JR西日本福知山線脱線事故
安全は取り戻せるか 1 ―JR脱線惨事―  2005年5月7日 読売新聞

巨大組織覆う「責任転嫁」
 兵庫県尼崎市のJR福知山線で起こった快速電車脱線転覆事故は、死者107人、負傷者460人という大惨事になり、鉄路の安全への信頼を根底から揺るがせた。国土交通省航空・鉄道事故調査委員会や県警は、100`を超える高速運転によるカーブ進入が事故の主因との見方を強めているが、背景にはJR西日本の安全対策の不備や、それを見過ごしてきた企業風土が浮かび上がる。問題点を検証する。
 JR西を指弾した警察の極秘報告書がある。
 「大組織ゆえの縦割りが強く、各担当者がセクト主義を全面に押し出し、責任転嫁、責任逃れの応酬」「捜査協力はおろか、これだけの被害者が出たのに『自社も被害者』との潜在意識から、徹底した証拠隠滅を繰り返し、重役や幹部、現場がバラバラの見解を出すなど、余りに無責任な組織」滋賀県警捜査1課作成の「信楽高原鉄道列車事故事件 捜査概要」。1991年5月、信楽高原鉄道とJR西の列車が正面衝突し、42名が死亡した事故に関する克明な捜査記録だ。

 類似の構図が、尼崎での事故でも透けて見える。
 JR西は事故当夜、「置石の可能性が高い」として、レール上の「粉砕痕」の写真を公開した。が、あっさりと否定された。「責任転嫁」「被害者意識」の表れだ。
 事故に乗り合わせた運転士2人は、救助活動をせず、通常勤務についた。現場から上司にかけた電話のやりとりには、無事の確認と出勤要請があるだけ。生死の境をさまよい、車内で助けを待つ乗客のことは欠け落ちた。
 事故当日、天王寺区車掌区(大阪市)の職員43人が親ぼくボウリング大会を開いたほか、ゴルフコンペや旅行などの「不適切事象」が次々に発覚した。担当部署以外は無関心な、まさに「セクト主義」そのものだ。
 記者会見での説明はくるくると変わり、「捜査中」を盾に事実公表を拒む。
 「共同体意識が強いので組織を守る側に立ちがち。指揮命令が厳しいから、上から言われれば、その通りにやる。社会常識とはかけ離れている」と、経営評論家の江坂彰氏は手厳しい。

 信楽事故の捜査記録には「JR西の体質は、国鉄時代と変わらず、旧態依然」ともあった。
 「客室添乗」。JR西の運転士指導の一つは、上司が私服で電車に乗り込み、ひそかにチェックする。丸1日追い続けることもあり、運転士は「覆面添乗」と嫌がる。乗務終了後に詰問が始まり、反論すると乗務は外され、一室に缶詰で反省文を繰り返し書かされる再教育「日勤」が待つ。
 JR東日本にも制度はあるが、制服で運転室に同席する文字通りの添乗指導。私服刑事さながらの添乗は、日勤同様、国鉄時代からの慣行だ。「いじめや嫌がらせに近い。古くからの一部労組とのいびつな関係も引きずっている」と漏らす運転士は多い。
 T運転士(23)(死亡)は昨年6月、オーバーランで13日間の日勤を命じられた。事故直前も40bオーバーランし、車掌と口裏を合わせ、指令所には8bと虚偽報告した。ミスを重ねれば、運転士を辞めさせられかねない。
 「日勤と降格を恐れ、パニックに陥っていたに違いない」と、同僚運転士たちは口をそろえる。
 「安全を最優先する『安全文化』が根付いていなかった。虚偽報告はその象徴。組織の腐敗さえうかがえる」と、大阪大大学院の臼井伸之介教授(リスク人間科学)は指摘する。欧米航空業界には、ミスの報告には懲戒処分を科さない制度もある。が、JR西では報告が“制裁”へと向かう。

