
SECRET JOKES U
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ヴァレーリエ:えぇ、今日4月14日は、リッチー・ブラックモアの60歳の誕生日ということで……。
ガブリエーレ:ねぇ……。
V:もうあの方も還暦ですよ。
G:こないだロニー・ジェイムズ・ディオが還暦迎えたと思ったら、もうリッチーも還暦ですもんねぇ。
V:ほんとに月日は百代の過客とはよく言ったものでございます。でも、誰かがこうして誕生日を迎えれば、誰かが亡くなっているのがこの世の中なのでしょうか。訃報が入っております。
G:はい。
V:まず、オールドファンには懐かしいでしょう。ドン・ブレイザー。本名、ドン・ブラッシンゲームがアリゾナ州の自宅で心臓麻痺のため死去、73歳でした。1967〜69年まで南海ホークスでプレーしたあと、野村克也監督の下でコーチを務めまして、その後、広島東洋カープのヘッドコーチ、阪神タイガースの監督、さらには南海ホークスの監督を務めていたことで有名でしたが、彼が掲げた「シンキング・ベースボール」は日本プロ野球に多大な影響を残したということで、ドン・ブレイザーが無くなったとのニュースが入りました。
そして、そのドン・ブレイザーと南海、そして広島で一緒にいたこともあった福士敬章(ひろあき)元投手、これ「ひろあき」と読むんですね。福士敬章が54歳の若さで亡くなりました。
G:早いですねぇ! 江夏さんより下でしょ?
V:そうですね。江夏豊がもうすぐ還暦ですか、あの人も? まだだったでしょうか。まぁ、それはともかく、マージャン店のソファで寝ていたそうですが、いつまでたっても起きてこないので、友人が見に行ったところ死亡していたとのことであります。
ま、福士敬章さんは最初、松原明夫と言っていまして、その後、福士明夫、その次が福士敬章、で、1983年に韓国に渡ったときは張明夫と、ころころ名前が変わっていましたが。
G:在籍した球団もころころ変わりましたね。
V:そうですね。最初、1969年に巨人に入団したものの、4年間で1勝もできずに、山内新一と一緒に南海へ移籍したのですが、そこで野村克也監督に出会ってからは先発投手として活躍して、1973年にはリーグ優勝。1977年に広島に移籍してからも先発投手として、79,80年の2年連続日本一にも貢献しました。あの「江夏の21球」、79年の第30回日本シリーズ、広島対近鉄の第7戦で、先発だった山根和夫の後を受けて二番手として登板したのが、この福士だったわけであります。
G:この人も近鉄ファンにとっては憎たらしい人でしたよねぇ(苦笑)
V:確か、79年の日本シリーズ第4戦と、80年の日本シリーズ第6戦で完投勝利を挙げて、私は79年の第4戦をヴィデオで観ましたが、独特のノーワインドアップ・モーションが印象的な投手でした。
ドン・ブレイザー、そして福士敬章。両氏のご冥福をお祈りいたします。
G:はい。
V:さて、最近どうですか?
G:最近ですか? 最近はあれですね、平井和正のネタを……。
V:おぉ、あれなぁ。あれでカナメさんからレス来たときにはオレも驚いたよ。
G:いや、僕も驚きましたけどねぇ。あれほど、愛情と説得力のある文章を初めて読みましたよ。
V:カナメさん、自分とこでも改めて書いていたよ。
G:あ、そうなんですか。これは見に行かないといけませんね。
V:ま、お前も、カナメさんの文章をよく読んで、どうすれば説得力のある文章を書けるか、しっかり勉強するように
G:そうゆうお館さまこそ、勉強してくださいよ(笑)なんですか、あれは。
V:なにが?(笑)
G:なにが、じゃありませんよ。『堕天使』むちゃくちゃ突っ込まれてるじゃないですか(苦笑)
V:うるせーな、もう……(苦笑)ま、お互いがんばって、勉強しようや。
G:はい。
V:ま、そんなこんなで。HEIGHTS HARVEST MOONをこれからもどうぞよろしくお願いします。
SECRET JOKES。この番組はインターネットを通じて不定期にお送りしています。お相手はヴァレーリエと、
G:HEIGHTS HARVEST MOONのガブリエーレでした。
V:それではまた。
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