ドイツ国旗

ドイツの国旗
ドイツ・アンベルグへ アンベルグ旗

町の紋章
アンベルグのホームページがありました。
上の写真でリンクしています。しかし、ドイツ語で書かれています。

出発の準備と渡航

<出発までの話>
 88年の秋頃から海外での仕事の話が出ていたらしいです。私は、英語が全く駄目なので普通なら候補者選定の対象にも上がらないのですが、上司のお陰でメンバーに選ばれました。感謝!感謝! 慌てて、仕事の基礎知識や英会話の勉強を一夜漬け同然で始めました。

 行くことが決まってから、今度は具体的な出発日がなかなか決まらなかったのですが、89年3月下旬になって、10日ほどあとの89年4月5日水曜日、日本を出発し西ドイツに行くことになりました。
 この頃のドイツは、まだ東西に分かれていましたが統一の動きを加速していた時期で、約2年後の90年10月に統一されることになります。

 渡航の準備はぼちぼちしていたものの、出発日時が1週間ほど前に決ったので次の土・日曜日に最後の買い物と言うことになりました。ところが、その買い物の日、4月1日(土)から消費税(3%)が導入されたのす。恨めしいの悔しいの・・・(激怒)買い物するたびに消費税!(>_<)・・・後悔先に立たず? 3月中に買っておけば良かった、とても損をした気持ちで一杯でした(;_;)

<目的地>ドイツ地図
 ドイツでの滞在地は、アンベルグ(Amberg)と言う小さな町で、第二次世界大戦後のニュールンベルグ裁判が開かれたところで有名な「ニュールンベルグ」の南方、ビールとヒットラーで有名なミュンヘンとの間にあります。地理的には、北緯約49度、東経約11.5度。

<渡 航>
渡航ルート:
家→(自家用車)→伊丹空港→(飛行機JAL)→フランス・パリ・ドゴール空港→(プロペラ飛行機)→西ドイツ・ニュールンベルグ空港→(高速道路・アウトバーン・車)→アンベルグ
所要時間:ドアツードアで約20時間

 89年4月5日水曜日、春とはいえ肌寒く薄く朝焼けが残っている早朝、妻と子供と一緒にKカーで家から中国縦貫を通り伊丹空港へ、その当時関西空港は無かったのです。家族の見送りを受けていざ出発。伊丹の時は、ターミナルから飛行機を見送りできたので良かったですよね。関西空港は、タワーに行かないと駄目だし、料金も高い!

 非常に良い天気で雲一つなく、飛行機から地上をよく見ることが出来ました。
パリに向かう時、ロシアの上空を通過したのですが、4月初旬なのでまだまだ冬景色の荒涼としたとてつもなく広い大地が果てしなく続いている有様はとても印象的でした。10時間ほど乗ると、パリ・シャルルドゴール空港で乗り換えです。ドゴール空港の大きさ、動く歩道の長さにはビックリ。
 パリからニュールンベルグに行く飛行機は、中型のプロペラ機でとてもうるさかったのですが、ジェット機のように高度が高くなくまた好天であったため、フランス、ドイツを上空からよく見ることが出来ました。ただ1時間ちょっとのフライトの間に夕食が出てきたのでとてもあわただしかったです。
 ニュールンベルグでの入国手続きは非常に簡単の一言でした。パスポートに入国印も押しません。記念に押して欲しかったのですが。1年半のドイツ駐在中に何度か外にも出ましたが、判子を押したのは一度だけでした。パスポート・フランクフルト
右の写真は、パスポートに押してもらった唯一のスタンプですが、端のため一部切れています。「空港・フランクフルト/マイン」となっています。

 ニュールンベルグからはドイツが誇る高速道路、速度無制限の「アウトバーン」で目的地アンベルグまで行き、長期滞在することになったホテル「フライシュマン」に到着しました。
 約20時間と長時間かかりましたが、見る物全て物珍しく、好奇心が満たされていたため疲れは感じませんでした。

滞在した町:アンベルグアンベルグ地図

位 置
 アンベルグの位置は、ビールとヒットラーで有名なミュンヘンとニュールンベルグ裁判とおもちゃで有名なニュールンベルグの中間に位置する未だ中世の香りのする人口5万人程度の小さな町です。
交通手段は、高速道路”アウトバーン”と国鉄です。
 正確な地方分類をすると、「西ドイツ」−「バイエルン」−「オベルファルツ」−「アンベルグ・ザルツバッハ」−「アンベルグ」です。上にある地図を参照してください。

 ここで、1年4ヶ月滞在しました。


町のイメージ

 この町は、約1000年の歴史を持ち、町を囲んでいた城壁の一部が残っており中世の城壁都市の偲ぶことが出来ます。
 紙一つ落ちておらず、きれいな石畳の道が町の中央を通っており、毎週土曜日には町の広場で市場(マーケット)が立ち、日曜日になると2つある教会の鐘の音の合図で礼拝が始まるという、ヨーロッパの古き良き町のイメージです。城壁 ただ、土曜日の昼からと日曜日はお店が休みになるので、土日が休みの私たちは土曜の午前中に買い物を済ませなければならずちょっと不便でした。

