ドイツ・ベルリン

出 発
 1990年4月13日から15日の2泊3日のショーとトリップ
翌年1991年には東西ドイツが完全に統合されるので、東西分離している姿を一目見ておきたかった
 東西ベルリンは、東西ドイツの国境にあるわけではなく、東ドイツの中にあるベルリン市をさらに東西に分割したもので、西ドイツからベルリンにはいるには東ドイツ領内を通過しなければならない。国境は、有刺鉄線を丸く束ねたものを延々と張り巡らし、入国できるゲートは少ない。しかし、前年の1989年に東西統合の結論がでて壁の廃止が決まったため、東西の行き来の国境検問は非常に簡単であった。
 東ドイツに車で入り西ベルリンに行くまでの道路は、トランジット道路であり、わき道にそれて東ドイツの町に入るのは禁止されていた。そのため東ドイツの印象は、道路沿いの風景、点々としている家々、ドライブインなどで感じたイメージのみで、町々での暮らしは良く分からなかったのが残念であった。そんなイメージではあるが、共産圏特有の貧困さが見え隠れしていたように思う。

東ドイツへの入国印
ベルリンへのアウトバーン
中央分離帯の無いところも多く
非常時は飛行場にできるとのこと
東ドイツの国民車「トランペット」
2サイクルエンジンのため排気ガスが煙る。
アウトバーン路側帯に放置されている車を
多く見かけた。多分故障が多いのだろう。

西ベルリン
 ドイツでの滞在地・アンベルグを朝6時前に出発したが、道路工事による渋滞もあり、西ベルリンに到着したのは9時間後の午後3時。宿泊先も決めていなかったので、カイザー教会の近くにあった旅行案内所で行き相談、1泊180マルクと高価であるが近かくて便利なので「サボイホテル」に決定。とりあえずチェックインして市内散策開始。夕食は、近くの中華料理店「亞洲飯店」にいく。

西ベルリンの市内。二階建てバスが
走るのは、イギリスの影響か?
ベルリン・オリンピックスタジアム
  夕焼け逆光で影絵になってしまった
第二次大戦の記念碑
カイザー・ヴィルヘルム記念教会
日本の広島の原爆ドームと似たようなもの
戦勝記念碑
1864、1866、1877年の戦争に勝った記念
皮肉にも第2次大戦でも残ったらしい
塔の頂には、天使がいる


 ベルリンといえば、忘れてならないのが今は無き、クラシック音楽最高の指揮者「ヘルベルト・フォン・カラヤン」が常任指揮をしていた「ベルリン・フィルハーモニー」である。
 情報が無くて、入場できるかどうか分からないまま、午後4時ごろから入り口付近で待つ。演奏曲目は何でも良い、中に入って音楽を聴いてみたい一身。待つこと2時間あまり、会場が開いた。
もちろん、チケットは持っていないので、当日券売り場の列に並ぶ。並んでいると、一人のおばあさんが来て友達が来られなくなったので切符があまっているから買わないかという。ダフ屋みたいなものかと思ったらそうではなく、チケットの値段そのままでよいという。当日券より安いし、とてもいい場所である。即購入。そのおばあさんと隣同士で聞くことになった。会場は、演奏舞台を観客が囲むかたちでとても広い。
 演奏曲目は、リムスキーコルサコフの序曲、ラフマニノフの協奏曲、ドボルザークの新世界と聞きやすいものでした。ラフマニノフの協奏曲は日本女性のピアニストでびっくりしました。オーケストラは約70人とフルオーケストラで豊かな音量で、すばらしい音色で奏でており、「俺はベルリンフィルにいるんだ」とすばらしい気分になりました。

ベルリン・フィルハーモニーの正面玄関
かの有名な「カラヤン」の写真 当日のプログラムの表紙
←おばあさんから購入したチケット
額面どおり20マルクで購入。ラッキーでした。
日本円で2千円ほど、安いですね。日本の演奏会が高すぎると思うのは私だけでしょうか?


 <ベルリンの変遷>
 東西ベルリンの象徴は、東西をわかつ
 「ベルリンの壁」「ブランデンブルグ門

 右の写真は絵葉書のコピーですが、
1950年;連合国の管理下ながら壁は無かった、
1961年8月13日にソ連は一夜にして壁を作った
1989年11月壁の廃止が決まり
1989年12月ブランデンブルグ門が開通
1990年10月3日ドイツ国家再統一!


ブランデンブルグ門
壁の廃止、国家統一のため化粧直し中
足場で囲われはっきり見えない。残念!
ブランデンブルグ門前
ベルリンの壁のコンクリート片などを
売る人たち。市内で買うより安い
壁を壊す人たち。
たぶん売り物にするのだろう。
売っているベルリンの壁のコンクリート片の
袋に入っている本物であることの証明書


 東ベルリンへの正式な入り口は、車と人のための「チャーリー門」と鉄道からのフリードリッヒ駅とがあった。というのは、当時すでにブランデンブルグ門脇の専用ゲートなどからかなり自由に出入りできるようになっていた。
 私は、チャーリー門から東ベルリンに入ったが、非常に簡単な審査であった。

東西ベルリンの出入り口・チャーリー門
西ベルリン側の検問所には
統治国であるイギリス、アメリカ、フランスの
国旗が掲げられている
チャーリー門の近くの土産物屋で買った壁掛け
英、仏、米、ソ、4カ国の旗
鉄道による東ドイツへの入り口
フリードリッヒ駅
正午頃になり観光客など人通りが多い


東ベルリン
 東ベルリンは、午前中は人通りが少なかったが、昼頃から観光客などが多くでてきて賑わっていた。町は、意外と(失礼かな)大都会でした。東西ドイツの経済統合ができたためか、アパートの建設が盛んでした。
 デパートに行って西ドイツマルクから東ドイツマクルに両替、3倍くらいだったでしょうか。デパートの中を見ても特に買いたい品物はありませんでした。

今は無き、東ドイツの国旗 東ドイツの20マルク札
肖像画は有名な「ゲーテ」です。
デパート
品数も少なく、品質もあまり良くないもの
が多く、土産に買うものもありませんでした。
本屋のショーウインドウ
ロシア語の本が多い
左下の本の表紙はCCCP=ソ連の文字も
衛兵所跡
門番?の兵隊の交替式を見ている
衛兵はびくともしない。
愛想が無いとも言う
森鴎外の舞姫の舞台・マリエン教会
テレビ塔、共産国はどこも似たようなデザイン
マリエン教会
ベルリン最古の教会
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