京都から熊野権現への参詣の道を「熊野古道」とよび、またの名を「小栗
街道」とよばれてきました。近世の説経節「小栗判官」に基づくもので、
毒杯で苦しむ小栗が照手姫の引く土車で熊野の湯の峰に向かったことから
この名が付いたと言われています。
街道のおもかげを 遺す太町付近 |
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和泉市内には、熊野権現の分霊をまつる王子跡が3つあります。 篠田王子、平松王子、井ノ口王子です。熊野まで、九十九の王子があったといわれています。 写真は篠田王子跡に建つ記念碑。 |
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後鳥羽院歌碑 幸町第二児童公園 平松はまだ雲ふかく立ちにけり |
篠田王子: 「次いで篠田王子、また前のごとし。先ず松の下において御祓あり。宗行御使となりシノダの明神に参ず」
平松王子: (淀川沿いの渡辺の津を出発して2泊目の宿泊地) 「次いで平松王子、この王子においてことに乱舞の沙汰あり、これより御馬を
停め歩いて平松新造御所に入りおはします。ともの者も各々宿所に入る。 その新造御所は、方三間の粗末な建物である。 しかし、板敷きではない。その夜は風が冷たく、月が明るかった。」
*平松王子跡・・・・幸3丁目、空池公園の北側、山手郵便局の西あたりにあったと推定され、現在空池公園入口の四つ辻に記念碑がたてられている。
法皇・上皇たちは熊野へたびたび御幸しました。
最初の御幸:宇多天皇(907年)・・・・・・最後の御幸:亀山上皇(1281年)
374年間に9人の法皇・上皇・・・・・総回数98回
ベスト3 NO1 後白河上皇・・・・34回
NO2 後鳥羽上皇・・・28回
NO3 鳥羽上皇・・・・・21回
白河上皇の場合
お供する人数:814人
一日の食料:16石2斗8升 (1日一人米2升)
伝馬:190頭
(資料:田中重夫「熊野街道と九十九王子の研究」より)