気 候
 位置的に海からは離れており、内陸に入ったところなので大陸性気候なのでしょうか?
また、地図をよく見ると、北緯49度と北海道より北、南北に細長い樺太の中程と同じ緯度で、思った以上に北に位置しているのです。そのため日本以上に四季が明確で、春・夏・秋・冬・それぞれの趣があります。

 春と秋は、とても快適です。
 春は、寒い冬を払拭するように、町中花があふれます。どこの家の窓際にも花を植えたプランターが置かれます。ドイツ(ヨーロッパ)のイメージかもしれません。
 梅雨もなく、六月の花嫁(ジューンブライド)がよく似合う地方だと思いました。日本でジューンブライドというと蒸し暑くて花嫁も大変だろうなと思いますが・・・
 秋は、紅葉がとてもきれいです。赤い色の紅葉は少なく、ほとんどが黄色の紅葉なので、「紅葉」と書くと変ですが、「黄葉」か?

 夏は、それ程暑くもなく殆どの家にはエアコン=冷房設備はありません。私の滞在したホテルも部屋には付いていませんでした。湿度も低くとても過ごしやすいです。夏でもプールの水が冷たく感じるほどです。緯度が高いので夏場は夕方になっても暗くなりません。夜9時頃まで薄明かりがあるためサマータイムを導入しています。乗り物を乗っていてサマータイムの切替に当たったらどうなるのかなとまじめに悩んだものです。

 一方、冬はとても寒く、4月下旬でも雪景色が見られました。でも何10cmも積もることは無いようです。
厳冬期には日本から持参したオーバーコートでは耐えきれず、現地のコートを購入してしまいました。”郷に入らば郷に従え”とでも言うのでしょうか、さすがにその地方で売っているものはその地方の気候に合っており、防寒性能が優れていました。また、殆どの家は、窓は2重ガラスで断熱し、セントラルヒーティングを持ち、トイレまで暖房しているため家の中では薄着で十分生活できる環境で、日本より快適な生活でした。ホテル

住 居
 到着直後は、ホテル住まいで、慣れたらどこか下宿でもと思っていたのですが、独り身ですし、掃除・洗濯・朝飯・・・等々面倒なので、ついつい滞在中1年4ヶ月も同じホテルに逗留するはめになりました。
 町の端にある「ホテル・フライシュマン」、30室51ベッドの比較的小さなホテルです。
 このホテルは、女主人でおばあさんと一匹の小犬が同居していました。年頃の娘さんもおり時々来ていましたが別の家に住んでいました。女主人の旦那さんは、おばあさんの息子さんでドイツでも指折りのライダー(単車)とかで、記念の優勝カップ、写真、新聞記事が飾られていました。犬・チャーリー
 ホテル代は、1泊65マルク程度、6000円位でした。
 小犬は、「チャーリー」と言う名前でおばあさんがとてもかわいがっており、人なつっこく、私の部屋にもよく来て遊んでいきました。チョコレートが大好物という変わり者(犬)で私も時々買い与えていました。風の便りで私が去った翌年に亡くなったとのことです。+アーメン

 このホテルで一番気に入っていたのが、朝食です。。。。もっとも昼食と夕食は出ませんが。朝食のパンは典型的なドイツパン(あまりおいしくない)と普通の食パン、フランスパンの類で特徴もないのですが、「生ハム」が自由に食べられることです。とてもおいしい生ハムで毎日たくさん食べていました。日本では高くて買えませんね。

マーケットマーケット
 毎週土曜日には町の中央にある広場”マーケットプラッツ”に朝市がたちます。近隣の人たちが農産物、畜産物を持ち寄って新鮮な物を安く販売しており、買い物客も多くとてもにぎやかです。ここでは、卵一個、ピーマン一つなど好きなものを好きなだけ買えるので便利です。何が売っているかは物を見れば分かりますが、値段がグラム表示で、ばら売り、量り売りのため売り手のおばちゃんが言う金額を理解しなければなりません。ドイツ語で数字をペラペラと言われて即理解するというのは慣れが必要でした。
何せ、ドイツ語では2桁の数字は、一の桁を先に、十の桁を後に言うのです。例えば、21なら、1と20、と言うのです。ドイツ語で言うと”アイン・ウント・ツバンツッヒ”。英語が得意な人でもちょっと難しいところです。でも人間食い意地が張っているので、食べ物に関することは速く覚えられるものですね。賎しいだけ(^^;;

 外国の品物は全部珍しかったのですが、生のホワイトアスパラガス、セロリの球根、です。ホワイトアスパラは、表面の筋が堅いので料理が難しいのですが、旬の季節生ものを茹でたホワイトアスパラのサラダは絶品です。レストランでも高価で、たしか一皿1,600円位でした。
また、セロリの球根は、人参、ネギなど他の野菜と一緒にコンソメスープにして食べます。とても薫り高く、柔らかく、おいしいです。セロリの茎は筋がありますが、球根はなめらかな食感です。

