チェコスロバキア <プラハ>
ドイツに滞在中、仕事仲間の人が「プラハ」に一泊旅行しようという企画を出しました。
1989年11月18−19日
18日朝6時・アンベルグ駅からバスにて出発、11時30分ごろプラハ着。わずか5−6時間なのです。よく19日の21時ごろに返ってくるというちょっと強行軍。費用154マルク≒15,000円と格安の旅行です。
チェコスロバキアとの国境は、Waidhaus で、当時社会(共産)主義国であったためか、入国審査は厳しいものでした。バスの乗客は荷物を持たずにバスの外に出され、検査。バスの中に審査官が入り荷物検査をしているようです。その間に、チェコスロバキアから出国する乗用車がありましたがトランクの中の荷物検査をしっかりしていました。
EC内では、自動車で入出国してもパスポートを見せるだけなので、やっぱり厳しいものだと感じました。
入国審査が終わり、いよいよチェコスロバキア内入りました。すると、領内には入るやいなや変な人が乗ってきました。そうです「両替商」なのです。外貨・マルクが欲しいので、闇の両替商が横行していました。これはプラハの町の中でも同様でした、観光客と見ると「マクル、マルク」と言ってきます。でも正規の両替より3倍くらい良いレートで交換してくれますので、私たちにとっても好都合なのですが。
領内に入って最初に目に付いたのは、東ドイツに入ったときも同じ感じがしたのですが、暗く、貧しそうなイメージです。家々には石炭が山積になっています。
このイメージは、プラハの町の中に入っても同じでした。百貨店に入っても、高品質ものは無く記念に買っていこうという気になるものはありませんでした。
有名なボヘミアングラスが欲しかったのですが、あまり質のよいものが売っていなくて、青色のガラス製花瓶と灰皿を購入して日本への土産にしました。
チェコの国境に掲げられていた国旗 チェコの入国スタンプ プラハの百貨店
あまりいいものは無かったお土産にしたガラスの花瓶の一つ
明かりにかざすと透けて見える
プラハの町は、首都ということで大きい町ですが、土曜日と日曜日であったためとても静かでした。ただ、到着した日の前日か前々日に大規模な騒動があったとのことで、下の写真で銅像の周りにはロウソクがたくさん点灯されていました。その騒ぎは、日本の新聞にも掲載されたので、プラハに行くことを知っていた家族はとても心配したとのことでした。その騒動以降、チェコスロバキアの民主化が進んだようです。
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プラハの町並み トロリーバスが走る |
11月ということでとても寒く、池も氷が張り、アヒルが氷の上を歩いていた。寒そうー。 | |
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プラハの中心地:見えにくいが道路中央奥に銅像がある(絵葉書から) | プラハ城遠景 | |
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モルダウ川にかかるカレル橋 欄干には、石像が並んでいる |
モルダウ川のほとりにて プラハ城を望む |
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プラハ城入り口にて | ドーム どこでも教会は大きいです |
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![]() プラハ市内のキャバレー のパンフレット 外貨稼ぎの観光客相手。 とても広いが、内容はイマイチ。 何と文部省の研修旅行中という一行にであった・・何の研修? |
![]() プラハ市内のキャバレーの入場券 |
<モルダウ川>
私にとって、「モルダウ川」は、スメタナの交響詩「我が祖国」のなかの「モルダウ」です。演奏時間約1時間の「我が祖国」の中で数分の部分ですが、雄大なゆったり流れる川がイメージされるすばらしい曲です。
実際に「モルダウ」を目の前にして、私の頭の中にはその音楽が流れ出したのはいうまでもありません。最高のひとときでした。イメージどおりの雄大な川でした。
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