 JR西は、信楽事故で事故責任を否定し続けた。謝罪したのは、損害賠償請求訴訟で遺族側の勝訴が確定した2003年のことだ。事故を真正面から受け止め真摯に安全対策を検討した形跡はうかがえない。
 妻を亡くした「遺族の会」代表の吉崎俊三さん(71)は怒気を込めて言う。「JR西の体質は変わっていない。今度こそ、何もかも一からやり直してほしい」
 90年代、鉄道事故による1時間当たりの死亡率は、大半を占めるホーム転落を含めても1億人に2.9人。道路などを歩行中の死亡は10人という。
 歩くより不安を感じさせなかった鉄道の安全が、きしみ始めている。

安全は取り戻せるか 2  ―JR脱線惨事―  2005年5月8日 読売新聞
スピード追求至上命題
 「スピードの追求は鉄道事業者の使命である」JR西日本を牽引してきた井手正敬相談役は、よくそう口にした。
 転覆脱線事故が起こったJR福知山線。2003年12月のダイヤ改正で、宝塚方面から尼崎、大阪に向かう快速電車は倍増し、大規模住宅地を抱える途中の「中山寺」も停車駅に加えられた。競合する阪急電鉄との乗客争奪戦があった。
 中山寺停車に伴い、少なくとも1分は余分にかかる。が、宝塚―尼崎間の最短所要時間「17分」の維持は“至上命題”だった。
 ある運転士(45)は「それまで直線で80〜90`も出せば間に合っていたのに、制限速度の120`まで上げないと遅れるようになった。最初は、こんなにスピードを出していいのかと戸惑った」と話す。
 JR発足時と比べ電車本数も3倍以上。このころから「揺れが激しい」との苦情も目立ち始めた。

 「私鉄王国の関西で、民営化後も生き残るには、高速化とダイヤの密度、利便性を高めるしかなかった」と、JRは言う。
 「より便利に、より早く」を宣伝文句に誕生したのが、都市間路線網「アーバンネットワーク」だ。今や運輸収入の4割を稼ぎ、自慢の「日本最速」の通勤電車が、大動脈東海道線を疾走する。
 1987年のJR発足時、大阪―三ノ宮(神戸市)間30.6`bをノンストップで22分間で結んでいた「新快速」は、高性能の新型車両投入で、平日で上下計142本が走行中。停車駅を尼崎など2か所増やしても、所要時間を19分まで縮め併走する阪急の27分、阪神電鉄の28分に大差を付けた。
 最高速度を時速130`とした99年5月のダイヤ改正時は、東京でも記者発表。担当者は「画期的スピード」と胸を張った。
 遅れること6年。JR東日本も、今夏から常磐線で130`「特別快速」の運行を始める。平日でわずか上下計11本。大半の快速も100`止まり。高速化での「西の突出」は明らかだ。
 ダイヤ編成でも「時間短縮」が図られた。「ユニバーサル・スタジオ・ジャパン(USJ)」(大阪此花区)が開業した2001年3月。いったん直通電車運行に伴うダイヤ改正をしながら、開業直前に13分の所要時間を10分にしたことがあった。大阪駅とUSJの間にある4駅で、停車時間などを各90秒〜5秒削って、「3分」を捻出したのだ。
 「井出さんの『鶴の一声』だった」(関係者)といい、「10分でUSJ」のうたい文句が、競合するバス便などをけ散らした。

 関西大の安部誠治教授(公共交通論)は「ダイヤには、遅れを回復する時間として『余裕時分』が組み込まれていたのに、JR西は、その分を削って高速化を進めた。すでにギリギリのダイヤになって余裕を失っている」と、同社のスピード優先主義に批判的だ。
 福知山線では、「定時運行は無理」と感じる厳しいダイヤさえ組まれることがあり、遅れを取り戻すための「回復運転」も常態化していたという。
 事故前の1週間、JR西日本は福知山線の電車の遅れを調査した。いずれも40〜71秒遅れが出ていた。
 「定時運行は日本の誇り。遅れを取り戻せなければプライドにかかわる」と、運転士らは口をそろえるが、「プレッシャーは大きい」と本音も漏らす。
 駅間が短い都市部では「制限速度ギリギリまで直線で飛ばし、カーブ手前や駅停車時に、ブレーキのタイミングを遅らせるしか方法はない」。そこに、事故の危険が潜む。脱線現場は「回復運転ができる数少ないポイント」だったのである。