 マーケットの日には、軽食用に焼いたソーセージをパンに挟みケチャップ又はマスタードを塗ったハンバーカーを売っています。生のソーセージを焼いているため、ソーセージの入れ物の下の方には血が溜まっており、最初は抵抗を感じました。しかし、食べてみるとビックリ、腸詰めの腸をかみ切る時の歯ごたえと、中身の豚肉ミンチの歯ごたえがしっかりしており、また新鮮のためかとてもおいしいのです。これは病みつきになりました。

各種お店ストリート
 小さな町ですが、一応何でも揃っています。ホテル、レストラン、花屋さん、アイスクリーム屋さん、金物屋さん、写真屋さん、散髪屋さん、魚屋さん、喫茶店もどきのパブ、なんとマクドナルド迄もあります。

 レストランは、町の大きさの割に多くあり、イタリアレストラン、中華料理店、普通のドイツ料理店、高級なステーキハウス、等々。
よく行ったのは、
 {中華料理店}、{庶民的な普通のお店だけどとても親切なウエートレスのいるお店、{伝統的なドイツ料理(シュバインブラーテン)を出してくれる教会内の食堂}、{スパゲティとピザがおいしいイタリア人がやっているイタリア料理店}、{郊外ですが、鱒をその場でスモークして食べさせてくれる店}、等々でした。
 日本食レストランは勿論ありません。一番近い街と言えばミュンヘンに日本食のレストランがあり、一度だけ行ってみました。というのは、一食5千円位と高すぎるので二度とは行こうと思わなかったのです。

 散髪屋さんは、散髪して生え際を剃刀で剃ってくれるだけのため15分程度で済み、料金も800円程と安く、合理的です。私は、散髪する椅子に長時間座るのが苦手なため短時間で終わるのがお気に入りでした。日本は、高くて、時間が長い・・・またひげを剃ってもらっても翌日は伸びてしまうのに・・・。

 傑作なのは、写真屋さんで、会社の業務記録用にカメラを持ってこなかったので、写真屋さんに行ったところ、日本製「ニコンのカメラ」を強く勧められ購入しました。値段は日本で買うのと変わらないくらいのため生活レベルからすると高価な気がしました。
カメラに限ったことではないのですが、オーディオ製品、電化製品も結構高価でした。
花
 魚屋さんは、刺身に出きる魚は皆無でした。生魚を食べる習慣がないのですから当たり前ですが。結構生臭いものが多く食べようとは思いませんでした。もっとも、ホテルの部屋で魚を焼くと言うこともできませんでしたが。

 花屋さんは、結構繁盛しているようです。というのも誕生日のお祝いとか、よその家に行くときによく花を持っていくようです。外国人は花をもらうのがとても嬉しいとのことでした。
 花屋さんでビックリしたのは、チューリップの季節、色とりどりのチューリップに混ざって青色(ブルー)のものがあったのです。早速写真を写しましたが、色づけした物だったのでしょうか? 本物の色かどうか今でも疑問です。

教 会
 どこの町にも教会があります。カトリック系とプロテスタント系があるため通常二つの教会があります。
 アンベルグの町にも、セントジョージ教会(右の写真、秋の紅葉が美しい)とセントマーチン教会(上のマーケットの写真でちょっとだけ写っている)の二つがありました。教会
 朝夕問わず、突然6時45分とか時報でもない変な時刻に教会の鐘の音がなります。音色はきれいなので心地よいのですが、何の鐘か分かりません。日本のお寺の梵鐘は時報代わりだと思うのですが、ここでは違うようです。話を聞いてみると、ミサなど教会の集会を知らせるための鐘なのだそうです。
 この町の人は老若男女みな教会に行くとのこと、驚きでした。というのも、小学校から宗教の時間があり、それも宗派で分かれた教育をしているのだそうです。キリスト教以外の子供は、自習するのだそうです。
 宗教教育があるからなのでしょうか、皆礼儀正しく親切で町にゴミが落ちていない理由は。日本の道徳教育はどうなっているのでしょうね。50歳を越えた私の時代でもいい加減な教育だったように思うけど。
 一方で、各個人に宗教税が所得税とともに納税が義務付けられており、その税金で教会が運用されているのだそうです。神父さんの給料、教会の管理費などなど税金から支払われいるから、十分な維持管理が出来ているのでしょうね。

ビール
 ドイツは、アルトビールなどビールで有名な国ですが、小さい町アンベルグにも10数軒の醸造所があり、各レストランと販売契約しているようです。XXレストランに行くとZZビールという具合です。ビール会社がコップを置くコースターを造りレストランが使っているためレストラン毎に違うコースター(写真のようなもの)が使われており、それを蒐集しているひともいました。勿論ビールの種類は何種類か有ります。ビール・コースター
アンベルグでは、秋の頃年に一度のビールが振る舞われます。ボッコビアと言われ色の黒いアルコール度がワイン並のビールで、非常に濃厚な味でした。

 また、ドイツでは、ビールは日本で言う酒よりお茶のイメージです。日本で喫茶店が多くあるのと同じく、その町にもビアホール(パブ)が多くあり、昼間でも賑わっていました。また、私が勤めていた工場では、昼食にビール中ビン2本が付いており、現場のオペレーターがビールをラッパ飲みしながら機械を運転しているという光景も珍しくありませんでした。小瓶で50円くらいと、ミネラルウオーターより安いのですから。
 また、小さい子供がぐずって寝ないときは、ビールを飲ませるのだそうです。栄養的にもよいと言っていましたが、子供は単に酔っぱらって寝てしまっているのでは????

