JR西日本福知山線脱線事故
砂上の安全4 −教育−   2005年5月7日 神戸新聞
再発防止より責任論重視
 「前方よし」。指差し確認をする見習い運転士。「ブレーキをかける目標物はあれだ」。緊張した背中に、教官が斜め後ろから指導する。
 客を乗せた一般車両で行われる電車運転士の実技教習。脱線事故で死亡したT運転士(23)は、駅員、車掌を三年余り経験し、運転士に転身。二〇〇三年十二月に学研都市線で見習いを初め、指導には、運転歴三年半の二十代半ばの運転士が当たった。五ヵ月の教習を受け、試験に合格した高見運転士は、複雑なダイヤのアーバンネットワークを支える勤務に就いた。
 運転士の指定養成所を持つJR西日本。終了試験の合格率は約九割に上る。
 「電車も飛行機も、一度に大量の人を運ぶ交通機関という点では同じ。むしろ街中を走る電車の方が危険かもしれない」。元海上自衛隊パイロットの仲摩徹弥さん(61)は、大半の受験者が合格する現状に、運転適正が厳格にチェクされているのか疑問を投げ掛ける。
 旅客機の場合、パイロットとして航空会社に入社するには、航空大学校などで二年半の学科・実技教習を積み、三つの免許や資格を取る必要がある。操縦席に座っても、最初は副操縦士。機長になるにはさらに十年以上かかる。
 JR西日本では、オーバーランや到着遅れなどのミスをした運転士に「日勤教育」と呼ぶ研修を受けさせる。だが、「懲罰的」「社内いじめ」と批判する声も強い。
 兵庫県弁護士会は昨年六月、日勤教育について同社に人権侵害救済の勧告書を出した。姫路鉄道部の運転士(43)に課されたのは、草引きや修業規則の書き写しが主だった。〇一年には、日勤教育を受けていた運転士=当時(45)=が自殺した。
 同社が「集中力不足などのミスを自己分析させ再発防止につなげるため」とする日勤教育。運転技術を磨く講習は、ほとんどない。


 
 「ミスで運転士個人の責任が問われると知り、正直驚いた」。大手航空会社のパイロット(35)は言う。
 「航空業界では、遅れが出ても乗務員はベストの判断をしたと考えるのが常識」。事故原因の究明を最優先するため、個人の責任は問われないという。「定時運行の責任を個人に負わせると、絶対無理をして事故を起こす」とパイロットは断言する。
 事故の直前、T運転士と車掌は、口裏を合わせてオーバーランを過少申告。オーバーランで十三日間の日勤教育を受けたことのある高見運転士は、制限速度を四十`近く上回る百八`の猛スピードでカーブに進入していった。
大惨事を受け、国交省は運転士の適正検査などの見直しに着手。JR西日本は日勤教育の改善を決めた。
 「責任を問わず、当事者にミスを報告させることが、結局再発防止につながる」と仲摩さん。何のための教育か。その根底が問われる。


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砂上の安全1 −過密ダイヤ− 2005年5月2日 神戸新聞
厳密、秒単位の「運転時分」

 宝塚駅発=午前9時3分45秒▽川西池田駅着=同10分10秒▽同駅発=同10分45秒▽伊丹駅発=同14分50秒▽尼崎駅着=同20分10秒。
 脱線事故を起こした宝塚発同志社前行き快速電車の「運転時分」。運転士には秒単位の運行スケジュールが割り当てられ、厳密な定時運行が求められている。
 JR宝塚線(福知山線)から大阪都心部への直行を可能にした八年前の東西線開通。それを機に、宝塚線のダイヤ編成は攻め≠ノ転じた。
 競合する阪急電鉄をにらみ、繰り返す列車増発とスピードアップ。約五十分かかっていた新三田―尼崎間の所要時間は現在、約三十五分。快速の導入もあるが、JR西日本誕生直後の一九八八年に比べれば、実に十五分も短縮された。二年前には、停車駅が増えたのに所要時間の同じ電車が登場した。
 必然的にダイヤは過密化する。尼崎駅では、阪神間の大動脈・神戸線と乗り継ぐことになる。大前提はもちろん、定時運行だ。
 しかし、運転歴二十五年のベテランは、宝塚線のダイヤを「目いっぱいに運転しないと定時を守れない」とする。「二年前のダイヤ改正で、猪名寺―塚口間が一分三十五秒というむちゃな設定があった。遅れが続発して次の改正で少し緩和された」と明かした。