 7日午前、会見したJR西の丸尾和明・総合企画本部副部長は「アーバンネットワーク」の過密ダイヤ解消などの方針を示したうえで、こう打ち明けた。「運転時分」(所要時間)を遅くするというのは、これまでタブーだった」
安全は取り戻せるか 3  ―JR脱線惨事―  2005年5月9日 読売新聞

 「まだ、そんなタイプのATS(自動列車停止装置)だったのか。地下鉄はもちろん、大手私鉄に比べても30年以上遅れている」
 JR福知山線を時々利用していた関西の地下鉄の技術系幹部は、事故後の報道で保安システムの旧式ぶりを知り、驚いた。
 福知山線に設置されていたATS−SWは、赤信号の区間への進入を防ぐ機能しかない。これに対し、多くの地点で列車の速度を照査(チェック)し、スピードが出すぎていれば減速させる「ATS−P」があれば、今回の事故を防げた可能性は高い。「運行再開は、新型ATSの整備が条件だ」と、北川一雄・国土交通相はクギを刺した。
 だがATS−Pは「新型」というほどではない。大手私鉄は、これに近い速度照査型ATSの導入を1970年前後に終えている。地下鉄には、新幹線並みのATC(自動列車制御装置)があり、区間ごとに設置される上限速度を超すと、ブレーキがかかる。
 永瀬和彦・金沢工業大教授(鉄道工学)は7年前、雑誌『鉄道ジャーナル』の論文で、JRの保安システムの遅れを警告していた。<速度照査付きATSの導入により、信号冒進(無視)やブレーキ操作ミスによる事故は激減し、近年、大手民鉄で重大事故が皆無に近いのは、この賜物である。残された問題の一つはJR幹線への適用拡大を一刻も早く行うことである>(同誌98年11月号)
保安システム30年遅れ

 それだけの遅れをもたらした責任は国にもある。
 62年、旧国鉄の常磐線三河島駅(東京)で発生した衝突事故は死者160人に及んだ。運転士の赤信号見落としが発端だった。
 これを教訓に、旧国鉄はATSの整備を急ぎ、66年に全線完了した。だが翌67年、旧運輸省が大手私鉄に出した通達は、もう一段レベルの高い速度照査型ATSを義務付けた。
 しかし国鉄は対象外。国自身が経営していたからだ。87年の分割民営化の際、通達は廃止され、代わりにJRにも適用される「普通鉄道構造規則」が定められたが、ATSは速度照査型でなくてもよいとされた。
 国交省鉄道局は「旧国鉄は地方にも多くの線区がある。すぐに民間並みの基準にすると、違反状態になったからでは」とする。
 国がJR発足に配慮し、都市圏でも甘い水準を認めたことで、旧国鉄の“負の遺産”が残された。

 保安システムは、国鉄時代から首都圏が先行し、山手線と京浜東北線には80年にATCが導入されていた。民営化後は、JR各社の間で格差が広がった。
 88年12月東京では中央線の東中野駅で追突事故が発生、運転士と乗客の計2人が死亡した。ダイヤの乱れを回復させようと運転士が急ぎ、ATSが警報を出したのに赤信号で入ったためとされる。
 この事故をうけ、JRは東日本は、同年に京葉線に導入したATS−Pの拡大を急いだ。現在は首都圏のほぼ全域、1850`で完了。山手線や京浜東北線は、列車の具体的な位置情報をもとに制御する「デジタルATC」というはるかに高水準のシステムで運行している。これらを含めた整備率は全線の30%を超える。
 JR西日本は91年から2002年にかけ、京阪神圏の350`にATS-Pを導入したが、全線に対する整備率は8%。通勤電車区間も関西線の王寺以東、湖西線などは計画さえない。JR九州、四国、北海道は在来線全線が旧式ATSだ。