 ビールの話になると、「オクトーバフェスト」、ミュンヘンで9月下旬から10月にかけて開催されるビール祭りで、世界的にも有名ですね。ドイツで名高いビール会社が8張りも大型テントを張って、仮設の遊園地もできて大にぎわいです。どこも満員で席取りが大変です。ドイツ民謡が演奏されるなかで、1リットルは入る大きなジョッキ、粒塩の乗ったパン、トリの丸焼き、が典型的なメニューですね。そうそうソーセージもあった。ホウフブロイハウス
 私にとって不思議な光景として映ったのは、炉端で一匹物の鯖を大量に串に刺して焼いていたことです。鯖が好きなのかな??<オクトーバーフェスト写真集へ
 ひろさんから、今年オクトーバフェストに行きたいとの質問があり、HPを調べてみたところhttp://www.oktoberfest.de/ が一番みたいです。(00/08/17)

 ビールで有名な話が、もう一つ、かの有名なヒットラーが旗揚げしたというミュンヘンのビアホール「ホウフブロイハウス」。1598年開業という歴史的なお店です。ここは何時もやっている店ですが、人気が高く何時も大盛況です。店の中は、当然ドイツ民謡の生演奏で、民族服の皮ズボンをはいた人が歌って演奏しています。大きなジョッキを何個も持って運ぶおばちゃんも絵になっています。
 右の写真は、ホウフブロイハウスの紙ナプキンに描かれていたものです。

ワイン
フランケンワイン ドイツで酒と言えば「ワイン」のことです。
 隣町に、ドイツ人と結婚した日本人の奥さんがいました。ドイツ人のご主人とは日本で知り合ったとのこと、ドイツ語は分からなかったが付いてきたとのこと。言葉の不自由な世界に一人で乗り込み生活していけるなんて、女性は強いなと思いました。そのご主人がワイン好きで大きなワインセラーを持っており、とびきり美味しいワインを飲ませていただきました。私はアルコールが苦手なのですが、美味しくてついつい飲み過ぎてしまいました。
 アンベルグは、ドイツのフランケン地方に位置すると書きましたが、その地方のワインを総称して、フランケンワインという白ワインが生産されています。ボトルが緑色の「ボックスボイテル」という○型の特徴的な形状です。値段がピンからキリまでありますが、とてもあっさりした白ワインで大好きになりました。


 ドイツに行く前、ドイツの水はカルシウムが多いのと衛生上水道水は使わないでミネラルウオーターを使いなさいと言われていました。
 行った当初、通常の水も、ご飯を炊くときの水もミネラルウオーターを使っていたのですが、高価なことと、ドイツ人が飲んでいるのに日本人は駄目と言うこともないだろうと判断し、水道水を使うことにしました。確かに水を湧かす容器の底はカルシウムが多いため白くなりますが、別に何ら問題はありませんでした。当たり前のことですよね、ドイツ人も日本人も同じ人間なのですから。。。外国人との差別がこういったところにも現れているように思うのです・・・反省しなければ・・
 また、ミネラルウオーターには、ガス入りとガスなしの2種類があります。ガス入りはいわゆる「炭酸水」ですが、水に炭酸を入れて作るのではなく、自然にあるらしいです。ウィスキーなどに入れて使うだけのものではなく、普通の水としての飲む人もいますが、私は飲料水としてはちょっと癖がありあまり好きになれませんでした。

