高野山奥の院お礼参り
行 程
日帰り
京都八条口(7:30)=高野山{◎大門(高野山の総門・正門を車窓観光)=◎奥の院(弘法大師御廟に
 参脂)=◎
金剛峯寺(真言宗の総本山)=◎伽藍(大塔、金堂などが並ぶ真言密教の根本道場)}
 =◎
慈尊院(弘法大師の御母公の墓所)=京都駅
高野山一山の総門で、結界のシンボル。高さ25.1m粱間7.9mの木造の
朱塗りの門は重要文化財指定。両脇の金剛力士像は江戸時代の大作であ る。
大門 ( だいもん )
奥の院 ( おくのいん )
宗派を越えて20万基を越える供養塔が、巨杉のそびえる石畳の参道に続く。特に
墓原と呼ぶこともある。芭蕉句碑(池田雅筆)や漫才の神様・花菱アチャコの供養塔
 さて、奥の院参道最後の橋、御廟橋を渡り、内部を献燈で埋め尽くされた燈籠堂に入ると、張り詰めた空気に身の引き締まる思いがする。この先の御廟には、弘法大師が生身でおわし、人々を救い続けているという信仰が、ひしひしと伝わってくる。
たとえ物見遊山で訪れたとしても、知らず知らずのうち弘法大師の教えに触れて帰っていく。高野山の魅力はこういうところにあるのかもしれない。
金剛峯寺( こんごうぶじ )
古くは高野山の総称であったが、現在は高野山真言宗3600ヵ寺の総本山。
建物は文禄2年(1593)に豊臣秀吉が母堂を弔うために寄進したもので、
各室に壮麗な狩野派の手による襖絵がある。豊臣秀次の自刃した柳の間や、
日本最大の石庭である蟠龍庭などがある。
壇上伽藍( だんじょうがらん )
空海が帰朝する際に伽藍建立の地を求め唐の明州の浜から投げた三鈷がこの地
の松にかかっていたという。金堂は一山の本堂の役割を果たす。根本大塔は真言
密教の根本道場として創設された。国宝の不動堂など重要な建物も多い。
慈尊院( じそんいん )
816年(弘仁7)に弘法大師が高野山開山のために高山麓に寺務所として建立した
古刹。高野山表参道の入り口にあり、宿泊所も兼ねていた。開山当時は、女人の高野参りはここまでで、大師を訪れた母親もここで逗留。そのため、大師は月に9度
下山し、その事から九度山の地名が付いたともいわれている。境内にある弥勒堂は、母親没後、信仰を寄せていた本尊の弥勒仏坐像を安置して廟としたもの。方3間、宝形造、檜皮葺の堂で、平安時代末期の堂宇建築の特徴を残す。また女人
高野ともよばれ、現在も安産、育児などへの信仰が厚い。
四国八十八ヶ寺巡拝の旅に出たのが、平成15年3月22日に
第1回出発私達はJR草津線三雲始発乗ります(写真前左家内後左私、長女後右端瀬田より、二女前右端石山より、前真ん中兄嫁、後左より2人目三女、3人目長男以上JR膳所より乗車
京都駅集合、遅れ、迷惑、なし  平成16年2月16日が第12回88番大窪寺、高野山参りが、3月6日大安全員無事おまいりができ最高でした。兄弟会うごとに旅のことがーーー

   巡拝の旅ここで、ひとまず筆を置きます   

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