 錯覚、瞬時の居眠り、急ぐ心 ― ミスは様々な要因で起きる。それでも重大事故にならないようにするため、バックアップシステムが開発されてきた。
 清水久二・横浜国立大名誉教授(安全工学)は「たとえ運転士のミスでも、それを責めるだけでは再び事故が起きる。機械に頼り切ってはいけないが、事故の教訓を、全国の鉄道業者のものにし、人間はミスを犯すという前提でハード面の対策を確立することが肝心だ」と強調する。
安全は取り戻せるか 4  ―JR脱線惨事―  2005年5月11日 読売新聞

三河島駅衝突事故慰霊碑
監査届かぬ聖域∴モ識
 「これまでにもJR西日本には細かいミスが多いことはわかっていた。しかし、このような大惨事を起こすほど深刻とは、我々も想像できなかった」。JRはじめ各鉄道会社を監督する立場にある国土交通省鉄道局幹部は今、自責の念を込めてこう語る。
 「細かいミス」の一つが今年3月に津山線で起きたオーバーランだ。各駅停車の運転士に快速電車のダイヤを渡すという初歩的な手違いが原因だった。このほかにもオーバーランが相次いでいたことから、同省は3月末、JR西の担当者を呼び出して口頭注意した。ただしあくまでも法律に基づかない行政指導にとどまり、再発防止策の提出を求めることはしなかった。
 そして今回の福知山線事故。きっかけとなったのは伊丹駅などで起こしたオーバーランだったという見方が強まっている。

 国交省は鉄道事業法に基づき、鉄道会社に対して様々な立ち入り検査を行っている。その中で、設備などの安全性について定期検査するのが「保安監査」だ。
 JR西が保安監査を受けたのは直近では昨年10月。近畿運輸局が同社大阪支社で運転士らの勤務状況などを検査したが、結果は「問題なし」。過密ダイヤで運転士が受けていた異常なプレッシャーは見抜けなかった。
 監査そのものの実効性が内部からも疑問視されている。JR西の監査にも立ち会った鉄道局幹部は「やっていることは書面審査。運転士から直接聴取するというところまではなかなか手が回らない」と明かす。
 また監査は抜き打ちではなく、3か月前に事前通知をしている。その理由について鉄道局は「鉄道会社が安全問題で隠し事をするということは想定していない」と説明する。
 鉄道会社に限らず、航空会社や自動車メーカーなどに対する国交省の監督姿勢は、企業の「性善説」に拠って立ってきた。まさか重大ミスを隠し立てすることはないだろう、まさかウソはつかないだろうと。だがこの1年間、運輸業界ではその「まさか」が続けさまに明るみに出た。
 自動車では、一連の「欠陥隠し」問題が発覚した三菱ふそうトラック・バスが、長年にわたって事故や不具合を隠ぺいし続けていたことが発覚。航空でも、北海道・新千歳空港で旅客機が管制官に無断で離陸滑走を始めたトラブルを、日本航空は当初、国交省に報告していなかった。

 運輸業界の中でも、戦前の鉄道省の流れをくむ国鉄は、旧運輸省の監査や指導の手が一切及ばない「聖域」だった。1987年に分割民営化され、形式上は運輸省の監督下に置かれてからも、独立独歩の気風はJR各社に引き継がれた。
 「本省の課長が呼べば運輸各社は部長クラスをよこし、部長がよべば役員が説明に来るのが普通。しかしJRの場合、課長に説明に来るのが係長クラスといういことがしばしばあった」と国交省幹部は語る。
 また別の幹部は「国鉄時代、運輸省鉄道局は格下扱いだった。当時を知るJR幹部は運輸省、国交省を内心、なめきっていたのではないか」と自嘲気味だ。

 企業「性善説」が根底から崩れた今、国交省は規制緩和に逆行するかのように、運輸各社への監督体制を強化し、罰金を引き上げるなど政策変更を迫られている。鉄道会社に対しても「関係を再考しなければならない」(鉄道局幹部)と語る。JR西日本に対する指導・監督は十分に行き届いていたのか。今回の事故は国交省にも重い課題を投げかけている。