食べ物
 印象深い食べ物をリストアップしてみました。
シュバインブラーテン(煮豚)とクヌーデル(ジャガイモの粉を蒸した団子)
 教会の食堂で食べた伝統的なドイツ料理です。最初に行ったときは日本人が珍しかったのでしょう変な顔をされ、ジロジロ見られてちょっといやな雰囲気でした。シュバインブラーテンは、非常に良く煮た豚肉、味は何でつけているのか良く分かりません非常に薄味です。ステーキ肉位の厚さと大きさで、脂身はとろけそうになっています。日本語に直すと煮豚ですが、日本のラーメンに入っている煮豚とは全く違います。一方付き合せのように付いているのがクヌーデルでジャガイモをすりつぶして(粉にして)団子状に蒸し上げたもので、表面はちょっとヌルヌルして中身はモチモチ、特に美味しいわけでもなかったのですが、何回も食べるうちにとても美味しく感じるようになりました。よく考えてみると、ドイツの2大特産物、豚とジャガイモを使った料理なのです。
大きめのパンが入った酸味のあるオニオンスープ
 この店に一番良く行きました。取り立てて美味しい料理があるわけではないのですが、太目の若い、30歳くらい?ウエートレスさんがとても親切な人だったからです。何か聞くとドイツ語で丁寧に説明してくれます。相手は英語が分からない、こちらはドイツ語が殆ど駄目ですからとても大変なのです、理解できたときの嬉しさは感激物ですね。スープの話ですが、スープ用のカップに入っているのですが、スープをたっぷり吸い込んだパンがカップ一杯になっていると言う感じです。
ハム・ソーセージ類
 毎日朝食に食べた生ハム、血がにじんでいる生のソーセージを焼いものがとても美味しかったですね。
 血のソーセージ(ブラッドブルスト)は、血が黒っぽく、茹でて食べるのですが、臭いがきつくとても食べれませんでした。逆の色の白いソーセージ(ヴァイスブルスト)は茹でるととても美味しいですね。
・茹でたホワイトアスパラガスのサラダ
 季節物です。ホワイトアスパラと言うと、缶詰しか食べたことが無く、嫌いではないのですが缶詰独特の臭いがあります。しかし、新鮮なホワイトアスパラはとても柔らかく美味しいです。もっとも、表面の筋が固いので上手に取っておく必要があるとのことですが。筋取り専用の道具が売っていましたが、結構難しく手間がかかるようですね。生で売っているときはそれほど高くないのにレストランではとても高価です。
・スモークしてくれる一匹物の鱒
 少し離れた田舎町のレストランですが、店の裏に池があり鱒を養殖?しています。湧き水が出ているとても水がきれいな池のなかに鱒が泳いでいます。注文が来ると、池の鱒を網で掬い取ってそのままスモーク器に入れて時間をかけて焼き上げます。スモークするためのチップ(木片)が何種類かあるようです。皮が簡単に取れて、中身は程よく焼き上げられています。調味料なしでスモークの香りだけで十分美味しいのですが、意外と合うのが「ポン酢」です。天然物ですから大きさがまちまちになるので、料金は従量制でした。その辺、ドイツ人はしっかりしています。

 その他のものとしては、
・鶏の丸焼
  内臓部は取り除いてほうれん草みたいな野菜を詰めてくるくる回るオーブンで
 焼いています。私自身は姿かたちのある物を食べるのが苦手ですから、
 最初は抵抗がありましたが食べ慣れるとおいしい物です。
 休みの昼食は、店先の道路に出してあるテーブルで丸焼き半分とパンと飲み物、
 ということがよくありました。
中華料理
 一番安心して食べられた料理ですが、味はドイツ風??
 日本で食べる中華料理とは全く味が違う。
 殆どの料理が、八宝菜とかチンジャオロースの変形・・切った物を単にあんかけしているだけ
 中国人の生命力の強さを感じます。世界中どこに行っても中華料理店のないところは無いのではないでしょうか? 日本人の私にとって、なじみ深い味?なのでオアシスのような気がしました。
ファーストフード「マクドナルドのハンバーグ!!」
 世界を圧巻しているチェーン店ですね。
 一番安心して食べられるが、地元の食べ物の方が好きでした。
嗜好品「コーヒー」
 コーヒーの豆は割高の感じがしました。真空パック入りのミルドコーヒーは、結構細めにミルされておりドリップしても若干あくが強め、多くの種類を試したが香り高くこれぞ!という物はありませんでした。
嗜好品「おかき」
 デュッセルドルフなど大きな町には、日本食を取扱店も日本料理店もありますが、アンベルグは田舎町のため、日本食なんてお目に掛かれません。
 ところが、お菓子屋さんに「おかき」が置いてあるのです。ビックリして、早速購入、しょうゆ味で結構いける味でした。時々買うことになりました。

車と道路
 ドイツは、BMW、ベンツ、フォルクスワーゲン、アウディと名だたる車王国です。しかし自国内でもベンツは高価で高嶺の花という感じでした。日本車は、マツダの車が目立ちました。そう言えば、日本でもヨーロッパで認められた足周りとか言って宣伝していましたっけ。アウディ
 私は、最初ベンツ190Eを次いでアウディ(写真)を乗っていました。ベンツ190Eでもベンツはベンツと言う感じがしました。たった2000cc足らずなのに、時速160km位まではスウーと加速できるのです。
 日常使っていたアウディは、サイズの大きさだけが取り柄の車でした。でも一時期レンタカーでアウディのスポーツカーに乗る機会があったとき、車検証を見ると最高速度205kmと書いてあるではありませんか。(ドイツの車検証には最高速度が記入されている)そこで、早速アウトバーンに乗り込みどこまででるかを試してみました。直線の長い区間でめいっぱいアクセルを踏み込んで160,170,180だんだんタイヤが道路に吸い付かれるようになりハンドルが重くなります。更に加速を続け、とうとうメーター読み210kmまで達しました。手に汗を握る緊張感がたまりませんでした。

