレーができるようになってきて6年最初のうずしお大会では優勝できてうれしかったです。そして最後の龍野の大会ではブロックもよく当たったしサーブもよく決まりました。これもいろいろ指導してくれた監督、コーチのおかげです。今までありがとうございました。
紗理へ 4年間ほんとうによく頑張ってくれました!!レシーブが出来たらアタックにブロック!!トスを上げる事も多くなりコートでの動き方もむずかしくなっていく中でほんとうにたいへんだったと思います。それでも優等生の紗理の事だからバレーの練習のない日でも練習をして頑張っていたのだと思います。もちろん中学に行けばそれらのプレーはすべて要求される訳だから紗里にとっては大きなプラスになった事と思います。理麻が抜けみなみがぬける中で中学ではすべてのプレーに主軸となって頑張って下さい。活躍を期待しています。
ミエ 今までバレーをやってきて本当に良かったと思う。3年から入ってやめたいなと思ったのは何度もあった。けどいままでここまでこれたのはそう思ったときに友達やみんながはげましてくれたからだと思う。中学になって部活何かに入っても最後まであきらめないでがんばりたいな。と思います。
三恵へ 4年間ほんとうによく頑張りました!!4年生の時は左腕骨折という大きなケガもありましたが、その時三恵が「バレーは続ける」と言ってくれた時は監督はほんとうにうれしく思いました。その三恵の強い気持ちがあったからか直るのも早かったですね!三恵はジャンプ力があるから中学へ行って背がもう少し伸びてくれれば良いアタッカーになれると思います。ジュニアの経験を活かして留奈、紗理、成美と一緒にバレーを続けてほしいと思っています。活躍を期待しています。
リマ 私は2年の終わりごろからバレーをやりました。最初のころはなんにも思わなかったけど4年ぐらいになってバレーの子といろいろあってやめたいと思いました。けどおばちゃんたちに「バレーは楽しいよ。」といわれ私はやめるかやめないかなやみました。それで私がだした答えはやめないという答えでした。それから5年になってバレーはきびしくなったけど楽しくてしかたありませんでした。それは・・・最初のころはすごくへたくそでできないことがいっぱいあったけどできるようになったからでした。私はバレーが大好きなのでこのまま中学校でバレーを続けようと思いました。
理麻へ 4年間ほんとうによく頑張りました。理麻がすばらしい選手になってくれた事は監督は一番うれしく思っています。コツ!コツコツと地味ではあるが、自分に厳しくトレーニングの時もさぼらず、何度もフォームを自分でチェックをし確認する。最初の全員でのアタック練習のフォーム作りも監督に言われなくてもクロスストレートと振りわけていたのも理麻だけです。いまの気持ちを忘れずに中学にいっても頑張って下さい。播磨北、蓮池にも背の高い子と舞と一緒にがんばれば播南には負けないと思います。頑張れ!!

ほんと、色々ありましたね・・・・。小学生だもんね。女の子だもんね。

おっちゃんも今でも「あぁ・・・仕事やめたいな・・・」と考える時があります(笑)

友達と昔話しをしても辛かった出来事の話しがやっぱり最初にでてきますね。

そんなこんなをみんな肥やしにして大人になっていく。

でも、みんなのバレー以外の悩みの時はおっちゃんも凄く心が痛みました。

何にも良いアドバイスができない自分に苛立つ事も・・。

「(心の)痛みに耐え、よく頑張った、感動した」小泉首相の名言をパクリ贈らせて頂きます。

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これで本当に卒部ですね。でも播磨ジュニアという家族の一員には変わりありません。

ただ、それぞれに嫁いで行っただけですね。

播磨ジュニア卒業生は年代により播磨中学校と播磨南中学校との2校に分かれる事があります。

今回の6人は4:1:1で分かれてしまいます。播磨南中に4人、播磨中に1人、

バレーボールの環境の整った学校に1人。それぞれ充実した中学生活を送ってくれればと思います。

先輩達もそうです。全国レベルで頑張っている先輩、楽しいバレーでがんばっている先輩、

バレー以外でエンジョイしている先輩、みんなみんな家族ですね。

悩む事や嬉しい事、嫌な事などがあった時はいつでも帰っておいで!

君達が帰ってこれるよう播磨ジュニアという「家」は監督、コーチ、後輩達が

しっかり守っていってくれると思いますよ。ほんとうにおつかれ様でした。


管理人もやっと肩の荷を下ろしましたが後ろを振り向いてみると今の倍の荷物が待ち受けていました。(笑)

さっ!また1年がんばるか!