安全は取り戻せるか 5  ―JR脱線惨事―  2005年5月12日 読売新聞
積極投資死角≠ノ回らず
 「スピードの速い新型車両を投入するので、駅が増えても所要時間は変わりません」
 福知山線脱線事故から約1か月前の3月23日、向こう4年間の中期経営計画を発表する席上のことだ。JR西日本の垣内剛社長は、こういって胸を張った。
 各駅停車の最新鋭車両となる「321系」は加速性能に優れ、車内には19型のテレビモニターも備える。約250億円を投じ、私鉄を競合する東海道線の近距離区間などに今秋から順次、252両を導入する予定だ。6駅も新設し、停車駅を増やして利便性を売り物に集客する私鉄からさらに乗客を奪う算段だ。
 山陽新幹線のコンクリート片落下事故を受けて作られた4年前の計画では、安全は「鉄道事業の根幹」とうたわれた。だが、新計画では、事故時の早期復旧や駅の改良などと並んで、総合的なサービス向上策の一部になった。

 積極投資は鉄道にとどまらない。家賃収入が得られる駅ビルの開発や流通事業を拡大し、少子化や航空機との競争激化で減り続ける本業の鉄道収入を補う戦略だ。
 同社の“顔”である大阪駅は1500億円をかけて改良され、北側には三越などが入居する新ビルが建設される。駅舎を覆う延長160b、幅105bの透明ドームは当初の図面になかったが、「よそにない、壮大な駅を」といういトップの強い意向で加えられた。
 希望退職者の募集などで社員数も3割以上減らした。都市部で私鉄との差を広げ、利益率の高い関連事業を拡大する経営方針と合理化を同時に進め、この3月期決算では2期連続で過去最高益を更新した。
 それでもドル箱の首都圏を抱えるJR東日本、東海道新幹線を持つJR東海に比べ、財務体質の弱さをしばしば指摘されてきた。現在の株価は38万円台と、東海の86万円台、東日本の55万円台に大きく水をあけられている。
 会社の“通知表”である株価でもJR他社に近づきたい――それが悲願だった。

 会社が積極投資へと傾く中で、安全面の設備はどうなっていたのか。
 もともとJRの発足当時から西日本の安全設備は遅れていた。東日本の山手線には新幹線並みの自動列車制御装置(ATC)が備えられていたが、西日本には少ない投資で整備できる新型自動列車停止装置(ATS−P)さえもなかった。
 昨年度の総投資額1479億円のうち、ATS−Pの整備に当てたのはわずか5億円だ。東海道線などに設置された2000年までは20億円前後の水準を保ってきたが、その後は年1〜5億円にとどまる。この6月末に終える予定だった福知山線以降は計画もない。
 現在、ATCとATS−Pを合わせた整備率は、東日本の30%に対し、西日本はわずか8%。利益率や成長性といった市場の評価を意識するあまり、安全は「死角」になっていたといえる。

 JR西日本は05年3月期の年間普通配当を5000円から6000円に引き上げた。1000円の増配に必要な経費は20億円。福知山線へのATS−P設置にかかる9億円はその半分に満たない。
 事故で長女を亡くしたFさん(65)は「株主に回すお金があるのなら、一つのATSでも付けてほしかった」と遺族の無念を口にする。
 利益優先との批判に対し、西日本の首脳は「営利企業である限り、利益は必要だ。経営と安全対策のバランスをとらなけらばならない」と苦しげに語る。107人の犠牲者をもたらした事故は、そのバランスが崩れていたことをさらけ出した。
 山内弘隆・一橋商学部長(交通経済論)は「鉄道には『安全神話』があり、これを前提に経営戦略を立てている」と指摘する。事故の再発防止は、その神話に浸り続けた体質を徹底的に洗い直すのが出発点だ。(終わり)
JR西日本南谷会長
2005年5月13日読売新聞より
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