 ドイツの車で感心したのは、「塗装の強さ」です。毎週洗車機で洗っていてもびくともしません。日本では洗車機は塗装を傷めるから手で洗い、ワックスを掛けることが常識みたいになっていますが、ドイツ人は実に無頓着でした。車の鉄板がさびないように塗装しているのにその上に何でワックスを塗らなければならないの? 成る程ですよね。
日本の自動車メーカーの塗装の悪さとワックスメーカーの陰謀プラス日本人の几帳面さなのでしょうか?・・・几帳面さはドイツ人も負けていないと思いますが・・・会社への道

 道路の話ですが、ドイツの道路は全て戦車の通過を前提に設計されているようです。
道路に架かる橋、小さい橋でも、重量表示がしてあります。戦車が片車線しか通行できないとか両車線同時でもよいとか。ちなみに、当時のNATOの戦車は1台70トン位でしたから、道路の強度は大変なものです。日本の橋はおもちゃみたいに感じます。右の写真は、ホテルから会社に行く普通の道路ですが、片側2車線のよく整備された道路です。戦車ともすれ違ったことがありますが、近くを通るととても大きくて威圧されます。何せ乗用車の高さよりキャタピラの高さが高いのですから、それが時速60km位で走る様子は圧巻です。しかし、通常道路を走るときは道路が損傷しないようにするためと騒音を少なくするためにキャタピラの溝にゴムをはめ込んでいます。

速度無制限の道路「アウトバーン」
 ドイツが、ヒットラーが当時大問題だった失業者対策としての公共事業の一つとして、戦争用に作った国内中を網羅する速度無制限の高速道路です。全て無料というのが良いです。日本の高速料金の高いこと。
 片側2車線の道路と3車線の道路があります。大都会の周辺は交通量が多いので3車線以上になっています。速度無制限といっても、だいたいのレーン速度があります。3車線の場合、遅いレーンから、時速80km、120km、160kmと言う感じでしょうか。多く走っているキャンピングカーは80kmレーン、一般車は120kmレーン、追い越しまた速い車が160kmレーンですね。
 160kmレーンを走る場合、常に後方を確認しておかねばなりません。BMW、ベンツの大型車が音もなく?スウーと接近してくるのです。たぶん時速200km近く出ているのでしょう、直ぐに道を譲らなければなりません。追い越したい車の意思表示は、日本のようにパッシングとかクラクションといった下品な手段は使わず、ウインカーを出すのです。スマートですよね。しかし、後ろを見ていないと気がつかないので要注意です。
 速度無制限といえ、当時も交通事故が多くいためか、自主規制を呼びかけていました。

自動車の運転
 車は右側通行です。まっすぐ走るのはすぐ慣れますが、右折・左折のときに勘違いしやすいです。特に左折は反対車線に入りそうになりびっくりしたことが何回かありました。また、一本道でも中央分離帯の無い普通の道路を夜暗くなって走っていたとき、知らず知らずのうちに左車線に入っており、対向車がきたのですが、相手が間違っていると思い気が付いたときは正面衝突の一歩手前だったことがありました。怖かった〜
運転免許証
ドライバーライセンス
 当時西ドイツは、日本の国際ライセンスを正式には認めていませんでした。そこで、長期滞在するときは早々に免許の切り替えが必要でしたが、法規のテストは無く視力検査だけだったのでとても簡単でした。筆記試験がドイツ語だったらとてもだめでしたが・・・。右が免許証ですが、その当時は永久ライセンスなのですよ。

生活感
 ドイツ人(外国人?)は、日本人と異なり会社人間では無い人が多いですね。日本人が働きすぎという批判が実感として分かりました。

 例えば、現場で工事をする人は、朝6時から午後2時頃まで忙しいときは昼休みもとらずに一生懸命働き、時間が来たらさっさと帰宅。まだ昼の日中なのに家に帰って何をするのかと不思議でしたが、自分のこと、家庭のことをするのだと言います。一日を会社と自分のために使っている。一日中、会社のためにだけ過ごす日本人と比べて、きっと心が豊かになると思います・・・羨ましいですね。そうそう、会社の仕事以外に何をすることもない人は不幸です。

 スタッフ、事務系の人たちはさすがに仕事が終わるのは午後5時頃ですが、時間が来たら早々に帰宅する人が多く、残っているのは日本人くらいですね。
しかし、当時の西ドイツは、労働生産性(労働時間当たりの生産高)が日本より高く、日本人の仕事のやり方に疑問を感じていました。その典型的な例は、何かを決定する場合の承認印(サイン)の数の差ではないでしょうか? 自分を含めての反省ですが、日本人は自己責任を薄めるため”みんなで渡れば怖くない”式のやり方で仕事をする結果、物事の決定が遅くなってしまう。物事を決定するため会議は、議論の場ではなく手打ち式みたいな儀式と化して、その会議のための調整にあくせくする。

