縁起
当寺は行基菩薩によって建立され、薬師如来をご本尊として信仰を集めていたと伝えられております。
また、弘法大師空海が高野山に籠もる前、当寺に籠もり修行の後、不動明王を三体お彫になり、一体は滝谷不動へ、一体は淡路島へ渡りその後海外へ、残る一体が現在ご本尊とされている不動明王であると言い伝えられています。
最盛期には約一万坪の寺領を拝領し、時の天皇や豪族たちの信仰の対象寺として栄え、宿坊も十二坊くらいあり、多くの修験者達で賑わっていたそうです。しかし、相次ぐ戦乱で荒廃していき、その時々の住職や行者、信者さんたちによって再建されてきたようですが、近年になり明治の荒廃毀釈などの諸制度により寺領も現在の様に減少し、当時の鎮守さんも寺社庁の管轄となり分離されたと伝えられております。政情不安のどさくさに紛れて代々のご尊像や仏具など、かなりのものが紛失したと伝えられています。
しかしながら、「くさべのお不動さん」は霊験あらたかということで、現在も地元のみならず他府県の方々の信仰をあつめています。
第三十七世住職