和歌山県 湯浅の町並み                       ★美しい景色に戻る★

古代より熊野参詣の宿所として栄えた湯浅。近世は、藩内有数の商工業として発展しました。漁業や魚網製造・金山寺味噌・醤油醸造等々です。中でも、醤油醸造は、紀州藩の保護も受け、往時は92軒もの醤油屋が営業していたそうです。明治以降の近代化は、旧市街地周辺で行われたため、古い町並みが今も残されています。2006年には、国の「重要伝統的建造物群保存地区」に選定されました。

湯浅の町めぐりのスタート地点、JR湯浅駅です。
天保12年(1841)創業の醤油屋「角長」です。
1866年に建てられた職人蔵は、町の指定文化財でもある醤油醸造用具が展示されています。
出格子、切子格子、半格子などいろいろな格子が見られました。
町の至る所で、せいろミュージアムと題し、昔のいろいろな道具やかざりなどを「せいろ」を利用し
飾ってありました。
ここは、江戸時代から昭和の終わりまで営業していたお風呂やさん、「甚風呂」です。本来の名前は、
戎湯だそうですが、経営者の名前から「甚風呂」と呼ばれ親しまれていたそうです。
菱形の窓と、「トンガリ」と呼ばれる瓦飾りが載っています。
当時の銭湯は、単なるお風呂だけでなく、町内の憩いの場となっていたそうです。
洗い場の壁に張り巡らされている青いタイルは、大正時代のもので、当時ではとてもしゃれたものだった
そうです。
裏側です。長年使われていた歴史の重さが感じられました。
ここは、太田久助吟製です。江戸時代後期の建物です。元は、醤油醸造家でしたが、現在は、金山寺
味噌の醸造を行っています。
煉瓦造りの倉庫も残されています。
昭和初期に建てられたという、湯浅小学校の講堂です。写真を撮っていると、不審者に間違われそうです。
広い通りから少しはいると、狭い路地が数多くあります。小路小路(しょうろこうじ)と呼ばれるそうです。
湯浅町で初めてコンクリート舗装の行われた通りなんてのもあるのです。
熊野古道は、ここ湯浅で市街地を通過しました。これは、道町にある立石道標です。江戸時代に建立され
ました。夜には、ライトアップされるそうです。
これは、海沿いの神社の近くにある「中波止」です。なんと、平安時代の石垣積みだと言うのだから
驚きです。
こちらは、さっきの甚風呂と違い、現役のお風呂やさんです。
営業時間前だったので、湯につかることはできませんでしたが、古いあんま機やレトロな棚に
昭和を感じます。
半日、湯浅の町をそぞろ歩きました。
歩けば歩くほど、この町の美しさやこの町の歴史を感じました。

(2010.2.22訪問)