JR西日本は四月上旬、「ダイヤ改正のデーター集め」として、日常的に遅れている列車九本を秒単位で調べた。うち宝塚線では全体の半数近い四本が対象となった。その結果、朝の通勤時間帯の上りは平均で七十一〜四十秒の遅れが確認された。満員の乗客の乗り降りに設定以上の時間がかかるためだった。
 遅れが発生した際、同社はマニュアルで「制限速度の範囲内で回復に努めること」を運転士に求めている。しかしある運転士は、「宝塚線ではいったん遅れが出ると、元の運転時分が厳しいから取り戻す余裕はほとんどない」と話す。
 脱線した快速電車は、伊丹駅でオーバーランし、一分半遅れで発車した。
 宝塚線で約十八年の運転経験がある幸(みゆき)義春さん(41)は「厳しいダイヤのせいで伊丹駅到着までに遅れがあり、その焦りがオーバーランを生んだのでは」と推測する。



 過密ダイヤを指摘されたJR西日本は、事故から六日目の四月三十日、真っ向から反論する見解を文書で示した。
 「(朝の通勤時間帯の)列車本数は二十一本であり、他の線区と比較しても特に多いとは考えておりません」
 その日、また一人乗客が亡くなった。犠牲者は百七人を数えた。



 尼崎JR脱線事故は、鉄道の安全が、砂の上に立つようにもろいことを証明した。惨事を引き起こす要因は何だったのか。(企画報道班)


砂上の安全2 −競争−   2005年5月3日 神戸新聞
定時運行、スピード売り物

 「あのときと同じや」
 尼崎JR脱線事故のニュースに見入っていた神戸市灘区の北村喜由さん(72)、美江子さん(69)夫婦は、息をのんだ。変わり果てた家族と三日ぶりに対面した男性の疲れきった表情が、二十年前の自分たちと重なった。
 一九八五年夏。北村さん夫婦は群馬・御巣鷹山の日航機墜落事故で、長女の由美さん=当時(42)=を失った。結婚から半年、初めて帰省するはずだった。夫婦は現地の体育館で待ち続け、三日目に遺体を確認した。
 脱線事故の一ヶ月前、北村さんは腹立たしいニュースを目にした。管制の許可を得ずに離陸しようとし、強度の足りない部品で飛ぶなど、日航機のトラブルが相次いでいた。「安全が最優先との考えが浸透していない」と事業改善命令を出した国交省。日航は「安全は定時性よりも優先するべき」と反省を報告した。



 「大阪駅まで19分」―。JR三ノ宮駅にはスピードを売り物にした看板が目立つ。神戸線の最高時速を百二十`から百三十`に引き上げ、九九年から実現した。
 経路に違いはあるが、阪急(三宮―梅田)は二八分、阪神(同)は三十分。「スピードはJRさんに任せた」と私鉄関係者は苦笑する。
 関西はかつて私鉄王国と呼ばれた。JR西日本は八九年、宝塚線を含む京阪神の鉄道網を「アーバンネットワーク」と名付け、スピードアップによる乗客増を目指した。阪神・淡路大震災で、私鉄各社より二ヶ月以上早く全面復旧し、私鉄の客を奪った。JRの京阪神の乗客は二〇〇三年度、民営化後の八七年度に比べ約18%増え、在阪私鉄五社の合計は約19%減少した。
 スピードと並ぶ柱の「定時運行」。その重圧が、脱線事故の速度超過の背景にあったとされる。



 「定時運行にこだわる気持ちは分かる。私も遅れを取り戻すために飛ばしますよ。制限速度の範囲内で」。日航機の操縦士が実情を話す。
 新規参入や料金自由化で競争が激化する航空業界。主要空港では、同じ行き先の三社の出発時間がまったく同じことも珍しくない。滑走路に入るのは離陸準備が早く整った順。「運航の遅れは他社に客を奪われること」と操縦士。整備時間も短縮されつつある。
 日航は〇二年、し烈な競争に勝ち抜くため日本エアシステムとの経営統合に踏み切った。だが旧二社の溝は埋まらず、共通の安全対策さえ確立されていない。
 「安全に金をかけることが最大の合理化」と御巣鷹をはじめ事故処理を担当した元日航社員。「JR一人勝ちの構図は、安全性の軽視と紙一重だった」とJR社員。
 安全と定時性、経済性とのバランスに揺れる空と陸。現場の声は一致する。


砂上の安全3 −説明責任−   2005年5月5日 神戸新聞
14年間届かぬ遺族の願い

 「安全だけは、しっかりお願いしますよ」
 「分かりました」
 二〇〇三年、滋賀県甲賀郡にある慰霊碑前で催された信楽高原鉄道事故の十三回忌法要。死者四十二人、重軽傷者六百十四人を出した惨事で、妻佐代子さん=当時(53)=を亡くした吉崎俊三さん(71)=宝塚市=が、JR西日本の垣内剛社長を握手を交わした。
 発生から二十年後の「和解」。だが、二年もたたないうちに尼崎の脱線事故は起きた。
 「あのときの約束は何だったのか・・・」。吉崎さんは唇を震わせた。