 私自身は外国人のそのようなやり方「就業時間中一生懸命仕事をし、残業は最小限にして、自分の時間を多く作る生活習慣」に大賛成です。見習いたいものです。

言 葉
 ドイツ語は、全く見たこともないと言うわけではありませんでした。
学校が工業系でしたから、学校時代に2年間、と言っても週1時間程度だったと思うのですが勉強しました。しかし、中学校から勉強していたはずの英語ですらまともに使えない語学音痴のの私のことですから、ドイツ語と言ったら、覚えているは、数字の1,2,3・・に当たるアイン、ツバイ、ドライ・・と英語の I love you. と同じ Ich liebe dich. 程度のものでした。
 唯一の救いは、ドイツ語の辞書を使った経験があることでした。「独和辞典と和独辞典があれば何とかなるさ」という気持ちでした。というのは、ドイツ語は日本語と似ており、単語をつなぎ合わせて一つの単語(熟語)になっていることが多く、そのままでは辞書に載っていません。組合わさっている単語(熟語)を2,3の元々の単語に分割して辞書引きをするのです。

 私の先入観では、「ドイツ人は日本人より英語が上手い」と思っていました。ドイツでも義務教育の中で第2外国語として勉強しており、また英語とは似た文法、単語も多く日本人よりずいぶん得意な人が多いだろうと。ところが、若い人でも英語が全く駄目という人が多いのです。母国語と遜色無く話せる人と全く駄目な人がいるのです。聞いてみると、ドイツでは、小学校4年生頃に自分の進路”将来高等教育に進むか、直ぐ職に就くか”。そこで、就職組を選ぶと英語教育はなく、町の商店で働いている若い人達が英語が出来ない(不得意?)と言うのは当たり前のことなのだそうです。

 こんなことがありました。服屋さんで冬用のオーバーコートを購入したのですが、直ぐにファスナーが壊れてしまい、無料で修理して欲しいと思い、店を訪ねて英語で頼みましたが全く通じませんでした。その店には主人と複数の店員がいるのですが要領を得ませんでした。そこで、ホテルに帰って、学校時代に使っていたドイツ語文法の本と辞書をひっくり返しながら、ドイツ語で無償修理依頼を書きました。短い文でしたが、1,2時間かかったのでしょうか?大変でした。翌日、そのお店に行き、ドイツ語で書いたメモを見せたところ直ぐに通じOKとの返事をもらうことが出来、とても嬉しかったことを覚えています。

 ホテルの女主人は英語が達者なので、日常は何とかなりました。
 また、大きなスーパーなどで単に買い物をするだけなら、品物は見れば分かるし、値札も付いており、レジで支払金額が表示されるので、言葉を交わさずにすみます。
しかし、特にマーケット(市場)では、レジはありませんので、相手の言う値段を聞き取らなければなりません。ドイツ語の数字の言い方は、少し変わっていて2桁の場合、最初に1の桁を次いで10の桁を言うのです。例えば、「21」なら「1と20=アイン ウント ツヴァンツッヒ」と言います。でも以外と直ぐに慣れました。

 レストランでは、メニューがドイツ語で書かれているので内容が分かりません。何時も辞書を持っていき、飲み物を頼んでいる間にメニューと辞書を首っ引き、これだと思って頼んだものが思っていたのと出てきたもののイメージが違っていることは日常茶飯事でした。そこでレストランのウエートレスに聞くと、先の話のように英語が駄目なのですが、親切に身振り手振りで説明してくれます。何の果物か忘れましたが説明のやりとりに30分程度かかったこともありました。でもそのやりとりは楽しかったですね。食べ物は毎日のことですから一月もすると結構分かってきました。人間賎しいものでいざ銭勘定と食べ物のことになると適応が早いものです。

 ドイツ国内でも、方言があります。北と南で異なるようです。一番印象的だったのは、”ジ”と”シ”です。日本、東北地方はよく「ズーズー弁」と言われますが、まったくおなじ感じです。代表的な例としては、北の地方ではドイツ語の教科書通り"Sie"は「ジ」ですが、南の方では「シ」になります。例えば、ドイツの大きい電気会社の"Siemens"
は、「ジーメンス」と「シーメンス」となるわけです。話は変わりますが、オーストラリアでも方言は多く、発音で出身地がわかると言われていました。方言があるのは日本語だけではないのですね。

 1年以上もドイツにいたのですが、仕事上は英語が公用語で、ドイツ語は日常生活のみでしたから使えるようにはなりませんでした。不得意な英語は、ドイツに来てから一生懸命に勉強しました。一番役立ったのがNHKのラジオ英会話で、日本から毎月テキストとテープを送ってもらい毎日勉強していました。仕事では、内容が分かっているので英語でも大体理解できるようになりましたが、会議中の議論とか日常の会話となると分からないことが多かったですね。でも、相手も人間ですから、伝えようとする気持ちと聞く気持ちがあればコミュニケーションは成立するのです。分からない顔つきになると、大人が子供に説明するように、難しい単語は言葉を換えて説明してくれますし、最後の手段は辞書を引いて示してくれます。

