佐用 平福
平福は、江戸時代利神城の城下町として整備されました。一国一城令により城下町としての歴史は浅かったそうですが、その後、陣屋や鳥取藩本陣がおかれ、因幡街道の宿場町として発展し、現在もその名残が数多く残されています。
利神城跡です。関ヶ原の戦いの後、池田輝政の甥・池田出羽守由之が建てた3層の天守はあたかも雲を衝くが如き威容から「雲突城」と呼ばれたそうです。 | |
智頭線の平福駅です。立派な駅舎ですが、閑散としていました。 | |
ちょうど、智頭線を走る車両が駅に到着しました。一両だけのかわいい車両でした。 | |
川沿いに並ぶ川座敷・土蔵群です。平福を代表する景観です。この日は、あいにく川水が濁っていたせいか建物の影が川面にあまり映っていないのが残念です。 | |
昨年の水害の爪痕が至る所にまだ残されています。 | |
町屋の特色を残した建物が、何軒か残っています。 | |
利神城廃城の後、代官所が中心となり施政を行いました。ここは、その代官所の跡です。 この陣屋門は、1864年に代官佐々木平八郎が建てたものだそうです。 |
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鳥取池田藩の本陣跡です。隣には神社があります。当時は、広大なものだったのでしょう。 | |
本陣前の家です。このあたりは、このような家が多く建っていました。 | |
平福町おこしと書かれた大きな提灯がひときわ目立っていました。 | |
町並み案内の看板です。今回の訪問は、あまり時間がなく一部分しか散策できませんでした。 次回は、もっとのんびり訪れたいです。 |
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帰りに訪れた乙大木谷の棚田です。日本の棚田百選に選ばれている美しい棚田です。あいにく、私たちが訪れたときには、まだ水が入っていない状態だったので、美しさは、半減でした。 ちなみに、ここは乙大木谷。近くには甲大木谷という地名もあって、笑っちゃいました。 |
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実はここが今回の訪問のメイン、しゃくなげの里です。法師塚という高野山の名僧・恵念の徳を偲んで建てられたお堂があります。 | |
この山の斜面を利用した大規模なしゃくなげ園には、150種1万本のしゃくなげが咲き誇ります。 |
(2010.5.4訪問)