 あの日も快晴の朝だった。一九九一年五月十四日。信楽町で開催中の「世界陶芸祭」に向かうJRは定員の倍の約七百人を乗せ、信楽鉄道の電車と正面衝突。車両は空に向かって突き上がった。
 長女(42)と二女(40)が重症。佐代子さんとは九時間後、遺体安置所で対面する。圧迫された顔は内出血で変色し、ほとんど判別できなかった。
 「JRに殺された」。そう直感した。
 だが、信楽鉄道が赤信号で発進したことなどを理由に、JR西日本は責任を回避し続ける。
 「悲しみを受け入れるには、相手の誠意ある対応が必要。JRは遺族の気持ちを踏みにじった」
 吉崎さんら九遺族は九三年、損害賠償を求め提訴。一、二審ともJRの責任を認定し、二〇〇二年末、ようやく同社は上告を断念した。



 尼崎の脱線事故をテレビで見ていた吉崎さんは涙が止まらなかった。
 「十四年前の私らと全く同じなんよ」。悲惨な現場。安否確認に走り回る家族。遺体と対面し、泣き崩れる人たち。
 事故後のJRの対応にも不信感が募る。レールに置き石があったかのような説明。オーバーランの距離のごまかし。運転士の処罰歴の公表・・・。「都合のいい情報にすがりたくなる気持ちは分かる。だが、遺族はすぐ見抜くんです。ああ、逃げている、と」
 垣内社長ら幹部は七百人の遺族宅を順番に弔問している。しかし、原因や責任を問われても、「申し訳ありません」を繰り返すだけの姿勢に、遺族の怒りが噴き出した。



 信楽事故の遺族会は今年一月、JR西日本と安全対策の懇談会を開いた。JRは「社員の安全教育に最善を尽くしています」と強調していた。
 「それが日勤教育のことだったとしたらとんだ思い違いだ。人間はミスをする。それをバックアップするシステムが必要なんです」。なぜ、列車自動停止装置がなかったのか。脱線防止ガードは必要なかったのか。
 「JRは説明責任を果たしていない。私たちのような苦しみを繰り返してほしくない」。吉崎さんの願いは、十四年たっても届いていない。


砂上の安全5 −経営判断−   2005年5月8日 神戸新聞
数字が語る「安全軽視」

 大惨事から一週間後の五月二日。東京・首相官邸で、自民の武部勤、公明の冬柴鉄三両幹事長らとの会談を終えた北側一雄国土交通相の口調は、極めて厳しかった。
 「新型の列車自動停止装置(ATS−P)の整備が、宝塚線運転再開の大前提だ」
 前日、新型ATSの設置完了よりも、運転再開を優先する方針を明らかにしていたJR西日本。それに対する不快感が、国交相の表情には色濃く浮かんでいた。
 三時間後、大阪・JR西日本本社で開かれた会見で、相変わらず「新型の整備は再開条件ではない」としていた村上恒美・鉄道本部安全推進部長。報道陣の指摘で国交相発言を知り、表情が変わった。慌てて会見を中断し、事実確認へ。一時間半後、村上部長は「新型整備後に運転を再開する」と方針を百八十度転換。迷走ぶりが、安全に対する姿勢を明確に表していた。



 「設置されていれば今回の事故だけは防げた」とJR西日本自身が認める新型ATS。列車が制限速度を超えれば、ブレーキをかけて自動的に減速させる。
 「安全を第一に考えてきた」「新型ATSの整備は各線区の状況を総合的に勘案し着実に進めてきた」。垣内剛社長は事故後、繰り返した。しかし、数字は社長の言葉とは違う実態を物語る。
 首都圏でJR東日本は、新幹線に採用する最新型の列車自動制御装置(ATC)を山手線などに導入。ATCと新型ATSの整備をほぼ100%完了している。同規模のJR西日本の「アーバンネットワーク」は、約43%と半分に満たない。
 東日本は年間百`ずつのペースで整備し、これまで八百五十億円を投じてきた。西日本の昨年度までの費用は計百五十億円。二倍強の売上高の違いよりも大きな差がある。
 年度別では、JR西日本全体で二〇〇〇年度の新型ATS整備費用は十九億円だった。だが、〇一年度=二億円▽〇二年度=三億円▽〇三年度=一億円▽〇四年度=五億円と激減。同社は「車両の設置が終わり、線路に設置するだけになった」と説明する。
 宝塚線の尼崎―新三田間への整備が決定したのは〇三年九月。今年一月に工事が始まるまでに一年四ヵ月を要した。「約四百八十個の設置箇所の確定に測量などが必要で、設計に時間がかかった」と同社。六月末の完成を前に四月二十五日を迎え、百七人の命が奪われた。
 「首都圏では宝塚線より運行本数が少ない線区でも新型ATSを整備した。経営判断とはいえ、宝塚線の未整備は理解できない」とJR東日本の社員は首をひねる。
 一秒を削るスピード競争にまい進してきたJR西日本。連結ベースで五百八十九億円の過去最高益を出した〇四年度、同社の設備投資は一千億円に上った。宝塚線に新型ATSを整備する費用の総額は、わづか九億円にすぎない。
=おわり=