葛の葉稲荷(信太の森神社)

  聖神社の森・鏡池などとともに、ここは「葛の葉伝説」のもう一つの舞台です。 
  江戸時代(18世紀半ば)、時の幕府の老中田沼意次が小身者より老中まで出世したのは稲荷信仰のおかけであると評判になり稲荷信仰が流行しました。ちょうどその頃、大阪で竹田出雲の「芦屋道満大内鑑」(葛の葉物語)が上演され(1734)大変な人気となりました。
こうした、二つの事情が、狐の穴がたくさんあり、中村の庄屋森田氏の屋敷神と祭られてきた稲荷神を伝説の舞台として語らせてきたと考えられます。JR北信太駅より北西徒歩5分、西1番踏切をこえてすぐ左へ


             本殿
創建
 社伝には、和銅元年(708)2月初午の日とあるが、延喜式神名帳(927) には、社名がなく式外社である。
 元禄9年(1696)の「泉邦四県石高、寺社旧跡ならびに地侍伝」によれば、 「中村庄屋屋敷の内、裏見葛葉あり、大藪あり、内に狐多く居住する。千枝 の楠というあり、若之御前之宮あり、狐の穴多くあり、信太明神の末社なり」 とある。
 また、延享2年(1745)「泉州記」には、「稲荷社、庄屋森田文左右衛門屋敷なり」とある。

   千枝の楠とよばれる大樹
           恋しくばの歌碑


恋しくば尋ねきてみよ
和泉なる信太の森のうらみ葛の葉



















 文化財・歌碑・句碑
  姿見の井戸
  芭蕉句碑
  和泉式部歌碑