 外国人は髪の毛とか目の色も違うし体つきも違うけど同じ人間なのです、言葉は単に人間同士のコミュニケーションの手段の一つなのです。相手も日本語が分からないのですから五分五分なのです。それが分かると気持ちが楽になるますよ。ある外国人は、俺達は日本語が分からないけど、おまえ達日本人は英語が出きるので賢いと言ってくれました。そうなんです、自信を持って外国人と付き合いましょう

日本への電話テレフォンカード
 ドイツは、同時から町の公衆電話からコインで国際電話をかけることが出来ました。ホテルからかけると手数料が取られて高くつくのでとても便利でした。しかし、日本に電話するとなると、予めコインを貯めて置かねばならず、また電話中に次々とコインを投入しなければならず面倒でした。
 そこで登場するのが、「テレフォンカード」です。
ドイツのテレホンカードは、日本みたいにペラペラの薄いカードではなく、クレジットカードのような厚手のもので、通話回数のデータ記憶には、ICチップが使われていました。写真の左側に見える金色の四角い形のものがそうです。日本でもそうですが、デザインは時々変わります。しかし、観光地用など記念カードみたいなものは見ませんでした。ドイツ人は、実用的?それとも電話会社が商売気がないのか? でも私は、記念にアルバムに貼っていますが(^j^)
 毎週、土曜日お昼頃、日本では午後8時頃ですが、家族に電話で近況を連絡しあうようにしていました。一回50マルク分、当時4、5千円分で約30分程度話せたように思います。

お 金
 お金は、どこでも同じく紙幣とコインの2種類が、金額によって何種類もありました。ただ、100マルク紙幣、日本で言えば1万円札は、大きさ特に縦の寸法が長く、何時も持っている財布でははみ出してしまいました。そこで、やむを得ず財布を購入することになったのですが、さすが、郷に入らば郷に従えのたとえ通り、ドイツの財布には大きな紙幣もちゃんと収まるのです。まさか、紙幣の大きさで財布を買い換えることになるとは思いませんでした。
 生活していくと、分かったのですがドイツ人は100マルク札(約1万円札)はほとんど使いません。100マルク紙幣で支払うと、大丈夫かな?偽札ではないか?と疑いの目で見られる気がします。市場(マーケット)なんかでは、釣り銭がないからだめだといわれます。というのも、一般に物価が安く100マルク紙幣を使う頻度も少なく多くは流通していないためのようです。日本で言えば、せいぜい千円札で十分な生活環境なのです、うらやましいですね。お札写真は、10マルクです。100マルクなんか使ってしまってますよ。
 一方、銀行の小切手が便利です。ヨーロッパはユーロと言う統一貨幣制度になりつつありますが、狭い地続きの土地に多くの国があり多くの貨幣単位があります。しかし、銀行小切手(ユーロチェック)は、どこの国でも使えます。金額は勿論ですが、金額単位も自分で記入できるのです。ヨーロッパ内であればどこの国で使っても為替レートで換算して口座から引き落とされるのでとても便利です。ですから、大きな現金を持つ必要はありません。しかし、長期滞在でもないとその国の銀行口座を作るのが面倒ですが。日本も小切手がクレジットカードのように簡単に使えると良いのですが・・・というのは、海外でクレジットカードによる詐欺の話を時々耳にしますが、自分できちんと書けば小切手の方がごまかされにくいと思います。

トイレ
 ドイツというよりヨーロッパではどこでもそうでしたが、トイレの様子が日本と変わっていました。
 第一は、有料のトイレが多くあること。有料のためきれいなので特に女性には良いとおもいますが、小銭が無いとき、出したくてしょうがないとき金を払う手間がかかるのは不便ですね。
 第二は、不思議とどこでも「コンドームの自動販売機」が置かれていること。なぜトイレに必要なのでしょうね。
 第三は、男性用小便器の高さがとても高く、最初は一瞬届かないのではと心配しました。背の低い人は、というより股下の短い人は大変です。外人さんは足が長いので問題ないのでしょうね。
 アンベルグにもきれいな公共のトイレがありましたが、入り口には木製のどっしりしたドアがあり、最初のころはどこかの家かな?と思っていました。そこも上記3点はすべて当てはまります。

犬のしつけ
 これもドイツに限ったことではなく、日本以外の先進諸国は皆そのようですが、犬のしつけはとてもすばらしいですね。 町ですれ違っても絶対吠えない。主人以外からの食べ物は食べない。待てと命令されれば余程のことが無い限り動かない。
 そのように完璧にしつけられているので、ほとんどのレストラン、スーパーマーケットなどにも犬も一緒に入ることができます。びっくりするのは、レストランでご主人達が食事中、そのテーブルの脇にじっと座って、伏せたり、寝たりせず、キチンと座って待っています。腹が減ったといってクンクン、ワンワン、とか吠えませんし、テーブルに前足を乗せて覗き込むなんて事はしません。飼い主の方も、食事中に食べ物の一部を少しでも食べさせるということはしません。
 犬を飼う人は、しつけがきちんとできる人で無いとその資格が無いのだそうです。私は犬を飼っていませんが、周りの犬を見ると大違いですね。まるで野犬のように見えます。”犬もいぬ、人もひと”ということでしょうね。


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